3人目 桐谷美那子 (4)

 「OKです」


というスタッフの声と共に肩の力が抜ける。

 ありがとうございました、と息を切らしながらセッティングされた舞台から駆けおりると美那子はスタジオ端に用意されたパイプ椅子へ腰かけた。背もたれへ身を預け天井を見上げた美那子はふっと息をつく。その際、足を組んだ拍子にミニスカートの隙間から彼女の張りのある太ももが惜しげもなくさらされ、周囲の男性スタッフは生唾を飲み込んだが美那子にはそれを気にする余裕はなかった。


 音楽番組での美那子の出番は終わった。あとは他のアーティストの応援に回るだけだ。美那子ちゃん良かったよ、と何名かが声をかけてくれるがその全てに苦笑いで応じる。今の自分の仕上がりが良いわけないのに誰も美那子の不調に気が付かないのが滑稽で、腹の底から笑いだしたくなった。さすがに今それを実行するのはあまりに狂人じみているので辞めておくけれど。


 ラスト四巡目にして美那子はあの膨大なアンケートに合格した。最後の方は集中力も切れてきて自分が何を回答しているのかも分からなくなり始めていたが、『合格です』の四文字を見た時、心の底からほっとした。


 しかし、死者との電話へ辿り着くための試練は今なお続いていた。

 合格の表示がなされた後、メールアドレスの入力を求められたのだ。一瞬、悪質な詐欺であったらどうしようかと警戒したが、ここまでの労力を考えると入力しないという選択肢は美那子には残されていなかった。


 アドレスを送信するとすぐにメールが返ってきた。差出人は不明になっている。自動送信メールなのだろう。開封すると本文も件名もなしにURLだけが貼りつけられていた。ごくりと唾を呑み込んでからタップすると簡素な指示文と『ボタン』と書かれたコマンドが用意されたページが開かれる。


『合格された方へ。死者と話したい気持ちをタップ数で示してください。制限時間は七十二時間です』


 意味が分からず、一瞬硬直した。が、すぐに気を取り直して指先を動かす。

 試しに『ボタン』コマンドを押してみるとカウンターが起動し、『1』と表示される。そのすぐ下に赤字で『不合格』と付け加えられた。もう一度『ボタン』を押してみるとカウンターは『2』に増えたが『不合格』の文字は変わらない。


 恐らく七十二時間以内に『ボタン』を一定回数タップしなければ不合格になり、二度とアクセスできなくなるのだろう。美那子はすぐさまタップを開始した。かなりの回数タップしたと思ってもまだ千回にも満たなかったり、指や二の腕の筋肉が痛くなるほど押しても『不合格』の表記が変わらなかったり、心が折れそうになる要素は幾重にも重ねられていた。

 何より、どれだけタップしても変化するのはカウンターの数字だけで他が何も変わらないというのが苦痛だ。

 これが何かのゲームなら、タップするたびに植物が成長するとか、何か演出が巻き起こるとかこちらのモチベーションを保つための工夫が施されているものだ。しかし、このサイトの目的は挑戦者のモチベーションを保つことではない。逆だ。アンケートにしてもタップにしても、挑戦者のモチベーションを下げるためのシステムが組まれている。


 作成者の意図は容易に読み取れた。

 死者との電話の仲介人は、死者との電話を望む人間を振るいにかけている。半端な覚悟の人間は切り捨てられるよう、金や権力では代替不可能な労力を割くことができる人間のみを拾い上げられるよう工夫している。


 随分良い性格をしているじゃないか。

 確かにこういった仕組みを作れば、軽い気持ちの人間や労力を惜しむ人間は切り捨てることができる。アンケートの時点で大半の人間を不合格にし、タップ回数でさらに絞る。

 生者の覚悟が試されているのだと美那子は思った。

 覚悟ならとうにできている。あの子の死体を見つけたあの時から、自分の生活、命全てを投げ捨てるだけの腹は括ってきたつもりだ。美那子は必死に『ボタン』をタップし続けた。


 全ての連絡を無視し、自室にこもってタップを重ね、カウンターが百万回になった時、ようやく『合格』の文字が現れた。その頃には精魂尽き果て、液晶画面を押しまくるロボットになったような気持ちでソファに寝転んでいた美那子は『合格』の文字に思わず飛び上がる。


 携帯電話が震えた。

 またメールが届いている。疲労のためにふるふると揺れる指で開封するとまたURLが貼りつけられていた。迷わずアクセスすると今度は


『正しい文章を入力してください。回答可能回数は一度のみです』


という指示文と共に暗号にしか見えない文章が四行並んでいる。文章というか、古代文字といった方が正しいような訳の分からないものだった。強いてこの世に存在する文字にして表すと次のようになる。


『カモソ GUグソ5

 Cムカナ ソロU Rモムワ

 ナカ15 5モカナモカCモ?

 山カソ Cムカナ? CムU5モ ソロU ムRモ Jムアムカモ5モ』


 さっぱり分からない。カタカナに漢字、数字、それからアルファベットと思しき記号が組み合わさっているようだが、これをそのまま入力したところで『正しい文章』とは言えない気がする。あてずっぽうに打ち込もうにも回答可能回数は一度きり。ここで間違えたら、死者との電話ができる可能性は間違いなくなくなってしまう。


 美那子は考えた。考えすぎて謎の暗号文に追いかけられる夢まで見る始末であったが、それでも良いアイデアは浮かばない。試しに無理やり文字や記号を当てはめた文章をネットで検索してみるが答えは見つからなかった。気づけば日ばかりが過ぎ、音楽番組の収録日を迎え今に至る。


 歌っている最中も気が気でなく、パフォーマンスに全く集中できなかった。しかし、周りのスタッフには美那子の散漫な集中力は見抜かれなかったようでよかったよ、と誉め言葉ばかりが注がれる。人間、どれだけ内面が荒れていようと意外と気が付かれないものだ。表側だけ取り繕えていれば大概のことは問題ないと判定される。今の美那子がそうだ。


 パイプ椅子の背もたれに体を預けたまま、携帯電話を顔の前に持ってくる。腕を持ち上げた拍子に、スパンコールが所狭しと縫い付けられた衣装のざらりとした感触が肌に刺さって痛かった。季節外れのチューブトップにミニスカートといった衣装は寒かったが、見えないところにたくさんカイロを貼っているのと、スタジオの空調がよく効いているおかげでそれほど寒さは感じない。


 謎の暗号文が記された画面をぼうっと見ていると、後ろから声を掛けられた。


「美那子、久しぶり~」


 振り返ると美那子の前に歌を披露していた歌手が手を振っていた。互いに碌に挨拶もなく本番を済ませてしまったため、彼女の顔には若干の気まずさが漂っている。

 美那子は久しぶり、と応えてから


「ごめんね、リハだけやってあんまり喋る暇もなく本番になっちゃって」


と口先だけの謝罪をする。

 すると人の良さそうな女性歌手は全然、と首を振り、


「妹さんが亡くなった後で大変だろうに、よくやってるってみんな言ってるよ。少しくらい休んでもいいんじゃない?」


と労いの言葉を口にした。


「もう十分休んだから。ありがとう」


 無理やり頬を上げると彼女も微笑みをくれた。

 どうやら自分はきちんと取り繕えているらしい。ここでぼろを出すわけにはいかないと表情に気を遣ったせいか、手元が疎かになった。その拍子にポニーテールで髪を括った彼女にあれ? と美那子が手にした携帯電話の画面を覗き込まれてしまった。慌てて隠そうにももう遅い。怪しげな文字が羅列されたページを閲覧していたことについて、なんと言い訳をしようかと焦ったが彼女はにっこりと笑っただけだった。


「懐かしいなあ、それ。大学の授業でやったよ」

「え?」


 思わず素っ頓狂な声を上げる美那子に、彼女はこれと画面を指さす。


「昔ね、なんかの授業でやったの。日本人には読めないって有名なやつで、英語読みするとちゃんとした文章になるんだよ」

「英語……?」


 言われてみてはたと気が付く。

 英語で、ということさえ意識すればそれまで意味不明なカタカタと数字、記号の羅列にしか見えなかった文章も意味の整った三つの英文に見え始めた。


『HEY GUYS

 CAN'T YOU READ

 THIS SENTENSE?

 WHY CAN'T? CAUSE YOU ARE JAPANESE』


 美那子は声に出して何度もそれを読み上げた。それから慎重に英文を回答フォームへ入力していく。震える指で送信ボタンを押した瞬間、自動送信メールがきた。開封すると今度は件名に『合格です』と書かれ、本文には『こちらからご連絡ください』という短いメッセージと共にURLが貼りつけられている。


 URLへジャンプすると、


『亡くなられた方ともう一度お話ししたい方。ご依頼承ります。

 ただし、死因は自死に限ります。

TEL. ×××× - ×× - ××××』


と簡素な文が添えられた電話番号が現れた。


 美那子は歓喜に思わず「……やった!」と小さな悲鳴を漏らし、パイプ椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がるとポニーテールの天使を思い切り抱き締めた。

 

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