ピクスとジュジュール

 すでに太陽は高く上り、日差しもだいぶ強くなっていたが、木陰の中はひんやりとしており、それが心地よかった。しかし、せっかく朝早く出発したのに、未だにトゥラヒールから出ていないとは、ラジンが聞いたら呆れられそうだとロティは思わずため息を吐いた。

 森は静かで、まだ朝露が残った美しい花の香りが漂っている。このアイジジの森も一度だけ狩りで訪れたことがあった。その時は一匹も仕留められたなかったが、今思えばそもそもあまり動物が住んでいないのかもしれない。すぐ近くに人間が住んでいるのだから当たり前といえば当たり前だが。

 足元に小さなキノコが生えていた。ロティは座り込んでその毒性の有無を調べた。師匠のコットはキノコ取りの名人でもあり、一緒に狩りに出かけたとき、キノコの調理法なども教わったりもした。それを家で披露してカヤに重宝されたことがある。大切な人というのは、いなくなってからその尊さがわかるというが、本当にそうだ。何かきっかけがあればすぐにコットと結びつけては泣きそうになる。しばらくはこの気持ちは消えないのだろう。

 ロティはキノコが毒を持っていることを確認すると、それを放り投げ、元の道に戻った。その途中、何かを引きずったような痕を見つけた。さらに、その近くには動物の足跡のような丸いへこみが茂みの中へ続いていた。毒キノコも生えているというのに、こんなところまで放牧する酪農家がいるのか。不審に思いながらロティが茂みの隙間から覗き込むと、何かが横たわっているのを見つけた。


 日光に反射した長い金髪が、地面の草と絡み合っている。


 ――誰だ?


 馬の足跡と――女。


 まさか。


 脳裏に、湖での光景が一気によみがえり、ロティは勢いよく茂みから飛び出した。

 その時、突然足元の雑草が燃え上がった。

「わっ」

 反射的に後ろへ飛びのこうとすると、今度は背後の木が燃え上がる。ロティはあっという間に炎に囲まれた。

「やったわ。かかったわよ」

 横たわっていた人影がゆっくりと立ち上がりこちらを見た。黒と薄い黄色の衣服を着た少女だ。年齢は同じくらいだろうか。しかし、表情はずいぶんと大人びていた。

「うお、すげえな。上手くいくもんだなあ」

 今度は木の上から声がした。降りてきたのは、やはり同年くらいの赤毛の少年だった。同じような黒と黄色の服を着ている。

 ロティは自分が罠にはめられたことをようやく悟った。

「な、何をするんだ」

 炎は自分を中心に燃え上がり、徐々にその輪を狭めてこちらに接近してくる。金髪の少女がロティを見つめて言った。

「ちょっとワケありなの。さっさとお金を出しなさい。その格好、遠出するんでしょ?それなりに持っているわよね」

「ま、そういうこった。悪く思わないでくれよ」

 赤毛の少年が手を差し出した時、何かが飛んできて少年の後ろの木に刺さった。

「危ねぇっ!だ、誰だっ!」

「ロティ、無事か」

「ウスライさんっ!」

 半仮面の女剣士を確認して、ロティは安堵した。赤毛の少年が大声で喚き散らす。

「お前!いきなり刃物を投げつけるなんて頭おかしいだろっ!」

「毒虫がそなたの首筋を狙っていたように見えたのだ。要らぬことをしたならば謝ろう」

 ウスライが指をさした位置に巨大なムカデが短剣に突き刺さって息絶えていた。赤毛の少年が悲鳴をあげて慌ててその場から離れると、少女がウスライを睨みつけた。

「何よ、邪魔する気?アンタはそのガキの仲間?」

 ウスライは少女の問いには答えず、ロティの足元の火を靴で踏みつけた。しかし、消そうと試みるものの、火は一向に消える気配がない。そして、女剣士がロティの右側に回りこんだとき、少女が笑い出した。

「バカね!」

 ウスライの目の前に炎の柱が現れた。女剣士は咄嗟に身を引いたが、鼠色の外套の裾がチリチリと焦げているのがロティの目に入った。

 もしや、術なのか?

「おい、さっきからパン屋は何してるんだ?」

 ロティの背後からペンデックの声がした。振り向くと、茂みの外から酩酊したような目がこちらを見ている。

「まさかとは思ったが、本当に足手まといになるとはねえ。いきなり迷子とか、やる気がないとしか思えないな」

 ペンデックが近づく。

「そこは危ないですっ!アイツら術を」

「知ってる」

 ペンデックが足を踏み入れた場所からも炎が上がった。しかしそれを気にすることなく、 術師は軽くあたりを見渡すと、ウスライに向かって言った。

「アンタのところだけ火力が強いね」

「そのようだ」

「作法を間違っているなあ。その辺に、三角形みたいなものが描かれてないかい?」

 ウスライが足元に目を落とすと、片手を上げた。

「五つ見える。左右に二つずつ、そして中心に一つ」

「五つか。パン屋の方は?」

「ふ、二つあります。横に並んでます」

「よし。ウスライは真ん中の一つに砂をかけて消してくれるかい。パン屋は左側の三角を消すんだ」

 ロティとウスライはペンデックの言うとおりに地面に描かれた三角を消すと、火の勢いが急速に弱まっていった。

「あっ!」

 少女が小さく声を上げる。ペンデックは目の前の少年と少女に目を向けた。

「こんなことして大火事になったらどうするよ。悪い子だ」

 そう言うと、ペンデックは左手を前方に差し出し、右手の指を一度鳴らした。そのまま左の人差し指と中指を交差すると、ロティたちの周りの炎が一気にペンデックの左手に集まった。その手を動かすたびに、炎も同じように動く。

 完全に術を支配していた。

 術師はさらに複雑な動きをさせながら左手を突き出し、右手で指を鳴らした。次の瞬間、地面からつむじ風が起こり、炎を巻き込んで金髪の少女と赤毛の少年の身体を取り囲んだ。

「うぁあっ」

「きゃあっ」

 同時に悲鳴があがる。

「いいかい、子どもら。中途半端な術を使うと痛い目に遭う。だいたい陣が雑過ぎるな。どこで習ったんだい」

 しかし、金髪の少女はなおも抵抗の姿勢を見せた。

「うるさいわねっ。そっちがその気なら、こっちだって」

 少女が何やら服から取り出した。

「おい、ピクスッ。お前それどうしたんだよっ。やばいって!」

 赤毛少年が風に襲われながらも懸命に叫んだ。少女が手にしていたのは、青紫色の玉だった。ロティにも見覚えがある。破の宝珠――方円術で起こした炎や風は、それを使って一瞬で消えると教わった。

 ペンデックが苦笑した。

「おやおや、俺と魔法合戦ごっこでもする気か?この程度の力でそんなもの使ったら、負荷のかかり過ぎでお嬢ちゃんが消されちまうぞ」

「どうせアタシたちは殺される運命なのよ。それなら最後くらい派手に暴れてやるわ!」

「バカ、何言ってんだよっ。なあ、アンタ!オレたち降参だよっ」

 赤毛少年が少女の腕を掴んだ。

「ジュジュールッ!離してよ!」

 その名前にいち早く反応したのはウスライだった。

「ペンデック卿」


 カウ村の行方不明の孫だ――。


 少女は止めるのも聞かず、破の宝珠を左手に握り締める。

「よせ、ピクス!」

 ジュジュールが宝珠を取り上げようとした時、ピクスはそれをかわしながら、ジュジュールに膝蹴りを喰らわせた。

「うるさいわね、この役立たず!。逃げるならアンタ一人で逃げなさいよ!」

 ペンデックは腰に手をあて、ため息をついた。

「まったく、どいつもこいつも困ったもんだ」

 左手で陣を張りながら、口笛を吹く。ロティは空を旋回する白い姿を確認した。

「ワタゲ!」

 白い魔鳥は急降下して、ペンデックに向かってきた。しかし、その途中で何かに引っかかってしまったのか、空中で羽をばたつかせている。その間にも、少女は術を完成させようとしていた。ウスライが飛び出し、腕を伸ばしたが、それより早く少女は破の宝珠を天にかざした。


 その手を――空中で掴むものがいた。


「出た」

 ペンデックが頭を抱えて座り込むと同時に、頭上から声が降ってきた。

「こんにちは、お嬢さん。良い天気ですね」

「キャーッ!」

 ピクスの身体が宙に引っ張り上げられ、高い木の上に縛り付けられた。イヤ、徐々に姿を現したイラにしっかりと抱きとめられていた。

「おお、近くでよく見ると美しい。将来が楽しみです。キスをしてもいいですか」

「な、何なのよアンタはっ」

 暴れるピクスをイラは器用に抱きかかえて、満面の笑みで地面に降りてきた。

 よく見ると、髪の毛に白い羽毛がたくさんついている。ワタゲはイラに激突したようだ。

「それでは皆さん、ボクはこれで」

「待てバカ。まだ子どもだろうよ」

「お前!いつから木の上に隠れてやがった!ピクスを離せよっ」

 ジュジュールがイラに掴みかかると、その首根っこをペンデックが掴んだ。

「こらアカゲ。お前には別の話がある」

 ジュジュールはゆっくりと振り返り、不機嫌そうな術師と無表情の半仮面の女に勢いよく頭を下げた。

「どうもすみませんでしたっ!」

 そしてロティに向き直って手を合わせた。

「ごめんな」

 あれだけのことをしておいて、ごめんの一言しかないのか。ロティは呆れ返りつつ、ジュジュールを見つめた。同い年くらいかもしれない。肌は日に焼けて、顔つきもたくましい。外見だけ見ると、まったく術師らしさが感じられない。そのせいなのか、表情や言動は、どうも憎めない。

 しかし、ペンデックは凶悪な表情で少年の髪の毛を引っつかんだ。

「いぃてててっ」

「潔いヤツだ。が、許すかどうかは別問題だ。お前らに適当な方円術を教えた人間は誰だ。黄昏の術師会とかいう結社の連中か?」

「う、何で知ってるんスか」

 ウスライがゆっくりとジュジュールに近づいた。

「カウ村の、ジュジュールか」

 穏やかな声だった。ジュジュールも安心した表情を浮かべて答えた。

「そうだけど、何でそんなにオレのこと詳しいの?何なのアンタら」

「バカッ!ジュジュール、そいつらはきっとアタシたちをヒタムに連れて行く気なのよ!気を許すんじゃないわよっ」

 イラに抱きかかえられたまま、ピクスが叫ぶ。こんな強気な女の子は初めてだ。ロティは恐る恐る近寄ってみた。

「どうしてあんなことしたんだ?金が必要なのはわかったけど、もしかして、誰かが通るまでずっと待っているつもりだったとか?」

 間近で見る少女は、長い金髪と白い肌をしており、大きな瞳は少し釣り上がって愛想のかけらもないが、イラが言うように将来はとてつもない美人になりそうだった。妙に緊張してしまう。

 ピクスは面倒くさそうに答えた。

「そうよ。待ち伏せなんて自分でもバカバカしいとは思うけど、逃走資金が必要なのよ。アタシたち、このままじゃ殺されてしまうわ」

「心配すんなピクス。オレが必ず新天地へ連れて行ってやるからよ」

「うるさいっ!アンタのせいでこんな目に遭ったのよっ」

 二人の諍いを、ペンデックが止めた。

「色々とワケありということか。そしてこちらに有益な情報も持っているとみた」

 金髪の少女に向かって、ペンデックはいやらしい顔つきで笑った。

「お前さんを拉致したそいつは、綺麗な顔をしているがタチが悪くてね。実際、俺の命令しか聞かないんだ。お嬢ちゃん、自分の貞操を守りたいなら、少し素直になって大人の言うことに従ってみたらどうだい」

「お嬢さん、その酔っ払い術師はまれにみる大嘘つきです。関わると不幸になりますよ。さあ、ボクとバザールにでも行きましょう」

 ペンデックとイラが睨み合う中、ピクスは真っ直ぐにウスライを見つめてこう言った。

「あなた。さっきナイフを投げて、毒ムカデからジュジュールを守ってくれたわね」

 半仮面の女剣士は突然話を振られて驚いたようだが、小さくうなずき返した。

「こんな頭の悪いヤツでも仲間は仲間。助けてくれてありがとう。だから、アタシはあなたの言うことに従うわ」

 ピクスは口をとがらせて言った。やはり不本意なのだろう。顔には悔しさが滲んでいる。

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