名もなき護衛
「ジイ。新しい家は見つかったのか?」
「ですから、壮史さまの新しい家は緑山宅なんですよ」
「迷惑をかけるから嫌だって言っただろう」
「ですが、ご両親から言われたことですし」
壮史は口をへの字にして、咲き誇る桜を見上げた。
ひらひらと舞う花びらが、いつもはきれいだと思うのに今日は少し癪に障った。
「父さんも母さんも勝手だ。勝手すぎる。今度は長くなるからって家を売って、俺は緑山家で当分暮らせだなんて。俺はまた狙われるかもしれないんだぞ。おまえもいるし。迷惑をかけられるかよ」
「壮史さまには大変助けられています。一日に一時間は続けて眠れるようになったのも、壮史さまのおかげなんですから。ですが。お一人でなにもかもを背負おうとなさらないでください。迷惑をかけている私が言うのもおかしい話ですが」
「………だって。凛香に合わせる顔がないし」
両親が犯罪組織を壊滅させる世界共通の民間組織『名もなき護衛』に入っていると知らされたのは、今回の事件が起こってから五日が過ぎた時だった。
『名もなき護衛』の組織員は正体不明で通っているが、今回のように素性を見破られることもあり、息子である壮史にも危険が及ぶと断言されたので、ならば一緒に連れて行ってくれと嘆願したのだが断られた。
通信教育ではあるし傍にいられないが小中学校生活を満喫してほしいと。
『ごめんね。危険な仕事を選んで。あなたを産んで辞める選択肢だってあった。けど。人材不足だって泣きつかれたし。なにより犯罪組織を放っておけないし』
両親が誇らしい。恨み言は。口にするし心中でもいっぱい言うが。辞めてほしいとは思わない。
危険な目には遭ってほしくないが。
傍にいてほしいが飲み込む。
自分だけが傷つくのなら構わないのだ。
自分だけならば。
刹那、凛香が殺されそうな場面が色濃く過って、身震いがした。
(もし。もしも、今度こそ凛香が殺されたら)
世界は暗闇に塗り潰されるだろう。耐えられない。やはり無理だ。
「壮史。ジイさんと花見か?」
いいからさっさと新しい家を探そう。
壮史がそう言おうとジイを振り返った矢先のことだった。
凛香を認識した瞬間、壮史はジイの手を取り走り出した。
ら。
凛香が平気な顔で並走して来た。
むかつくむかつくむかつく。
(こっちは全速力だってのに!)
「ついてくんな莫迦!」
「いいだろう。偶には一緒に走ってくれ」
「そんなままごと走り見せられたらむかつくだけだ」
「そうか。なら」
立ち止まって視界から消えた凛香に安堵したのも束の間、失礼しますと凛香の声が届いたかと思えば、壮史に浮遊感が襲った。
凛香が壮史を後ろから抱きかかえて、ジイを背負って走っていたのだ。
「やっぱ、二人だといつもの走りはできないな。まあ、鍛錬だ。うん」
「下ろせ」
「やだ」
「下ろせっ」
壮史は暴れまくって吠えたが、凛香は離さずに走り続けた。
壮史は顔を歪めた。喉がすごく熱くなった。視界がぼやけて来た。
声が思うように出て来なくなったのは、振動がすごい所為だ。
「俺とっ。一緒に。いたらっ。危険なんだっ。よ。莫迦。ばかばかっ。怖い目に。遭ったばっかだろうが!」
「ああそうだな。閻魔大魔王はすごく怖かった。怒られて泣いたのは久々だった」
「ちがう!茶化すな!神路や梨響、珊瑚と。おまえは違うだろうが!」
「うん。違うな。だけど、俺は逃げられるから。傷つけられそうになったら、逃げて助けを呼ぶから。だから。壮史。まだ一緒にいよう。おまえが家から出て行く時は渋らずに見送るから。今はまだ渋らせてくれ」
(あっ)
零れると思った瞬間、まさに大粒の涙が溢れ出た。決壊だ。誰か注意報を出せ。
(見送られたくなんて、ねえよばか)
見送られるなんてごめんだ。
己を律し、己の力で立てるようになったら。その刻こそは一緒に。
(今はまだ護るなんて言えやしないから)
「逃げろよ。全力で。逃げろよ!」
「ああ。逃げる」
「じゃあもういい。帰るから下ろせ。緑山家に。俺とジイの当座の家に。俺とジイは後から追いかけるから。走れ」
止まった凛香は言われた通り壮史とジイを地面に下したが、並走を止めはしなかった。
「おい」
ジトリ目に、満面の笑みを返した。
「言っただろう。偶には一緒に走ってくれって。壮史とジイさんと一緒に走らせてくれ」
(~~~こいつはあああ)
散れもっと桜の花びら散りまくれ。
俺の赤面が見えないくらいに。
「八恵華」
「凛香!」
前から道花と一緒に歩いていた八恵華は凛香を見つけるや道花に何事か言って駆け寄り、凛香の横に並んで走り始めたので、速度を落とした。
「八恵華は結局安眠薬香を使ってないんだってな」
八恵華は少しばつの悪そうに笑った。
「うん。お父さんの寝顔じっと見ていたら、眠くなってきちゃって。お父さんと一緒に眠ったら、眠れるようになってきちゃった。でもお金は払ったから凛香のお給料に影響は出ないと思うよ」
「え?師匠お金取ったのか?」
「だってお香は作ってもらったし当然だよ」
「そうか。八恵華はしっかりさんだな」
八恵華は肯定も否定もせずに言葉を紡いだ。
瞳に一筋の光を宿しながら。
「あのね。お父さんとおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に頑張るって。みんなで決めたの。おじいちゃんすごく嫌そうだったけど。おばあちゃんが雷落としたら手伝うようになってくれた。私より洗濯畳みとかアイロンがけとか下手だけど続けてくれてるし。炒飯作りとお話が上手なんだ」
「そうか。よかったな」
「うん」
顔を綻ばせた八恵華はちらと壮史を見て、眉を潜めた。
「なんだよ?」
「うーん。初めて見た時からどこかで会ったことがあるような気がして。うーん。どこだろう。うーん」
注視している最中、あっと閃いた。
同級生のアバターにそっくりだと。
八恵華が通う通信教育では本名は名乗らず偽名でアバターを使っており、午前中は学校に入っても入らなくてもよく各々好きに過ごし、午後からは教室に集まって一般教養を受けているのだが、十人しかいない同級生の中に壮史そっくりのアバターを見たことがあったのだ。
「あ。あれじゃないか。運命の人ってやつ」
「えー。やだ。私の好みじゃない」
「はっきりしてるな」
「うん」
「安心しろ。俺だって好みじゃない」
「物語によくある展開だな。好みじゃない同士がいつの間にか好きになっているんだよな」
「やめてくれ」
「そうよ。絶対お断りよ」
べーっと八恵華が舌を出せば、同じように壮史も舌を伸ばして見せた。
「仲がいいな」
「そうですね」
(結局こうなるんだよなあ)
隠れて見ていた梨響はがっくし肩を落とした。
神路に意を決して手伝うと言えば、そのまま壮史とジイを護衛してくれと言われる始末。
(いやまあ確かに必要なんだろうけどよ。神路と一緒に。って夢は叶いそうにねえなもう。まあ緊張して失敗する未来しか見えねえからいいけどよ)
梨響は暗い溜息を漂わせてのち、ジイの後姿を見て苦笑した。
(今度は忘れねえよ。先生)
潮の流れのように、神路と瀧雲は明瞭と不明瞭を行き来して覚えていたそうだが、自分は違った。
夢に出てくるまで完全に忘れていたのだ。
先生に言われた通りに。
「忘れねえ」
瞬間、春荒れによって地に伏していた桜の花びらが一斉に空に湧き起こった。
まるで、門出を祝う喝采を浴びせるように。
「京一さん。一緒に出かけましょうか」
「………」
瀧雲の診療所にて。
一時間して目が覚めて以降、とりあえず瀧雲が引き取ることになった京一は、診療所続きに建てられた瀧雲の自宅の一階に設けられた自室の隅っこで、一日中足を放り出して座り込んでいた。
瀧雲が話しかけても無表情のまま。反応はなかった。
口に運べば食事は取り、排泄はトイレへ自らの足で赴き行っているが、風呂や着替えなどは言われないと入らず着替えず、安眠治療もできない状態だった。
瀧雲は部屋の中に入って失礼しますと言うと、京一の脇に手を差しいれて顎を自身の肩に置いて抱き上がらせてから、立ち上がった京一の手を握って歩き始めた。
「今日は緑山家でクレープ祭りなんですよ。珊瑚の料理はどれも絶品ですから楽しみにしていてくださいね」
少し離れた玄関に辿り着くと、瀧雲は先に下駄を履いてから京一にサンダルを履くように言えば、京一はゆっくりとした動作でサンダルに足を入れた。
「さあ。行きましょうか」
「俺は」
手を握って歩き出そうとしたら、京一が口を開いたので瀧雲は振り返った。
「俺は。これから。どうしたらいいのか。わからない」
「はい。見つけて行きましょう。一緒に」
「俺は。俺は」
「焦らなくていいですよ。ゆっくり。まずは一緒に歩きましょう」
「………」
応えはなかったが、瀧雲が優しく握った手を引けば、一歩、いっぽと足を踏み出して、燦燦と日光が注ぎ、時折雄大な綿雲が陰りを生み出す外へと出たのであった。
(2022.3.4)
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