荷馬車の行く先

 ヒタムからキャースグリーにやってきた経緯をロティはまるで覚えていない(ペンデックの術で吹っ飛ばされ、気づいたらベッドの上だった)。荷台の隅に腰を下ろし、新鮮な気持ちでヒタム方面へ続くなだらかな山の斜面を眺めた。整備されているとはいえ、荷馬車は派手に揺れた。ジュジュールの馬の扱いが乱暴なのかもしれない。

 赤毛の少年がため息をついた。

「オレ、よくわかんねえけどさ。ヒタムの幽暗なる者バワってのはムアレさんが呼んだから、ムアレさんが封じなきゃいけないんだろ?てっきり連れていくのかと思ったんだ。まあ、師匠の言うとおり下手に術をしかけるのが危ねえのはわかるよ。それはそうなんだけど……結局どうすれば良いのか考えてるのかね?師匠はオレやピクスより腕は確かだろうけど、何ていうか、ヤル気が感じられないというか」

 それはロティも同感だった。昨晩、どういう話し合いが行なわれたか知らないが、ドブロ老人になりすましている幽暗なる者への対策が講じられた雰囲気ではない。おまけに二日酔いだというし、ペンデックはどこなくのん気なのだ。

「ここで議論しても意味ないわ。アタシたちには任務があるでしょう?それをやり遂げるのが先よ」

 ピクスの言葉に、ロティとジュジュールは顔を見合わせ、肩をすくめた。確かに、何も役に立ってない者が、意見するのはおこがましい。やはりピクスには頭が上がらない。

 ヒタムに近づくにつれ、ロティの心は沈んできた。どれもこれも中途半端な気がする。ムアレ夫人は見つけたが、幽暗なる者を封じる力が彼女にはない。ドブロ老人は殺されているのに、ウスライの呪いは消えていない。よって、ペンデックはウスライの剣を手に入れることができない。ジュジュールとピクスは、ともに黄昏の術師会を追われる身になっている。何だか、自分だけが楽をしている気分だ。いや、ただの足手まといだった。少しでも役に立たなくては、いつ置いていかれるかわからない。ロティはその不安を消し去るためにも、この任務をやり遂げて皆からの信頼を取り戻そうと決意した。

 しばらくすると、山裾に広がるヒタムの町並みが見え始めた。地図によると、白く大きな建物がマリジャ神殿だ。黄昏の術師会とはちょうど反対側になる。まるで町を挟んで対峙しているかのように思えた。今、自分が命の宝珠を持っていないのは幸運だったかもしれない。あれを持っていなければ、幽暗なる者に探知されることもないのだから。

 どういう道順で家を回ればマリジャの飾りが早く配り終わるか三人で協議しながら、ヒタムの外門までやって来た。衛兵はロティたちが首から提げたマリジャの紋章を見るや、一礼をしてあっさり中に通した。

「あれ?ヒタムの門は術師の力を感知するようになってるんだろ?」

 ジュジュールがピクスに向かって不思議そうな顔をした。

「オレやロティはともかく、お前の力は一定以上のものだから感知されるはずなのに。装置がぶっ壊れてんのかな」

 すると、ピクスは目を細めて上着のポケットから一枚の葉っぱを取り出した。

「あ!それ、ヒジョの葉だ」

 ロティが見つめると、ピクスは葉を反転させた。

 何やら描かれている。

「出発前に、ペンデックにアンタたちを手伝って欲しいって頼まれたのよ。それで、私の力を押さえつける方円陣を描いてくれた。用が済んだら、葉を燃やせば良いみたいね」

 あの術師の周到さには頭が下がる思いだ。確かにロティとジュジュールでは不安にもなるだろう。

 ジュジュールが思い出したようにピクスの肩を叩いた。

「今朝、師匠を探していたようだけど、用事済んだのか?あの女たらしの幽暗なる者への説教を頼んだんだろう?」

「そうよ」

 ピクスはふてくされたが、すぐにため息をついた。

「でも、ロティが言っていたのは本当みたいね。イラの命の宝珠がなければ封印できないらしいわ。何より」

 ピクスが言いよどんだ。

「どうしたんだよ」

 ジュジュールが問い詰めると、にわかにピクスの顔が紅潮した。

「うるさいわね。どうしたって良いでしょうよ」

「何だよ。スゲー気になるぞ。師匠に何て言われたんだよ」

 なぜかピクスはロティを睨みつけ、観念したように小さくつぶやいた。

「怖い夢は見なくなっただろうって」

「はあ?」

 ジュジュールのバカにしたような表情を見たのだろう、ピクスは声を荒らげた。

「ちょっと寝不足だっただけよ!とにかく、この話は終わり!早く行くわよっ」

 馬から飛び降り、近くの預け所に引いていった。慌ててジュジュールが後を追う。

 きっとピクスも辛かったのだ。怖い夢がどういうものかわからなかったが、黄昏の術師会に追われる日々、安心して眠れないこともあっただろう。イラが彼女の夢でいたずらをした理由は、当人じゃなくてはわからないが、ピクスが元気でいられるなら、良かったと思う。

「ちょっと何してんのよ。早く来なさいよっ」

 相変わらず言動は冷たく高慢ではあるが、勝気な性格はロティにも元気をくれるのは確かだった。

 ロティはジュジュールとともに荷車から飾りの入った箱を下ろすと、地図を広げながら該当する家々に手分けして配達した。どこの家庭もマリジャの紋章があるおかげで非常に友好的だった。腰の曲がった老婆の家では、ロティが飾りつけを手伝った。庇のところには、すでに楕円形の飾りがせり出すように吊るされている。持ってきた飾り(矢印みたいな形だ)を楕円の上に吊るさげた。

「ありがとう坊や。今年は私の家が選ばれたんだねえ。ああ、マリジャ様ありがとうございます」

 老婆はお礼にと、グリンブの実をくれた。

 にわかにロティの脳裏にはそれを美味そうに食べるケル・カのことを思い出した。


 ――どこ行ったんだ。


 まだペンデックには感づかれていないとはいえ、早いうちに何とかしないと取り返しがつかなくなる。イラに頼むのが一番早そうだが、一番難しくもある。姿が見えない異界の者は、術師でも行方をつかめないのだ。

 町を歩き回る中で、時々ジュジュールやピクスの姿を見かけた。順調に手持ちの飾りは減っているようだ。ロティが最後に訪れたのは、彫刻品を扱う店だった。人の良さそうな店主が頭を下げて、中に案内してくれた。追加の飾りの説明をすると、困った顔をされた。

「うちはいつも窓枠に下げているんだけどねえ。さらに、その上に吊るすとなったら……さて、どうしたら良いんだろう」

 店主はしばらく部屋の窓から上を見上げたりしていたが、何か思いついたように窓枠にあった楕円形の飾りを取り外した。

「今回は店の看板にしよう。方角も高さも同じくらいだし大丈夫だろう」

「じゃあ、おれが手伝いますよ」

 ロティは店の看板に楕円の飾りを引っ掛け、そして看板の上に施されている鳥の彫刻に新しい矢印の飾りをぶら下げた。

 店主が頭を下げた。

「神官様、準備でお忙しいと思いますが、ヒタムの人間が一番楽しみにしている祭りです。私も祝賀用の人形を彫っているんですよ」

 店主は陳列棚から艶のある人形をロティに見せた。

「へえ、祝賀用の人形とかあるんだ……これは誰なんです?」

 ロティの問いに、店主も不思議そうな顔をした。

「マリジャ神ですよ。神官様、何をおっしゃているんですか」

 似てないかなあ、店主は笑った。そうだった。今、自分はマリジャ神殿の使いになりすましていたのだ。ロティは慌てて謝った。別れを告げ、通りに出たところで、ジュジュールが歩いてくるのが見えた。

「よぉ、ロティ。そっちは終わったか?」

「ちょうど今終わったよ」

 ジュジュールは串焼き肉に食いつきながらあたりを見渡した。

「あ、ピクスだ」

 ロティの後ろからピクスが駆け足で現れた。肉にかぶりつくジュジュールを見るや呆れた顔になったが、何も言わずに外門の方へ歩き出した。

「用が済んだら長居は無用よ。今から急いで戻れば夕食には間に合うでしょう」

 ピクスに急かされるようにロティとジュジュールは外門まで走り出した。途中、日に照らされたマリジャの飾りがキラキラと輝き、母親に抱かれた赤ん坊が必死に手を伸ばす光景に出会った。もうすぐこの町中の人が待ちわびたマリジャの祭典が開かれる。その華やかな世界の隅で、あの幽暗なる者(ブラハン)が息を潜めているなど、誰が想像できよう。


 ――勝てるのだろうか。


 焦る気持ちをさらに急き立てるように、太陽はどんどん西へと沈み、あたりが暗くなってきた。ピクスが力の宝珠で道を照らしながら言った。

「アタシたち、この先、どうしたら良いのかしら」

 突然のつぶやきに、ロティとジュジュールは顔を見合わせた。

「どうって、来た道を戻りゃ平気だろ?」

「筋金入りのバカね。そうじゃないわよ」

「じゃあ、ヒタムの幽暗なる者を退治か」

「その後よ」

 ジュジュールは首をかしげた。

「一緒に方円術の修行するんじゃないのか?」

 その問いかけ(確認かもしれない)には答えず、ピクスは紫色の空を見上げた。

「私、術師やめようかしら」

 耳を疑った。

 ロティが声を上げるより先にピクスが馬を止めてこちらを振り向いた。

「自分には向いてない気がしたのよ。ペンデックを見ていてそう思った。それに、力を得ることで自分を見失いそうで」

 ここまで辛そうなピクスは見たことがない。ジュジュールも少し動揺したのか、声を張り上げた。

「ピクスに向いてないなら、オレなんか最初からダメじゃんかよ。でも、せっかくここまでやってきたんだぜ?その何だ、召還術とかじゃなくて人の役に立つ術を学べばいいんじゃねえの?師匠がオレの村を助けてくれたようにさ。使いようによっては、たくさんの人たちを助けらるんだ。黄昏の術師会は悪い連中でも、勉強したことは、無駄にならねえよ。きっと、迷ってるだけなんだって」

 いつになく真剣なジュジュールにピクスは驚いた表情を浮かべた。

「ジュジュール……」

「追手が怖いなら、オレが守ってやるって。な、一緒に旅を続けようぜ?」

 顔を真っ赤にしたピクスは思いっきり馬の腹を蹴った。勢いよく馬は駆け出す。

「う、うるさいわねっ!アタシの未来はアタシのものよっ」

「おい、待てったら!」

 ジュジュールが慌てて後を追ったが、その直後、急に二人の影が動きを止めたようだ。ロティが追いつくと、道の向こうから人馬の影がゆっくり近づいてきた。

 現れたのは半仮面の女剣士だった。

「ウスライさん」

 その後ろからはペンデックもやってきた。

「ご苦労」

 三人は大あくびとともに労われた。年長二人の格好は、すでに旅支度が整っていた。

「どうしたんですか」

 ロティの問いにウスライが静かに答えた。

「今しがたキャースグリーを発った。これから我々は再びヒタムに入る」

「えっ?」

 ジュジュールは歩いてきた道を振り返ると口をとがらせた。

「何だよ、先に言ってくれりゃ待っていたのに」

「まあ、そう怒るな。ところでヒタムの地図はあるかね」

 ペンデックはピクスから地図を受け取ると、上目使いでこちらを見た。

「この印があるとおりに飾りを追加してきたか?」

 三人は互いに顔を見合うと、術師にうなずいてみせた。満足そうに微笑んだペンデックは、勢いよく馬首をヒタムの方角へ向けた。

「あの未亡人は、すでにイラの手引きでヒタムに向かっている。さて、俺たちも急ぐとしようか」

「え?」

 思わず声を上げる。

「でも、ムアレ夫人は故郷に帰るって、ソハン司祭が言ってましたよ。だいたい、そう助言したのはペンデックさんじゃないんですか?」

「それなら、誰がアイツを封印するんだよ。俺はね、同業者には厳しいんだ」

 ペンデックは意地悪い顔をした。ウスライが苦笑いをする。

「嘘が下手な術師殿だ。ペンデック卿は実際に夫人を逃がすつもりだった。しかし、彼女がそれを拒んだ。あの夫人も昨夜のロティの言葉を聞いて、少し勇気を持ったようだな」

 昨晩、ロティに信用できないと言われたことを気に病んだのか、ムアレ夫人はこちらに協力することを承諾したらしい。ウスライが馬を進めながら言った。

「今頃、キャースグリーでは夫人を探し回って大騒ぎになっているだろう。マリジャの祝典が始まるまでに片を付け、司祭殿を安心させてやらねばなるまいな」

 ロティはあの穏やかなソハンが血相を変えているところを想像して、気の毒になった。

「それより何かあったのか。三人で喧嘩をしているように思えたが」

 ウスライが目を細めると、ピクスが即座に答えた。

「な、何でもないわ」

「今後の話し合いです」

「喧嘩じゃねえよ」

 三人が好き勝手に言葉を発する。ペンデックが大げさにため息をついた。

「まったく、子どもってのは将来のこと話すのが好きだねえ。無償で仕事させられる大人の気持ちにもなって欲しいもんだ」

 ロティは、ペンデックよりウスライが気になった。

「ウスライさんは、ドブロ老人が死んでも呪いが解けないってわかったのに、協力してくれるんですか?危ない目に遭うかもしれないのに」

 ロティの言葉にピクスとジュジュールも驚いた顔をした。呪われたままの女剣士に視線を注ぐ。ジュジュールが不安げに言った。

「呪い?アンタもドブロの野郎に催眠かけられてたのか?」

 ウスライが口を開く前に、ピクスが赤毛の少年を引っ叩いた。

「女を興味本位で詮索するんじゃないわよ。ウスライは今までアタシたちには無害だったじゃないの。借りがあるのはこっちなんだからね」

 ウスライは右半面に小さく笑みを見せた。

「私のことなら気にするな。乗りかかった船ともいうしな」

「冗談じゃなぃっ!」

 ペンデックがわめいた。

「俺が何のためにここまで来たと思ってる!その剣が全てだ!ああ、確かにアンタは悪くないさ。だがね、結局はバカな術師どものケツ拭いだよっ!決めた。こうなったら大暴れしてやる。そしてまた酒飲んでやる」

 意気揚々と歩き出した術師の肩の上でワタゲがクシャミをした。

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