再会

 薄ぼんやりとした視界の先、最初に目に入ったのは美しい少女の顔だった。


 ――ああ、綺麗だ。燦爛たるスチルかな。おれ、死んじゃったか。


 その美しい顔は、一瞬だけ安堵の色を見せたが、みるみる凶悪なものとなった。そして、いきなり額を叩かれた。

「痛っ!」

「このバカ者!年長者の言いつけを破って周りに迷惑かけるなんて、どういう教育受けてきたのよっ!」

「ピ、ピクス」

 頭を押さえながら、ベッドから起き上がり、周りに目を向けた。木の壁に囲まれ、窓からは緑が見える。太陽の光が差し込んで、ロティの腹の辺りに陽だまりを作っている。

 部屋にはピクスの他に、見慣れない男がいた。二十代後半くらいか、小さな眼鏡をかけ、ゆったりとした服を着ている。状況はわかったが、経緯がわからない。ロティは相変わらず不機嫌そうな美少女に尋ねた。

「おれは……えっと、ヒタムの秘密結社に行って……あの後どうなったんだ?というか、どうして君がここに?」

 ピクスがため息をついた。

「ここはキャースグリーの町よ。こちらはマリジャ神殿の司祭、ソハン様。アンタのためにご自宅を提供してくれたのよ」

 ロティは起き上がって礼を言おうとすると、ソハンと紹介された司祭が慌てて止めた。

「無理はいけない。君は丸一日意識を失っていたのだから」

「えっ?」

「そうよ。話はペンデックとウスライからも聞いたわ。あの酔いどれ術師に思いっきり吹っ飛ばされたアンタは、ヒタムの北にある神殿の泉に落下したらしいのよ。そこをソハン様に助けられ、このキャースグリーまで連れてきてもらったの。アタシは、昨晩カウの村人たちを無事に逃がした後、ジュジュールと合流してこの村に入ったんだけど、そうしたら見慣れた顔のアンタが意識不明で運ばれてきたから驚いたわ」

 ロティは目をしばたかせ、今までの経緯を思い出してみた。確かに吹っ飛ばされたのは覚えている。イラがペンデックとウスライを助けに来て、その間、ずっとロティの木箱が音を立てていたのだ。


 ドブロ老人――幽暗なる者。


 ロティは震える身体をおさえつけた。

 あいつは、木箱の中身を知っていた。それは、自分の命の宝珠だから。

「ペ、ペンデックさんは?ウスライさんは無事なのか?」

 ドアが開いた。

 入って来た術師にロティは頭を引っ叩かれた。

「痛っ」

「この馬鹿パン屋!年長者の言いつけを破って周りに迷惑かけるなんて、どういう教育受けてきたのよおっ!わはは」

 ペンデックは酔っ払っていた。後から入ってきたウスライとジュジュールが、ソハンに頭を下げた。

「大丈夫か、ロティ」

「おお、良かったぁ。心配したんだぜ?」

 泥酔した術師を押しのけ二人はベッドを囲む。ソハン司祭は呆気にとられた顔をしていたが、にわかに笑い出した。

「ペンデックさん、お仲間が大変な時に飲み過ぎですよ」

「そりゃ、飲むさ。しょげたって何の解決にもならんからね。これからのことは飲んで考える!しかしキャースグリーの酒は美味いな!酒税も高いけどな!」

 ペンデックは手に持ったグラスをあおった。ロティは助けを求めるようにウスライを見上げる、半仮面の女剣士は小さくうなずいた。

「どうやら、ソハン司祭の祖母殿とペンデック卿の祖父殿が知り合いらしい。それがわかったのは昨晩なのだが、それを知るや術師殿は夜通し飲み続けている。まるで自分の家のように酒樽を開けているのだ」

 苦笑いをした。ウスライも少し飲んでいるらしい。

「あの、そうじゃなくて」

「わかっている。ヒタムでは危険な目に遭わせてすまなかった」

 ウスライは、申し訳なさそうに目を伏せた。旅の出発時に、ロティを守ると言ったことを女剣士は気にしているのだろう。ロティは慌てた。

「そんな、あれはおれが勝手に行動して……すみません」

 ウスライは、気にするなと小さく片手でロティを制すると、話を続けた。

「……あの時、そなたを逃がした後、我々はイラ殿の力で地中に逃れたのだが、実はあの下は地下道になっていたのだ。そこは黄昏の術師会の倉庫と繋がっており、鍵を壊して外に脱出できた。ヒタムに留まるのは危険と判断し、近隣のキャースグリーの方へ向かいながらロティの居場所を探していた。ちょうど空からワタゲがそなたの足取りを見つけてくれたおかげで、無駄に迷うこともなくここにやって来た。その時はもう日が暮れていたがな」

 隣にいたジュジュールがため息をついた。

「何ていうか、悪かったな。オレたちに関わったせいで怖い思いしたんだな」

 しょげている赤毛の少年を見て、ロティは胸が締め付けられた。今、ここにいるピクスとジュジュールは幸運なのかもしれない。黄昏の術師会は、幽暗なるブラハンに占拠されている。

「ジュジュール、あそこはもう戻ったらダメだ」

「は?てゆーか、オレたち戻れねえけどよ」

「ジュジュールの仲間たち、みんなどうしてる?術を教えてもらった後、故郷に帰ってちゃんと暮らしているのか?」

 ピクスが眉をひそめた。

「どうしたのよ」

「おれ、見たんだ」


 あの、壁のように埋め込まれた頭蓋骨の数は普通じゃない。何かまだ秘密がある。 

 ペンデックに伝えなくては――。


「ロティ君、まだ完全に回復していないのだから、無理は良くない」

 ソハン司祭が優しい声で言った。ロティに温かい茶が差し出しながら、司祭は酔っ払った術師に言った。

「ペンデックさん、私にも説明していただけますか?さすがにこの事態、いくら祖母と縁の方とはいえ、ヒタムで大事を起こしたのなら見過ごすわけには……」

「もっともだ」

 ペンデックはイスに腰掛けると、大きく息をついた。酒臭さにピクスが細い眉毛をしかめる。それにかまわず、術師はヒタムを訪れた理由をソハンに説明し始めた。ウスライに呪いをかけた人物を探しに来たこと、その犯人と疑わしい黄昏の術師会のドブロ老人を訪ねたこと――。

「ドブロを訪ねたですって?危険ですよッ」

 ソハンが声を上げた。

「あの者は多くの術師を抱えて常に身を守っています。悪い噂もありますし、うかつに近づくと何をされるかわかりませんよ」

「まったくだよ。ああ、もう思い出すだけで酔いが覚める。あの馬鹿に助けられるという失態、そして、何も出来ない無様な俺。この屈辱はね、もう飲むしかないよ」

 さすがにソハンにはイラの存在を明かすわけにはいかないのだろう。イラは危険でないにしても、一般人にわざわざ幽暗なる者の恐怖を与える必要はない。

 ジュジュールがペンデックに詰め寄った。

「つまり、やっぱり危ない人間だったんスか?そんなヤツのとこでオレたち修行していたのかよ」

 ピクスが両肩を抱え座り込んだ。思いつめたような表情だ。

 ウスライがソハンに一礼した。

「ソハン司祭、おうかがいしたい。マリジャ神殿の神官が殺された際、その犯人を捕らえたのがドブロ老人だと花売りの少女が言っていたのだが、その頃の話はご存知か。私はその老人に呪いをかけられているかもしれず、その者でなければ我が呪いは解けぬ」

 ソハンはテーブルに肘をつき、手を組むと何かに祈るような顔をした。


 ――何か、知っているのか?


 すると、ペンデックがソハンと向かい合わせに座り、同じように肘をつき手を組んだ。

「ソハン。俺も、気になることがあるんだが」

「何でしょう」

「どうしてパン屋を助けた?」

「はい?」

 その場の全員が同じ感想を抱いたようだ。真っ先にロティが声を上げる。

「ペンデックさん、ひどいですよ。そりゃ、おれは足手まといですけど、そんな言い方」

「そうじゃない。なあソハン、お前こいつが持っているものに気づいたな?だからヒタムではなくキャースグリーまで連れてきた。違うか?」

 術師は酩酊した眼差しで微笑んだ。ソハンも困った顔で笑みを浮かべる。

「私からも……貴方たちにお話をしなくてはいけないようですね」

 マリジャの司祭はロティに向かって、ゆっくり口を開いた。

「君にそれを預けたのは、インス・ムアレという女性ではないかな」

 ロティはその名前を聞くや、無意識に腰の袋から箱を取り出した。テーブルに置かれた白地の布にくるまれた物体に、ジュジュールもピクスも釘付けになる。

「パン屋をかくまう理由が、この白地の布にあったんだな」

「……そうです」

 ペンデックは箱を覆う布を広げて見せた。半円形に切り取られた少し厚手の布地を見つめ、ソハンはため息をついた。

「これは、マリジャの法衣。神殿で襲われた神官が着ていたものです……」

 部屋の空気が張りつめていく。

「その神官殺害事件の全容は、おっしゃる通りです。犯人はタルバカ出身の炎術使い、そしてドブロが率いる術師集団が、その者を倒したことで一応の解決をしています。しかし、確固たる証拠はありません。一方、事件そのものが、黄昏の術師会がヒタムでの影響力を強めるための自作自演だという見方もあります。これは、黄昏の術師会を敵視する反対勢力――まあ、魔術そのものを毛嫌いする連中の言い分です。いずれにしても、ことの真相ははっきりとしていません。事件から数年経ちますが、マリジャ神殿と黄昏の術師会との関係も、表向きは良好ですが、互いに探り合うような緊張が今も続いています。その木箱を包んだ法衣は、間違いなく事件の証拠となるもの。ロティ君が持ち歩いているのを、黄昏の術師会の連中が先に見つけて、処分されては困ると判断したのです。いえ、それよりも私が個人的に確かめたいものがありました」

 ソハンは一呼吸おいて、低い声でつぶやいた。

「襲われた神官の名前はムアレ。私の友人です。そして、インスはムアレの妻でした」

 誰かが息を飲むのがわかった。ソハンは天を仰ぐように上を向くと、目を閉じた。

「その続きは、ご容赦ください」

 司祭は疲れたように言った。

「私からは言えません。いや、本当にわからないのです。ムアレの妻、インスは悲しみに打ちひしがれ、私や多くの友人たちの前から姿を消しました。この法衣を見つけた時、ロティ君がインスと交流を持っているのだと思いました。ですが、彼女は行方不明のままなのですね……」

 ロティは申し訳ない気分で下を向いた。ソハンは慌てた様子で言った。

「ああ、気にしないで欲しい。今日のここまで生死すらわからなかったのだから、生きていてくれただけでも、本当に良かった」

 その時、窓の外から騒ぎ声が聞こえてきた。

「大変だぁっ!ミド鳥が逃げ出したぁッ!」

 その直後、階段や廊下をドタドタと走りながら、家人が部屋に飛び込んできた。

「ソハン様っ!明後日からの祭りで使うミド鳥が、南の山間に逃げていきますっ」

「何だって?」

 ソハンが勢いよく立ち上がる。窓の近くにいたウスライが外の様子を見つめながら司祭に尋ねた。

「ずいぶん多くの者が追い回しているが、食用なのか?」

「とんでもない!マリジャの祭典で用いる鳥です。キャースグリーの特産なのですが、マリジャ生誕の日にかえった雛を育てて献上します。それが逃げたとなったら」

 大慌てでソハンは上着を着込んだ。戸口の前で申し訳ない顔をしてこちらを見た。

「尾羽の先が青い鳥です。もし見かけたら捕まえてください。全部で二十羽いるんです」

「そいつは、大変だなあ」

 了承したのか何なのか、ペンデックが適当に手を上げて応えると、ソハンは一礼して部屋を出ていった。外からは大捕り物の声が聞こえてくる。

 ジュジュールが首をかしげてこちらを見た。

「おい、ロティ。さっきから箱、箱って。何が入ってるんだ?」

「あ、えっと、これは」

 ロティが言いよどんだ時、


「命の宝珠だ」

 ペンデックがあっさりと言った。

 少し間を置いて、術師はあくびとともに再びその単語を発した。

「命の宝珠、です」


 ジュジュールとピクスが悲鳴を上げた。それもそうだろう。術師の修行をしていたならそれが何かは学ぶはずだ。五百年前の『とこしえの黄昏』伝説が実話であるという証拠を、ただのパン屋の息子が持っているのだから。

「どういうことだよっ!ワケがわかんねえよっ!」

 ジュジュールが頭を抱え出した。それを楽しそうに眺めながら術師(チャディア)は軽く言ってのけた。

「アカゲが理解するには至難だな。ヒタムのドブロ老人を訪ねたら、なぜか幽暗なる者出てきたんだよ。結論としては、何だ。本物のドブロ老人の行方もわからないことになった。要は最悪な展開になってるわけだが」

 ウスライが、笑う術師に横目を向けた。

「ペンデック卿、この箱には相当の結界を張ったのではないか?あの時、私の記憶が確かなら、あの者は」

「アンタの言うとおりだよ。まあ、さすがにあの幽暗なる者だけは感じ取ったようだ。さぞ嬉しかっただろうねえ。自分の探し物が見つかって」

「ブ、幽暗なる者が、ヒタムに……」

 ピクスが力なく座り込む。ジュジュールも顔面蒼白だ。しかし、ロティはもう一つの恐ろしい事実に身体が震え出した。

 今、ロティの手元にある命の宝珠が、幽暗なる者を生み出した。

 

 ――それは、つまり。


 ロティの枕元に気配を感じた。

 いつの間にかイラが立っている。美麗な異界人がため息をついた。

「行方不明の未亡人が、あの者を呼んでしまったんですよ。嘆かわしいことです」

 ピクスもジュジュールも今度は何も言わなかった。ただひたすら床の一点を見つめ、自分たちの中で必死に事態を理解しているようだった。放たれた幽暗なる者がヒタムの町にいる。黄昏の術師会のドブロになりすまし、おそらくは命の宝珠を見つけるために術師を利用して――。

 イラはピクスの前に歩み寄ると、顔を寄せた。

「顔色が良くないですね。ピクスさん、大丈夫ですか」

「……召喚術は危険だから、黄昏の術師会では講義に入ってないのよ。幽暗なる者が実在するなんて、ずっと信じてこなかったけど、今考えてみれば、実在しないという証拠もないのよね。つまり、アタシたち術師は使い走りとして利用されたわけね。召喚術を教わらなかったのも、異界の者を封印する方法を習得させないためか……ああ、気味悪い」

 すると、イラがとてつもなく悲しい表情を浮かべた。

「気味悪いなんて。ピクスさん、ボクみたいに優雅な者もいるんですよ」

「は?」

 訝しむピクスに、ペンデックが代わりに答えた。

「イラは俺が呼んだ幽暗なる者なんだ。あれ?言ってなかったか」

 放心したジュジュールが、ロティのベッドに座り込んだ。ピクスは固まったままイラを凝視している。もう、言葉もないらしい。

「な、な、何を考えてるのよ……」

 泣きそうなピクスにペンデックは真顔で答えた。

「まったくだな。八歳の俺をぶん殴りたいところだ」

 ジュジュールがイラを見つめて言った。

「はは、確かにコイツはいつも神出鬼没だったっけ……オレ、もうよくわかんねえや」

 そんな赤毛少年に、イラは優しい笑みを向けながら、ペンデックの頭を叩いた。

「そんなことよりも。さあ、今です。ヘボ術師。早く手伝いなさい」

 美麗な男に一同が視線を向けた。

「この騒ぎなら気づかれることもないでしょう。ミド鳥を探すフリをして、いざ出発」

 イラの頭に妙な羽がついているのを見た。

 先だけ青くなっている長い羽だ。

「あっ!」

 窓から強い風が吹き込んだ。ペンデックが苦々しくつぶやく。

「あいつめ。さては鳥カゴを破壊したな」


 カーテンが静かに揺れる時にはイラの姿は消えていた。

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