3人目 桐谷美那子 (7)

 辿り着いた高級ホテルはそれほど珍しくもおかしくもない内装で、美那子はぼうっとしたまま道端と共にエレベーターへ乗り込んだ。


 彼の背中を追いかけるままに足を進めていくと勝手に部屋へ到着する。入室し勧められた椅子へ素直に腰かけた美那子はテーブルの木目を見つめていた。


 道端は桃色の小さなアナログ電話をテーブルの上に乗せ、これが死者との電話ができる公衆電話であることを使い方も含めて簡潔に説明した。


「テレフォンカードは五百円と千円、どちらにしますか?」

「五百円で」


 道端は一瞬目を細めるような仕草をしたが、すぐに


「分かりました」


といって五百円玉と引き換えにテレフォンカードを差し出した。死者の情報を記入してくれと手渡されたメモに、ゆっくりと桐谷璃佳子の情報を記載する。


『お名前:桐谷璃佳子

 性別:女性

 生年月日:1999年9月9日

 死亡年月日:2022年1月10日』


 書きながら思わずおかしな苦笑いが漏れる。

 双子として生まれたせいで、璃佳子と美那子の情報は死亡年月日を除けばほとんど変わらない。同じ日に自分が死んでいたら一体どちらに電話がつながるのだろうと想像しかけて、名前で区別ができるかと思い直した。


 メモを手渡すと道端は死者の情報を数字に置き換え始めた。数字の羅列を記載していく彼の姿を見つめながら、きっとあの子と自分の数字はよく似ているのだろうと夢想する。


 数字への変換を終え受話器を手にした道端がテレフォンカードを差し込むよう指示してきたので大人しく従った。するりとカードが吸い込まれた後には、赤い数字で50と表示される。


 道端は手際よくダイヤルを回し始めた。ぐるぐると忙しなく、円の頂点と底辺を行ったり来たりするダイヤルを見ていると頭痛がしてきた。全ての数字を回し終えると、彼は受話器を持ったまま動きを止める。

 プップップと呼び出し音が薄く美那子の耳にも届いた時。


 電話が鳴った。

 ブランドバッグに入れていた、美那子の携帯電話だ。


「ごめんなさい、こんな時に。すぐ切ります」


 慌ててそう言うと何を思ったのか、道端はすかさず


「出てください」


と言った。


「でも、今から璃佳子と話すのに」

「かけ直しますのでお気になさらず」


 そう言いつつ道端は受話器を下ろそうとはしなかった。

 彼の態度に疑問を感じながらも、美那子は携帯電話を鞄から取り出す。液晶画面には『非通知設定』と記載されていた。こんな時に誰だろうとは思いながら、美那子は通話ボタンを押した。


「もしもし?」

「桐谷璃佳子さんですか?」


 携帯電話の受話口の声と、目の前の道端の声はほぼ同時に美那子の耳に届いた。


「……え?」


 驚愕のあまり目を見開く。恐る恐る道端へと視線を向けると彼は変わらず、何の感情も映さずに受話器を握り締めたままこちらを見ていた。


 彼の唇が動くのと、通話相手の人物が声を発するタイミングが重なる。


「管理人の道端健悟です」


 そういうと道端は受話器を置いた。

 美那子の携帯電話からはツーツーと通話終了を告げる音が鳴っている。


 震える手で携帯電話を耳から離す。


 道端はまだこちらを見ている。彼は眼鏡のブリッジを押し上げると、


「桐谷さん、これは一体……」


と言いかけて口を閉じた。


 美那子は咄嗟に膝の上に置いていたバッグを床に、手に持っていた携帯電話をテーブルに叩きつけた。代わりに、どこにも線の繋がっていない桃色の公衆電話を両手で掴む。そのまま両腕を思い切り振り上げると、自分が殺人鬼にでもなったような気分になった。いや、ようなというのは不適切かもしれない。美那子はその時、公衆電話を道端の頭上へ振り上げた瞬間、間違いなく思っていたのだから。


 もうこの男を殺すしかない。

 そうでなければ本当に桐谷美那子が死んでしまう。


 しかし、道端に向かって振り下ろした公衆電話は彼には当たらず、空を切る。よろけた拍子にテーブルに強く腹を打った美那子は低く呻いたが、次なる二撃目を男に浴びせようと目を血走らせ、道端を探した。しかし、彼の姿はどこにもない。


 どこに行った?

 ふと体が宙に浮く。足が床から離れた、と感じた瞬間に美那子は床に叩きつけられていた。取り押さえられるように体を拘束され、手にしていた公衆電話も美那子と共に床へと転がり落ちていく。体を斜めに締め上げられ苦痛に喘ぐと、


「すみません、昔取った杵柄で締め技をかけています」


と一糸乱れぬ男の淡々とした声がする。

 目だけを動かして声の主を探すと、道端が自分に柔道技のようなものをかけているのが見えた。ひゅっと呼吸が苦しくなる。これ以上、体を絞められ続けたら敵わないと呻き声を強くすると道端が力を緩め、その拍子に拘束されていた体が解放された。途端に、げほげほと噎せ返り床の上でのたうち回る。一方、道端は床に滑り落ちた公衆電話を拾いにさっと美那子から距離を取った。


 彼はまるで踏みつけにされたわが子を労わるように、大切に公衆電話を抱きかかえると美那子の傍らに立ち、こちらを見下ろす。


「さて、どういうことか説明していただけますか? 桐谷璃佳子さん」


 整わない呼吸の中で、美那子は自分が賭けに負けたことを悟った。





 


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