行方

 しばらく沈黙していたウスライはゆっくりとピクスの前に立った。

「私はウスライ。その少年、ジュジュールを故郷の祖母の元へ返すよう頼まれた旅の者だ。こちらはペンデック卿。トゥラヒールの方円術師チャディアで、相当な使い手なのは見ての通りだ。こちらはロティ。行方不明の女性を探している。そなたを抱きかかえているのはイラ殿……ペンデック卿の知り合いらしい。我々は、そなたらを危険な目に遭わせるつもりはない。先ほどから聞いていると、ヒタムの術師を育成する結社と縁がありそうだが、どうか話を聞かせてもらえないだろうか。こちらもそれなりに手助けをしよう。これまでの争いは一旦水に流すということで、いかがだろうか?」

 ウスライは一見、警戒されやすそうな風貌だが、穏やかで丁寧な物言いは聞く者を安心させる。ピクスはこちらの面々をゆっくり眺め回すと、半仮面の女剣士にうなずいた。

「わかったわ。アタシはピクス。ヒタムの黄昏の術師会で三ヶ月修行した身よ。そっちにいるのはジュジュール。あなたが言うように、カウ村出身の術師だけど、まだ数週間しか経ってないからほとんど素人ね」

「ありがとう」

 少し口元に笑みを浮かべたウスライは、ペンデックに向き直った。

「この二人、もう悪意は感じられぬ。ペンデック卿、許してやってはいかがか」

「またアンタが美味しいところを持っていくのか。男顔負けに、男らしいというか。まあ、別にいいけどね」

「このイラは残念でなりません。ウスライさんは女性であるのに、少しも着飾らないのですね。至極もったいない」

 ロティはウスライの反応が気になった。怒り出したりしないだろうか。しかし、ウスライは歩きながら、二人の男に向かってこう言った。

「気が利かぬ女で申し訳ない。それなら、今宵は共にベッドで過ごそうか」

「えっ?」

「冗談だ」

 呆気にとられた術師と幽暗なる者の完全に負けだ。ロティは思わず笑ってしまった。

「何がおかしいパン屋。元はといえば、お前がくだらない罠に引っかかったせいだ。この気分、どうしてくれる」

「おれのせいなんですか?あ、いいえ……すみません。まさか方円術とは知らなかったんです。丸い形が馬の蹄に見えたから、ムアレ夫人をさらった一味かと思って」

 ロティの言葉に、ピクスがこちらを見つめてきた。ジュジュールも苦しそうな顔をした。

「ムアレって、お前、その女を探しているのか?」

「うん。おれの目の前で二人組みにさらわれた女の人なんだ。二人……組み。えっ?」

 ピクスが笑い出した。

「何だ、見られていたのね。何もかも最初から失敗だったんだわ。仲間からも追っ手からも狙われて、私たち完全に負けじゃないの」

 確かにピクスとジュジュールは黒と黄色の服を着ている。昨日の二人組と同じだ。

「ちょっと待って。君たちが誘拐犯なら、ムアレ夫人はどこにいるんだ?」

 ロティの問いにジュジュールが口を歪めた。

「昨日、森の中で逃げられちまった。一晩中探したけど見つからなかったんだよ。どこにいるなんて、オレたちが知りたいくらいだ」

 さらにピクスが続ける。

「私たちはね、上からの命令をしくじったから、こうして逃げているの。失敗したヒタムの術師は殺されるって、そういう噂があるのよ」

 ウスライがペンデックに静かに言った。

「ペンデック卿、ヒタムより先に、ここからカウに向かっても良いだろうか」

「そのアカゲを例のばあさんに送り届けるのかい?」

 女剣士はうなずいた。

「それに、このままでは未熟な術師たちが危険だ」

 ジュジュールが馬を二頭連れてきた。湖の近くで見た馬とどうやら同じのようだ。森の奥に隠していたらしい。ピクスは馬に乗ると、ロティを見下ろした。

「さっきは、その、悪かったわ」

 素直じゃないのは間違いないが、彼女なりに関係を良好なものにしよう努力しているのは伝わる。強盗はやってはいけないこととはいえ、生死がかかっている状況を責める気にはなれなかった。ロティはピクスの謝罪を素直に受け入れた。

 もう一頭の馬を引きながら、ジュジュールは困った顔をして言った。

「カウ村はここからリリ山を越えると早いですけど、その、何ていうか、やっぱりオレも帰らなきゃいけないッスかね」

「ジュジュールの祖母殿はずっと帰りを待っていたのだ。私は彼女に世話になった礼として、それを叶えてやりたいのだが、何か不都合でもあるのか?」

 ウスライが真っ当なことを言う。さらに、ジュジュールは肩を落とした。

「それはそうなんだけど、もう黄昏の術師会の追っ手が先回りしているかもしれないじゃんか。きっと、近隣の村や町に刺客を放ってるぜ」

 それを聞いてペンデックが言った。

「俺がやっつけて差し上げるから、心配しなさんな」

 ロティは術師の背中を見つめた。きっと、この男は怒っているのだ。中途半端な方円術を、しかもまだ若くて経験の浅い人間たちに使わせ、当人らも周囲をも危険に巻き込もうとしているその集団に対して怒っているに違いない。生まれながらの方円術の使い手は、その力の恐ろしさを知っているのだから。

 空を大きく旋回していたワタゲがゆっくりとペンデックの肩に止まった。何やら小さくモソモソと動いていると、

「気にするな。平気だ」

 飼い主の声が聞こえた。

 いつの間にかイラの姿は見えなくなっている。にわかに全員が無言となった。聞こえるのは、枝を踏む音、草をかき分ける音、湧き水の音。沈黙したままの行軍は耐え難い。どうしても自分のことにばかり意識が向く。また、師匠の死を思い出してしまう――。

 ロティは暗い気持ちを振り払い、鞄の中から、カカドのパンを取り出した。父のラジンが出発の時に持たせてくれたものだ。

「ウスライさん、あの、短剣を貸してもらえませんか?」

 半仮面の女剣士は、ロティの手に乗っているものを見て、短剣ではなく小さな折りたたみ式のナイフを手渡した。ロティはそれでパンを薄く切り、一人ひとりに手渡した。

「今朝、父が焼いてくれたんです。カカドのパンは誕生、出立を祝う時に食べるんですよ。こ、これを食べて、元気にいきましょお……」

 唐突過ぎると自分でもわかる。やめれば良かったと後悔しかけた時、ジュジュールが一気にパンを食べきった。

「うまい!何だこれ」

 そしてロティに向かって親指を立てた。

「お前の父ちゃん、やるじゃんか。えーと、お前じゃ何だな。名前は?」

「あ、ロティ。トゥラヒールのパン屋……です」

「そっか。パン屋の跡継ぎなんだな。世界中のパン職人に会うとか?」

「いや、そうと決まったわけじゃないけど」

「じゃあ、何のための旅なんだよ」

「さっきも言ったと思うけど、ムアレ夫人に……」

「ああ、ただのお使いってわけか。じゃあ、あの人が見つかったら家に帰るんだな」

 ジュジュールのその言葉に、ロティの胸が少し痛くなった。確かに、命の宝珠を帰したら、ロティの旅は終わってしまう。コット師匠の仇敵は、すでにイラが退治しているのだ。そもそも、ウスライのように、ロティの身には何一つ不都合なことは起きていないし、ペンデックのように明確な何かを得るための目的もない。

「ま、短い間かもしれないけど、よろしく頼むわ。またパン焼いてくれよな」

 ジュジュールの笑顔にロティは安堵したが、自分の足元が急におぼつかなくなった気分だった。ただ何となく、宝珠を夫人に返す役割は自分だと思い込んでいたが、果たしてそうなのか。そんなことまで考えた。

 ペンデックがワタゲにパンを分け与えながらあくびをした。

「さて、カウの村に着くのは夕方か。今日はそこで一泊かな。アカゲ、なじみの宿屋とかいるか?」

「あ、良ければオレんちに来てくださいよ」

 ジュジュールの言葉にウスライが肩をすくめた。

「そういうわけにはいかない。家族の時間の邪魔になる」

「あ、えっと、そのことなんスけど」

「うむうむ、女剣士様の言うとおりだ。アカゲ、金髪の彼女がどこに寝るかで今後の家族関係も決まるってもんだ」

「ちょっと、おじさん!気持ち悪いこと適当に言わないでよっ!」

「うぅ、ピクス。仲間なんだから、もう少し言い方ってあるだろうよ……」

「それより、お嬢ちゃん……おじさんって……」

 森の中に、久しぶりに笑い声が響いた。意味もなく落ち込んでいたロティは、自分の差し出したパンが笑顔のきっかけになったことに救われた。気持ちを晴らすように空を見上げれば、木々の隙間から光がこぼれる。時々、そこに何かの形が現れた。

「イラさん」

 ピクスのことが気になるのだろうか。枝の上をゆっくりと歩いている。不思議な光景だ。光に照らされてボンヤリと現れる美麗な顔は、とても悪霊には見えない。確かに夢に出てきたらカヤでなくとも燦爛たるスチルだと思うだろう。ロティの視線に気づいたのか、イラは柔らかく微笑んで消えてしまった。

「どうしたワタゲ」

 ペンデックの肩に乗っかっていた魔鳥が、騒ぎ始めた。その鳴き声は古びたドアが開閉するような音で、とてもじゃないが美しいとはいえなかった。ワタゲは空高く舞い上がり、元来た道を戻ろうとした。

「ペンデック卿、どうされた」

「うちの魔鳥が何か異常を察知したようだね。魔物かな。しかし、木箱にはガチガチに結界を張ったんだけどな」

 ペンデックはロティに手を差し出した。慌てて宝珠が入った箱を渡すと、どうやら問題はないようで、術師は箱をロティに返した。

 馬上のピクスが空を指差した。

「何かしら。雲の色がおかしいわ」

 同じ方向を見つめたウスライが歩みを止める。

「雲ではない」

 空をゆっくり見渡す。

「煙だ。西の方から流れてきている」

 白い雲の間を、確かに灰色のもやが混ざっているのが確認できた。徐々に色は濃くなり、明らかに雲とは違う速さで動いていく。山道から外れて、ウスライは断崖の近くまで行くと、そこから何かを見つけたようだった。

「あの一帯から煙が上がっている。どうやら山火事のようだが」

「アカゲたちと似たようなことしてる連中がいるのかな。流行なのかい?」

 ペンデックの言葉にジュジュールは何の反応も示さなかった。その代わり、ウスライが指し示した方向を見つめ、赤毛の少年は口元を覆った。

「何だよ。どうして」

 その様子に一同が静まった。

「あれは、カウだ!オレの村が燃えているんだよ!」

 ジュジュールが皆を押しのけるように馬に飛び乗るとペンデックがため息を吐いた。

「落ち着けアカゲ。ここから見ただけじゃ、村かどうかもわからないぞ」

「そうだけど!手遅れだったらどうすんだよっ!裏道があるんだ。オレは先に行くっ」

「ジュジュールっ!」

 ロティが呼び止めるのも聞かず、赤毛の少年は山道を無視し茂みへ突っ切っていった。

 もう一頭の馬に乗っていたピクスが慌ててウスライに近づいた。

「お願い、あのバカを止めて。アイツ、暴走すると何するかわからないのよ。下手に術を使ったら死んでしまうかも」

 半仮面の女剣士はうなずくと、ピクスの背後に飛び乗った。駆け出す馬を追いながら、ペンデックが空に向かって叫んだ。

「おい、イラ!手伝えっ」

 ロティも慌てて走り出す。術師がもう一度声を張り上げた。

「聞こえているのか、イラ!」

「聞こえていますけど、何をしたら良いんです。ピクスさんは、何だかんだ赤毛くんのことがお気に入りみたいですし……もう、ボクは傷心です。はあ」

 悲しげな声が森に響いた。

「そんなこと知るかバカっ!どこかから馬を連れて来い!」

「……まさか、泥棒ですか」

「お前の得意技だろうが!」

 全速力でロティとペンデックは前を行く馬を追った。しかし馬の脚力に追いつけるはずもなく、どんどん引き離されていく。

 その時、左の茂みから、葦毛の馬が一頭飛び出した。

 早速イラが用意してくれたようだ。

「よし、パン屋も乗れ!」

 ペンデックが馬に飛び乗り、ロティの腕を引っ張った。まだ完全に乗り切る前に馬は駆け出した。振り落とされないように必死にしがみつくが、馬の荒ぶり具合は普通じゃない。よく見ると、口から少し泡を吹いていた。ペンデックも御するのに苦労しながら走らせ続ける。

「クズ野郎のブラハンめ……よりによってこんな馬を」

 ペンデックが口笛を吹くと、空からワタゲが舞い降りてきた。その白い身体に口を近づけると、羽を一枚くわえて抜いた。そして片手で手綱を操りながら、半透明の玉を取り出し、馬の腹部に向かって羽を吹き飛ばした。

「毒キノコでも召し上がったのかね」

 羽がほのかに白く光り出すと、馬の腹の周りを漂い始めた。次第に馬の動きも落ち着きを取り戻し、その場でおとなしくなった。力の宝珠の効果らしい。ペンデックは馬の首を軽く叩くと、今度は軽快な足取りで山道を駆け出した。回復した馬は風のように森を駆け抜け、カウの村を目指す。

 ロティは馬の後ろ足に縄が結ばれているのを見つけた。その端っこは黒く焦げており、焼き切ったような形跡があった。

「ペンデックさん、この馬、どこから来たんでしょう」

「どこだろうね。まあ、イラがすることだ。あいつが引き寄せられるような、ワケありの馬だろう。駆け込み宿とかな」

ロティはペンデックの後ろで言葉の意味を考えていると、術師の笑い声が聞こえた。こんな非常時に呆れてしまう。

 なおもペンデックは笑いながら続けた。

「その縄の焦げた部分、ほんのわずかだが力が残っている。術を使って炎を起こしたようだね。ところでパン屋」

 ペンデックが顔だけこちらに向けた。

「あの未熟な二人の術師は、アイジジの森で誘拐した女を逃したんだよな?」

「ムアレ夫人のことですか。確かに、逃がしたと言っていました」

「で、そのムアレ夫人というのは、どうやってさらわれたんだっけか」

「え?」

「ついでにもう一つ、ご夫人は美人さんかね」

「はい?」

 そんなこと聞かれても、誘拐時に一瞬見ただけなのだから返答に困る。しかも、あの時は馬に縛り付けられて、ほぼ逆さまになっていたのだから。


「あ――」


 この縄はまさか。


 またペンデックが笑い出した。


「イラの気配が消えた。さては、足取りを掴んだな。ご夫人はこの近くにいたようだ。あの火事、もしかしたらとんでもないことになっているかもしれない。急ぐぞ」

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