3人目 桐谷美那子 (6)

「デジタル遺品ってご存知ですか?」


 美那子からの問いかけに道端は首肯した。


「携帯電話やサブスクリプションなど、契約した本人が亡くなってしまったにもかかわらずデジタル用品の契約のみが残ってしまうことですね。病死など、予期できる死であれば事前に解約しておくことができますが、突発的に訪れた死であると事前の解約をすることは困難ですので、月々の支払いやインターネット上のデータが残ってしまう。しかも、それらを解約するために必要なパスワードは死者しか知らない。そういったものを総称してデジタル遺品と言います」


 まるでその道のプロかのように説明をした後、道端は


「パスワードというのは桐谷璃佳子さんのデジタル遺品にまつわるものということですか?」


と尋ねてきた。

 この男は頭がいい。話が早くて助かる。だからこそ油断もできない。


「ええ。璃佳子はわたしと同じ歌手でした。わたしの方がメディアへの露出は多かったですが、わたしはあの子の作る曲が好きでした。でも、生前はわたしとの差を意識してか、なかなか曲を聞かせてもらえなくて。璃佳子が亡くなった時、遺書には自分の死因を誤魔化してほしいということともう一つ、オンラインストレージファイルに残した自分の曲をわたしに聞いてほしいと書いてあったんです」

「なるほど。しかし、そのファイルには璃佳子さんが設定したパスワードがかけられていてアクセスできなかったと。失礼かもしれませんが、遺書が残されていたということは璃佳子さんは自死を計画的に行ったということになりますよね?」

「そう、でしょうね」

「であれば、その遺書と共にファイルのパスワードを残しておいてもよさそうなものですが」


 それについては美那子も同じことを思っていた。

 しかし、自分と亡くなった妹との関係を鑑みれば容易にパスワードを残さなかった理由にも察しがつく。


「多分、わたしに聞かせたい気持ちと、聞かせたくない気持ちが半分ずつあったんだと思います。同業者ですから、劣等感とか嫉妬とか、姉妹といえどわたしとあの子の関係は少し複雑でしたから」

「なるほど。老婆心かもしれませんが、僕でなく業者へ依頼をした方が確実なのでは?」


 美那子は咄嗟に鈴木の顔を思い出した。

 あいつが上手くやれば道端の言う通りこんな回りくどい真似をしなくともよかった。しかし、業者へ頼んでいたとしても面倒なことになっていたかもしれない。なにせ、自分は桐谷美那子なのだ。業者がうっかりSNSなどで『桐谷美那子の死んだ妹のパスワード開けちゃった』などという、バカみたいな情報漏洩をしないとも限らない。

 美那子は胸に浮かんだ業者への不信感をそのまま語ることにした。


「それはちょっと。業者の方の口が堅いとも限りませんし。わたし自身も表に出る仕事をしているので」

「そうですか。ちなみに璃佳子さんが自死をした理由に心当たりは?」

「……分かりません」


 嘘を吐いた。

 本当は知っている。遺書に全て書いてあったから。

 けれどそこまで明け透けにこの男に全てを打ち明ける義務もない。

 幸い、道端は美那子の言葉を疑わなかった。しかし、彼は少し疑わしげに目をすぼめると


「素朴な疑問を投げかけて恐縮ですが、璃佳子さんと話しができたとして、聞きたいのはパスワードだけで彼女が自死をした理由について聞きたいとは思わないのですか?」


と尋ねてきた。

 美那子は急速に胸の内が冷えていくのを感じた。道端の質問は美那子を不快にさせたのだ。


「思いません」

「……それはなぜ?」

「理由が必要ですか?」

「いえ、必須ではありませんが、率直に申し上げると僕はあなたのことを少し疑っています。なにせ、妹さんの死因を偽装するなど正気の人間がやることではありませんので」

「失礼な人ね」

「家族の死因を偽るよりは失礼ではないかと」


 張り詰めた空気が二人の間に流れる。

 美那子は無意識に膝の上に置いた右手の甲に左手の爪を立てていた。自分に痛みを与えていないと本当に理性が焼き切れてぼろを出してしまいそうだった。


 お前に何が分かる、と怒鳴りつけてやりたかった。けれど駄目だ。このタイミングで怒りを露わにするなんて、自分にやましいことがあると自白しているようなものだ。

 桐谷美那子は怒鳴らない。彼女はどんな時でも穏やかで何もかもを微笑みで消してなかったことにする人だ。だから美那子は笑みを浮かべた。


「理由を知って、璃佳子が戻ってきますか?」


 道端は何も言わなかった。

 動物を観察するような冷徹な瞳に自分の作り笑いが映っている。


「あの子が自殺した理由を聞いてあの子が生き返るんだったら、何度だって聞きたいです。それがどれだけ小さな理由でも、ありふれているものであったとしても、あの子がこの世に帰ってくるなら聞きますよ。でもそうじゃないでしょう? あの子だって言いたくないですよ。どうして自分が自分を殺したのか、自分を救えなかった家族に打ち明けるなんて自傷行為みたいじゃないですか」

「自傷行為、ですか」

「ええ。だってわたしも含めてあの子の周りにいた人間全員、あの子の苦しみを理解できなかった。救えなかった。だからあの子は自殺した。そんなわたしたちに自分が死んだ理由を打ち明けてもね。それこそ理解されないって予想できるじゃないですか。理解されないって分かっているのに自分の秘密を打ち明けるなんて、自傷気味っていうか無意味」

「……美那子さんは生産性のない自傷行為には意味がない、とお考えで?」

「はい。というか、自傷行為に生産性なんてもともとないでしょ? わたしだけじゃなくて誰もがそう思っていると思いますよ。口に出さないだけで」

「では璃佳子さんの自殺そのものも無意味であったということになりますね。その理屈で言うなら、自殺は究極の自傷行為であり無意味極まりない行いということになりますので」


 思わず言葉に詰まった。

 違う、あの子の死は無意味なんかじゃないと叫びたかったけれど、それでは今自分が口にした苦し紛れの屁理屈が瓦解することを美那子は知っていた。道端もそれを分かった上で美那子に揺さぶりをかけにきている。


 美那子が動揺していることは分かり切っていただろうに、道端は追及の手を緩めない。


「ちなみに、僕は自傷行為を無意味とは思いません。全ての物事に意味があります。軽いものでも重いものでも、自傷行為にも璃佳子さんの自殺にも、全ての物事には必ず意味があります。しかし、あなたはそれはひとまずどうでもよくて、璃佳子さんが死んだ本当の理由よりも彼女が生み出したであろうパスワードという記号列の方に興味があるということで合っていますか?」

「……おかしいですか?」


 絞り出した小さな声は掠れていて、反論と呼ぶには心許ない。

 それでも道端は何ら変わらぬ声音で言った。


「いえ。価値観は人それぞれですので。ただ、僕に死者との電話を依頼される方は多かれ少なかれ、死んだ人ともう一度だけ話せたら、本当のことを言ってほしいとおっしゃる方が多いので。念のため確認しました」

「……じゃあ、わたしは少数派ですね」

「そのようです」


 それから道端は機械的に死者との電話の説明を始めた。彼の言葉は簡潔で無駄がなく、とても分かりやすいのにそのほとんどがまともに耳に入ってこない。


 死んだ妹ともう一度だけ話せたら、自分は本当は何を望むのだろう。

 道端に追い詰められた美那子の頭はいつの間にか、そんなぼんやりとした疑問で覆われていた。視界がワントーン暗くなった気がする。死者と生者を繋ぐ仲介人の言葉に自分は後ろめたさを煽られたのだと分かった。道端は自分へと辿り着く人間を振るいにかけるのと同じように、最後の最後まで美那子が死者と話すに相応しい人物かどうかを見極めようとしている。


 冷酷な男が誓約書へサインをするよう促してくる。はい、と返事をしながらペンを走らせた。この名前を書き終わる頃には、もう一度あの子と話すチャンスを得ることができる。あの子が拒否をしなければ、道端が約束を反故にしなければ、もう一度彼女と話すことができる。


 その時、自分は一体、何を思うだろう。


「死者へ電話をできるのは一度だけです。今から電話を掛けることもできますし、後日にもできます。どうされますか?」

「……今からでお願いします」


 道端は頷いた。

 財布を取り出す彼を制して、クラブの料金を支払い、彼に続いて都会の喧騒に飲まれていく間も、一つの疑問が美那子の頭を支配していた。


 もう一度だけ話せたら、本当のことを言って欲しい。

 でもそれは、生き残った人間のエゴなんじゃないだろうか?

 死んだ人間は本当のことなんて誰にも知られたくないから死んだのではないのだろうか? それを無理に言わせるなんて、そんな酷いことってあるんだろうか?


 わたしは一体、何がしたくて死んだあの子に電話を掛けようとしているのだろう。


 あんなに手に入れたくてたまらなかった死者との仲介人もパスワードも、全部投げ捨てて逃げ出したくなる衝動に駆られた。けれど、桐谷美那子は逃げ出さない。彼女はどんな困難にも立ち向かい、その手で栄光をつかみ取ったのだから、今更逃げるわけにはいかない。


 そうは思うのに、電話があるというホテルへ向かう道中、鉛のように足が重くなり眩暈し始める。

 逃げるな、逃げるな、と死者からの声に足をとられるような心地に陥りながら、それでも美那子はあの世とこの世を繋ぐ道を歩き続けた。


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