香川に攻め入る緑のたぬき♪

君塚つみき

1

「香川県に緑のたぬきを売り込め」

「えっ無理です」

 東洋水産株式会社・加工食品営業部の若手・布滝ぬのたき美鳥みどりは、上司の鴨志田かもしだから課された無茶振りに脊髄反射せきずいはんしゃでノーを突きつけた。

「香川って年越しですらうどん食べるようなとこですよ? そばなんて売れるわけないじゃないですか」

 香川――それは日本一のうどんの消費地。米の代わりにうどんを主食とし、サンドイッチにすらうどんを挟み、うどんを口の中で結べない者には人権が認められないなど、とにかくうどんを愛する県だ。子供がなりたいものランキング一位は十年連続でうどん職人である。

 そのため、うどんと和食麺料理の双璧を成すそばの嫌われようは凄まじい。学校では徹底した反そば教育が実施され、そばに関心を示す者は村八分むらはちぶにされる。とばっちりで焼きそばやそば殻の枕まで嫌われている始末だ。あと県民の三人に一人はそばアレルギーである。

 おかげで香川でそばを売る者はもう何年もいない。

 そんな圧倒的そば逆境の地で、如何いかにして緑のたぬきを売れというのか。

 だが鴨志田はがんとして譲らなかった。

「誰もやらないからこそ、そこに商売のチャンスがある。違うか?」

「ぐぬぬ」

 確かに、仮に香川に緑のたぬきの販路を確立できれば、それすなわちこの会社が香川のそば市場を独占するのと同義である。

「この件は君に一任する。期待している」

 退路は断たれた。上司にここまで言われたら逃げ出すわけにはいかない。

「承知しました」

 美鳥は覚悟を決めて、首を縦に振るのであった。



「香川でそば売ろうなんて何様のつもりだい! 二度と顔を見せるな!」

 口角泡こうかくあわを飛ばす初老の女性店主に、店を叩き出される。

 手荒い対応を受けた美鳥は通行人から白い目をもらいながら、小さな商店に向かって深々と頭を下げてその場を辞した。

「またダメだったか。美味しいんだけどなあ」

 手提げ袋の中で哀愁を漂わせる緑のたぬきを見つめながら、美鳥は溜息を吐く。

 鴨志田から指令を受けた美鳥は、翌日には高松へ飛んでいた。

 営業の基本は足で稼ぐこと。まずは泥臭く、現地で目につくスーパーや商店へ手当たり次第飛び込んだのだが。

 結果は惨敗。売りにきたのがそばだと分かるや、どこの店主も嫌な顔をした。香川に降り立ってもう三日目だが、緑のたぬきを取り扱ってくれる店は未だ見つからない。分かっていたことだが、香川でそばを売るのは想像以上に厳しかった。

「お昼にするか」

 気分転換がてら早めの昼食をとることにした美鳥は、手近のうどん屋に入る。春先で天気も良いが、風が冷たかったので温かいかけうどんを注文した。

「いただきます」

 純白の太い麺を口に運ぶ。しなやかで柔らかいのに噛むとほどよい弾力があり、喉越しも抜群に良い。

「やっぱ美味しいなあ」

 三日連続で昼食がうどんなのだが、それでも飽きない味だ。さすがは本場である。東洋水産で製造販売している赤いきつねを始めとしたカップうどんも美味しいが、さすがにこの味と比べてしまうと月とスッポンだった。

 良質なうどんに舌鼓したつづみを打ちつつ、午後の動きを考えていたとき。

 美鳥のそばに青年の店員が立った。

「お客様。こちらを」

「はい?」

 彼は一枚のメモ用紙を手渡してくる。そこには住所と思しき文字列が書かれていた。

「これは?」

「くれぐれもご内密に」

「あ、ちょっと」

 緊張した面持ちの青年はそれだけ言い残すと、店の業務に戻っていった。

 不審に思いつつ、美鳥はメモの住所をスマホで検索する。

「!」

 検索結果を見て美鳥は息を呑んだ。

 それは香川県内のとあるスーパーだった。

 美鳥は思案する。

 あの青年がなぜこの場所を伝えてきたのかは分からない。だがスーパーであれば、それがどこだろうと美鳥の顧客候補だ。

 当たる価値はある。美鳥はそう結論を下して席を立ったのであった。



「お待ちしておりました、布滝様」

 新興の全国チェーンスーパー『チャレンジ』を訪れた美鳥は、山名やまな浩輔こうすけと名乗る精悍な顔立ちの店主に迎えられ、店のバックヤードに案内された。

「まずは、このような方法でお呼び立てしたことを謝らせてください」

「いえ構いませんが。それでご用件は?」

 部屋の中央に置かれているデスクに着いた美鳥は、向かいに座った山名に用向きをうかがう。

「風の噂で聞きました。あなたは行く先々の店でカップそばである緑のたぬきを売り込んでいるとか」

「!」

 美鳥は身を固くした。

 そば。これまで会ってきた店主たちは、その二文字を聞いただけで機嫌を悪くした。そんな単語が先方の口から出たことに身構えながら、美鳥はゆっくり頷く。

「合ってます」

「では単刀直入に言います」

 山名は据わった目でこう切り出した。


弊店へいてんで緑のたぬきを取り扱わせていただけないでしょうか」


「ええっ⁉」

 思いもしなかった申し出に、美鳥は椅子から転げ落ちた。

「どうして? 香川のかたはそばがお嫌いなのでは?」

「全員がそば嫌いではありません!」

 山名の声に熱がこもる。

「たしかにそばを嫌う県民は多いですが、それは反そば教育の影響です。昔は押し付けられた反そば思想を鵜呑みにする者ばかりでしたが、ネットが普及し情報収集が容易になった昨今では、洗脳教育に惑わされずそばに親しみを持つ者が増えています。私もその一人です。五年前、旅先の京都で初めて食べたそばの味に魅了され、以来県外にそばを食べに行くのを趣味にしています」

「ははあ」

「ですがしんそば思想はまだ少数派。今の香川で表立ってそばが好きなどと言えば袋叩きに遭います。そこでそば好きたちは、同好同士ひっそり集まって、そばへの思いを語り合ったり迫害のつらさを慰め合うようになりました。やがて『隠れ親そば派』と名乗り始めたこのコミュニティは徐々に勢力を拡大し、今や讃岐さぬきの地でそば文化を打ち立てるという野望を掲げて暗躍しているのです」

「そうだったんですか」

 香川の知られざる裏事情に驚きながら、美鳥は椅子に座り直した。メモを渡してきた青年も隠れ親そば派の一員だったのだろう。

 山名は先を続ける。

「今の香川にはそばを売る者がおりません。県外に出たり通販を使えばそばを入手できますが、我々はもっと手軽にそばを食べられる社会を作りたい。その第一歩として、弊店に緑のたぬきを置かせていただきたく」

 そう言って彼は頭を下げた。

 途中妙な話が挟まったが、要するに山名は緑のたぬきを取り扱いたいということだ。利害は一致している。美鳥は一も二もなく了承した。

「喜んで!」

「ありがとうございます!」

 かくして、美鳥は香川で最初の顧客を得た。



 山名との商談は順調に進み、二週間足らずで店のインスタント食品コーナーに緑のたぬきが並んだ。

 それから一ヶ月後。

「お世話になっております」

「お久しぶりです。どうぞこちらへ」

 美鳥は視察で再び香川を訪れていた。

 山名に売り場へ案内される。並んで歩く二人は浮かない顔をしていた。

「ここです」

 商品棚の一角に見慣れた緑色のカップそばを見つける。実際にこの店で陳列されているのを見るのは初めてだ。

 そうして美鳥たちはしばらく売り場を観察した。

 緑のたぬきを目にした客の大半が顔をしかめる中、興味を寄せる者も何人かいた。だが彼らは挙動不審に周りを見回した後、諦めたように項垂うなだれて去ってしまう。

 山名から事前に報告を受けていたとおりだった。

「なるほど。買いにくい、ですか」

 結論から言うと、緑のたぬきはほとんど売れてなかった。

 原因は周りの目だ。緑のたぬきを買いたい客はいるのだが、みな他の客の視線を怖がって手に取れないでいる。それほど香川における親そば派への風当たりは強いのだ。

「どうしましょう」

 売れ行きが悪いままならこの店に緑のたぬきをおろし続けられない。だがそば普及を志す山名たちには協力してあげたい。

 利益と情で板挟みになりながら売り場を眺めていたとき。

「あれ?」

 違和感を覚えた。

 あると思っていたものが、ない。

 美鳥は山名にたずねる。

「ここってカップうどんはないんですか?」

「扱ってませんね。香川は安くて美味いうどんがいくらでもあるので、カップうどんは全然売れないんです」

 香川県民はカップうどんを買わない。意外だが確かに筋は通っていた。本場のうどんが身近で食べられるなら、味で劣る即席麺などわざわざ手に取らない。

 その瞬間、美鳥に天啓が訪れた。

 隠れ親そば派。気になる周囲の目。見向きもされないカップうどん。

 形勢逆転のアイデアが、組み上がる。

「山名さん。私いいことを思いつきました」



 半年後。

「やった!」

 山名から届いたメールに、美鳥は諸手を上げて喜んだ。オフィスにいる社員から変な目で見られるが気にならなかった。

 メールには、緑のたぬきが完売したと書かれていた。写真も添付されており、緑のたぬきを食べながら笑う山名と隠れ親そば派の数名が映っている。

 自分の仕事で人を笑顔にできたことに、美鳥は達成感を覚えた。

 美鳥が考えた売り上げ改善策。それは香川限定の新商品だった。

 その名も『赤いきつね』。

 それは一見するとカップうどんの赤いきつねだ。だがフタの隅には景品表示法に触れないほどの小ささで『に化けた緑のたぬき』と書いてあり、中身も小エビのかき揚げが乗ったお馴染みの天そばである。

 これなら香川でも周りの目を気にせず購入できる。香川県民はカップうどんに一切興味がないので、反そば派がフェイクに気付く心配もない。あとは山名が隠れ親そば派の間に販売情報を流せば、香川に緑のたぬきの市場が完成するというわけだ。

 今回のアイデアを承諾してくれた鴨志田と協力してくれた商品企画部の懐深ふところぶかさに感謝しながら、美鳥は山名あてに次の取り引きのメールをしたためる。

 隠れ親そば派の野望は香川にそば文化を根付かせることだ。今はまだ遠い目標だが、今回のそばの販路確立をきっかけに親そば派が増えれば、いつか実現するはずだ。

 彼らが堂々とそばをすすれる未来のために。

 決意をみなぎらせた美鳥は、メールの送信ボタンを力強くクリックするのであった。

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香川に攻め入る緑のたぬき♪ 君塚つみき @Tsumiki_Kimitsuka

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