3人目 桐谷美那子 (終)

 翌日、事務所の会議室で真相を聞いた鈴木は間抜けな顔をしていた。

 璃佳子に話させるだけ話させておいて、何も言わず呆けている彼をきっと睨む。


「何よ。なんか言いなさいよ」

「い、いや。ちょっとびっくりしたというか、なんというか。俺も犯罪の片棒担いだから人のこと言えないけど、君、むちゃくちゃするな」


 犯罪の片棒というのは美那子の死体遺棄を手伝わされたことを言っているのだろう。あの時、鈴木は死体が桐谷璃佳子であると思っていた。まさか死んでいるのは桐谷美那子のほうで、目の前で生きているのが桐谷璃佳子だとは思わなかっただろう。


 今になって思い返してみると、どうして鈴木に美那子の死体を川へ落とす手伝いをさせたのだろうと疑問に思わなくはない。ただ、死体を一人で処理をするのは骨が折れそうだと思ったのと、桐谷美那子を演じるにあたって身近な人物を騙しおおせるかどうか試してみたかったというのはある。それでもつい、他人の手を借りたくなってしまったのはどれだけ御託を並べても、自分を捨てて桐谷美那子に成り代わるという事の重大さが怖くて、自分一人でやり通せるかどうか、自信がなかったからだろう。現に、鈴木は頼りない面はあるものの璃佳子の指示をよく聞き、美那子の死の真相についても今の今までどこにも漏らさず黙ってくれている。

 

 きっと修羅へと続く地獄への道連れが欲しかったのだ。

 そのパートナーとしてたまたまあの時、電話をかけてきた鈴木が選ばれた。それだけだ。


 鈴木はテーブルに置かれたコーヒーを両手でいじりながら、ううんと難しい顔をする。


「でも、そっか。うん、なんかありがとね。話してくれて」

「別に。一応巻き込んだのは悪いと思ってたし」

「いや、美那子が追い詰められていたことに気が付かなかったのは俺も同罪だし。でも、そっか。うん。そっか」

「何? さっきからそっか、そっかって。うるさいんだけど」

「あ、ごめん。いや、なんていうか、こんな時に言うことじゃないって分かってるんだけど、あー、でもどうしよう」


 妙に言いよどむ鈴木に苛つき、璃佳子は鈴木の前にあるテーブルを蹴った。がたんと揺れたコーヒーを慌てて捕まえると、彼は観念したように言った。


「俺、桐谷璃佳子のファンだったからさ。まさか自分でも気づかないうちに璃佳子と一緒に仕事してるとは思わなくて、それもびっくりっていうか」

「は?」

「いや、美那子が死んでたことの方がびっくりしたし、璃佳子が美那子で美那子が璃佳子でっていう方がめっちゃ衝撃はでかかったんだけど、波が過ぎると俺の目の前にいるの桐谷璃佳子なんだなってじわーって思い始めて。いや、こんな能天気なこと言ってる場合じゃないって分かってるし、不謹慎だって言うのも重々承知してるんだけど、なんか、逆に今言わないと一生言う機会ない気がして。だからうん、言っといた。ずっとファンでした。はい」


 おろおろと身振り手振りを交えて必死に釈明を繰り返す鈴木を璃佳子はまじまじと見つめた。

 言われてみれば、いつも路上ライブに来ていたニット帽の男に口元がそっくりだ。夏でも冬でも帽子を目深に被っていたから顔が分からなかったが、そうか。あれは鈴木だったのか。


「路上ライブ聴きにきてた帽子の人?」

「あ、うん。それそれ」

「……なんでずっと帽子で顔隠してたの?」

「え? なんでってそりゃ、恥ずかしかったから?」


 こてんと首を傾げる鈴木は全然可愛く見えなかった。けれど、ひたむきに璃佳子を応援してくれていたらしい彼の姿を目にして、不意に美那子から言われた言葉が蘇る。


 一人でも応援してくれる人がいるのは凄いこと。彼女の言う通りだった。美那子のことも鈴木のことも、目の前にいる人間をもっと大切にしてやればよかった。なのに、自分ときたらないものねだりばかりで足ることを知らず、まだ足りない、まだ足りないと欲深さに足をとられて大切な片割れを失ってしまった。


 鈴木がどこかもじもじとした様子で呟く。


「これから、どうする?」


 今、璃佳子の目の前にいるのは鈴木だけだ。

 大切にしたかった、たった一人の姉はもういない。それでも自分が桐谷璃佳子として生き、目の前の一人を大切にするためにやるべきことは残っている。


「自首する。ちゃんとお姉ちゃんの死因も公表するし、死体遺棄の件も罰を受けるよ」

「あ、じゃあ俺も、」

「あなたは関係ないから」


 挙手をして共に自首をすると言い始めた鈴木を間髪入れずに遮った。しょんぼりとした仕草でするすると手を引っ込めた彼の背は丸まっていて滑稽で、大して面白くもないのに笑えてきた。


「あなたはわたしに巻き込まれただけ。わたしの分までこれからは真っ当に生きて」


 できれば鈴木には、自分よりも長生きしてほしいとそっと思う。

 わたしが美那子よりずっと長く生きるから、その間、片割れのいない世界で呼吸をするわたしが寂しくないように、わたしが死ぬまでずっとどこかで見守っていて欲しい。


 口には出さず、心の中でそう囁いて優しい眼差しを鈴木に向けると、彼は照れたのか視線を逸らして唇をもにょもにょと動かした。


 

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