術師

 東の空には大きな月が浮かび、西の空には雲の隙間から星が見え隠れしている。ロティはトゥラヒールの中心部から少し外れた東側の田園地帯にやってきた。自分を救ってくれた半仮面の女剣士と一緒である。

 相手は、名前をウスライと名乗った。

 顔の左側を覆う半仮面のせいで、表情をうかがうには難しく、おまけに無口であるため、ロティは会話に困ってしまった。パン屋の息子として、ある程度の社交性はあると自負していただけに、この沈黙は少し落胆した。しかし、当のウスライはそんなことは気にもせず、麦畑が続く道を無言で歩いていた。

 春の夜風が吹いてくる。日中は暖かだが、夜はまだ冷えるようだ。慌てて家を飛び出したロティは薄着の服しか着ておらず、自然と体温を逃がすまいと背をかがめた。すると、ゆっくりと黒いものが肩に下りてきた。それがウスライの外套だとわかると、ロティは驚きながらも慌てて礼を言った。女剣士は無言でうなずき返しただけだった。


 ――きっと良い人なんだろうな。


 風貌や雰囲気から誤解されやすい人間とは思うが、さっきのゴロツキ共にも致命傷を与えたわけではない。女らしさがあるのかどうかは、ロティにはよくわからなかったが。

 ウスライは、暗い紺色の服のせいで、夜闇の中では影と同化してしまう。しかし、月明かりに照らされるとぼうっと肌の白さが際立ち、仮面は冷たい光を放つ。それが、ロティには何だか神秘的で美しいと思えた。どうにか、相手の素性を探ろうと試みるものの、結局何の答えを出すことも出来ず、ウスライの横顔を見つめるだけだった。

 ペンデックの屋敷は、麦畑の先にひっそりと建っていた。屋敷と呼ぶほど建物は大きくはなかったが、高くて重厚な外門のせいか不思議とそう感じてしまう。物音一つせず、ただ、麦が揺れる気配だけがあたりを包んでいた。敷地だけはだいぶ広いと思われ、老人一人で庭手入れのことをやるとなると、かなり大変のような気がした。いや、すべて自らの術でどうにかしているのかもしれない。あらためて考えると、魔術で家事を行うなど空想じみているが、さっきの箱の光を思い出すと、どんなこともありそうで怖い。それくらい、あの光は尋常ではなかった。

 ウスライが外門を開けようとした時、二人の背後から足音が聞こえてきた。麦畑の道を歩いてくる人影がある。

「おや、お客さんかい」

 その声と共に、ランプがロティとウスライを柔らかく照らす。同時に闇から男の姿が浮かび上がった。頭に布を巻き付け、髪の毛が無造作に飛び出している。無精髭のせいで、年齢はよくわからない。

「こんな時間に、訪ねてくるとはねえ。嫌な予感が当たらなきゃ良いが」

 あくびをしながら男が言うと、ウスライが頭を下げた。

「夜分に申し訳ない。方円術のペンデック卿とお会いしたく参ったのだが、おられるだろうか」

「おられますとも。俺が当主だ。ようこそ、お客人」

 ロティは思わず声を上げた。

「ペ、ペンデック先生はご老人だと聞きましたよっ」

 すると、男がロティに向き直った。ランプで顔を照らされる。

「それは、俺のじいさんだな。とっくに隠居生活している」

 男はため息をついて苦笑いをした。しゃんとすれば秀麗な顔立ちなのだろうが、どことなく弛緩した印象を受ける。酔っ払っているのだろうか。

 ロティはまじまじと男を見つめた。

「では、本当にあなたが術師チャディアなんですか?何だか想像と違う……」

「なかなか失礼なお子様だ。……ガキはこんな時間にほっつき歩いてないで、早く帰れ」

 ペンデックは口をひん曲げた。怒らせてしまったとロティは咄嗟に謝ろうとしたが、すでに外門は開き、術師はウスライを招き入れながら屋敷の中へ消えて行った。そして、ゆっくりとロティの眼前で門が閉ざされていく。

「ち、ちょっと待ってくださいっ。おれも助けて欲しいんですっ」

「わかった、わかった。いちいち騒ぐんじゃない」

 門の隙間を滑り込むように、ロティは屋敷内へと入った。すると、門から屋敷までの明かりが順々に灯っていく光景を目の当たりにした。そこには、ランプや照明道具のようなものはなく、白い羽毛が光りながら漂っていたる。そしてロティが通り過ぎるたびに徐々に光を失い、背後からは再び夕闇が現れた。ロティは、初めて見る奇術に呆然とした。しかし、先を行くウスライは何も気にすることなく、ただペンデックの後をついていくだけだ。ここで一人騒いだら、またあの酩酊男に叱られるかもしれない。ロティは早足で後を追った。

 屋敷の中は白と明るい茶色を基調にしたモザイク壁で統一されており、怪しげな要素もなく、拍子抜けするほど小ざっぱりとしたものだった。通された部屋には中央に四人がけの丸いテーブルがあり、隅には植木鉢が三つ、大きな窓からは、月が半分だけ見えていた。

 イスに腰を掛けて向かいのウスライを見つめると、そっとうなずかれた。何の意味を含んでいるのかわからなかったが、ロティはこの半仮面の女剣士が一緒でよかったと心から思った。何者かハッキリしない人間でも、ゴロツキから助けてもらったことだけでロティは信頼を寄せていた。それに、自分だけだったらペンデックは相手にしなかったかもしれない。ガキと呼ばれて悔しい気もするが、自力じゃどうにもできないし、確かに子どもなのは認めざるをえないのだから。

 程なくして、奥からペンデックがカップを三つ持って現れた。それをテーブルに並べながら、主はこう言った。

「しかし、二人とも、なかなか面白い物を持ち歩いているじゃないか」

 ロティとウスライは思わず顔を見合わせた。布袋の膨らみに手を触れ、ロティはニヤニヤ笑うペンデックを見つめる。

 どうして、わかった?

 しばらく黙っていたウスライは、持っていた袋から何か取り出すと、隣に座ったペンデックにそっと差し出した。

「人探しを、お願いしたい」

 それは、色あせた茶色の帽子だった。

「探知の方円術に長けている偉大な御仁だと聞いた。頼めるだろうか」

「堅苦しいねえ。俺は仕方なく商売でやっているだけで、崇められるようなものじゃない。たまたま、術師の血筋に生まれて、たまたま、適性があっただけ。偉大でも何でもない」

「は」

 偉大でも何でもないと言いながら、客であるウスライに対しては随分と偉そうな態度に思えた。もちろん、そんなことは言えないけれでも。

「まあ、探知だの透視だの、その手の話なら簡単だね。ところで」

 眠そうな目がロティの腰に下げた布袋に注がれた。

「そっちのそれは、どこで拾った?」

 ロティは突然話を振られて体が固まった。

「あ、えっと、その」

「やれやれ。帰宅早々、困ったことになりそうだ」

 言葉とは対照的に嬉しそうな顔をしたペンデックは、茶色の帽子を手に取るとウスライに向き直った。

「じゃ、先にこっちのご依頼から承ろう。アンタの名前を聞かせてくれ」

「私の名はウスライという」

「ほう、優美な名前じゃないか。確かどこかの国の言葉では『薄く張った氷』という意味にもなるらしいが」

 ペンデックは形の良いあごに指を添えてウスライを眺めた。

「うーん、右半面だけじゃ何ともわからんが、歳は近いのかな。俺は二十七」

「私は二十六だ」

「え、年下っ?」

「……」

「あ、いや、悪い。それでは、ウスライ。詳細を聞かせてもらおうか」

 ペンデックは帽子をテーブルの中央に置くと、頬杖をつき、少しだけ神妙な顔つきになった。そこへ、ウスライが静かに語り始めた。

「私は十日程前までトゥラヒールの隣、カウの村に滞在しており、そこに住む老婆の家を宿代わりにさせてもらっていた。彼女は見ず知らずの私に大変親切だったゆえ、何か礼をと申し出たところ、二週間前から家出をした孫を探して欲しいと頼まれたのだ」

 ウスライの話を聞きながら、ペンデックは何やら机の上で指を鳴らし始めた。

「それで?」

「孫の名前はジュジュール。今年で十五か十六くらいの少年らしい。両親は幼い頃にジュジュールを捨て、ずっと老婆と二人暮らしだったそうだ。ある時、ジュジュールはヒタムの町に出稼ぎに行ったのだが、そこで術師を育てる秘密結社に通うようになったと」

 術師という言葉を聞いて、ロティはペンデックの顔をうかがったが、特に何の変化もないようだ。

「老婆の話では、ジュジュールは生活が少しでも豊かになるように術師の修行を始めたと言うのだが、村に戻ってこなくなったと心配している。その秘密結社に生贄にされたんじゃないかと私の前で泣き出したほどだった。それで、私にジュジュールの捜索を依頼してきたのだが……この帽子は少年の持ち物だということで預かってきた。役に立つだろうか」

 ペンデックは小さく息をつくと、左手をテーブルに差し出した。手首には紐で繋がれた半透明の玉がぶら下がっている。そして、左の人差し指を自身の目元に持っていくと、右手で指を鳴らした。次に左の小指を立ててテーブルに向けた。左手の動きに合わせ指を鳴らす。それを繰り返すと、突然、手首の玉がほのかにと光り出した。

 ペンデックは再び人差し指を目元に持っていくと、

「帽子の持ち主は死んじゃっている、ようだけど?」

 そう言った。

「まさか」

 ウスライの声が少し上ずったように聞こえた。

「というより、そもそも帽子は孫の物じゃないね。これは、父親かな。何十年も前の記憶が残っている。ばあさんの勘違いかもしれんな。だいたい孫だって出稼ぎ中なら、そう簡単には帰らないと思うけどね。それに術師の秘密結社なんて怪しさ全開とはいえ、それなりの術師が運営しているなら、その場所は結界が張られて俺の探知も届かないかもしれない。もう少し見てやっても良いが……いずれにしてもヒタムの町に行く必要がある。そいういうわけで、ここからは料金発生だ。八十万リブ」

 ロティはイスから転げ落ちそうになった。

「た、高いっ。ミルクパンが一万個くらい買えちゃいますよ!」

「……それが相場なのだろうか。桁違いだ」

 驚愕する二人を前に、ペンデックはズルズルと茶をすすった。

「残念だな。まぁ、こっちも仕事だから」

 ウスライが何度かうなずいて言った。

「確かにヒタムに行けば何かわかるかもしれない。今一度、自分の足で調べてから出直すとしよう」

「アンタは、ばあさんのためにそこまでするのか?」

「短い間とはいえ、とても親切にしてくれたのだ。このような私に」

「なるほど。確かに放っておけない何かをアンタは持っているのかもな。俺もわかる気がする」

「八十万リブを要求した者の言葉とは思えぬが、素直に感謝しておこう」

 帽子を袋に戻すウスライと、頬杖をつくペンデックを交互にを見つめているうちに、ロティはある疑問が湧いた。

 ――本当に当たっているのだろうか。

 帽子がジュジュールの父親のものだというのがでたらめでも、こちらには判断する材料が何もない。嘘をつかれたら、わかりようがないのだ。

「ところで。お前さんの持っているそれだが」

 ペンデックはロティに手を伸ばした。

「な、何ですか?」

「その腰の袋だ」

 もちろんロティはムアレ夫人の木箱を見てもらいに来たわけだが、ここは一つペンデックを試してみることにした。

 テーブルの中央に布袋を置く。

「ペンデックさん、この袋の中身が何か……触らなくてもわかりますか?」

 術師の視線がロティに注がれた。

「このガキはなぞなぞ遊びをしに来たのか。そういうのは相手を選ぶものだ」

 ロティが応戦しようとした時、パチンと音がした。

 ペンデックは布袋の周りを、さっきと同様に左手を目元に添えたりテーブルにかざしたりしながら右手で指を鳴らした。

 パチン。

「カカドの実のパン。赤ん坊。ほう、パン屋のせがれか」

「えっ」

 パチン。

「湖の家。馬が二頭。誰だね、この女は」

「まさか……」

 パチン。

「なるほど。チンピラにからまれたのか。そこをウスライに助けられた、と」

 ロティは身体が震えているのがわかった。

 本物だ――。

「ペンデックさんっ!た、助けてください」

 次の瞬間、今までとは違う鋭い眼差しがロティを射抜いた。

「どこで拾った」

 圧倒される。

「その記憶だけ見えない。縛りがかかっている」

 ロティは震える手で布袋からムアレ夫人の箱を取り出した。

「湖のそばの家から、ムアレ夫人という女の人が誘拐されるところに遭遇したんです。その時に、夫人がこれを落っことしたみたいで……。でも、その人は少し悪い噂があるせいか、両親もとりあってくれなくて、でも心配で」

 ペンデックは箱を包んでいた布を取り去ると、木箱を手に取りながら、宝物を見つけた子どものような目で言った。

「まさかと思ったけどねえ、さて、何をやらかしたんだか」

「そんな、おれは何も」

「パン屋じゃない。さらわれたご夫人だ」

 目を細めて、術師は箱を見つめる。

「結界が壊れかかっているおかげで力があふれ出そうだ。見たい気もするが、やっぱり危険かな。仕方ない、俺が結界を張り直すか」

 ペンデックは、半透明の玉と赤い玉を箱に軽くぶつけ、左の指を奇妙な形に曲げながら、右の指を数回弾いた。そして、箱をこちらに見せながら、術師は言った。

「こいつの中に入っているのは命の宝珠だ」

「命の宝珠?」

 にわかにウスライが身を乗り出して、箱を見つめた。

「まさか実在するのか」

 ウスライの右半面が、わずかに困惑の色を浮かべている。それを見てペンデックは不敵に笑うとロティに向かって尋ねた。

「パン屋。そのムアレ夫人とやらは顔見知りか?」

「い、いえ。知らないです」

「命の宝珠と聞いて何だかわかるか」

「……わからないです」

「そうか。時代かな?いや、パン屋の勉強不足か」

 ペンデックは背もたれに寄りかかるとため息をついた。なぜだか申し訳ない気持ちになる。そんなロティに、ウスライが話しかけた。

「では、そなたは燦爛たるスチルと幽暗なるブラハンの伝説も知らぬのか」

 半仮面の女剣士の声は静かで優しかった。少し救われた気がする。

「燦爛たるスチルは知っています。お祈りする時にその名前を言いますよね。それに対して幽暗なるブラハンは悪霊みたいなイメージです。どちらも神様とかそういうものじゃないんですか」

 ウスライは何も答えず、ただ小さくうなずいた。

「とこしえの黄昏」

 ペンデックがつぶやいた。

「つまりこの話も知らないのか。実際にあった話だというのに」

「実話?あの狂った王と、異界の住人たちをめぐる争いが実話だというのか?」

 ウスライの声は驚きに満ちていた。術師は楽しそうな笑みを浮かべながら二人を見つめる。

「少なくとも俺、いやペンデックの一族はそう思っていたよ。ゆえに時代遅れだ何だと言われようと方円術を伝承してきたわけだ。ここにきて流行の兆しだな。ふふ」

「あ、あの、おれにも教えてください。お願いします」

 ロティがペンデックの顔を見つめると、術師はゆっくりと人差し指をつきつけてきた。

「一度しか言わない。さあ、全力で理解するこった」

 ロティは思わず背筋を正した。

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