終章
柔らかいベッドの中でロティは目を覚ました。窓から涼しげな風が吹き込み、それがロティの顔をなでるたびに心地よく感じる。
近くのイスに誰かが腰をかけているのが目に入った。
「ウスライさん」
半仮面の女剣士はロティの声に気づくと、こちらを振り向いた。
「起きたようだな」
「ここは?」
「マリジャ神殿だ」
外から優雅な竪琴の音色が聞こえてくる。マリジャの祝典が始まったのか。
ロティはベッドから起き上がると、ウスライが頭を垂れた。
「すまなかった。痣がひどいな。だいぶ打ち込んのかもしれない……まだ痛むか」
ウスライはロティの首元に触れた。呪いが発動した際に当身を喰らわせた時のことを言っているのだろう。当人は覚えていないのだから、不安になるのも無理はない。
「大丈夫です。ウスライさんこそ無事で良かった」
「私は平気だ。燦爛たる者が、呪いを解いてくれた」
ロティはウスライの剣がなくなっていることに気づいた。
燦爛たる
「あっ!ケル・カ様はっ?」
ウスライが笑みを浮かべて窓を指差した。そこには逆さまになったカエルの顔が窓にへばりついていた。
笑うと思ったのだろうが、逆効果だ。ロティの頬を涙が伝った。
驚いたケル・カは部屋に入ってくると、ベッドの上に座り込んだ。
「ろてぃ、また、なく、なきむし、けむし」
「ケル・カ様、怪我は」
大きな手には包帯がぐるぐる巻きにされており、身体は白い法衣が包んでいた。得意げにロティの前で回って見せると、大きな目でロティを見つめた。
「だいじょぶ、だいじょぶ」
「すみません、おれ……結局何も出来なくて……」
大きな手の平がロティの両頬を包み込んだ。
「みんなの、ため、ろてぃ、なく、いいこ」
小さな燦爛たる者は淡い光でロティの涙を拭った。
「ケル・カ、かえる」
「え?」
「ぶらはん、こわい、でも、あいつ、いいやつ」
ケル・カはふわりと宙に浮くとそのまま日差しに溶け込んでしまった。ほぼ同時にドアからジュジュールが姿を現した。
「あ、起きたのかよっ!」
「ジュジュールッ」
二人はまるで健闘を讃えあうかのように抱き合った。後ろからピクスも顔をのぞかせる。
「結局、アンタは最後まで寝てるだけね」
「そ、そんな言い方……。いや、ゴメン」
美しい少女が笑った。
「お別れね」
そう言うと、ウスライの腕を引っ張った。
「ウスライが旅の途中で会った術師を紹介して欲しいの。治療術の権威なんでしょう?」
ジュジュールが素っ頓狂な声を上げた。
「おい、何だよそれっ!もう修行はやめるんじゃなかったのかよ」
「気が変わったのよ。治癒術を学んで独り立ちするの。方円術より、人のためになるだろうし、お金儲けもできそうだしね。そう決めた」
いつも冷たい少女が、楽しそうな笑みを浮かべた。さすがにジュジュールもこの変化に気づいたのだろう。ウスライに近づいた。
「年上の女として、教えてくれよ、ウスライ」
「どうかしたのか」
「ピクスがまるで乙女みたいじゃねえか。これは、オレに対する遠まわしな告白だよな」
今度はピクスが声を上げた。
「どこまでバカなの?真剣な話をしてるのよ、アタシは!」
「照れるなよ、ピクス。可愛いぜ」
大喧嘩が始まる前に、ロティとウスライは部屋を抜け出した。
どうやら、ここはマリジャ神殿の隣にある宿所のようだった。外に出ると大きなドーム型の建物と塔がそびえている。マリジャ神に礼拝する人々が行き来しているのも見えた。
ロティたちはペンデックの姿を探した。
あの時、ペンデックが倒れ、幽暗なる者が現れたあたりから記憶がない。全員が無事なのだから、どうにかなったのだろうが、気を失った自分は結局最後まで見届けることはできなかった。しかし、悔しさはない。平和で華やかな日常が目の前にあることが何よりだった。
ペンデックの姿はすぐに見つかった。外階段のそばで、祝典の花吹雪を眺めていた。その横顔が、どこか元気がないように思え、ロティは胸が苦しくなった。
「起きたのか。どうだ、具合は」
ペンデックが笑みを浮かべた。ロティも頭を下げる。
「おれは平気です。ペンデックさんは……」
「かすり傷だ。それより、何だ、その」
術師は言葉を濁らせた。仲間を危険な目に遭わせたのは自分のせいとでも言いたいのか。プライドの高いペンデックのことだ、本当に悔しかったに違いない。
でも――。
「気にしないでください。ペンデックさんがいなかったら、おれたち助かってないですよ」
「当たり前だ」
「な、え?あれ?ちょっと、せっかく人が慰めているのに!」
「黙れパン屋。だいたいお前がガーゴイルに飾りをぶら下げるからいけないんだろうが。勝手な判断と報告忘れが、今回の惨事になった」
何も言えなくなってしまった。ペンデックは意地悪い笑みを浮かべると、ウスライがロティに口を開いた。
「初めての旅にしては上出来だと思う。そなたはトゥラヒールに帰るのか?それとも、このまま流浪の旅に出るか」
ロティは不思議と答えがすぐに口を出た。
「まずは、コット先生の墓前に報告がしたいです。そして、次の旅に出るまでに、弓矢の腕を上げたいです。でも、パン屋も継ぎたいし、役人になる勉強もしたいんです」
ペンデックがあからさまにため息を吐いた。
「若いってだけで妄言は許されるのか?どんなことも道を極めるのは、甘くないぞ?」
「わかっています。でも、おれにとっては始めることが何より大事だと思いますから」
そうか、ウスライがうなずいた。
「では、ここでお別れだ。世話になったな」
立ち去ろうとする女剣士に、ペンデックが意外そうな声を出す。
「え?俺たちは一緒に旅を続けるんだろう?」
同じように、意外そうな顔でウスライが首をかしげた。
「剣は渡したではないか。呪いも解けた。もう用はないはずだ」
にわかにペンデックが咳払いをした。
「あの晩、俺が言った言葉は覚えているか?」
「私の身体に刻まれた方円陣のことは気にするな。一族の習慣だったのだ。術師(チャディア)殿の怒りと気持ちだけは、ありがたく受け取ろう」
「ああ、そういう解釈をなさったか」
ペンデックは困ったように笑うと、女剣士に右手を差し出した。固い握手が交わされる。
「実にアンタらしい。まあ、いいか。次に会う時があったら、良い返事を聞かせてくれ」
「そうだな。次に会った時は返事をしやすい求愛をしてくれ。それまでは生きていよう」
笑い声が包み込む。ロティは去っていくウスライの背中に向かって大きく手を振った。
次々と仲間が去っていく寂しさをどう紛らせよう。早くトゥラヒールに帰りたくなった。ペンデックも同じ気持ちなのか、さっさと踵を返した。
すると、神殿の入り口に、白い法衣を着込んだ女性が一人立っているのが目に入った。首からはマリジャの紋章が提げられている。
「ムアレ夫人」
こちらに気づくと、ムアレ夫人は深く頭を垂れた。そしてゆっくりと近づいてきた。
「ロティさん、本当にありがとうございました」
「そんな、おれはただの足手まといでした。かえってご迷惑を」
ムアレ夫人は首を横に振った。
「すべては、あなたが湖で宝珠を拾ってくれたおかげなのです」
白い両手が広げられる。そこには、半透明の力の宝珠が二つ輝いていた。
「これは」
「命の宝珠、だったものです」
ムアレ夫人は宝珠を見つめた。
「幽暗なる者バワは、ソハンの宝珠を使って、彼をこの世から追放しました。そして自らも、誰の力も借りずに異界へと帰っていきました。燦爛たる者ケル・カも連れて行くと言っていました」
「え?」
「所詮、人間がどうこうできる存在ではないのです。理解も及ばない。私たちが幽暗なる者と対等であるわけがない」
ムアレ夫人は晴れ渡る青空を見つめた。
「それでも彼らが教えてくれた。一番恐ろしいのは人の欲望です。愛情もその中の一つに過ぎないのでしょうね」
「そんな、人を愛することが間違っているとは思えませんよ」
そうですね、ムアレ夫人がつぶやいた。
「私はこの宝珠をどうすべきか迷っています。もう方円術を使うつもりもありません。これからは、亡き夫の代わりにマリジャに祈る日々を送りたいのです」
すると、ムアレ夫人から宝珠を取り上げながら術師が言った。
「いらないなら、俺がもらおう。幽暗なる者を呼び出した力の宝珠は貴重だ。しかし、俺もまた一から修行かな。じいさんに叱られそうだ」
ペンデックが、宝珠を光にかざす。
それが、一瞬で消えた。
「あ」
木の枝にイラが座っている。
「ボクは今回かなり働きましたから。これは報酬としていただきますね」
ペンデックが罵倒するより先に、何とイラは宝珠を粉々に砕いて、破片を紐で繋ぎ始めた。術師は口を開けてそれを茫然と見つめた。ムアレ夫人も驚きを隠せず、樹上を見つめた。
「このネックレスならヒタムの美人も喜んでくれるでしょう。金と交換してもいいかもしれませんが」
「イラ様っ!そんなことをしては――」
「インスさん、過去にとらわれてはいけませんよ。未来を明るくするのは自分次第。人間の命は本当に一瞬なのですから、あれこれ考えるより楽しいこと見つけた方が得ですよ」
ペンデックが破の宝珠をイラの額にぶつけた。イラは頭を抑えながら、木々の中に消えていった。
「アイツだけは、いつか絶対に封印してやる」
ムアレ夫人が柔らかく微笑んだ。
春風が花びらを巻き上げ祈りの声とともに空へ消えていった。
〈了〉
幽光は黄昏にささやく(黄昏の術師会 編) ヒロヤ @hiroya-toy
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