第26話 カゲロウ

 ここ数日、元手長の拠点を拠点として生活している。まずはここの把握から始めねばならないため、周囲の探索は進んでいないが、その甲斐あってこの建造物の詳細、例えば罠の位置から部屋ごとの役割まで、あらかた把握することができた。


「さて。拠点把握も済んだことだし、探索に出かけようか。とは言っても、せっかく得た拠点だ。放棄するのも惜しいし、数日で帰ってこられるところまでにしよう。」


 懸念としては、手長と一戦交えたときにはこの周囲にはモンスターがいなかったということ。手長の拠点近くにモンスターが大量にいるというのもおかしなものだが、まだ数日しか経過していないこともあり、接敵できるか不安だ。食料としては糞不味いものの食えないこともなかった手長族の死体があるが、やはり美味い可能性があるモンスターのほうがいいし、登録もしたい。情報も得ておきたいところだ。拠点が防衛に適しているのかの判別ができる。……まあ、一言で言うと、進歩が欲しいということだ。


******


嗚呼、閑也ああ、ひまだ。」


 懸念が的中してしまった。敵モンスターがいない。いや、居るのかもしれないが、発見できないというべきか。そのせいで、自分の言葉にルビをつけてしまうほど、俺は今、暇を持て余している。

 景色は変わらず、一度方向を失えば拠点に戻ることも難しくなるために、枝葉を切り落としながら進むという行程のせいで心的な負担がうなぎのぼりだ。ああ、敵よ。どうか早く出てきておくれ。


******


(おおっ!)


 心の中で、大声で叫ぶ。出発から一度の睡眠を経て、体感時間数十時間の後、対にモンスターらしき影を捉えた。その歓喜は絶叫してもなお余りあるものではあったが、感情の氾濫によってその歓喜すら水に流すわけにはいかない。その結果が、心の声の絶叫であった。


 そのモンスターは、あえて言語化すれば超大型の蜻蛉だろうか。肘から拳ほどまでありそうなその体躯は透明で奇麗な羽によって空中に固定され、その無数の瞳は等しく彼の世界だけを見る。その体長の割に細く長い体つきのそのモンスターは、昆虫であるという存在証明のように細く長い6本の足を持ち、身体の6割ほどを占める腹からは蜻蛉であるという矜持を感じた。


「奴は絶対登録しよう。」


 その姿を見て、俺は意思を確固たるものとした。


******


 トンボ。細長い羽と体を特徴とする昆虫。その体構造は空中を美しく舞い、他を狩ることに特化する。ホバリングから超高速飛行まで可能なその昆虫は、まさしく空中戦最強の昆虫である。


 人間とは違い、z軸方向への移動をも可能なその生物は、しかしx軸、y軸の方向においても人間には捉えられない動きをする。それ即ち、捕獲はもちろん、攻撃も、回避も、逃走すらも困難であるという事実を保証するということ。そのモンスターを見たならば、冷静な人間であれば観察し、臆病な人間であれば逃走し、無謀な人間のみが攻撃を選択するだろう。少なくとも、トンボのトンボたる所以を知る人間であれば。彼は、決して無謀な人間ではなかった。しかし、今の彼は冷静ではなく、臆病でもなかった。


******


「殺さないとなると、狙撃銃じゃなくて弓かな?手長との戦いで弓は好きになったし。と、いうわけで、セムを送還。弓を顕現だ。」


 弓を顕現させ、狙いを定める。いつものように自然体で放った矢には、少しの慢心と油断がのっていたのかもしれない。ただ、その矢はまさしく敵のいたその空間を射抜き、しかしその体を貫くことはなかった。

 

 トンボの目は、上下左右前後、そのことごとくを見通す。後方のわずかな点のみを死角とする彼のモンスターにとって、奇襲されることとはまさしく、存在しない概念である。なれば、思い上がったその矢でもって撃ち貫くことはまさしく考え難いことであった。


******


「まじかよ……っ!」


 その攻撃で俺を敵と確信したトンボ野郎が、俺に向けて接近する。それはただ単に俺に向かうものではなく、横方向、上下方向の飛行が乱雑に入り組む。二の矢をつがえるも当たることはないだろうと判断し、回避行動をとった俺の頬を、異様に硬質化した羽が切り裂いて行った。





―――――あとがき

 こんにちは。昆虫は、我々とは全く異なる構造の社会に、同じく異質な体構造でもって存在しています。言うなれば、現実に存在する異世界であります。虫が苦手という人は多く、わたしもGなどは苦手ですが、多くの虫はとても格好良く、美しいと思います。今まで意識せず生活してきたという方は、虫たちの異質さに目を向けてみると暇をつぶすには十分なほどの面白さがあると思います。

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