一人でも半分でも平気な子

竹尾 錬二

一人でも半分でも平気な子

 発端は、山菜のタラの芽がもっと食べたい、という欲求だったようにぼんやりと記憶している。

 私は、幼い頃から山に入るのが好きだった。

 山――と言って、今の都会に暮らす方々にニュアンスは通じるだろうか?

 九州の僻地にあった私の故郷は小さな農村である。そこでは、人の暮らす里、田畑、成木の植わった裏山というように、家を取り巻く農地がなだらかなグラデーションを描きながら並んでいた。その果てに、先に人家の一軒も無い林道への分かれ道や、小さな金毘羅堂が見守る成木の途切れた杣山の入り口が、人の暮らす世界と、それ以外の土地を結界のように隔てていた。


「こっから先はお山や」


 祖母は、築百年を超える旧家の裏山を案内しながら、私に人の住む世界とそれ以外のヤマを隔てる結界を幾つも教えてくれたものだ。

 私は、山に入るのが好きだった。

 禁忌を踏み越える独特の高揚と、見知らぬ世界を探求する興奮に幼い胸を高鳴らせながら、山に分け入ったものだ。

 山に行きたい、という私に苦笑しながら、よく祖母や母は、私の山遊びに付き合ってくれた。

 私の実家はちょっとした土地持ちで、私有の山を幾つか持っていたが、まだ健脚だった頃の祖母は、山道を歩きながら、山に纏わる話を幾つも聞かせてくれたものだ。


こんこの山は炭焼きん山で、昔は何日もかけてあっこんあそこの窯で炭を焼いとったんよ』


『昔はこん辺りが墓で、土葬にしちょったんやけど、部落で墓を下に移した時に骨も移そうっち決めて、みんなで骨を掘ったけど、殆ど土に返っちょったんと』


『こん木からこっちがうちん山、こん木からあっちが従兄弟のYとこん家の山じゃ』


『こん大きな木ぃは立派な檜じゃあけん、あんたが家を建てる時にゃあ使やあいい』


『ここん神社は、昔は正月には蛇踊りをしよっちしていて、縁日も立ちよったんじゃが、もうやらんごとなったなあ』


『ここは軍人さんの山、ちゅうお山で、一番遅く女人禁制が解けたんで、そん時登りに行ったんじゃ』


 祖母の話は、ただ面白いだけではなく、私の目に映る世界を一変させた。

 ただ木と土と下草の集まりに過ぎなかった山の全てに、物語が刻まれていることを私は知ったのだ。

 聞かされた山の物語に思いを馳せ、見知らぬ山の物語を空想することに、私は夢中になった。

 そうして、小学生ながら、独りで山に入り浸るようになった。

 壊れかけた炭焼き窯があれば、その中に潜り込み、在りし日の炎を空想した。朽ちた石垣とあばら屋があれば、孤独な夜を過ごした山守の胸中を思った。

 林業や植物学に興味を持ったことは、私の山に対する解像度を大きく引き上げた。

 木々の集まりに過ぎなかった山が、いつ頃、何の目的で植樹されて出来上がったものかを、想像するのは楽しかった。

 林道を道なりに延々と歩くこともあれば、林道から山に入り、木々の間を掻き分けて進む事もあった。

 山にまつわる物語は私の胸を焦がしたが、ふと何もかもを忘れて、ただ、木々の香りの立ち込める山の静けさの中に、独り身を置く事も好きだった。

 

 一方、小学生が独りで山中に当所無く迷いこむことに、家族はいい顔をしなかった。当然の事だろう。

 山奥深くに潜り過ぎて、日が落ちてから戻った事も幾度もあったからだ。

 

「あげな山ん奥に独りで居って怖じゅうないんかえ?」


 怖くは無かった。


「なんとお。こん子は一人でん半分でん平気な子じゃあ」


 祖母は私をそう評した。「一人でも半分でも平気」との言葉は洒落が利いていて、その後、家族は幾度もその言葉を使うようになった。

 私も、その呼び名はまんざらでは無かった。

 

 山に幾度も独り潜り、己だけの地図を広げていく。

 スマホもGoogleマップも持たなかったあの頃、世界の容は足で確かめた範囲にしか存在せず、その先には茫漠たる未知が黒々した緑を湛て深く深く広がっていた。

 小学生だった私は、小さな世界の開拓者にでもなった気分で、新たな発見を幾つも続けた。

 

 ある時、私は河原傍で小動物の死骸を見つけた。

 流石に子供心に気味が悪いと思い、その場所には暫く近づか無かったのだが、半年程後に同じ場所を訪れると、そこで小動物の頭蓋骨を拾うことができた。

 腐肉の残りを落として洗い、漂白すると、綺麗な狸の頭蓋骨となった。

 冒険の宝物である。

 以来、山で動物の死骸を見つけた時は、その場所をチェックして、骨を拾う習慣が身についた。

 勿論、水辺に近い場所では、白骨化した頃合いを見込んで足を運べば、夏の増水時に攫われて骨一本残らぬ事も多かった。


 そんなある時、大物を見つけた。

 老いた鹿の死骸である。

 いつもの小川のほとり。小さな淵となっている場所の近くだった。

 九相図で例えるならば噉相の図たんそうのず。鹿はどす黒く変色し、壮絶な臭気と共に腐汁を沢に滲ませている。

 恐る恐る近づいてみれば、気が遠くなる程の数の蛆がたかって腐りかけた皮下で蠢き、死して尚、汚れた毛皮を蠕動させていた。

 そのグロテスクさたるや、その頃流行していた子供向けのホラー番組の比ではない。

 静けさの中で独り命を落とした鹿の亡骸は、山の摂理を体現化しているようで、聖者の即身仏でも拝むような気持ちで、いつまでも見つめ続けたことを覚えている。


 ……数ヶ月後、山ほどのシカの散骨を家に持ち帰った私が、捨ててこいと叱られるのは又別の話である。



 このように小学生時代の私を育んでくれた山だが、中学生になって休日を部活に使うようになるとやがて疎遠になり、大学、就職というライフスパンを経て更に遠い場所になっていった。

 その後、転職にして地元に戻ってきた私は、久方ぶりに山と触れ合う機会を得た。

 

 幼き頃家にいた明治生まれの曾祖父母はすでに亡く、山に私を導いてくれた祖母は体を悪くして叔母の家に身を寄せている。

 住む者のなくなった家と、荒れた山ばかりが残っていた。

 幼い頃、私の監督役として共に山に登った従兄弟は、峰を三つ越えた山奥で「ここは向こう百年は変わらないだろうね」と感想を漏らした。

 あれから、既に二十年。山奥は、確かに何も変わっていない。

 残り八十年も、あっという間に過ぎ去ることだろう。

 変化も確かにあった。家の所有していた山林には杉山も多く、七人組、十人組など、連名で所有していた共有林も数多い。

 私達の代で、十分に育ったその杉の一部、十九人組の共有林を売却する運びとなった。

 笑ってしまったのは、売却した十九人組の山の我が家の所有者の名義が、曽祖父の祖父から、変更されていなかったことである。なんと、江戸の安政年間の生まれの人物だ。明治時代に約定を交わしたものらしかった。

 健脚だった頃は祖母は『こん木からこっちはうちん山~』と、木単位の所有権を把握していたが、安楽椅子で一日を過ごすようになった祖母の頭からは、そんな細かな記憶はとうに消え失せていた。

 これは我が家に限った事ではなく、十九人組のどの家も多かれ少なかれ同じような有様で、結局売却益を頭割りにすることで話がついてしまった。

 なんとも、締まりのない話である。

  

 我が田舎の部落は、人も減った。夜に周囲を見回せば、人家の明かりはただ一つとして見えない有様だ。

 庭の焚火に苦情を入れてきた隣家の老人も、とうにない。

 残っているのは家ばかり。

 私自身も冒険遊びをする齢ではなく、近場で山菜を採るのが関の山だ。


 それでも、私は、何もなくなったこの田舎が堪らなく好きだ。

 県外の大学へ進学した時。就職した時。何かあった時、いつも思い出すのはこの山への郷愁だった。

 私の魂は、どうしようもなく、この山に根付いている。囚われている。

 もう、同級生には孫がいる者も出るような齢になった。

 一人でも半分でも平気と言われた私だが、人生を共にする伴侶がいれば、と思った事は一度や二度ではない。

 しかし、私は人と沿って生きるには、どうしようなく歪な欠陥だらけの人間で、何をするにしても大抵最後には独りを選んでしまう。

 戦前に建てられた家は、まだ数十年は持つだろう。

 人生の正午はとうに過ぎた。残りの人生をどう生きるか考えた時に、思うのは矢張りこの山の近くで死にたいという事だ。

 親族は、こんな何もない田舎の家で一人暮らすなんて考えられない、と口々に言う。

 交通インフラの不便な限界集落で、男やもめが独居するリスクぐらいは私も承知している。

 問題は、どれだけの資金があればそれが可能になるだろう、ということだ。


 馬齢を重ねて気付いたことの一つは、どうやら人間の心の燃費には、大きな個人差があるということである。

 そして、どうにも私は、随分と心の燃費が良い方らしい。

 次から次へと承認を求め、膨大な燃料を使って活発に活動をする方も多いが、私は過去のちょっとした思い出や、小さな誇りだけを燃料に、ノロノロと残りの人生も歩んで行けるだろう。


 現代社会にはそぐわない考えかもしれないが、私はこの山の畔のあばら家で暮らし、幼い頃に見た鹿の死骸のように、畳の染みと散らる白骨となった己の最期を空想すると安らぎを覚える。

 最後まで独りなのは、いささか寂しい事だが、耐えられない程の苦痛ではない。

 私は、一人でも半分でも平気な子なのだから。


 

 今年もまた、山に潜って山菜を採った。

 人生の決断をするのは、まだもう少し先でいい。

 今はただ、新鮮な山菜の天麩羅に舌鼓を打とう。

 唐詩選の隠者の句には『山中さんちゅう無暦日れきじつなし寒尽かんつくるも不知年とししらず』とある。

 どうせ、山にとっては、私の一生など裏庭の海老根の花が咲いて散るような一瞬の出来事に違いあるまい。



 了

 

 

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