カウ村
一軒、また一軒と家が焼け落ちていく。丘の上から臨んでいても、その匂いと灰があたりに立ち込め思わずむせ返る。ロティとペンデックは馬を安全な場所に繋ぐと、カウ村の中心部へ向かった。
必死に水をかけ続ける村人たち、その中にジュジュールの姿もあった。
「ジュジュール」
声をかけると、赤毛の少年は黒く汚れた顔をこちらに向けた。
「へっ、やっぱり手遅れだったぜ」
ジュジュールは鼻をすすったものの、決して涙は見せないように顔を背けた。
「お、お祖母さんは?無事だったのか?」
「わかんねえよ。帰ってくるなり、焼けた物見やぐらが目の前に倒れてきて、何人かが下敷きになっちまったんだ。それを助けている間にも火は広がって」
ジュジュールは咳き込み、周囲の村人たちに背中をさすられた。あたりを見渡していると、また別の方から炎が上がる。その度に、村人たちのため息や嘆く声が聞こえてきた。
そんな中、何人かがこちらに鋭い視線を向けてきた。思わずロティは後ずさりしたが、代わりにペンデックが前に出た。
「アカゲ。ここは俺に任せろ。お前たちは、バアさんと怪我した人間を助けてやりな」
「でも、一人じゃ」
「一人でやるしかないんだ。この炎は普通じゃないんでね」
術師は、崩れた物見やぐらの焼け跡から、何かを拾った。すすで黒くなった半透明の玉――力の宝珠だった。それを使って起こした炎は、普通の水では消えないとペンデックの屋敷で教わったのを思い出す。
――誰が、こんなことを。
「ワタゲ、こいつを頼む。あとで湖の中にでも捨ててこい」
「そんじゃ、いってくるか」
術師が印を切りながら指を鳴らすと、燃え広がった畑と大樹に向かって水流が押し寄せた。それを目の当たりにした村人たちから驚愕の声が上がる。同時に、ペンデックを恐れ、そっと離れ始めた。術師あの人懐っこい笑みを浮かべた。
「大丈夫。俺はただの火消しだよ」
ロティはジュジュールとともに村を走り回り、逃げ遅れている村人を助けた。泣き叫ぶ子どもの声、またその子どもを呼ぶ母親の声が入り混じり、ロティの胸を締め付ける。自分には記憶がないが、ラジンの話では、ロティ自身も戦災孤児だという。これと同じような目に遭っていたというのだろうか。覚えていないのは、良かったのかもしれない。 こんな気持ちのまま日々を過ごすなんて耐えられるわけがない。
焼け落ちた牛舎から牛が飛び出し、方々へ散り散りになっている。その時、押し合いへし合い逃げる牛たちの上に、焼けた家屋の木片が落ちた。たまらず暴れ出した牛が突然ロティの前に躍り上がった。
「危ねえぞロティッ!」
その時、間一髪で身体が引っ張り上げられた。馬上からロティを救ったのは半仮面の女剣士だった。
「ありがとうございます。ウスライさんも無事だったんですね」
「ロティ、ペンデック卿はどうした」
この光景を目の前にしても、ウスライは表情を崩さず落ち着き払っていた。それが少し、ロティに薄ら寒いものを与えた。
「ペンデックさんはあっちで火を消しています。どうも術で起こされた火事のようで」
「やはりか。私は疑わしい術師を探しているのだが、もう逃げてしまったのかもしれない。それらしき人物が見当たらないのだ」
ウスライは馬を下りると、ジュジュールに近づいた。
「祖母殿は無事だ。ピクスが他の村人たちとともに林の方へ避難させている。早く顔を見せてやると良い」
「ほ、本当ッスか?ありがとうございますっ」
ジュジュールが走り去るのを見送ると、女剣士は燃えていく村を見渡した。右半面の儚げな横顔には、何の感情も乗せられていない。ロティはウスライの優しさは知っているが、この表情、不安になる。せめて何か言葉を発してくれれば。
「二度と、目にすることはないと思っていた」
暗い声だった。
「また、繰り返されるのか」
そうつぶやくと、ウスライは踵を返し、背後に立ち上る水しぶきを目指して歩き出した。
二度と――。
ロティは寡黙な女剣士の言葉が脳裏に焼きついて離れなかった。ウスライは一体何を見てきたのだ。あの半仮面の下に、どんな過去と感情が渦巻いているのだろう。
「ウスライさん」
ロティの声色から、半仮面の女は察したのだろう。肩に手を置いて、小さく右半面に笑みを浮かべた。
「昔を思い出しただけだ。気にしなくていい」
「でも、ウス……ぶっ」
突然、大量の水がロティの身体に襲いかかった。まるで滝つぼに突き落とされたように、一瞬意識を失った。
「あ、平気か?」
ふらふらと歩いてくる術師は、そう言いながらも腹を抱えて笑っていた。
「な、何するんですかっ!あぁ、死ぬかと思った」
「人が仕事しているのに、サボっているお前が悪い。それにしても酷いことをする輩がいたもんだな」
ペンデックは燃え上がる牛舎にめがけて水流を走らせた。まるで生き物のように水が火を飲み込んでいく。
「ペンデック卿。術者の行方がわからぬのだ」
「先方はもうトンズラしているさ。火事の原因は、ピクスのお嬢ちゃんも得意な踏み込み式の陣だ。村の連中が逃げる時に踏みつける力で術を完成させるんだが……これじゃあ発火が絶えないわけだ」
ペンデックは青紫色の破の宝珠を取り出した。
「もうそろそろ良いかな」
口笛を吹いてワタゲを呼ぶと羽を何枚か抜き取った。
「ペンデックさん、どうするんですか」
「火消し役も終わりだ。術の根源から絶つ」
腰に提げていた古い剣を抜くとその先に羽を乗せ、破の宝珠を剣の柄に提げた。今まで見たことがない手法だ。術師は左手の人差し指を目元にあてると、その指で刀身に触れた。突然、剣先の羽が青紫色に変わると、一斉に飛び散った。その中の一枚が地面に落ちていたヒジョの葉に突き刺さると黒い光を発しながら消えてしまった。
「うわ、何ですか、今の」
「どうやら葉っぱの裏に陣を描いて、バラまいたようだ。そういや、このあたりは葉が大きいヒジョの森があったっけか。ふうん、意外に相手も頭が良いな」
確かに、よく見ると地面のあちらこちらにヒジョの葉が散乱していた。次々とワタゲの羽が刺さっては消えていく。これらすべてに方円陣が描かれていたのだ。術師はヒジョの葉を一枚拾い上げると、それを引き裂いた。
「ペンデック卿。最初からそうすれば早かったのではないか」
ウスライの言は最もだった。ロティもうなずいた。ところが、ペンデックは困ったように笑うと、ワタゲの身体をなでて言った。
「村の住人はね、火を見て恐怖しているんだよ。それに水をかけて消してやることで安心する。本来、火は水の力で消えるんだ。それを、いきなり謎の力で消滅させたら、今度は俺を見て村人は怖がるだろ?」
ロティはペンデックの胸の内を垣間見た。村を焼き払ったのも、水流で消火したのも同じ方円術を使う人間なのだ。住人たちからすれば、その違いなどわかるわけない。目に見えた手助けをしてやる必要があったのだ。いい加減な男だと思っていたが、もしかしたら常に術師としての自分の有り様をわきまえ、行動しているのかもしれない。ロティはほんの少し、ペンデックの苦労がわかった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます