故郷
「確か、パン屋は狩人でもあったな。さて、今宵は何をごちそうしてくれるんだ?」
ロティは横暴な
「今日はこれで我慢するしかないなあ。明日はヒタムで美味い酒が飲みたいもんだ」
ペンデックは焼けた魚を手渡してきた。何だかんだいっても年少者を優先するところ、やはり大人だとロティは感じた。無言のウスライは沸かした湯に茶葉を入れ、カップに注ぎながら皆に振舞った。ロティも何かしなくてはと、立ったり座ったりしていたが、結局、何もできずに食事を続ける他なかった。旅が初めてなのだから、当然野宿も経験したことがない。自分が役に立つことなどないのだ。
――せめて、楽しい食事にしよう。
ロティは咳払いをした。
「ウ、ウスライさんはどうして旅をしているんですか」
こちらを振り向いた半仮面の女剣士は、白い顔を炎に照らしながら、何度か瞬きをした。
「どうしたのだ。突然」
「そうですよね。突然ですみません。ただ、えっと……気になるというか」
「冒険譚を書いて暮らしている、と言っていただろうに。パン屋はもう忘れたのか」
ペンデックが鳥の骨をかじりながら言った。
「忘れてないですけど!でも剣術の家に生まれながら、その道に進まないって何か理由があるんじゃないかって……。それに、女の人が一人旅なんて危ないと思うし」
「パン屋の弓矢の扱いの方がよっぽど危険だ。さっきもすぐそこに突き刺さったんだからな。俺を殺す気か」
茶をすすっていたウスライは火を見つめたまま黙っていた。
気まず過ぎる。
ロティは話題を変えようか、とりあえず謝ろうか選択に悩んだ。
「ペンデック卿」
静かな声が術師を呼んだ。
「貴殿は、私の剣を使ってイラ殿の命の宝珠を探し当てると言ったが、本当に目的はそれだけか?」
「ああ、それがすべてだ。どうした?見つけたら返せって?」
すでにロティは話の輪から外されている。少々、腑に落ちなかったが、ウスライの声がいつもと調子が違う気がしたので黙って聞くことにした。
何となく、元気がないような――。
「返せ、とは言わない。ただ、確認したい」
ウスライは先ほどから己の身体を何一つ動かしていないが、炎がゆらめき、端麗な右半面がまるで泣いているように見えた。
半仮面の女は目を閉じた。
「術師が古の剣を術に用いる理由、ご存知か?」
「何?」
ペンデックは意外にも首をかしげた。
「古い方が術を増幅しやすい……違うのか?」
ロティはウスライに目をやった。変化はない。女剣士は目を閉じたまま、細身の剣を手に取ると炎に向けた。見事な装飾がキラキラと反射する。
「古ければ古いほど。剣としての歴史が長いほど」
ウスライはそのままゆっくりと剣を水平に動かし、ペンデックに突きつけた。
「人間の血を吸ってきたということだ。その人間の生きた証こそ、術の助けになるのだ」
パチっと薪が音を立てた。ペンデックが苦笑する。
「アンタ、それを知っていたなら、その剣を鑑定なんか出す必要なかっただろうに」
「あくまで定義を知っているだけだ。抜けない剣が何かの役に立つとは思わなくてな」
ウスライは細身の剣を地面に置き、じっと火を見つめた。
「剣士の務め――生活を脅かす魔物を退治するといえば聞こえは良いが、実際に魔物を剣で倒すなど、不可能に近い。人間が生み出した道具で、未知なる力とやり合おうなど、できようはずもない。単純に、剣は太古より人間同士の争い時のみの道具だ。しかし、争いすらなくなった平和な世に、今度は剣士という人間そのものが不要になった。それを受け入れることができずに、一部の剣士たちは自ら乱の種となり、戦火を起こした」
風が吹き、火を揺らす。その音が聞こえるのではないかというほど、沈黙がロティを押しつぶそうとしていた。ウスライはゆっくりとペンデックの方へ顔を向ける。
「そこに目をつけたのが術師だ。おのれの能力の低さを補うために、より力のある剣、古くから血をすすってきた剣を求めた。それらは高値で取引されるようになり、剣士の中には金目当てで人を殺める輩まで現れた。剣を手に戦った、かつての誇り高い人間も三文術者の言いなりになり、ついには暗殺集団をも形成した」
初めて、ウスライが自嘲的な笑みを浮かべた。
「それが、私の一族だ」
ロティは頭の中が冷たくなるのを感じながら、ペンデックに目をやった。術師は酔っ払ったような顔つきで、ほんのりと笑みを浮かべながら火を見つめている。二人の間に流れる空気の温度差に、ロティは戸惑った。
「私は幼い頃から暗殺術を習わされた。もちろん、最初は何を目的としたものかは教わっていない。武具の使い方、間合いの取り方、相手の急所の狙い方。男だとか女だとか、そういう区別もなかった。才のある者は、分け隔てなく修行の機会を与えられる。子どもだった私は憧れの剣士になれることが嬉しかったのだろうな。次々と秘伝を習得し、周りの大人たちにも可愛がられた。そんなある日、森に連れて行かれた。確か十七か十八の時だったが、私は毒虫に刺されて高熱を出してしまい、森の途中で引き返すよう言われたのだ。しかし、若かった私はそれを潔しとせず、引き返すふりをして一族についていった。そこで見たのは森の小さな村が業火に焼かれる光景だった。消火しようにも消えない。それもそのはず、我が一族とともに術師の集団が仕組んだ焼き討ちだったのだ」
ウスライの黒い瞳に炎がゆらめいた。飛び散る火の粉にわずかに目を細める。
「そこから逃げてきた村人の一人が私の前で倒れた。背中には大きな太刀傷があった。逃げる者を追い討ちしないという教えが、あったはずなのに」
ウスライは無表情のままである。しかし、声は地底から聞こえてくるようだった。
「村人は絶命する前に私に向かって『逃げろ』と言った。死体の先から聞こえてくるのは剣が交錯する音と家が焼け落ちる音だった。私は、己の一族が何を目的として生きているかを知ったのだ」
半仮面の女は薪を火に放り投げる。火の粉が舞い散り、外套に花が咲いたようだった。
「絶望した私は、ひそかに故郷を出た。古くから家に置いてあったこの細身の剣を持ち出したのは、抜けない以上、人を殺めたことがない剣だと思ったからだ。今思えは、幼稚な考えだったな」
「で、何が言いたいんだ?」
ペンデックが胡坐をかいたまま頬杖をつくと、ウスライは小さく横に首を振った。
「ペンデック卿、誤解しないでいただきたいのは術師を憎んでいるわけではない。そのような子どもじみた感情はすぐに消えた。事実、旅先では腕のある術師に助けられたこともある」
女剣士は、再び薪を放り投げた。
「もし、本当に私がヒタムの催眠呪法師に出会い、この剣を抜いた者を殺すように呪いをかけられていたとしたら、貴殿に会うまでに誰かを殺してきたかもしれない。何しろ、一切を覚えていないのだ。そうであっても不思議ではない」
ロティは穴があくほどウスライを見つめる。その言葉を、必死に否定したい自分がいる。
「それに、もしかしたらその催眠呪法師も私の根底に流れる血を見抜いたのやもしれぬ。暗殺者の血筋、術をかけるならたやすいのではないか、と。私自身、否定していても、どこかで術師を恨んでいるのかもしれぬ。そこにつけ込めば何もかも好都合だろうしな」
ペンデックが腕組みをして炎を見つめる。ウスライは話を続けた。
「この呪いが解かれても、私は一族の血筋から解かれることはない。そう考えたらおかしくなったのだ。由緒正しい剣士から、暗殺者に成り下がった我が一族。誇りを持っていながら、一方では忌み嫌う自分。その二つ、生業としては同じ人殺しなのだが」
ウスライはゆっくりとロティに顔を向けると、弱々しく微笑んだ。
「これが、旅に出た理由だ。ロティ」
カップに湯を注ぎ、ロティに茶のおかわりを差し出してきた。このきめ細かい行動一つ一つがウスライの本当の姿だとロティは信じている。初めて会った日にゴロツキから助けてくれたのも、麦畑で外套をかけてくれたのも――。
しかし、何をどう言って彼女を慰めれば良いのだ。いや、慰めるなどおこがましい。こんな自分が悠長な人生で得た言葉など、何の役にも立ちはしない。
旅というのは、己を見つめ直すためにするものだ。それなのに、自分は――。
「俺は、その剣が、欲しいんだ」
ペンデックはあごで細身の剣を指し示した。
「でも、アンタの話を聞いて俺も少し考えを改めた。あの馬鹿イラを封印したら持ち主に返そう。うん、それが良い。つくづく優しいな、俺は」
ロティもウスライも術師の能天気さに言葉を失った。
「ペンデック卿」
「気にするな。アンタはただでさえ陰気くさいのに、そんな暗い話されたら俺まで呪われそうだ。血筋だの何だの、その面倒なところはこの俺もよくわかるさ。しかしな、ペンデック家の現当主は俺。生きている間は、俺が家を守る。ただ、それ以外の文句は言わせない。アンタは、故郷も一族も捨てて自由になった。逆に言えば、一族を語る必要もないんだ。旅を続けて好きに生きれば良い。血筋なんてものは、才があろうとなかろうと、ただの繋がりだ。生き方まで口出しされる筋合いはない。そのへんは、パン屋もわかるよな。お前、どう見たって頑固なパン職人になる面構えじゃないし」
ひどい言われようだったが、まるでペンデックが悩むロティの胸の内を透視したかのようだった。しかし、方円術は精神攻撃のようなことは出来ないはずだ。それなのに、今の言葉はロティの心を支配している。生き方まで口出しされる筋合いはない、もう一度胸の中で唱えてみた。
ウスライは真っ直ぐペンデックを見つめ返すと、笑みをこぼした。
「貴殿にはかなわない」
ロティもそんなウスライの表情を見て、やっと安心した。自分のまいた話の種が思いも寄らない方へ芽を出したが、おかげであの言葉の意味もわかったのだ。
「ウスライさん、いつもありがとうございます」
「どうしたのだ。突然」
「いつもって、昨日が初対面だぞ?これだからパン屋は」
――燦爛たる
――どうか、あの業火をもう二度と目にすることがありませんように。
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