呪法
ロティはウスライの右目が真っ赤になっているのを見て身を凍らせた。女剣士は、さらに力を込めてペンデックの喉元に刃を食い込ませる。
「参ったな。油断した」
ペンデックは床に転がっていた細身の剣をつま先で蹴飛ばし、ロティの方によこした。
「鞘にしまってくれ。俺は手が離せないんでね」
目の前の非常事態に足が震えているのがわかった。しかし、それでもロティは必死になって床に落ちた鞘を拾うと、慣れない手つきで剣を収めた。カチっという音はしたが、ウスライに変化はなく、異様な立ち姿のまま、ペンデックの喉元を狙っている。このままでは本当にペンデックが危険だ。
「そうかい。鞘に収めてもダメか」
「ウスライさん、やめてください!」
「無駄だよパン屋。お前は下がってろ」
ペンデックはウスライの膝に足を掛け、身体をひねって女剣士の体勢を崩させると、そのまま突き放したところで手を前にかざして指を鳴らした。すると、床から小さなつむじ風が現れ、バチバチと電流のようなものを帯びながら、ウスライの身体にまとわりつき始めた。ところが、それでも構わず半仮面の女はペンデックに短剣を投げつけ、なおも襲い掛かろうとした。
「さすがに殺すわけにいかないしなあ。大人しくしてもらおうか」
ペンデックが口笛を吹くと、隣の部屋から丸くて白い物体が飛んできた。モコモコとした毛から、小さな口ばしが見える。
――鳥?
肩に止まったそれの身体から、ペンデックは白い羽を口にくわえて抜き取ると、青紫の破の宝珠に触れさせた。右手で指を鳴らし、勢いよく口から吹き飛ばした瞬間、白い羽が空中で薄紫色に変わり、風をともなってウスライの顔周りに漂い始めた。
「ペンデックさん……これは」
「破の宝珠は相手の力を弱めるのにも有効だが、調節が難しい。こうやって緩衝材をいれないと、普通の人間は死なないまでも植物状態になる恐れがあってね。さて、客人にはゆっくり眠ってもらおうか」
女剣士が顔を覆った。軽やかな音とともに、白い半仮面が床に落ちる。
「ウスライさん!」
「おっと。お前は見るなよ、パン屋」
ペンデックは倒れこんだウスライを支えながら言った。落ちていた仮面を拾い上げ、ウスライの顔にそっと被せた。
「まだまだ、お前には早いな。女ってのは色々と事情があるんだ」
ロティが口を開きかけると、ペンデックは優しく微笑んだ。
「……心配しなくても、仮面と呪いとは無関係だ」
ロティはウスライに駆け寄った。静かな寝息に胸を撫で下ろす。ペンデックは身をかがめて、ウスライが大事ないことを確認すると、
「まともに化粧でもすりゃ、それなりの麗人なんだろうな。しかし、あんな勢いで女に迫られたのは久しぶりだったなあ」
意地悪い顔で笑った。殺されかけたのに平然としている。しかし、今はこの術師の計り知れなさより、目の前で眠りこける女剣士のことが先だ。
「ウスライさんはどうして急に……」
「さてね。おそらくキッカケはこの剣だろうけど、詳しくは起きてから聞くとしようか」
ロティはペンデックと共にウスライを隣室のベッドに運んで寝かせた。すると、ずっとペンデックの肩に乗っかっていた白い物体が震え始め、クシャミをした。
「……あの、これは鳥ですか」
「俺が飼っている魔鳥……名前はワタゲだ。術の幅を広げるのにコイツの羽根を使う」
ワタゲがロティの方に顔を向けた。異様に目つきが悪い。
「魔鳥って……もっとこう神秘的な姿を想像しますけど、こんなに小さくてモコモコしている鳥なんですね」
「色々な種類があるのは確かだがね。ああ、悪口は言わないでくれよ。機嫌をとるのが大変なんだ」
一言も悪口は言っていないはずだが、確かにワタゲはロティを睨み返した。そして興味をなくしたように飛び立つと部屋を出て行ってしまった。
しばらくすると、ウスライが小さな呻き声を上げ、ゆっくりと目を開けた。切れ長で優しい光をたたえた瞳がこちらに向く。さっきの赤い目が嘘のようだった。
「……私は……何があったのだ」
「そりゃ俺のセリフだね。こら、ウスライ。おかしいと思ったことが一つある」
突然ペンデックは棚から地図を取り出してベッドの上に広げてみせた。そして、トゥラヒールの地名の横にある山脈をなぞりながら言った。
「確か、十日前までカウの村で老婆に世話になったと言っていたな。そして、今日このトゥラヒールにやって来たと。いいか?カウからトゥラヒールに来るには途中のリリ山を越える必要があるとはいえ、実際に山を越えれば一日で到着するはずだ。アンタはカウの村を出てからどこをほっつき歩いていた?」
ペンデックは地図を指差しながらウスライの様子を伺った。当人は相変わらず表情が薄いままだ。起きたてで頭が回っていないのかもしれない。
「北にあるキャースグリーの町は、少し遠い。だとしたら反対側だろう。カウの村からヒタムは比較的近い。アンタ、孫探しのために先にヒタムへ寄ってきたんじゃないのか?」
ウスライは頭を押さえてうなだれると、
「覚えて、いない」
そう言った。ペンデックが女剣士を覗き込む。
「その剣、抜けないのはいつからだ?」
「故郷を出た時にはすでに飾り同然だった」
「俺以外の誰かに見せた覚えはないかい?」
ペンデックの尋問に少し苦しそうな顔をしたウスライは、脇に置いてあった剣の柄に力をこめた。カチャカチャと乾いた音だけがした。再び結界が張られてしまったようだ。
ペンデックが口を開いた。
「この剣は、おそらく何百年も前の術師が愛用していたものだと思うね。これ自体は単なる術用の魔剣。問題はアンタだよ」
しばらくの沈黙の後、ウスライが顔を上げた。
「どこかは覚えていないが、剣の鑑定を申し出た人間がいたような気がする」
「鑑定?」
「珍しい剣だ、見せて欲しいと言われ、抜けない剣に価値はあるのかと尋ねたら笑われたのだ。そして」
ああ、と小さく聞こえた。
「気づいたら私は川沿いを歩いていたのだ」
ペンデックは地図を指でなぞりはじめた。
「たぶんランバット川だろうな。トゥラヒールの湖の近くまで続いている」
「おれがウスライさんと会ったのは、湖に向かう橋の上でした。ということは」
ランバット川の上流を遡ると、そこにはヒタムの町が位置している。
「当たりだな、ウスライ。きっとアンタはヒタムの秘密結社を突き止めたんだ。鑑定を申し出た輩は、剣に方円陣が描かれていることに気づいた。そして、これが解除できる人間は術師しかいないことも知っていた。おそらく、それでアンタに呪いをかけたんだ。この剣を抜いた人間、すなわち腕利きの術師を殺すように」
ウスライは驚いたように目を見開いた。
「私は、ペンデック卿を殺そうとしたのか」
「したんだよ。ふむ、奴らは自分たち以外の邪魔な術師を亡き者にしようという魂胆か。具体的に何を企んでいるかは知らんが、そうなると秘密結社の人間もただの素人じゃないな。さてと、何がどう繋がっているんだか。術師を育成するヒタムの秘密結社、行方不明のカウの少年、呪いをかけられた女剣士、さらわれたムアレ夫人、そして命の宝珠か」
ペンデックの独り言がしだいに熱を帯びてきた。
「つまり、俺が剣を自由に使えるようになるには、ウスライの呪いを解かなきゃいけないわけか。剣を抜くたびに殺されそうになるのはごめんだからな」
ウスライが肩をすくめた。
「まさか、自分が呪いの仕掛け役になっていたとは……申し訳ない」
その様子にロティはいたたまれなくなった。
「ペンデックさんの魔法で呪いは解けないんですか?指でパチンって」
「そんなに何でもかんでも出来たら俺は大富豪だよ。人間への精神攻撃はできない。催眠だとか呪いとかは催眠呪法師の専門だ。それに呪いというものは、かけた術者にしか解けない。さっき見せたように、宝珠を使って道具が持つ記憶をたどったりすることはかろうじて出来るが、それも断片的に見るだけで、相手の心を読むとか嘘を見抜くとかも不可能だ。ウスライの記憶はおそらくヒタム滞在の部分だけ削り取られているんだろうな。あちらには呪い専門の催眠呪法師がいるとみた」
ペンデックが地図をたたむ様子を見つめながら、ウスライが声をかけた。
「……いつもと、微妙に頬の位置が違うのだが。ペンデック卿、私の顔を見たか」
ほんの少し、空気が張りつめる。ロティは息が止まりそうになった。しかし、ペンデックは呆れたように笑いながら言った。
「あれだけ派手に暴れりゃ、仮面もずれるだろうよ。残念ながら素顔は拝見できなかったがね。な?」
術師はロティに片目をつぶってみせた。
「お、おれは、隅っこでうずくまっていただけなんで……」
ウスライはロティを見つめると、どこか安堵するようにうなずいた。ペンデックの機転に頭が下がる思いがした。いくら強くても、ウスライはやはり女性なのだ。真相はわからないが、もしかしたら仮面の下には大きな傷跡などが残っているのかもしれない。ロティは女剣士の仮面について二度と気にしないことにした。
ウスライはゆっくり起き上がると、ペンデックに頭を垂れた。
「世話になった。私はもう一度ヒタムに向かう。ジュジュールを探していくうちに、自分の記憶も思い出すかもしれない」
「俺も行こう。何より貴重な剣だからな」
首をかしげた半仮面の女剣士はペンデックを見つめた。
「そうまでして欲しいのか。私は貴殿を殺そうとしたのだが」
術師は問題ないとばかりに手を広げた。
「呪いの仕組みがわかれば殺される心配はないさ。それに、これほどの術が仕込まれた剣なら、俺の力も最大限に引き出してくれるだろう。実は、俺も長年の探し物があってだな。どうも宝珠だけの探知能力では限界があるみたいなんだ」
そうか、ウスライが半ば呆れたように応えると、二人は部屋を出て行った。ロティは慌てて追いかける。
「あの、おれはどうすれば」
ペンデックが見向きもせずに声を放った。
「早く帰れ。明日のパン生地の仕込みもあるだろうが」
それを聞いてロティは思わず持っていた布袋を床に叩きつけた。
「どうしておれのことは助けてくれないんですか!こんな……こんな気味の悪い光を出す箱と一晩過ごすなんて、冗談じゃない!」
袋の中から小銭がこぼれているのを見て、なぜか父のラジンの顔が浮かんだ。にわかにロティは我に返った。こんなに激高したのは初めてかもしれない。急に恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてくる。ところが、ペンデックはそんなロティを穴が開くほど見つめてきた。そして半仮面の女剣士に声をかけた。
「おい。今、このパン屋は何て言った?」
「気味の悪い光と」
ペンデックがロティに近づく。
「お前、箱を開けたのか?」
「え?」
「結界が張られた箱を開けたのか?」
ロティはペンデックに箱を手渡した時のやり取りを思い出した。
――結界が壊れかかっているおかげで力があふれ出そうだ。
「す、すみません。実は、拾った後に気になって……自分の部屋で開けたんです。なかなか開かなかったんだけど、目一杯力を入れたら少しだけ蓋が浮いたんです。その時にオレンジとか緑とかギラギラした光が、こう……まとわりついて」
ペンデックはロティの両肩を掴んだ。強い力が込められる。
「木箱の結界が壊れかかっていたのは、お前が強引に開けたせいか。なるほど、そこからわずかに放出された力を俺は感知できたわけだ」
ウスライが小さくつぶやいた。
「ペンデック卿。つまり……」
「パン屋は、賢くなさそうだが、術師の素質があるのかもしれない。たまにそういう変な人間もいる。面白いもんだ」
「私が言いたいのはそうではない。命の宝珠の力が放出されたことになるのではないか?魔物を呼び寄せていないと良いのだが」
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