仲間との朝
長時間寝ていたせいか、腰が痛くなってしまった。日はすでに高くなっている。ロティは頭を抱えてため息をついた。
――ダメだ、おれは。
昨夜、ウスライと宿屋に戻ると、ちょうど夕食の時間で、皆が集合していた。久しぶりに楽しい食事の時間だったが、キャースグリーの水が合わなかったのか、ロティは腹を壊して寝込むはめになった。昨晩、最後まで皆と一緒にいることを決意した矢先のこれだ。ぐったりとベッドに突っ伏していると、
「何だよ、ロティ。年寄りみてえだぞ」
果物とナイフを持って、ジュジュールが部屋に入ってきた。器用に皮をむき、食べやすい大きさに切ってロティに寄越した。グリンブという名の果物は、少し固めの白い果肉が特徴だ。やや酸味が強かったが。
「ジュジュール、おれはどれくらい寝ていた?」
「そんなでもないだろ。普通に朝だぜ?」
普通の起床時間かもしれないが、ヒタムからこっち、ロティは完全に寝てばかりだった。
今まで自分がやれたことを数えて落胆する。さすがに名誉を挽回しなくてはならない。
ジュジュールが別の種類の果物をロティに手渡したとき、さらに大きな手の平がベッドの下から現れた。
「ぐりんぶ、ぐりんぶ、ケル・カ、すき」
「わぁああっ」
大きな目がこちらを見た。
燦爛たる者のケル・カが、そのままロティの腹の上に乗った。ジュジュールにカエルのような手を出す。
「ぐりんぶ、ぐりんぶ」
「おいおい、誰かに見つかったらどうすんだよ。はいはい、これが食いたいのね」
ジュジュールはグリンブの実を輪切りにしてケル・カに渡した。美味そうに食べる様子はただの子どもだった。
――これが、燦爛たる
ロティがたびたび祈りを捧げる対象が目の前にいるわけだが、こうも理想とかけ離れていると、やるせなくなる。害がないとはいえ、どんな力を持っているのかもわからない。森の中に留まると思ったが、なぜかロティたちと行動を共にすることにしたようだ。
ノックの音がした。
慌ててケル・カに毛布をかぶせると、ジュジュールがドアを開けた。
「おはようございます」
顔を出したのは小間使いの太った女性だった。
「あら、もう具合は良いんですか?ご朝食はどうされます?」
にこやかな顔はどことなくカヤを思い出させた。
「朝飯だってさ。ロティ、食えるの?」
「じゃあ、いただこうかな」
では、お持ちしますと小間使いの女性が厨房に戻っていった。ロティは服を着替えると、腰に袋をさげた。
軽い。
袋を叩くと、小銭がチャリと軽い音を立てた。
「えっ?」
ない。ない、ない。
「ジュジュール!」
「うおわ、びっくりした。なんだよっ」
「ここに置いておいた袋、誰か触ったか?」
「は?袋はお前がずっと持ちっぱなしだろうが」
ジュジュールは呆れたように言ったが、ロティの様子に顔をしかめた。
「どうした?まさか」
「箱がない」
ロティは部屋の中をくまなく探した。
棚の中、ゴミ箱の中、ベッドの下。
毛布を取り上げると、ケル・カが驚いて窓の外に飛び出した。
「わっ!おい、二階だぞっ」
ジュジュールは慌てて窓枠に飛びついたが、ケル・カは普通に宙にいた。そして、その大きな手の中にある物を見て、ロティは泣きそうになりながら叫んだ。
「ダメだよっ!ダメですっ!それは大事な物なんですよっ!」
ケル・カは命の宝珠が入った箱を、汚いものを触るような手つきで転がした。
「ろてぃ、わるいこ、これ、あぶない」
「それはわかってますっ!でも、後で使う大切なものなんですっ。返してっ」
ケル・カは、ほのかな光を発しながら、眠そうな目でロティを見つめた。その不思議な光に、ロティは再び眠りに落ちそうだった。
「こぶん、こぶん、おやぶん、いうこと、きく」
まったくもって子どもの論理だ。ロティの願いもむなしく、自由奔放な燦爛たる者は箱を持って消えてしまった。
「……どうしよう、絶対に怒られる」
「本当にアレが燦爛たる者なのか?近所の悪ガキだってもう少し言うこと聞くぜ?」
ちょうどそこへ小間使いが朝食を運んできた。二人の様子に不思議そうな顔をしたが、
「どうぞ、ごゆっくり。一時間したら片付けに参ります」
そう言い残して部屋を出て行った。窓にもたれかかったままのロティを置いて、先にジュジュールは豆のスープをすすりながら言った。
「まあ、消えちまったら追いかけようもないもんな。師匠に相談して、イラに見つけてもらうのが良いんじゃね?」
確かに圧倒的不利なかくれんぼだ。正直にペンデックには報告した方がよさそうだ。ロティは力なくイスに座り、料理を口に入れた。
突如、ノックもなくドアが開いた。
驚いて視線を向けると、疲れた顔のピクスが突っ立っていた。
「ピクス、どうした?肌がガサガサだぞ」
「ペンデックは?」
とてつもなく不機嫌だった。
「何かあったの?」
尋ねるロティをピクスは睨みつけた。不味いことを言ったのか、思わず背筋を正す。
「私が聞いてるのよ。質問に答えなさいよ」
「おいおい、そんな言い方ねえだろ?ロティは心配してんだぞ?」
「ふん、さんざん寝込んで周りに心配かけたヤツが何言ってるのよ」
もういい、ピクスは部屋を出ていこうとした。彼女の皮肉や強情さは、だいぶ理解できるようになったが、どうしても苦手だ。
もう少し、笑えば良いのに。
そんなロティに反して、ジュジュールは立ち上がってピクスを呼び止めた。
「そう怒るなよ。何だかんだオレたちも助けてもらった身なんだぜ?こっちもケル・カに振り回されて大変なんだ」
干し肉を食いちぎりながらジュジュールは言った。ピクスの目は冷たい。
「まったく大変なように見えないわ。とにかく私はペンデックに用があるの。あのバカを早く封印して欲しいのよ」
バカ、とはイラのことだろうか。
「何だよ、あの幽暗なる者に何されたんだ?」
ジュジュールの語気が少し強くなった。やはりライバル視しているのか。しかし、ピクスはふてくされて下を向き、
「何も、ないけど」
とつぶやいた。
詮索しても答えるつもりはないだろう。ロティは言葉を選びながら言った。
「残念だけど、イラさんを封印するための命の宝珠をペンデックさんは持ってないんだよ。だから封印できない。ずっと探しているみたいだけどね」
ジュジュールは空いた食器を重ねながらため息をついた。
「ピクスも何もされてないなら良いじゃんかよ。お前がそういう反応見せるから、あの野郎も喜ぶんじゃねえの?」
それはわかる気がする。
ロティも同調した。
「な、何よっ!所詮アンタたちは男の肩を持つのね!」
「結局、何をされたのさ。一応、イラさんは女性には優しいはずだけど」
「勝手に夢に出てきたのよっ」
そう言うと、ピクスの頬がみるみると赤くなっていく。何かを思い出しているらしい。ジュジュールが呆れ顔で言った。
「夢なんて、お前の頭で見るものだろうよ。それだけアイツのこと考えてるってことじゃねえの?」
赤毛の少年はしばらく考え込むと、にわかに悲しい表情を浮かべた。
「つまり、何だ。オレ負けてるってことか?」
ロティは知っている。イラは、夢に入り込むことが出来るらしい。両親のラジンとカヤの夢にも登場して、ロティの旅立ちを後押しさせる演出をしてくれたのだ。しかも聞いた内容は嘘ばかりだった。そう考えると、やはり幽暗なる者は性質が悪い。実際にピクスは何かしらの悪影響があるようなのだから。
「ああ、もう」
ピクスは爪を噛んだ。
「いっそ私が燦爛たる者を呼び出してやろうかしら」
その言葉にロティは飛び上がった。
「な、何てこと言うんだよっ」
「冗談に決まってるでしょう。それくらい不快なの私はっ」
今度こそピクスは部屋を出て行った。勢いよくドアが閉まる。
難しい。
しょげているジュジュールには申し訳ないが、ロティはやはり苦手だった。もっと素直で可愛らしい子が良い。あのヒタムの花売り少女のような――。
ノックの音とともに、小間使いの女性が顔を出した。
「お食事はお済みですかぁ?」
テーブルの片付けをしながら、太った女性はロティに話しかけた。
「そうそう、術師様が今朝いらして、昼過ぎになったらソハン様の家まで来て欲しいと言付けがありました」
ロティは承知したが、命の宝珠がケル・カに奪われたことをどう説明しようか迷った。ここは正直に話した方が良いに違いないが、万が一、あの幼い燦爛たる者が山奥に捨ててきたりなどしたら、目も当てられない。陰鬱な気持ちで支度をすると、ロティはジュジュールとともに急いで宿を出た。
ソハンの家の前には、主の司祭とペンデックが何やら運び出しているのが見えた。大きな箱だ。地面に置かれると金属音が聞こえてきた。
「おはようございます」
ロティが話しかけると、顔色の悪い術師が大げさにため息をついた。
「まったく、ご夫人を見つけた途端に役立たずになるとはな。まあ、それまでも大した活躍はしてないが。……俺は二日酔いだというのに、ふざけたヤツめ」
もはや謝るしかない。やる気がないわけじゃないが、体調を崩して寝込んでいたのは事実だからだ。
「ちゃんと埋め合わせはします。何でも手伝いますからっ」
その言葉を待っていたかのように、ペンデックは例の胡散臭い柔和な笑みを浮かべた。
「お?そいつは助かる」
隣にいたソハン司祭も安堵の表情を見せた。
「ああ、若い人たちが手伝ってくれるなら私も助かります。本当にすみません」
さすがにジュジュールも気になったようだ。
「何なんスか?その箱を運べば良いんですか?」
ソハン司祭は箱を開けると、中から鋼板の飾りを取り出した。
「実は明日からマリジャの祭りが始まるのですが、今年はマリジャ神降臨と満月が重なる貴重な年なのです。それゆえ、特別に新しい護符をつける必要があるのですが、ミド鳥の捕獲に気を取られて護符の配布を忘れておりまして」
確かにヒタムの花売りの少女が今年は特別な年だから盛大な祭りが行なわれると言っていた。しかし恥ずかしそうに笑う司祭に、ロティは思わず呆れてしまった。司祭の身分で何という体たらくだろう。ただ、ミド鳥が逃げたのはイラのせいなのだから責めるのも気の毒だった。
ペンデックは、頭が痛そうな顔をしながらポケットから紙を取り出した。ヒタムの町の地図だ。
「ここに印がある家々に回って、事情を説明して飾りをつけてもらうんだ。すでにつけられている飾りの上に垂れ下がるようにしてもらえればいい。ソハンには、宿賃を代わりに支払ってもらったからな。その礼として、存分に励んでくれ」
俺は寝る、そう言ってペンデックはふらつきながら宿屋に向かっていった。ジュジュールがその背に向かって何か言おうとしたのをソハン司祭が止めた。
「ペンデックさんは、徹夜でこの準備を手伝ってくれたのです。さらにミド鳥の捕獲まで尽力してくださいました。どうか彼を休ませてあげてください」
頭を下げる司祭に文句を言うわけにもいかず、ロティもジュジュールも仕方なく承諾した。地図を見れば、そんなに数が多いわけではない。全部で十五箇所、二人で協力すれば数時間で終わるだろう。ソハンはロティとジュジュールに襟飾りを貸してくれた。どうやらマリジャ神殿の関係者だと一目でわかる代物らしい。確かに、あの町で身分確認は重要だ。
ジュジュールが慌てて言った。
「いやいや、ヤバイって。オレ、狙われてるんだぜ?黄昏の術師会の連中に見つかったら殺されちまうよ」
「その心配は無用です。マリジャの紋章を掲げた者を誅する輩は、ヒタムの住民が許すはずありません。だから、これさえあれば大丈夫です」
にこやかに話すソハンに、なおもジュジュールは食ってかかる。
「だけど、ムアレ夫人の旦那も法衣を着ていたにも関わらず殺されたんだろ?」
ジュジュールの不謹慎な言葉をロティは諌めた。ムアレ夫人の夫は、このソハンの友人でもあるのだ。察したジュジュールが慌てて謝ると、ソハンは気にしないようにと応えた。
「ジュジュール君が不安になるのは無理もありません。やはり難しいですか」
落胆していたソハンだったが、ふとロティの背後に目を向けた。振り返ると、金髪の少女が腕組みをして立っていた。
「ピクス」
「根性なし。アンタが行かないならアタシが行くわ」
ピクスはジュジュールの襟飾りに指を引っ掛けた。赤毛の少年も諦めたように口を開く。
「わかったよ。お前を危ない目に遭わせるわけにいかねえしな。ま、何とかなるだろ」
「バカにしないでよ。よっぽどアンタの方が危なっかしいわ」
ピクスはソハン司祭に向き直った。
「ソハン様、アタシにも手伝わせてください。万が一、術師に出会ったら、こいつらだけじゃ太刀打ちできないから」
それを聞いた司祭は喜んでピクスに襟飾りを渡した。確かに、万が一ということはある。ピクスがいれば少しは心強い。
ロティはソハンも同行するのかと尋ねると、申し訳ないような顔をされた。
「まだ、インスが体力的に心配でして……。明日、彼女の故郷に送り届けることにしました。やはり、キャースグリーも安全とはいえませんので、国境を越えてしまえば、黄昏の術師会の連中も簡単には追ってこれないと思います。まあ……ヒタムの幽暗なる者の存在が本当であるならば、いずれにしても時間の問題なのでしょうけど」
「でも、彼女はそいつを封じる役目があるはずじゃないの?一人だけ逃げるなんて……」
ピクスがどこか軽蔑したような表情になる。ソハンは苦笑した。
「実は、これはペンデックさんの意見なのですよ。インスには力が残されておらず、無理して術を使うと暴走する恐れがあると……それは逆に危険なのだそうです」
ジュジュールとピクスも、どうやら納得したようだ。ムアレ夫人が頼りないのは肌で感じていたのだろう。術の失敗は自分に跳ね返るのだから、そうなった場合はこちらも無事では済まない。
ソハン司祭は小声になって言った。
「ロティさん、病み上がりのところを申し訳ありません。私も明日の晩からヒタムに入り、交代でマリジャに祈りを捧げることになっています。何とか無事に式典を執り行うことが務めなのです。ヒタムの信徒は、幽暗なる者の存在を知りません。どうか、祝祭が終わるまでは、いたずらに騒ぎを起こさぬようお願いします。これは、ペンデックさんにも言ってあるのですが」
そこまで言うと、さらに頭を下げた。
「それでは、マリジャの飾りの追加、よろしくお願いします」
町の物見やぐらのそばに荷馬車が用意されていた。ジュジュールは、飾りの入った箱を荷台に積み込み、自分は御者台に乗り込んだ。ピクスが地図を広げながら先導していく。こういう時のピクスは本当に頼りになった。ジュジュールが頭が上がらないのもわかる気がした。
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