3人目 桐谷美那子 (3)

 それから瞬く間に日は過ぎた。


「本っ当に腹立つ。何なのこのサイトッ!」


 自室で叫んだ美那子は握りしめた携帯電話を放り出したい気分に駆られていた。が、そんなことをすれば後悔するのは自分だと思い直して振り上げた腕を力なく降ろす。ソファに凭れ掛かりうなだれた美那子は腹立たしさに奥歯を噛み締めた。


 あれから数週間、死者と生者を繋ぐ仲介人へと辿り着くための道は難航している。『自死により亡くなられた方と話したい方向けのアンケート』とやらは信じられないほど長くて、回答を一巡するだけで五時間かかった。しかも、その質問内容のほとんどが死者と話すためのモチベーションを揺さぶってくるような、こちらの意欲を下げるような質問ばかりなのだ。


 例えば一問目。

『あなたがお話ししたい人物が自死により亡くなられたことについて、あなた自身に一定の責任があると感じていますか?

1.感じている

2.どちらともいえない

3.感じていない』


感じていると回答した場合の二問目。

『責任を感じているにも関わらず死者と話したいと願うことについて、あまりに虫の良い話だと思いませんか?

1.思う

2.どちらともいえない

3.思わない』


 質問の性格が悪すぎるだろ、と心の中で悪態をつく。

 回答をしていけばいくほど、死者と話したいなどという己の思いは誤りなのではないかと思わされていく。恐らくこれは試験なのだろう。本当に死者と話したい人間だけが仲介人へと辿り着けるようにするためのトラップ。


 そうかと思うと質問の中には『日本における自死原因の第一位は何か』『下記の例の中で自死に当てはまるものを一つ選んで答えなさい』といった、知識や一般教養を問うてくるものまであった。中でも美那子の目を引いたのは、『芸能人やスポーツ選手など、知名度の高い人物の自死が報道されることによって、人々の自死率が高まる現象を何と言いますか?』という問題だ。正解は、ウェルテル効果らしい。美那子はその現象の名前を知らなかったため、この質問への回答を誤った。


 五時間かけて回答を一巡した後、美那子の液晶画面にはこんな文字が表示された。


『不合格です。全三百問中二百十五問正解でした。最初からやり直してください。あと三回挑戦できます。三回間違えた場合、二度とこのサイトへはアクセスできなくなります』


 盛大な舌打ちをしただけで携帯電話を叩き割らずに怒りの情動を抑えた自分を褒めてやりたい。

 五時間かけて三百の問題を解いた挙句、不合格。二百十五問正解で不合格なら一体何問正解なら合格と判定されるのか。そもそも合格したらどうなるというのか。

 もう辞めようか、という考えが一瞬よぎったがすぐに思い直した。諦めるにはまだ早い。物は試しだ。パスワードを解き明かす手段が目の前に転がっているかもしれないのにみすみす逃す手はないだろう。


 二回目の挑戦をする前に美那子は考えた。

 単純な知識問題には正答がある。ならば、二巡目は問題文と回答をメモをして臨んだほうがいいだろう。正答を調べた上で三巡目に挑めばどうにかなる。

 ただ、難しいのは絶対的正解のない曖昧な、こちらのモチベーションを問うような問題だ。自死をした者への責任を感じるかどうか、という質問の正解はなんだ? こちらの倫理観を問うているというのであれば、倫理的に正しいとされる答えを入力すればいいはずだ。一巡目もできるだけ一般的な常識に即した回答をするように気を付けた。その結果、二百十五問が正解。

 知識問題だけでなく、その他の問題も全てメモし自分の回答も記録をした方がいい。その方がどこで何を間違えたかの分析を確実に行うことができる。かなり手間はかかるがなりふり構っていられない。


 よし、もう一度と二巡目の回答へ挑戦しようとしたところで、携帯電話が震えた。SNSにメッセージが届いている。確認すると鈴木からだった。内容は見るまでもなく新曲の催促だろう。殊勝な振りをしてこちらから取り立てるべきものはきっちり取り立てる男だ。美那子はSNSの通知を閉じた。


 今は新曲よりもこのサイトを攻略することが先決だ。やるべきことを疎かにした挙句、下手なものを提出して桐谷美那子の名に傷をつけたくはない。

 それでもし、仕事を一つ落としてしまったとしても美那子のキャリアから考えればそんなことは些細なことだ。妹の死がショックで仕事に打ち込めなかったとかなんとか、理由をつければ問題ない。単なるさぼりによるボイコットは身内の死によって一瞬で麗しき悲劇へ変わる。

 現に今だって、本来のスケジュールであれば仕事が山のように詰め込まれている頃だ。それを妹の訃報をきっかけにすべてキャンセルした。それでも美那子を責める報道は一つも流れていない。おかげで涙の一つも零すことなく、自室のソファに寝そべってサイトの攻略に明け暮れることができている。


 結局自分の代わりなどいくらでもいるのだ、と美那子は思う。

 自分が曲を仕上げることができなければ、代わりに別の有名アーティストが曲を仕上げるだけの話だ。


 このままずっと新曲をリリースできなければ一世を風靡した桐谷美那子といえど芸能界の波に揉まれて消えていく。次もいいものを頼むよ、なんて期待する側は勝手に期待してこちらがそれに応えられなければさもがっかりした振りをして非難を飛ばす。そうして一人ずつ潰れていく。そういう人をたくさん見てきた。


 都合の良い人間になったら終わりだ。

 相手に振り回されて自分のペースが守れなくなった人間からこの世界から消えていく。そうして消えていった人間は過去の古びたコンテンツみたく今頃なにしてるんだろうね、なんて時折思い出されては忘却の彼方へ霧散する。


 早くしなければ。

 今の美那子にとっては死んだあの子が残したストレージファイルのパスワードを開けることこそが、生き延びるための最重要課題であった。

 あそこにわたしの全てが詰まっている。あれがなければ桐谷美那子は桐谷美那子たり得ない。


 美那子はもう一度、膨大な質問が設定されたURLへと飛び込み、片手でメモを取りながら回答へ臨んだ。


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