とこしえの黄昏
ペンデックは部屋の隅にある本棚からボロボロの巻物を取ってくると、丁寧にテーブルに広げた。巻物は小さかったが、細かい文字がびっしりと埋め尽くされ、ところどころに何かの文様が大きく描かれている。当然、ロティに読めるわけもないのだが、その異様な雰囲気だけは伝わってくる。ペンデックは頬杖をつきながら一文を指で辿り始めた。
「歴史書では一応、一五〇〇年前とされているが、正確な時期はわからん。おおまかに言うと、だ。その頃は大気中に霊力や魔力が宿り、それらが混濁するたびに疫病が流行ったり天変地異が起きたりしていた。そして、その災厄に対して
そこで一旦切ると、ペンデックは目を細めてロティの様子をうかがった。理解していると、必死にうなずいてみせる。
「瘴気を浄化、術師の力はそれほどのものなのか」
ウスライがつぶやくと、ペンデックは肩をすくめた。
「残念ながら、俺にはそこまでの力はない。立証は出来んな」
ペンデックは、巻物の中ほどの一文を指差した。そこだけ、太字になっている。
「そんなある時に、気が触れた地底の王サクティガンが、その瘴気を澱ませ具現化し、幽暗なる
ペンデックは文字の横にある不思議な文様をなぞった。
「召還術といえばわかりやすいか。そこで呼ばれたのが燦爛たる
ロティは話の流れが理解できたので安心した。そんなに難しくもなかったし、本当におとぎ話のように思えたからだ。
けれども――。
「あの、本当にいるんですか?幽暗なる者も燦爛たる者も……」
「ふむ。やはり現代っ子には信じがたいのかね。まあ、信じなくても生活に困ることはないから良いんだろうけど」
ウスライが腕を組んで言った。
「ペンデック卿、私は話の裏側が気になる。きっとご存知なのだろう?」
術師は巻物を片付けると、ため息をついた。
「まあね。だが、ここからの続きを話すには、少し方円術のことを説明しなきゃいけない。パン屋に理解できるかな」
めんどい、そう小さくつぶやくと、ペンデックは、左手首に紐でつながれていた半透明の玉をテーブルに置いた。
「この玉は力の宝珠と呼ぶ。発生、具現、強化の力を持つ。記憶の探知や、結界を張る時にはこれを使う。軽度の体力回復、あとは、単純にランプ代わりにもなる便利なものだ」
続けてペンデックは、同じ大きさの色違いの玉をもう一つ取り出した。
「こっちの青紫の玉は破の宝珠といって、力の宝珠とは対照的に、術の消滅に使う。あとは体力を奪ったり、眠らせたり……。結界を破壊する際にも使うかな」
ペンデックは立ち上がると、植木の枝を一本折ってウスライに持たせた。
「さっき、俺が帽子に向かって指を鳴らしながら左手で印を切っただろう。あれが方円陣だ」
「地面や紙に書いたりするのではないのか」
「そういう使い方もできる。だが、ノロノロ書いていたら効率も悪い。熟練の術師はもはや自分の両手だけで陣を張る。こんな感じに」
ペンデックは左手の人差し指と小指をつけ、右手で指を鳴らした。すると、ウスライが持っている枝に小さな火がついた。
「見事だ」
「そ、それよりどうして火が付くんですか?指を鳴らしただけなのに!」
狼狽するロティに、ペンデックは右手を広げてみせた。そこには二つ指輪が嵌められている。
「こいつで簡単に火花が起こせる」
「火花?」
「火の持つ力を、陣を使って強めたり誘導したりするだけだ。もういいか?次いくぞ」
枝は静かに炎を揺らしている。
「パン屋。そこの水差しで火を消してみな」
ロティは言われるままに枝先に水を垂らした。ジュウと火が消えて煙が立った。
「今のはロウソク程度の火だが、陣を使って大きくも出来る。同じように水、雷、風も同じように操れるが、日常生活には使わんかな」
「それらは、どうやって……」
「水は雨粒でも酒でも何でも良い。風は空気だな。雷は、摩擦によって生じる物質だ。そんなわけで、俺の上着はバチバチしやすくなっている。女を抱く時はイチイチ脱ぐことになるわけだが……」
ペンデックは変な咳払いをしながら、半透明の宝珠を手首にぶら下げた。そしてさっきと同じように左の指を曲げた時、宝珠がほのかに光り始めた。続けて指が鳴らされると、再びウスライの枝に火がついた。ペンデックが目配せをしたので、ロティはもう一度炎に水を垂らした。
消えない。
消えない?
「ど、どうして」
「宝珠の力を与えて起こした火は普通の方法では消えない。どう消すかというと、同じように力の宝珠で起こした水流を使うのが一般的だ。が、少し遊んでみるか」
ペンデックが半透明の宝珠動かすと、枝の半分まで炎が広がった。そして青紫色の宝珠を手首にぶら下げて指を鳴らした瞬間、たちまち炎は消えてしまった(この間、宝珠の交換は一瞬で行われ、まるで手品のようだった)
「それぞれの宝珠を上手く使うことで、術の幅も広がる。あとは手の印と位置、動きを間違えなければ術は完成する。失敗すれば効果は現れないし、下手すりゃ術者に跳ね返る」
ロティがペンデックの指の動きを真似していると、それを酩酊したような目で見つめられ、慌ててやめた。
「さて、話を戻そうか。方円術の中でも最高難易度である異界人の召喚……召喚という言葉が大げさで俺は好きじゃないが、まあ良い。仕組みは簡単だ。力の宝珠を使って術師の探知力を極限まで上げる。で、空間のつなぎ目を見つけたら、そこに強力な結界を張って異界人を捕まえるわけだ。術を強める道具としては、この力の宝珠の他に、百年以上の年を経た剣が必要になる。そして、異界人を封印するときには、破の宝珠と、剣、召還時に使った力の宝珠を使う。当然、何かの目的のために呼び出したわけだから、異界の者は術師と契約をする。それは自然なことだが、一つ問題がある」
ペンデックは腕組みをして、頭が痛そうな顔をした。
「何度も言うが、召喚術は難しい。術師と契約を結んだ異界の者が、何でも言うことを聞くと思ったらそれは間違い。契約以外のことは一切コントロールできない。だから、帰っていただく術が必ず必要になる。ところが、異界の者の中には、再度封印されることを恐れて、召喚時に使われた力の宝珠を、遥か彼方に吹っ飛ばそうとするヤツがいるんだ。そのため、術師は召還と同時に力の宝珠を死守しなきゃならんわけだがね、まあ腕がないヤツは宝珠を失って探すハメになる。その間に、異界の者は行方をくらまして好き勝手にやりたい放題だ」
一瞬、場が静まり返る。全員の視線が、例の木箱に注がれた。
「異界の者に吹っ飛ばされて、術師の手元から離れてしまった力の宝珠は、魔物を呼び寄せたり、幸運をもたらしたりするなどと言われている。そのためなのかどうかは知らないが」
ペンデックが木箱を手に取った。
「行方不明の力の宝珠は、命の宝珠と呼ばれているんだ」
頭の隅々にペンデックの言葉が浸透して、ようやくロティは自分が大変なものを拾ったことを理解した。
「お、おれはそんなもの拾って……」
「ペンデック卿、どうして箱の中を確認せずに命の宝珠だとわかるのだ」
ロティとは反対にウスライは落ち着いた調子でたずねた。ペンデックは満足げに微笑んだ。
「すべての宝珠は、術師の術から離れれば、ただの玉ころだ。ただし、力の宝珠が命の宝珠に化けた瞬間、玉は呪力を放ち続ける。それを察知できるのは腕利きの術師と……その宝珠が生み出した異界の者だけだ」
「燦爛たる者」
ウスライが低い声でつぶやくと、ペンデックは意地悪い顔をした。
「ところがそうとも限らないんだな、これが」
「え、どうしてですか」
ロティの問いの後、しばらく沈黙が続いた。また自分の発言がまずかったのかと動揺した時、ペンデックが静かに言った。
「一五〇〇年前、幽暗なる者を封印するために、燦爛たる者たちが召還されたと話したけどね、それはなぜかといえば、彼らの血が必要だった。それも大量にね。用が済んだら再び封印された燦爛たる者たちの中には、術師を怨むものもいた。それで茶目っ気のある意地悪をするようになった。術師が少しでも召還術を間違えたり、いたずら心で召還したりすると『とこしえの黄昏』で封印されてきた、幽暗なる者を代わりに送り込むようになったわけ」
ロティは頭を抱えながら必死に整理した。それでも出てくる答えは一つだけだった。
「どうしてそうなるんです?彼らは敵同士なんじゃないですか?」
「誰がそんなこと言ったさ」
「え、だって」
「幽暗なる者が大量発生したのは地底王サクティガンが狂ったように大気を歪めたからだ。均衡が取れていたものを崩した。それは人間にとって良くない。だから術師は、幽暗なる者を封じるために、燦爛たる者を利用しただけ。すべて人間の都合なんだ。彼らは互いの存在を脅かすものだから、苦手意識はあるだろうが、対立しているわけではない。もちろん、最初から幽暗なる者を呼び出そうとするイカレた術師もいるだろうけどな」
ペンデックは木箱を手にとって眺めた。
「こいつが生み出したのは、さて、光と闇のどっちだろうね」
ロティはその言葉に身体が凍りついた。もし、召還されたのが幽暗なる
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