第5話

 松三の葬式を終えてから半年ばかりが過ぎた。いよいよ利明の定年の日が近づいてきた。

 利明は嘱託で会社に三年間は残ることができたが、それを断っていた。彼は四十年間以上の、仕事の束縛から解き放たれて自由の身になることを望んでいた。

 しかし、環境の急激な変化に心身ともに対処できるかどうか不安にもなっていた。そんな時、

「あなた、嘱託で働いてくださいよ。孫のおもちゃをたくさん買ってやりたいでしょう」

と陽子と有美が利明の前に来て唐突に言った。

利明が理解できない顔をしていると、

「有美のおなかの中に赤ちゃんができたのよ。あれほどできなかった初孫がやっとできたのよ。本当に、赤ちゃんって授かりものね」

とうれしそうに言う。

「お父さん、孫孝行してよ。私も仕事辞めなければいけないし、経済的にちょっとしんどいかなあと思うの。お願い」

 有美が利明の前でおなかをさすりながら言う。

「そうか、まあ、いいだろう」

 利明はこう言って落胆したふりをして見せたが、内心、少し安心もした。

 やがて、有美はまるまる太った女の子を出産した。結婚してもなかなか子供に恵まれなかった有美夫婦にとって大きな喜びだったが、初孫を授かった利明と陽子の悦びもそれに劣らないものだった。まるで自分たち夫婦が初めての子供を産んだような若々しい気持ちにもなった。

 松三の一周忌法要のときだった。

 親戚縁者が集まって法要を終えた後、陽子が孫を抱いて松三の写真が掲げてある祭壇の前に行った。

「ハーイ、ひいおじいちゃん、ひい孫でちゅー」

 こう言って孫を写真の方に向けてあやした。祭壇にはさまざまなものがお供えしてあったが、生前に松三が最も気に入っていた2A3の真空管も置いていた。孫はそれを指さして盛んに取ってくれというようなしぐさをする。

「ハイハイ、これでちゅか。この真空管はおじいちゃんが一番好きだったものでちゅよ」

と陽子が言って孫に渡した。孫は2A3の真空管を両手でつかみ、つるつるとしたガラスの曲線の部分をほっぺたに当てるとキャキャッと言って足をバタつかせて喜んだ。

 利明がそばに寄って真空管を取り上げるような仕草をすると怒って大声で泣いた。

「ごめんごめん」

と言って止めると、今度は真空管を歯の無い口で噛もうとする。その表情を見ていた利明は、

「アッ、お父さんだ」

といって真剣に見つめ始めた。

「失礼なこと言わないでよね。八十五歳のおじいさんと赤ちゃんを一緒にしないでねえ・・・ でも、ひいおじいちゃんによく似てきたわ、本当に・・・」

 こう言って陽子もしみじみと孫の顔に見入った。

 孫はケラケラと笑いながら今度は真空管の頭の部分をおいしそうにペロペロとなめた。

    (了)

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コーイチ 大和田光也 @minami5

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