第3話

 私は、桜です。

 もうすぐ二十歳です。

 数年前に、母を亡くし、父と二人で暮らしています。父は、少し元気が無く、それでもポツリ、ポツリと作り出す物が、高い評価を受けています。

 

 お母さんに渡された鍵は、今も大切にしています。

 お父さんは、最近ため息ばかり。


「お父さん。体調が悪いなら、病院に、早めに行ってよ」


 『私をひとりにしないで』


とまでは口にしませんが。


 周囲の友人たちは、恋の花盛り。誰も彼も会って話す事は、恋の話題。

 私には、まだ訪れませんが、いつかは、白馬の王子さま。


 お誕生日の夜、お父さんは、私に鍵を渡しました。

  

「ベッドに入る前に、この鍵をお前の部屋にあるワゴンの鍵穴に差し込みなさい」


 それから、お父さんは、黒いカバンを私に押し付けました。


「そのカバンの中には、この先、桜が一生の間暮らす事の出来る額が入っている。もし父さんと暮らしたくないと思ったら、それを使いなさい」


「分かった。じゃあ、その鍵を使わないわ」


 即答した私を驚いた様に見ていた、お父さんは、珍しく強い口調で言いました。


「駄目だ。桜にとって、必要な事だ」


 私は、鍵を受け取りました。

 ポケットの中、母さんの鍵をそっと握りました。


 『父さんの事を嫌いになる鍵』


 母さんも言ってました。

 使うと私の身に何が起きるのでしょう?

 母さんによると、私が父さんに救われたのは二回。

 ひとつめは、私の人見知りが激しかった事。父さんに出会って、救われました。

 でも、もうひとつは…?

 心当たりがありません。おそらくその事に、関係があるようです。


 その夜、ワゴンに鍵を差し込みました。


 翌日は、少し早めに起きて、いつもの様に、お父さんと私の朝食、お弁当を作りました。

 夢の中で、泣いた目は、まだ赤く、後ほど目薬のお世話になる予定。


 とても爽やかな気分です。


 お父さんが、同じように赤い目で起きてきました。


「おはよう」


 私が、朝のあいさつを。


「すまなかった」


 お父さん。


「おねしょでもしたの?」


 私。


「鍵を使わなかったのか?」


「使ったわ」


「では、どうして桜の記憶を奪った父さんを嫌いにならない?」


 私は、泣いているけど、笑顔だ。


「お父さん。自分で言った事も忘れたの?恋はグラフの変化率で、愛は面積だって、教えてくれたじゃない。母さんは、恋の話を父さんに訊くのは無駄だから止めなさいと言ってたわ。でも、愛の話は、そんなに間違ってはいないとも言ってた。こういう場合は、考えるのではなく、思うが正しいと言ってたわ。あの時から、お父さんの言う縦軸は曖昧だった。だから私には、いまいち理解出来なかった。もっと縦軸は、具体的であるべきだったのよ」


 私は、テーブルにミルクとトーストを二人分、いつもの様に用意した。


「大切にされたり、思われると、きっとその人の心の中は、明るくなると思うの。きっと縦軸は、心の中の明るさを作ってくれる光じゃないかな?」


 愛された場合は、もらった光。

 愛した場合は、与えた光。

 多分それが縦軸。

 

 お父さんの最も望んでいるもの。

 それは、おそらく私が、幸せである事。

 だから、あんなグラフを思いついた。


 お父さんの頭の中に描かれているのもの。

 それは、私の『幸せグラフ』


 お父さんは、私のために出来る事は、私を思う事だけだと、自分自身は無力だと考えていた。

 だけど、それは、私の中に絶えず光を与えてくれた。お父さんやお母さんを亡くした悲しみに耐える力をくれた。孤独から私を守った。


「私の本当のお父さんは、お日さまみたいに私の心を明るく照らしたわ。大好きだった本当のお父さんが亡くなって、私の心は、真っ暗になった。でも、今度は、お父さんが、不器用だけど、私たちの心を照らしてくれたわ」


 ミルクのカップが、私の手に温もりを伝えてくる。


「ワゴンを使わなくても、いつかお父さんの光が、私を笑顔にしたと思うの。でも使ってくれたから、すぐに立ち直れた。お父さんの光は、ワゴンを使うずっと前から私を救っていたわ。母さんだって、本当のお父さんを失った悲しみに耐える事が出来たのは、お父さんがいたから。

 どうして嫌いになるの?私の心の明るさを作ったのは、お父さんよ。

 お父さんやお母さんが亡くなった時。

 真っ暗だった私の心を、お父さんの光は照らし続けた」


 誰かに、思ってもらえるって、心の力になる。

 きっとそれは、心を明るく照らす光。


「お父さんに貰った光で、私の心が明るい光に溢れて、周囲も明るく照らし出している。

 きっとそれは、お父さんの光が、私の持つ悲しみに、耐える力を与えて続けているから。

 愛するって、相手がどんな状態でも、変わらない光を与え続ける事じゃないかな。そして今度は、私自身も他の人に、光を与えられる存在になる。それが、私自身が、お父さんやお母さん、そして本当のお父さんに愛されて、幸せに生きてきた証明になるわ」


 私が、お父さんの恋する乙女たちシリーズを使うのは、まだ先かもしれません。


 でも私たち家族は、幸せいっぱいです。


        おわり












 







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幸せグラフ(桜ちゃんの証明) @ramia294

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