ヒタム
ペンデックとウスライが例のペナントを見せると、ヒタムの衛兵たちは一礼をした。屈強そうな門番はロティを無言で(見向きもせず)通してくれた。ピクスに言われたとおりで、安堵と悔しさが同時に沸き起こったが、術師と女剣士はそんなロティに構わずヒタムの町中に入っていった。
途中でペンデックが立ち止まり振り替えると、ロティとウスライにささやいた。
「下手に俺の力を発揮してしまうと、お相手様に感づかれる恐れがある。ここは地道に情報収集をしながらアジトを目指すぞ。ウスライ、やはりこの雰囲気は覚えてないか?」
ウスライはあたりを見渡すも、首を横に振った。
「残念ながら、初めてきた町のようだ」
ロティも歩きながら周辺に注意を向けてみる。ヒタムの町は、トゥラヒールのような雑多な賑やかさはないが、洗練された華やかさがあった。町の人も皆穏やかな顔をしている。道は綺麗に掃き清められ、所々に緑や花が生い茂っていた。
そこへ、花売りの少女がロティに近づいてきた。見たことがない黄色の花を差し出す。
「こんにちは、旅のお方ですか?もうすぐマリジャのお祭です。マリジャ神のご加護がありますように、この花をどうぞ」
その可愛らしい笑顔にロティは赤くなりながらも、花を受け取った。
「何を照れてんだ」
ペンデックも花を受け取ると、その代金を少女に手渡した。
「マリジャ神ってのは何だい?」
術師の問いに、花売りの少女は背筋を伸ばして説明し出した。
「マリジャはヒタムを作ったと言われている守護神です。町の北側、あそこに見える大きな建物はマリジャ神殿です。春の訪れとともに、マリジャへの感謝を込めて町中で祈りと舞いを捧げるのです。今年はマリジャ神降臨と満月が重なる貴重な年なので、いつも以上に華やかな祝典になるでしょう。あ、この黄色い花はキッサスといって、この時季にヒタム山脈からキャースグリーにかけて咲くんですよ」
涼しい風が足元を駆け抜けていった。少女のスカートの裾が軽やかに動くと、町中から鈴が鳴るような音がした。
ウスライが家々の窓に何かを見つけたようで、指をさした。
「あの飾りは何だろうか。金属で出来ているようだが」
「あれは祭りの期間中に飾る護符です。薄い鋼板を菱形にくり抜いて、中央に鈴をつけるのです。マリジャが通ると星が音を鳴らす、という伝説に基づいた飾りですね」
家々の窓、煙突、入り口、様々なところに護符がぶら下がっている。中にはキッサスの花が一緒に添えられているのもあった。
「へえ、祭りかあ。酒も飲み放題かなあ」
ペンデックの言葉に少女が困ったような笑みを浮かべた。
「残念です、旅のお方。期間中は禁酒令が出てしまいます。ただ、牛の乳を使った甘酒で乾杯をすることは特別に許されています」
一瞬、肩を落としたペンデックは、思い出したように少女に言った。
「お嬢ちゃん、黄昏の術師会チャディア・クアラの総本部がこの町にあると聞いたんだが、知ってるかい?実は俺たち、そこで修行するためにグントゥル地方からやってきたんだ」
ペンデックの嘘が見破られるはずもなく、少女は南に向かう通りの方を指差した。
「黄昏の術師会は南にある広場の先です。建物に入るときは、守衛の術師の方に言えば案内してくれるはずです」
ウスライが感慨深げに言った。
「町の住民は皆がマリジャ神を信仰しているのだな。なるほど、良い顔をしている」
半仮面の女剣士の容姿に少しも臆することなく少女は微笑んでうなずいた。ウスライもほのかに笑みを浮かべて、少女に向き直った。
「この町の術師もマリジャ神を信仰しているのだろうか?」
「はい。マリジャ神殿の司祭様が殺されてしまったとき、タルバカからきた犯人を捕らえたのは黄昏の術師会のドブロ様でしたから」
少女はロティの顔を見ると、
「私も聞いた話なんですけどね」
と舌を出して笑った。照れ笑いするロティに冷たい眼差しを向けながら、ペンデックは少女に尋ねた。
「ドブロ師範は会の総締めみたいなものかい?」
「そうです。だいぶご高齢ですが町のために色々と奉仕活動も行なっています。最近ではその力を使って失せ物探しですとか、迷い猫を見つけたりとか、宝物の鑑定とか」
「宝物?」
ウスライが反応する。
「鑑定、と言ったか」
「はい。宝石ですとか、毛皮ですとか、何でも見てくれるそうです」
ロティは半仮面の女剣士を見つめた。
もしかしたら、その老人がウスライの剣を――。
「いやあ、色々ありがとう。お嬢ちゃんにマリジャの幸あれ」
ペンデックがキッサスの花を胸に挿すと、少女も深くお辞儀をして通りに戻って行った。
術師は足を南に向ける。
「さて、とりあえず行ってみるか」
こちらには目もくれず歩き出した。慌てて後を追う。
「ペンデック卿、待たれよ」
ウスライが呼び止めた。
「ロティはどうする?今はまだ相手の得体が知れない。何かあった時に対処できない恐れもある。どこかで待たせておくのが良いと思うのだが」
「そうだな。きっと、いつも以上に足手まといになるもんな」
意外な展開にロティは戸惑った。
「ここまで来て待ってろだなんて、おれも邪魔にならないようにしますから」
「ロティ」
ウスライの眼差しが少しだけ鋭いものになった。
「相手はタルバカ地方の術師と渡り合うほどの力を持っている。ピクスやジュジュールとは桁違いの能力者だ。私に呪いをかけた張本人ならば、敵とみなして間違いない。勇気というものは、奮う時を選ばねばただの蛮勇にしかならぬ。時には自重も必要だ。それに、そなたとて目的を遂げるまでに倒れるわけにいかないのだろう?」
ロティはうつむいた。
目的、ムアレ夫人を見つけ出すこと。
「女剣士殿は優しいねえ」
ペンデックがロティの頭を軽く叩いた。
「お前は今日の寝床と食事を手配しておけ。待ち合わせはこの広場な」
返事をする間もなく、二人はロティに背を向けると、人の往来に消えて行った。悔しいが、ウスライの言うとおりだった。旅に同行させてもらっているだけの自分に発言権などない。小間使いの仕事しか出来ない自分が悔しい。仕方なく、ロティは宿屋と思しき建物を探し回った。町の住民に道を聞いたりしながら何とか小綺麗な建物を見つけ出したものの、祭りの見物客で部屋はすべて満室で、紹介された宿屋も全て断られてしまった。もはや諦めるしかなかった。
――また野宿かな。
再び広場に戻ってくると、串焼き肉を売る屋台が出ていた。空腹気味だったロティは香草であぶった肉を一つ買って食べてみた。見た目より、味は濃くて美味い。ついもう一本買ってしまった。
「坊主、どこから来た」
威勢の良い声で肉売りが言った。前歯が一本欠けている。
「えっと、トゥラヒールから」
「おお?橋がブッ潰れてるのによく入ってこれたなあ。お前も黄昏の術師会の弟子入り希望者か?」
ロティは喋り過ぎてボロが出ないように、用心しながら適当にはぐらかした。肉売りもロティを無口でおとなしい少年だと思ったようだ。
「そういや、坊主と同じくらいのガキもよく買いに来てくれたんだがな。あとで聞いたら黄昏の術師会に弟子入りしてるって言ったなあ。あまり賢そうに見えなかったが」
「へえ」
「赤毛で騒々しいヤツだったよ。最近見ねえな。どうしたんだろ。ああ、そいつはこっちのタレであぶった肉が好きだったな」
――ジュジュールか!
ロティはその名前を叫びそうになったのをこらえ、むせるフリをした。肉売りは笑いながら水を差し出した。
「でも、おじさん。その彼を最近見ないって、修行中だからじゃないですか?」
ロティの言葉に肉売りが首をかしげた。
「まあな。でも、そいつだけじゃねえんだよ。術師を目指した若者がたくさんヒタムに来てるのは知っているが、何ていうのかな、その割にはこの町、それほど若者で溢れてもいねえだろ?山岳修行でもやらされるのかねえ。厳しくて逃げちまうのかな」
別の客が買いにきたところで、ロティは屋台を後にした。肉売りの言葉が引っかかり、広場の周辺を見渡す。たしかに歩いている若者は少ない。ジュジュールたちと同じ術師なら、あの黒と黄色の衣服を身につけているのではないだろうか。それなのに、その姿の人間はほとんどいなかった。もしかしたら、全員でムアレ夫人を探し回っているのかもしれない。
ロティはどうしても黄昏の術師会とドブロ老人のことが気になった。外から建物を眺めるだけなら問題ないだろう。南の方へ行けばそれらしきものが見えてくるはずだ。ロティはにぎやかな中心部を抜け、静かな家々の前を進んだ。途中、何度か風が吹き、鋼の護符が軽やかな音を立てた。
結社の建物はすぐに分かった。円柱のような建物が二つ連なり、濃い茶色の壁が日光に照らされている。どの建物よりも高かったが、窓は数箇所しかなく、入り口の前には白い服を来た女が立っていた。ジュジュールたちの服とはまるで違い、一枚の布を身体に巻きつけたようなものだった。
近づいていくと、片方の円柱の建物からペンデックとウスライが出てきた。そして、女に話しかけた。ロティは気づかれないように隣の酒場(休業中だ)の立て看板に身を隠すと、様子をうかがった。
「中にいる講師の方から、ドブロ師範の居場所はあなたがご存知だと聞いたんだがね」
ペンデックの声が聞こえてきた。それに対する女の声もする。
「まあ、貴方たちは先生に会いにいらしたんですか?てっきり修行希望の方かと」
「もちろん。ただ、どうしてもドブロ師範にお会いしたくてね。確か、鑑定術にも長けているそうで」
ウスライが剣を女に見せた。
「この剣を見てもらいたいのだ」
「相棒の剣が鞘から抜けなくて困ってるんだ。何か結界らしきものが張ってあるみたいで。ドブロ師範ほどの御方なら、これが何かわかるんじゃないかと」
すると、女は咳払いをしながら、誇らしげに言った。
「なるほど。確かに先生ならおわかりになるかもしれません。ドブロ様は裏側の小道の先にある青い屋根の建物にいらっしゃいます。失礼のないようお願いいたしますね」
二人は女に礼を言うと、裏側の方へ歩いていった。ロティも酒場の横の抜け道を通り、小道に出た。前を行く術師と女剣士に気づかれないよう充分な間隔をとりつつ、下り坂にさしかかった。すれ違う人がいなかったため、周囲に怪しまれることなくロティの尾行は成功し、程なく青い屋根の建物が見えてきた。日陰のせいか、屋根は青というより青紫に見える。壁は白かったが、古い建物らしく茶色い染みも目立っていた。
先を行く二人はドアをノックし、そのまま中へ入っていく。ロティは建物のドアの前まで忍び寄り、音を立てないようにゆっくりと開け、後に続いた。すぐに目に入ったのは、壁に吊るされた大きなペナントだった。色違いのものが何枚も飾られ、その中にはジュジュールたちが持っていたのと同じものもあった。
左の方から気配がする。
光が漏れている一室を確認すると、ロティは足音に気をつけながら近づいた。ドアは締め切られていたが、壁に穴が開いているのを見つけ、そこから覗き込む。
そこにはペンデックとウスライ、そして小さな老人が椅子に腰をかけていた。老人の頭は禿げ上がり、白い毛髪がうっすら残っているだけだった。
老人はゆっくりと頭を下げ、穏やかに言った。
「遠いところから、よくおいでなすった。はて、修行の前に、ワシに何かようですかな」
「突然の来訪、ご容赦願いたい」
ウスライの声が響いた。ペンデックが後を続ける。
「術を得る前に、ドブロ先生の理念と修行前の心得を肝に銘じるのが先かと思いまして。先生、このような酒好きのヒヨッコでも、大丈夫なのでしょうかね」
老人の朗らかな笑い声がする。
「若者よ案ずるな。ワシとて最初はお主らと同じヒヨッコじゃったわ。方円術が一部の術師にだけ許された力というのが、どうも納得できんでな。このような素晴らしい力なら多くの人間で共有し、町の発展、人命救助に役立てたらええと考えたのじゃ。おかげでワシの教え子たちの中には、雷を操ってそれを動力源とした輸送機を開発したヤツもおる。場所は、あー、どこじゃったかのう」
ペンデックが、素晴らしいですねと笑った。
老人の姿をロティは観察した。その表情、口調、身振り手振り、どう見ても好々爺だ。ウスライに呪いをかけた人物とは思えなかった。善良そうな人物が実は黒幕だったりする物語は知っているが、現にウスライの姿を見て顔色一つ変えないではないか。
「ドブロ先生」
ウスライが剣を腰から外した。
「この剣、見ていただけるか」
老人は目を細め、顔を剣に近づけたが、そのまま首をかしげた。
「はて。古そうな剣じゃの」
「古い上に、鞘から抜けない剣……何かおわかりになるだろうか」
老人は剣を手に取り、柄を引っ張ったが、びくともしない。何度か試みたものの、結局はウスライに返した。
「本当じゃ。ふむ、結界じゃろうか」
「あぁ、なるほど。だから抜けないのか」
ペンデックは大げさに膝を叩くと(白々しかった)、小さな老人の顔を覗き込んだ。
「先生、この結界を破る術というのも伝授してくださるのですか?私どもは、これを売って、黄昏の術師会の受講費用にあてようと考えていたんですよ」
「ほうほう、受講費用とな。そりゃ大事じゃ。ワシにも生活があるからの。何なら、ワシがチョチョイと抜いてしんぜようか。どれ、貸してみい」
老人がウスライに手を伸ばすと、ペンデックが首をかしげる。
「あの、先生が抜けるのですか?」
「当たり前じゃ。ここは何のための養成所じゃ」
「でも、どうやって」
そうだ。
もし、このドブロ老人がウスライに呪いをかけたなら、精神攻撃が専門の催眠呪法師なのだから、方円術――結界解除の術は使えないはずだ。それに、仮に老人が剣を抜けるとしても、抜いたらウスライの呪いが発動して、老人は命を狙われることになる。
この老人、何も知らないのか?呪いをかけた人物ではないのか――?。
「先生」
ウスライが頭を垂れた。
「この剣は私の肌守り。それを売るなどという行為、今考えてみれば少し浅はかかもしれませぬ。金は別の方法で必ず。よって今日は」
「いや、まったくだ。連れの言うとおり。我々は失礼します。ありがとうございました」
ペンデックが勢いよく立ち上がった。二人が帰り支度をしようとするのを、ドブロ老人が引きとめた。
「何じゃい、ワシをからかいに来たのか?」
「いえ、そういうわけでは」
ウスライが答えると、老人が首を横に振る。
「そなたではない、そっちのアンタじゃ」
ペンデックが老人を振り向いた。
「俺?」
「そうじゃ。いずこから参った」
その時、天井から涼やかな声が聞こえてきた。
「カレム」
ペンデックが驚愕の顔で上を向いた。
「イラ?どうした、呼ばれもしないで来るなんて」
「愚かしい。情けない。身の程知らずのヘボ術師」
現れた美麗な男がペンデックの前に立つ。
「
老人の口が動いた。
部屋の窓から日光が差し込む。
老人は微笑を絶やさずに、
「からかいにきたのか、そう聞いておる」
と言った。
イラが部屋を見渡しながら口を開く。
「ボクの主が失礼しました。あとで叱っておきます」
「イラ、さっきからどうしたんだ?」
「床を見なさい、未熟者」
差し込む日差しに照らされた老人の影。
影が、ない。
「影無き者。我が同族」
――幽暗なる
「な」
息を飲んだ。
カタカタと音がする。
耳鳴りのように、音は重なり、ロティは身動きがとれなくなった。部屋の中央、老人の目が二つ、いつの間にか、ずっとこちらを向いていた。
カタカタ――
カタカタ。
「子ども」
その声は老人のものから、若い男の声、そして、地を這うような声に変わっていく。
「導いてきたか」
カタカタカタカタ。
ロティはようやく奇怪な音が自分の腰のあたりから聞こえていることを知った。
箱が震えている。
次の瞬間、部屋のドアが吹き飛んだ。
「お前、何やってんだっ!」
ペンデックの声が響いた。
箱の中身は――命の宝珠。
イラが老人の足元に青紫色の細長い羽根をばら撒いた。老人が口を開く。
「これは面白い。貴様。インスを知っているのか」
「さて、どうでしょう」
老人の足が紫の光に縛られた。しかし、表情は変わらない。
「今です。でも、ボクの力では二人が限界」
ペンデックとウスライの足がゆっくりと床に吸い込まれていくのが見えた。
逃げなくては。
足が動かない。
怖い。
でも、逃げなくては――。
ペンデックは振り向きながら左手で懸命に印を切ると、ロティに向かって叫んだ。
「あとでお前を拾いに行ってやるから、その宝珠だけは手放すなよっ!」
次の瞬間、ペンデックの手の平から雷撃が放たれ、爆音とともに背後の壁と天井に風穴があいた。身体半分が床に消えたペンデックが、かろうじて左手を突き出すと、手首に吊るされた力の宝珠が輝き始めた。ロティの弓につけられた玉飾りと鈴も共鳴している。竜巻に身体を持ち上げられたロティは、瓦礫とともに外に吹き飛ばされた。
その時、目に入ったのは、壊れた白い壁の中から転がった無数のもの――。
人間の頭蓋骨だった。
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