第4話 ジョン・スミス


 四年生になると、卒業論文で忙しくなった。冒険者ギルドにも顔を出しづらくなる。


 徹夜で分厚い本を読み、我が家の系統魔法と社会学的関係をまとめる。


 つまんない論文ができそうだ。魔法なんて誰かを呪うために生まれたって聞いてる。原初の魔法は憎しみから生まれた。


 母も教授たちもこんなものに魅せられて馬鹿みたい。


「でもジェシカは魔法の才能があるじゃないか」


 クランツは無邪気な笑顔を向けてくる。真面目に稽古しているせいか、剣の腕はかなり上達した。Dランクの依頼を一緒にこなした時は驚いた。


「才能じゃなくて呪いだよ。この古い家を相続しなきゃいけないし。絶対嫌」


 忍が屋根に上って雨漏りを修理している。部屋数は多いけど、今にも崩れそうな我が家を恥ずかしいと思ったのはいつだっけ。


 だから家を出たいと思ったんだ。



 忍が保証人となって、あたしやクランツは協力者として依頼を受けられる。


 その日は徹夜明けで熱っぽかった。忍は母の学会のお供でいない。でも時間ないし、一人だってやれる。


 Cランクの依頼を初めて受ける。受付の人に何度も念を押されたけど、忍と後で合流すると嘘をついた。


 害獣の駆除。寒気で餌が取れなくなった猪が、人里を荒らしているらしい。


 雪深いこの地方ではよくあること。猪くらいなんだって舐めてた。


「でっか……!」


 道を外れた山林にいたのは、錆色の毛に覆われた猪。あたしの太股くらいの牙を持ち、周りの木々が可愛く見えるほど体も大きい。こりゃあ食べるわけだ。


 雪でぬかるんだ地面をものともせず、突っ込んできた。雷光を打ち込んだが、座標が僅かにずれる。進路は変わることなく接触。がくんと体が跳ねる。背後は崖、突き上げられたら終わる。


「つっ……! 反射共震リフレクション!」


 魔力を暴走させ、わざと自分の体を吹き飛ばす。木々に何本かぶつかり、地面に転がる。激突の衝撃は減らせても、反動がきつい。息もまともに吸えず、目が回る。


 灰色っぽい空を目に焼き付ける。猪の鈍い足音が近づいてきた。こんなにあっさり死ぬんだ。あたしの人生ってなんだったの。


 失望した直後、一発の銃声が轟いた。猪はうめきながら、走り去った。


 雪を踏みしめてきたのは、いつかのいけ好かない男だ。そいつに助けられたことに神経が逆撫でされた。


「ヤマダ……!? っ……」


 わき腹が痛くて、体を起こせない。骨が折れてる。


「忍はどうした。お前にCランクは早い」


 慰めもなく、ヤマダは猪の逃げた方を見つめていた。


「あんな獣、あたし一人でやれたわよ」


「その様でか。後少しで死んでたぞ。この依頼は俺が引き継ぐ。お前は帰れ」


「はあ!? なんでそうなるの。帰りたくても帰れないし。あたしを置いて依頼達成しても笑いものよ。素人から依頼奪ったって言い触らしてやる!」


 どっちにしても恥をかくのは確定したけど、弱みを魅せたくなくて必死でまくしたてた。ヤマダは鼻白むどころか開き直る。


「それがどうした。こっちだって必死なんだ。俺はCランクの依頼が受けられない」


 この時、初めてわかった。彼は非正規の冒険者だ。正式なルールではないけど国籍がない人には、重要な依頼を受けさせないって聞いたことがある。本当だったのか。


「他の仕事をしたらいいんじゃない」


「したさ。でも金は貯まらない。住居だってなかなか見つからないしな」


 彼は悔しそうに顔を歪める。こんなやりとり何度もしてきたって顔だ。あたしに分が悪いかな。


「わかった。あたしに協力したら報酬半分渡す」


「七割だ」


「勘違いしないで。先に依頼を受けたのはあたし。あたしがいなかったら、あんたはここにいないの。文句があるならやめてもいいのよ」


 わざと居丈高に言ってのけると、ヤマダは言葉を呑み込んだ。同情だとか思われたくないし、今はこれでいい。


「あんた、外国の人だったのね。何かやりたいことがあってここに来たの?」


 猪の足跡を追って、森を分けいる。ヤマダに支えてもらっても、雪に足を取られそうになった。その度に立ち止まってくれて、意外にやさしいところがあるとわかる。


「故郷にいられなくなったから。人を殺したんだ」


 事も無げに言ってるけど、相当な危険人物だった。一瞬、憲兵に突き出すことも考えたけど、今は依頼をこなすのが先だ。


 間がもたなくなったが、幸い猪を見つけた。左目から血を流し、うずくまっている。あたしたちに気づくと深く息を吐き、巨体をよろよろと持ち上げた。手追いの獣は手強い。またあの突進が来たら避けきれない。


「一瞬でいい。動き、止められるか」


 銃のハンドルレバーをガシャンと鳴らし、戦闘態勢に入るヤマダ。もうやるしかない。


 体に比べて細い手足に狙いを定める。雷光が地面を伝い、怪獣の稼働域を急襲する。


 予期せぬ攻撃で、地に伏せる猪。ヤマダは冷徹な横顔で引き金に手をかける。


「ごめんな」


 弾道は猪の傷ついた左目を正確に居抜き、頭部を破裂させた。炸裂騨の一種だろうか。下顎だけ残した猪がゆっくりと雪の上に倒れた。


 依頼を達成できたけど、帰ったら忍に怒られ、母もお冠だった。


「もうっ! ジェシカったら、どうしてそう無鉄砲なの」


「あたしはママとの約束守っただけだし」


「口答えは許しませんよ。それと、あなた、お名前はなんだったかしら」


「ヤマダです」


「そう、ヤマダさん。ジェシカを助けてくれてありがとう。貴方の方からジェシカを説得してくれません? やはり女に務まる仕事ではないんですから」


 母はヤマダにストッパーを期待したが、彼は真逆のことを言い出した。


「女性だから向いていないということはないですよ。実は数日前から罠を張ってあの猪を狙っていたんです。お恥ずかしながら、苦戦していた所にジェシカさんが現れてこちらは助かりました」


 唖然とする母をよそに、ヤマダは部屋を後にした。


「待ってよ。なんであんな嘘をつくの?」


 問いつめても、首を振るばかりだった。


「嘘じゃない。依頼がなくても人里に下りた獣は狩る。それが冒険者ハンターだ」


 こいつは金にもならないのに、危険な獣と戦っていたんだ。金に執着していると思ったのに、善人ぶって、あたしが馬鹿みたいだ。


 母はぐったりと首を垂らし、兄たちからの手紙を読んでいた。


「あの子たちね、早くママに会いたいって手紙をよこすの。死んじゃわないように、安全な僻地にいられるように手を回さないとって思ってたんだけどね」


 母は誰より家族を思っていた。自分のことばっかり考えていたのはあたしだけだ。鼻の奥が痛くて、母に抱きついた。


「ママ、ごめんなさい。あたし……」


「いいのよ。もう何も言わないわ。子供を信じるのがママの務めだから」


 母からはバラの香りがする。落ち着くのも当然だ。この匂いに守られて、今日まで生きてきたのだから。


 学校の卒業を条件に冒険者になることを認められた。ついでに、ママが再婚するのとジェシカがSランクになるのと競争ねと、怖い脅しを受け取ってしまった。


 ヤマダとはそれからもしょっちゅう会った。論文を手伝ってと言ったら、嫌な顔をしながら付き合ってくれた。


 バラの温室で二人きりになるのも慣れてきた。


「卒業したら冒険者になるの。もしよかったらあんたも一緒に来て欲しい」


 ヤマダはたまに信じられないポカをやらかすけど、基本腕は立つ。クランツだけじゃ不安だし、経験者がいてくれると嬉しい。人を殺したというのも何か理由があるはずだし。


「もちろんタダとは言わないわ。ローゼンベルク家が後見人になってあんたを正規の冒険者にしてあげる。ママも安心すると思うし、悪くない取引だと思うけど」


 ヤマダは蕾のままのバラを見ていた。


「これ、品種はなんだ?」


「まだ決めてない。新しいジョン・スミスもなきバラよ」


 それでいいと、ヤマダは素っ気なく言った。


「今日から俺はジョン・スミスだ。約束する。お前を守る」


 名付け親になった気分で鼻が高い。けれど、舞い上がるばかりで何も気づいていなかった。


 名前を捨てたこいつと、家に縛られるあたしは根本的に相容れないことを。


 この時の約束が破られるのを、あたしはまだ知らない。

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名もなきバラの物語 濱野乱 @h2o

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