4人目 道端健悟 (2)

「最近どう?」


 右田はこうしてよく電話をかけてくる。健悟は友達がいない。故に彼に気軽に電話をしてくるのは右田くらいなものである。


「抽象的な質問には答えられません」


 友達のいない健悟は右田のよくある雑談にも、携帯電話の音声コントロールセンターのような返ししかできない。彼からすると、右田が言った「最近どう?」の最近とはいつの時点を指しているのか、どう? とは何に対するどう? なのか、不明瞭なことばかりなのである。答えようにも答えられない。健悟に悪気はないのだが、こういうコミュニケーションにおける融通の利かなさが彼に友達がいない所以である。


 しかし右田は気にしない。


「ここ一か月くらいさ、電話のほうはどうだったかなと思って」


 そこまで言われればさすがの健悟も合点がいく。


「管理人のことでしたら……」


と言いかけて口を噤んだ。

 うっかり本音が出かかってしまったからだ。鋭くそれを察知した右田はすかさず


「遠慮せず言っちゃいなよ。苦労も多いだろうしさ」


と促す。

 健悟は一秒にも満たない時間考えた末に


「正直辞めたいです」


と本音を口にした。電話口の向こうから「ええ!?」と右田のわざとらしい驚きの声が聞こえる。健悟には右田が全く驚いていないことが容易に分かった。


「なんで辞めたいの?」

「案件が逐一重いです。僕の手には負えません」

「そりゃあ自死者と話したいっていう人だから、それなりに重い事情も抱えているだろうさ。君の冴えわたる頭脳ならそのくらいのことは想定済みでしょ?」

「想定はできても対応はできません」

「何? クレームでもきた?」

「クレームはそもそも……」


 受け付けていない。ついでいうと御礼も。

 正確には管理人になったばかりの頃は受け付けていた。しかし、数が多くなるにつれやめた。


 健悟の頭にここ最近の依頼者の姿が蘇る。

 失踪した母の死因を知りたいといった花井霧香、事故死した生徒の真相を知りたいといった土井天馬、自死した姉に成り代わった桐谷璃佳子。

 

 重い。かつ丼、カレーライス、すき焼きを一気に出されて完食を余儀なくされるほど重い。言わなかったが健悟の頭にはそんな例えが浮かんでいた。


 平日は大学での仕事があるため、依頼を受けるのは基本的に土日にしている。土日は健悟にとっては休日だ。なのに、休日の度にメンタル的なデカ盛りチャレンジをさせられているこの状況に健悟は納得がいかなかった。管理人の業務を引き受けると決めたのは自分だが、いざやってみるととてもじゃないが向いているとは思えない。もっと温かみのある人間、人の気持ちに寄り添うことができる人間のほうが適任なのではないかと思ってしまう。健悟は自分にそうした「人の心に寄り添う」という機能が備わっていないことを重々承知していた。


「そっか。君、御礼もクレームも受けないからって依頼者からの連絡全部拒否してるんだったっけ? でもさあ、君、自分の職業を考えればさあ」


と言いかけて右田はまあいいや、と話を区切った。


「でも僕はもう管理者権限を君に委託しちゃったから戻せないし、当面の間は続けて貰わないと困るんだけど」

「僕からどなたか別の方へ権限を委託することはできないんですか?」

「うーん、どうかなあ。できたかなあ。できなかったかなあ」


 この話題になるといつもはぐらかされる。思うに、権限の委託はいつでもできるのだが右田は一向にその方法を教えたがらない。何度尋ねても煙に巻かれてしまうので健悟も今となっては聞き出すこと自体を諦め始めている。


「そもそもさ、管理人になるには条件があるわけでさ。その条件をクリアできる人を探すだけでも一苦労だよ? 当て、あるの?」

「ありませんね」


 健悟はコーヒーを一口飲んだ。まだ温かいコーヒーの苦みが喉を通る。

 

 右田の言う通り、死者と生者を繋ぐ公衆電話の管理人になるためには条件がある。

 一つ目に、管理人になる人間に自殺企図がないこと。死にたいと思ったことがないか、限りなくゼロに近い人間でないと管理人としての適正がないと判断される。どのようにその適正を測るかと言われれば、アンケートやいくつかの検査をクリアする必要があるのだが、それはまた別の話だ。

 二つ目に、管理人自身が身内を自死によって亡くしていること。

 健悟も右田も、この二つの条件を満たしている。故に管理人となったのだ。


 いつからこうした制度が作られているのか、最初にこのシステムを生み出した者は誰なのかは、右田も健悟も知らない。しかし、なぜこの二つの条件が管理人を務めるために必須とされているかは知っている。

 一つ目の自殺企図がないという条件は、管理人が自死をしては元も子もないというありふれた理由だ。死者と生者を繋ぐ役割を担う人間が自死をしてどうする。ミイラ取りがミイラになるだけだ。

 二つ目の条件が必須である理由は、自死をした身内がいないと管理人としてのシステムを構築、および運用することができないからだと言われている。どういう訳か、死者と生者を繋ぐ公衆電話は単に自殺企図のない者、すなわち一つ目の条件を満たしているだけの者には扱えない。同じようにダイヤルを回してもぴくりとも反応しないのである。これは右田の受け売りだが、自死をした家族が遺された遺族への遺産として、あの世とこの世を繋ぐ力を授けてくれるのではないかとのことだ。健悟としてあまり支持していない非科学的な仮説ではあったが、今のところそれ以外の有力な仮説は見つからない。ちなみに、右田が管理人を担当していた時期は管理人へたどり着くための手順として、健悟ほどは面倒な設定は用意していなかったそうだ。


 右田は仕方ないなと言わんばかりのため息を零す。


「じゃあ、しばらくは君がやるしかないね。それにほら、前にも言ったじゃん。情けは人のためならず。いいかい、道端くん。誰かを助けるってことは、自分がその誰かに助けてもらうことと同じなんだよ。人の役に立つってねえ、気分がいいもんだよ。どんなに心が寂しさに満たされていても、誰かのために走り回るとねえ、不思議とこっちが救われるんだよ」

「はあ」


 彼が言っていることがよく分からなかったので適当な返事をする。そういえば、管理人を引き受けることを渋った時にも同じことを言われた気がする。が、その時も今と同様に、右田から言われたことは健悟にはしっくりこなかった。


「で、喋った? 奥さんと」

「……喋っていません」

「駄目じゃない。ちゃんと自分のことにケリをつけないから、管理人辞めたいなんて思うんだよ」

「それとこれとは関係ありません」


 むっとして言い返すと右田は笑った。


「娘さんには言ったの? もう高校生でしょ? そろそろ本当のことを知ってもいい年なんじゃない?」

「それは僕の一存で決められることではありません。義父との約束がありますので」

「あーそっか。君、義理のお父さんから死ぬほど嫌われてるもんね」


 再び言い返そうと思ったが今度はぐうの音もでなかった。事実だからである。

 代わりに健悟はもう一口コーヒーを飲んだ。少し冷めかけている。電話も長くなってきた。そろそろ切って自分の仕事を片付けてしまいたい。

 僕は仕事に戻ります、と言おうと口を開いたところを右田に遮られた。


「奥さんの命日、もうすぐだったよね。ご実家、行くの?」

「墓参りには行きます。それと、公衆電話が少々、痛んでしまったので義理の父に直して貰おうかと」

「え、君、電話壊したの?」

「僕ではありません」


 先日、桐谷璃佳子の依頼を受けた際、自身の正体を見破られ逆上した彼女に殴られかけた際、誤って公衆電話が床に落ちてしまったのである。健悟は無傷で済んだものの、公衆電話の外面に少々ひびが入ってしまった。中身の機能に支障はないと思われるが、念のため専門家に確認してもらいたいのだ。


 事情を伝えると右田は納得したようでふうん、と呟いた。


「君のとこの義理のお父さんってもともと電気屋さんだから機械いじり得意なんだっけ。そっかそっか。じゃあこれから奥さんのとこに顔出すわけね」

「はい」

「ま、お墓参りでもしたら気持ちも落ち着いて奥さんと話したくなるかもね。管理人と言えど死者と話す権限は一人につき一回、平等に残されてるんだから有効に活用しなよ」

「考えておきます」

「はは、しない人の答えじゃん、それ」

「それはそうと、僕とこんなに長電話をしていていいのですか?」

「え? どういう意味?」

「浅葱中学校、去年亡くなった生徒がいると報道で見ました。こんなところで油を売っている暇はないのでは」


 さっさと電話を強制終了しようと天馬から聞いた話をさも報道で見た、というていを装って尋ねてみると、右田はああ、となんてことなさそうな声を発する。


「天馬くんから聞いたの?」

「……」


 いくら右田が前管理人といえど、依頼者に関する情報を漏らすわけにもいかず健悟は黙り込む。しかし、胸の内ではなぜわかった? という疑問符が沸いている。そんな健悟の心情を知ってか知らずか、右田は「いやあ」と過去の苦労話をするかのようなテンションで話し出す。


「君にも随分世話になったって彼から聞いたよ。うちの教育体制が遅れてるっていうのは問題になってたんだけど、やっと頭の固い教育委員会の連中も動いてくれそうだよ。今更って感じもするけどね」


 なるほど、彼は天馬本人から話を聞いたようだ。浅葱中学校は田舎の学校であるため、ありとあらゆることが先端の教育から三歩遅れていると右田から話は聞いていた。天馬の話を聞いた際にも、生徒への支援体制や教員間の情報共有など、改善点が多くみられることは感じた。

 冷めたタイプの健悟とは違い、右田はどちらかというと天馬のような熱血漢である。口には出さないものの、三上忍の死は彼にとってもショックが大きかったことだろう。


 労いの言葉の一つでもかけてやろうかと思い口を開きかけるがまたも右田の妙に明るい声がそれを遮る。


「そういや、見た? 桐谷美那子! もう死んじゃってたんだねえ。双子ってそんなに似るもんかね。ファンも含めて誰も気づかなかったなんてちょっと問題あるよね。自殺だったとはねえ。妹さんは複雑な心境だったのかな。あんなことまでするなんてさ。罪を償って第二の人生、歩いていって欲しいね」

「……」


 桐谷美那子の話題まで出てきた。もしかして、次は花井霧香の話まで出てくるのではと疑っていると、右田は大きな欠伸をした。


「じゃあ、そろそろ仕事戻るわ。葵ちゃんによろしく~」


 プープーっと通話が切れる。

 身勝手な奴め。携帯電話の電源を切り、今度こそPCへと向かった健悟が口をつけたコーヒーは完全に冷めていた。

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