キャースグリーの森

 キャースグリーはヒタムの北方、山に囲まれた場所にある。昔から往来が難しいこともあり、それが逆に輸送手段を充実させてきた。山道は人が歩きやすいように整備され、乗り合い馬車も行き来している。町の西側から続く森の先にランバット川の上流がある。その奥には渓谷が連なり、春とはいえまだ肌寒かった。

 ロティたちは、上流を遡りながら渓谷を目指していた。ソハンの家を出た時、屋根の上に立っていたイラが渓谷を指差して言ったのだ。

「まずはあそこ。がんばって歩いてきて下さい。ピクスさんはボクと行きましょうか」

 美麗な幽暗なる者は、抵抗するピクスを抱き上げ一足先に森の奥へ消えた。 ペンデックが慌てる様子もないので、ピクスの身を心配する必要はなさそうだが、ジュジュールは怒りながら後を追った。

 山道は次第に岩場が多くなり、歩きにくくなってきた。ロティは狩りをしてきたお陰で足腰に自信はあったが、こんなに気が重い沢登りは初めてだ。疲れているせいだけではないだろう。誰もしゃべらない。イラはどこに導こうとしているのだ。

 ロティが川の向こう岸で水音を聞いたのはその時だった。数人の子どもたちが遊んでいる。岩飛びや魚釣りに興じ、たびたび笑い声も起こっていた。その内の一人がこちらに気づき手を振った。ペンデックが振り替えすと、大声で叫んできた。

「そっちダメだよぉっ。ママに怒られるよっ」

 ジュジュールが大声で返した。

「何だって?おっかない獣でもいるのか?」

 次々と子どもたちが集まってきた。

「子どもは遊んじゃダメって言われたもの!」

「でもでも、妖精さんに会えるかもしれないよっ」

「そんなの嘘だよっ。戻ってきなよっ」

「ママに言いつけるぞおっ」

 ペンデックが立ち止まった。かなり意地の悪そうな顔をしている。

「大丈夫だっ!なぜなら我々こそが、妖精さんだからだっ!」

 そう言うと、いきなり左手で印を切り、目の前の川から水柱を起こした。子どもたちは悲鳴を上げて逃げ散った。

「師匠、さすがにやり過ぎじゃないスか?」

「そうですよ、ペンデックさん」

「火柱よりマシだろうに」

 また口論になりそうだった時、ウスライが前方を指差した。

「イラ殿が立ち往生しているようだが」

 渓谷に下りて行くわき道のところで、イラとピクスが立っている。近づいていくと、ピクスが顔を強張らせてこちらに駆けてきた。

「おい、どうしたんだよっ!あの気取った野郎に何かされたのか?」

 ジュジュールが声をかけると、珍しくピクスは無言で少年の背に隠れた。

「失礼ですよ赤毛少年。ピクスさんはまだ世間慣れしてない方、世の中の目新しいことに戸惑っているだけです」

 何にしてもイラの説明は理解不能なので、一同、主の術師を見つめた。ペンデックが草むらに近づくと、

「あなたも、初めてでしょうね」

 と美麗な男は苦笑した。

 ロティはヒジョの大木の後ろに何かいることに気づいた。草むらが音を立てる。木の後ろから顔を見せたのは、子どもだった。

 子ども、か?

 いや、何かが違う。

 フワフワした髪の毛はジュジュールの赤毛をもっと明るくしたような色。目と目の間が離れ、その瞳は光に反射して七色に光る。頬のあたりからあごにかけて、うっすらと魚のうろこのような凹凸が見える。一番驚いたのはその手だ。手の平は大きく、四本しかない指先は膨れ上がっている。

「なるほど、カエルの妖精さんかね」

 ペンデックが小さくつぶやくと、イラが一歩大きく踏み出した。

 その時、

「いや、いやぁもんっ!ぶらはん、むこう、いく、ケル・カ、ここ、いるっ」

 カエルのような子どもがわめいた。少し怯えているようにも見える。

「今、何て言った?イラが幽暗なる者(ブラハン)だとわかったのか?」

 ペンデックが怪訝な顔をすると、美麗な男が困った顔をした。

「実は、一昨日に初めて会ったんです。なかなか難しいお年頃ですよ。仲良くなれれば良いんですが、ボクも手に負えるかどうか。こちらはね、燦爛たるスチルです」


 ――。


「はあぁ?」

 全員が間の抜けた声を出した。あまりの唐突さに、眩暈を起こしそうだった。なぜ、伝説上の異界の者がこんなところにいるのだ。そもそも、この数日で遭遇し過ぎだ。そして、次第にその存在に慣れていく自分が恐ろしくもあった。

 カエルの子どもはこちらの騒ぎなどお構いなしだった。ボンヤリとペンデックを見上げると、その足にしがみついた。腰よりも低い。

「ちゃでぃあ、ちゃでぃあ、はやく、ケル・カ、むこう、かえす、これ、みてぇ」


 そして差し出したのは金色に輝く――。


「い、命の宝珠か?」

 大きな手の平に包まれた宝珠がそこにはあった。しかし、ロティが見たような生き物がのた打ち回るような怪しい光り方ではなかった。

「おお、神秘的な美しい光。幸運をもたらすといわれる、まさに燦爛たる者(スチル)の宝珠です。うん、ちょっと苦しい」

 少し距離を置いたイラが得意げに言う。その横で、ペンデックはその宝珠と、少女を見比べた。

「お前を呼び出した術師はどうした?」

「ちゃでぃあ、いない、ほうじゅ、おいて、にげた」

「逃げただと?」

 ペンデックが声を上げると、驚いたのかカエルのような子どもは泣き出した。

「ああ、お可哀想に。しかし、さすがのボクも泣き濡れるお嬢さんを抱きしめることはできません。太古からの因果が憎らしいですね」

 イラの判断から、どうやらこの子どもは女の子のようだ。ペンデックは膝をつくと、幼女に顔を寄せて尋ねた。

「名前は、燦爛たるスチルケル・カかな」

「ケル・カ、よばれた。ちゃでぃあによばれた」

「どれくらいここにいる?呼び出した術師と対面したのはいつだ?」

「ゆき、はな、ゆき、はな、ゆき、はな、ゆき……」

 雪と花の単語の繰り返しが二十回を超えたところで、ペンデックが止めた。

「……つまり、何十年も前からいるってことか。これは黄昏の術師会は関係ないな。どこかの術師が遊びで呼んだかな」

 苦々しい顔でペンデックはケル・カの髪の毛をグシャグシャとやった。あの燦爛たる者を相手に不敬なこと極まりない。

「だいたい、召還された異界の者は、帰りたければ自力で帰還することができるはずだろう?封印されたくない、帰りたくないヤツがほとんどだから、命の宝珠を吹っ飛ばして、術師に苦労させるんじゃないのかね」

 その問いにイラが答えた。

「そうです。ただ、ケル・カさんは見てのとおり未熟な状態で呼ばれたのですね。帰り方を知らない単なる迷子です。おそらく、呼び出した術師も逃げ出すくらいだから未熟者だったのでしょう。しかし、燦爛たる者を召還しただけ日頃の行いが良かったのかもしれません。あなたみたいな性悪術師には無理でしょうね」

 ペンデックは輝く命の宝珠を太陽にかざした。まばゆい光があたりに反射する。

「……美しいな」

 本当に、心が癒される光だった。これが、燦爛たる者(スチル)の力なのか。しかし、ケル・カは浮かない顔をしている。

「ケル・カ、きらわれた、かえりたい、でも、かえれない」

 そしてまた泣き出した。ガラス玉のような瞳から大粒の涙がこぼれる。

「嫌われた?」

 ロティの言葉にケル・カは顔をしかめてこちらを見た。思わず背筋を正してしまう。

「むら、こども、みんな、なかよし、でも、ママ、しかられた、もう、あそばない」

 子どもというのは、キャースグリーのさっきの子どもたちだろうか。ペンデックは、燦爛たる者の濡れた頬を拭きながら言った。

「なあ、カエル嬢は子どもたちと何をして遊んだんだ?」

「さかな、さかな、かくれんぼ、にらめっこ、にらめっこ、おたまじゃくし」

 ウスライがゆっくりとうなずいた。

「先だって、ペンデック卿が言っておられた、異界の者の順応現象か」

「さすが女剣士殿だ。そのとおり。このカエル嬢は、昔から子どもたちと魚採りやら何やらで遊んでばかりいたから、姿形が人間の子ども、魚、カエルの合体みたいな異形になってしまったようだな」

 残念、イラが言った。

「ボクのように早々から人間社会に溶け込んでいれば美女になっていたかもしれませんね」

 ペンデックはケル・カの髪の毛を弄びながら神妙な顔になった。

「もしかしたら、キャースグリーの大人に見つかったのか。さっきの子どもらも親に叱られるなどと言っていたし。まあ、どう見ても珍獣だからな。異界の者と人間との関わりには限界がある。俺が一番よくわかるさ」

 ロティはケル・カの方をうかがいながら、ペンデックに小さい声で話した。

「ペンデックさんの力で彼女、えっと燦爛たる者ケル・カ様を帰すことができるんですか」

 それが聞こえたのか、ケル・カはロティを上目遣いで見上げた。ペンデックは伸び放題の髭に触れながら言った。

「パン屋の疑問は最もだが、他人が呼び出した燦爛たる者の封じ方は文献にもないんだ。五百年前の『とこしえの黄昏伝説』では、大量発生した幽暗なる者を封じるために燦爛たる者の血が必要だったとされているが、その逆を試すのはさすがに危険だ。困ったもんだ」

 ペンデックはケル・カの頬をつねったり手の平を押したりしながら小さな声で言った。

「燦爛たる者一体程度の血では、ヒタムのアイツに対抗できないだろうしな」

 術師の後頭部をイラが叩いた。

「ボクは見損ないましたよ、ヘボ術師。こんないたいけな少女を生贄にするくらいなら、ボクがあの幽暗なる者を封印してやります」

「俺は見直したよ。女のためなら古の因果も無視した発言ができるのか」

 二人のいがみ合いの中、ケル・カはペンデックから離れると、突然ジュジュールにしがみついた。赤毛の少年は卒倒しそうなくらい動揺した。

「うぉわあッ」

「におい、におい、おなじ、あ」

 今度はピクスの周りをクルクルと回り始めた。

「おなじ、おなじ、におい、する、おまえら、なかまか、いんす、なかまか」

 そして、満面の笑みを浮かべた。何というか、ピクスのように美人顔ではないが、愛嬌のある素朴な可愛さだった。そのままロティの方にも近づいてきたが、

「いやぁあ、おまえ、だめ、それ、だめ、すてる、すてる」

 また泣き出した。

「ロティの持つ例の箱のことだろう」

 ウスライが言ったのを受けて、ロティは慌てて腰の袋を隠した。ペンデックがケル・カの頭に触れた。

「平気だ、カエル嬢。こいつはただのパン屋だから怖がらなくて良い。これからはカエル嬢の子分になるんだ」

 適当なことを言われた。ケル・カはロティたちの前に立つと、

「なまえ、なまえ」

 一人ひとりに指をさした。

「オレ?ジュジュールだよ」

「ピクス、だけど」

「ウスライという」

「ロティです」

「イラと申します。ケル・カさん」

「ペンデックだ。よろしくな」

 ケル・カは満足そうにうなずいた。

「こぶん、こぶん、こぶん、ケル・カ、おやぶん」

 子分と決めつけられたのは年少組みの三人だった。

「な、オレたちかよ」

 ジュジュールが苦笑いした。ピクスもだいぶケル・カに慣れてきたようで、彼女のオレンジ色の髪の毛に触れた。

「ケル・カ様、御髪を綺麗にいたしましょうね」

 そして、持っていた赤い紐でケル・カのボサボサの髪を結った。ロティはケル・カに認められた(のかどうかはわからないが)その喜びより、気になることがあった。

「えっと、ケル・カ様。インスっておっしゃってましたけれど」

 子ども相手にぎこちない敬語だ。

「ジュジュールたちが仲間というのは、どういうことですか」

 ケル・カは結い上げられた髪の毛を触ってご機嫌だったが、ロティの言葉に真剣な顔つきになった。

「いんすのにおい、じゅじゅーる、ぴくす、いんす、さわった、いんす、なく、ケル・カ、たすけた、でも、なく、ほらあな、ほらあな」

 ジュジュールとピクスからムアレ夫人の匂いがすると言いたいのか。

 それと――「ほらあな」?

 その時、イラが突然ケル・カを抱き上げた。とんでもない悲鳴に、木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び去った。

「ぃやぁぁぁもぉんっ!はなす!はなす!ぶらはん、きらいぃぃっ!」

「ボクは古の悪しき鎖を断ち切り、聖なる光を克服しました。どうですかカレム」

「やはり馬鹿だお前は。相手の気持ちになれよ」

 ペンデックが呆れ果てるのをよそに、イラは泣き叫ぶケル・カを抱いたまま渓谷の方へ足を向けた。慌てて全員があとを追う。

「昨日はね、これしか預かれなかったのです」

 イラが歩きながらペンデックに見せたのは青紫の玉だった。

「破の宝珠じゃないか」

 術師はそれを手に取りながら口をひん曲げた。

「そういうことかよ」

「いっそ、さらってしまおうかと思ったのですが、この子に通せんぼされましてね」

 ペンデックとイラが何やら話をしている間も、ケル・カは泣き通しだった。少し気の毒になる。藪の中を下っていくと、ポッカリと開いた洞穴があった。その前には果物や野菜が散乱している。

「いやあぁ、いんすぅ、いんすぅ、うぇえええぇええ」

 ケル・カの泣き声があたりに響く。

 洞穴から、一人の女性が現れた。

「あ――」

 それは、ムアレ夫人だった。

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