エピローグ

 とある夏の日。外には群青色の空が広がり、入道雲が浮かんでいた。廃墟からは楽し気な会話が聞こえる。

「今日もいい天気だよ、西沢。たまには外で散歩もいいんじゃないかな?」

「心咲。どう思う――」

「……なんだ、また心咲と話しているんだね」

「あら、いいじゃないの。自分の大切な人と話せるって、幸せだと思うわ」

「あ、浜先生。一人で歩いても平気なんですか?」

「なんとなく廃墟の構造は覚えてるし、目も触覚も嗅覚も脳の一部も失ったとはいえ、どうにか生活はできるわ。それにこんなのでへこたれてられないもの」

「娘さんのお世話がありますもんね」

「あの子のことは声しか分からないけど、それでも十分可愛いわ。今は一階で寝てるから、あとで見て頂戴」

「はい。『彼岸花と輪廻の簡易呪法』、完成してよかったですね。僕としても鼻が高いです」

「本当にね。御子柴くんには感謝してもしきれないわ。ありがとう」

「いいんですよ。僕の趣味でやってることですから。じゃ、僕は少し有賀さんと話があるんで」

「ええ」

 御子柴は階段を下り、腐臭が鼻を突く部屋に入った。中で有賀が黒い何かをゴミ袋に入れている。それはどこか、小さな赤子の腕のように見えた。

「……何分持ちましたか」

「一時間くらいは持ったさ。上々だろう」

「そう、ですか」

「不安かい?大丈夫。俺たちなら必ず完成させられ――」

「違います。僕が恐れているのは、いつ浜先生が気づいてしまうかです」

「……そうだな。百瀬が持って来た街の住人を使えば誤魔化しは効くが、そう長くは持たない」

 そう。今ここにあるのは仮初めの平和。浜先生の中では『彼岸花と輪廻の簡易呪法』が完成し、死産となってしまった娘が蘇り、百瀬千枝は更生して刑務所にいることになっている。

 しかし、本当は完成なんてしていない。むしろ悪化した。蘇った死者は一時間足らずで自壊し、黒い炭と化す。百瀬も当然刑務所に行っておらず、こうして私たちの研究のための素材を町からさらってきている。

 何より深刻なのが西沢だった。彼女は『彼岸花と輪廻の簡易呪法』を唱え、心咲と出会った。そこまでは良かったが、心咲が炭になってもずっと炭に話しかけているのだ。一通り今までの話をして、それから質問をする。

「心咲、どう思う?」

 当然答えはない。するとまた一から話を始める。狂ったレコードのように延々と同じ話を、心咲からの応答があるまで話し続けているのだ。

「よう。浜の調子はどうだ?」

「今のとこは変わりない」

「そうか。にしてもお前らも酷いよな。いっそのこと伝えてやった方がいいんじゃねえか?」

「それは無理だ。発狂して何をしでかすか分からない。最悪の場合、俺たち全員絞首だぞ」

「……それもそうだな。で、今夜は何人連れてくればいい?」

「2人だ。警察排斥はいせき派の自警団から引き抜いてくるだけでいい」

「りょーかい」

「さ、やろう御子柴くん。今日も陽が沈んでまた昇るまで研究だ」

「……はい」

ㅤ御子柴と有賀は階段を上り、暗く、じめじめとした書斎へ入っていった。

 外には群青色の空が広がり、入道雲が浮かんでいた。 

 廃墟からは楽しげな声が聞こえる。しかしそれは会話ではない。ずっと黒い炭に話しかけている少女の独り言だ。

ㅤ視力も聴覚も触覚も失った女は、何もない乳児用のベッドに向かって子守唄を歌っていた。

 ここにあるのは嘘と呪いに塗り固められた平和。

 過去に失った影を掴めたふりをしている、哀れなが住む理想郷。

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助手は錦秋に影を追う 涌井悠久 @6182711

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