半仮面の女剣士
大慌てで家に戻ると、カヤが夕食に使う芋の皮をむいていた。
「母さん!人さらいだよっ!み、湖の近くの家の人かもしれないっ!女の人がさらわれたんだ!」
最初は驚いた顔をしてみせたカヤが、次第に表情を曇らせた。
「湖って、ムアレさんの家かい?」
背後からラジンが現れた。そのままテーブルにつくと、ロティを見つめた。
「それよりお前。バスケットはどうしたんだ?ちゃんと配達は済んだのだろうね」
「ごめん、バスケット置いてきちゃったよ。でも配達は終わってるから……って、それどころじゃないよっ」
必死な自分に対して、二人の態度がどうもおかしい。ロティは声をさらに張り上げた。
「ねえ、聞いてる?女の人が誘拐されたんだ。おれの目の前で!」
「いいかい、ロティ。もうあの辺をうろついたらダメだよ」
芋を水に放つとカヤが静かに言った。
「あのムアレ夫人には良くない噂もあるんだ。関わっちゃいけないよ」
「噂?」
いぶかしむロティに、ラジンは座るよう促した。
「お前は知らなかったか。いつ頃だろうな。一昨年か去年だったか。あそこの家にムアレ夫人は引っ越してきたんだよ。一度だけパンを届けたことがある。その時にチラリと聞いたのが、亭主に先立たれて祈りを捧げる毎日だとか何とか。まあ、そういうこともありましょう、何かあれば助けになりますよなんてワシも言っていたんだが」
ラジンが横目をやると、カヤもうなずきながら三人分の紅茶をテーブルに並べた。
「その後しばらくしたら、真向かいのコットさん、お前の狩りの先生が湖の近くで異様な声を聞いたと言うんだよ」
「異様な、声?」
紅茶をすすりながらラジンはため息をついた。その後をカヤが続ける。
「絞め殺されるような鳥の鳴き声だってさ。もう毎日毎日。他には、ひっきりなしに窓ガラスが激しく音を立てるだの、怪しげな光の中で髪を振り乱す女の影が出ただの……。その頃には、もうムアレ夫人を見かけなくなったね。てっきりトゥラヒールを出て行ったのかと思ったけど……まだ湖に住んでいたんだね。穏やかそうな人だったのに残念だよ。近所じゃ、気味悪い噂もあってね。死んだ亭主を祈る毎日じゃなくて、呪う毎日なんじゃないかって」
「そんな」
ロティはわずかに怒りを覚えた。確かに二人が語った内容は不気味だ。しかし、本当のことも知らずに噂を立てる町の人間には不快だった。
「とにかく、だ」
ラジンは空のカップをテーブルの隅に置いた。
「誘拐されるには理由があるのだろう。でも、こちらとの関わりを避けたのは向こうなんだから、こちらからも関わることもない。良いかいロティ?お前は優しい子だ。でも、助けるなんてこと考えちゃダメだ。一応、自警団には報告はしておくがね」
ラジンの忠告にロティは渋々うなずいた。養父母は満足そうに微笑むと、夕飯まで休むように言った。
日が傾いて薄暗くなった部屋に戻る。カヤが育てている小さな植木をしまいながら、沈んでいく太陽をぼんやり見つめた。
――ちっとも休まるもんか。
まだ胸は早鐘のように鼓動を続ける。目の前で人がさらわれたのを平気でいられるわけがない。力なくベッドに倒れ込むと、ロティのわき腹に何かが当たった。例の拾い物がパンの代金の袋に入れていたのを思い出すと、ロティは仰向けになったまま、袋を開けた
幾重にもなっている白い布は、ところどころに刺繍もあるようだ。慎重に布を広げると、それは大きな一枚の半円型になった。所々に染みがある。裁断のあたりがガタガタになっており、服かカーテンをハサミで切ったものだと思われた。その中央に、手の平に載るくらいの小さな木箱が現れた。手に力をこめたが、なかなか開かない。見たところ錠などはついていないが、からくり箱の一種だろうか。
逆さにすると、中で何かが転がるような音がした。一息ついて、もう一度、力を込めるとほんの少し蓋が浮いた。箱を揺するたびに中のものが転がる。宝石でも入っているのかもしれない。夫の形見だとしたら、どんなに悲しいことだろう。ロティは胸が締め付けられた。
その時――。
オレンジ色と緑色、さらには紫色の光がロティを襲った。
「えっ?」
薄暗い部屋が昼間のような明るさになった。その極彩色の光は帯のように、玉のように揺らめきながらロティを囲み、窓の外にも色を放ち始めた。
まるで生き物のようだ。
「何、これ」
箱?
この箱?
ロティは眩しさに目を細めながら、半分開いたままの箱に慌てて蓋をかぶせた。一瞬で光は止み、部屋は元の薄暗さを取り戻した。ゆっくりと汗が背中を伝う。それが完全に冷えて身震いをすると、慌てて立ち上がった。
――大変だ。
ロティは箱を袋に突っ込むと、部屋を飛び出した。
「ちょ、ちょっと出かけてくるっ」
カヤに聞こえたかどうかわからないが、ロティは構わず家を出ると、町の中央広場に向かって駆け出した。
夕食の買出し客や屋台、ギャンブル酒場の客引きなど、雑踏がうごめく中をかきわけながらロティは腰の袋に触れた。
箱をいっそ捨ててしまえば良い、一瞬そういう考えが頭をかすめた。しかし、ロティはほんのわずかに残った好奇心も捨てることが出来なかった。とにかく、この危ない光の正体が知りたい。ロティは真っ直ぐ、
角を曲がったところで、すれ違いの男と激しくぶつかった。急ぎ過ぎたようだ。ロティは慌てて頭を下げたが、男はそのまま立ち去っていった。
「あっ」
腰に提げていた袋がない。ロティは自分がパンの代金をずっと持ちっぱなしだったことを思い出した。しかも、その袋にはさっきの箱が――。
「スリか!返せっ」
雑踏に右往左往していたスリの男を後ろから突き飛ばした。
「何すんだガキっ!」
突き飛ばされた男がわめきながら、誰かに合図を送った。すると、別の通りからガラの悪い連中が歩いてくるのが見えた。どうやら、相手はゴロツキ集団の一人だったらしい。その主犯と思しき人物に、ロティの布袋を手渡した。
「人にぶつかって謝りもせず、しかも逆上して突き飛ばすたぁ良い度胸してるじゃねえか。お仕置きだ。当然この金は慰謝料だからな。もらうぜ」
「さ、先に盗んだのはそっちだろう!」
ロティは必死にすごんでみたものの、圧倒的な体格差と敵の数に身が縮んだ。弓矢が使えることに何の意味があるのだろう。自分の無力さに泣きそうになる。
「へへ、人を泥棒呼ばわりまでするか。色々と教えてやんなきゃいけねえな」
ゴロツキの一人がロティに殴り掛かる。
しかし、男はそのまま前につんのめって地面に倒れ込んだ。
「申し訳ない」
涼しげな女の声が聞こえた。
「少し長い剣なのだ。引っかかってしまった」
倒れた男の背後に立っていたのは、昼間ロティが道案内をした半仮面の女剣士だった。
ロティと目が合うと、
「ああ、先ほどの」
小さく頭を垂れた。
「な、何だテメーはっ!」
「通りすがりだ。邪魔をして申し訳ないことをした」
半仮面の女はゴロツキにも頭を垂れると、その場を立ち去ろうとした。
「ま、待って!助けてください」
ロティは女の腕にすがりついた。男である自分が女に頼るのも情けなく思えたが、今はそれどころではない。少なくとも、味方が必要だった。
「こいつら、おれの稼ぎを盗んだんだ!お願いですっ!それに大事なものも一緒にあるんですっ」
半仮面の女は無言でゴロツキを眺めると、静かに言った。
「なるほど。承知した」
ゴロツキ共は一斉に二人に襲い掛かった。
その内の何人かが光るものを握っているのが見えて、ロティは震え上がった。
「物騒な町に来たものだ」
女は細身の剣を鞘ごと回転させると、一番図体のでかい男の足を絡めとって転倒させた。それに他の男たちも巻き込まれ、地面に派手にひっくり返った。さらにナイフを持った男には、素早い身のこなしで当身を喰らわせる。次々と倒れるゴロツキを眺めてロティは呆然とした。女が腕力で喧嘩をするところを初めて見たが、見惚れてしまうほどしなやかだった。最後の一人、主犯格の男が降参して布袋を返すまで一分とかからなかっただろう。表情一つ変えず、息も乱さず、そして剣を鞘から抜くこともなく、この半仮面の女剣士は六人の男たちを倒してしまった。周りからの拍手喝采に何の反応も示さず、女はロティに向き直った。
「……これだろうか」
手渡された布袋にはパンの代金とムアレ夫人の木箱が確かに入っていた。
「あ、ありがとうございますっ!」
「いや」
半仮面の女は細身の剣を腰に戻すと、ロティに頭を垂れた。
「先ほどの礼だと思ってくれれば良い」
「え?」
道案内したことを言っているのだろうか。
「そんなお礼だなんて大したことしてないですよ。でも、強いんだなあ。剣を抜くことなく相手を倒すなんて……女の人でも剣士はやっぱりすごいんだ」
「この剣は抜けないのだ」
「抜けない?」
「それに、私は剣士と称賛されるようなたいそうな者ではない。一応、護身用の短剣は持ってはいるが、使うことは滅多にないな」
女は静かにそう言うと鼠色の外套の下に装着されている二本の短剣を見せた。他は何もない。鎧どころか防護する胸当てもない。深い紺色の服を着ているだけだ。確かに剣士とは思えない軽装だ。
ふいに、女が思い出したように言った。
「そなたが教えてくれたペンデック卿の家だが」
「あ、わかりましたか?」
「おかげで場所はすぐに。近所の住人曰く、主の姿をここ一ヶ月くらい見ていないとのことだが」
「る、留守ってことですか?」
ロティ自身もこの箱のことを何が何でも知りたかっただけに、この情報は痛い。このまま箱と一緒に夜を過ごすことになるなど、気味が悪すぎる――。
「……そんな。おれもこれから会いに行こうと思っていたのに」
「それは奇遇。では参ろう」
「へ?」
ロティの声に半仮面の女は首をかしげ、また頭を垂れた。
「誤解させて申し訳ない。一ヶ月くらい姿を見ていないと近所の住人が話していたものの、幸運にも今日の午後にペンデック卿は戻ってきたらしい。会ってくれるかどうかは別問題だが……」
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