3人目 桐谷美那子 (2)
室内に流れた沈黙を破ったのは鈴木だった。
「こんな時に言いづらいんだけど、新曲の催促が来てるんだ。その、進捗はどうなってる?」
美那子の口から舌打ちが漏れる。鈴木は罰が悪そうに視線を逸らした。
新曲というのは来年からスタートするドラマの主題歌のことだ。ドラマの内容やコンセプトなどは既に事細かに聞いている。それと同じくらい、早く曲のデモをくれという要求も聞いているが。
「もう少し待ってって言ってるでしょ。夏から始まるならまだ時間はあるはずじゃない。何を焦ってんだか」
「主題歌に合わせたオープニングの作成とか、向こうにも色々都合があるんだよ。いつもの君ならとっくに納品してる頃だし、さすがに待つにしても限度が」
「ならわたしも言わせてもらうけど、パスワードは分かったの? 業者に頼むって言ってた割には何の音沙汰もないけど」
鈴木は返す言葉を失い、再び口ごもる。
美那子が言っているのは、死んだ妹が残したオンラインストレージファイルへアクセスするためのパスワードのことだ。妹が死んですぐ、彼女のファイルへアクセスしようとしたがパスワードが分からず弾かれてしまい困っていた。それを鈴木に相談すると業者に頼んでみると言ってくれたものの、かれこれ数日が経過している。
鈴木は俯きぼそぼそ言い訳を並べ立てる。
「有料ファイルならともかく、璃佳子さんが使っていたストレージファイルは無料だし、亡くなったとはいえ妹さんの個人情報を盗み見るのはよくないんじゃないかって業者の人には言われたよ。俺もそうだなと思ったからそれ以上は進めてないんだ」
瞬間、美那子の眉が吊り上がる。
「あなたはわたしとの約束を守ってくれなかったって訳ね。じゃあわたしにだってあなたとの約束を守る義理はないわよね」
鈴木は何か釈明らしきものを言っていたが美那子は聞く耳を持たなかった。
腹立たしさと共に席を立ち、荷物をまとめて楽屋を出る。今日の仕事はもう終わった。いつまでもこんな場所にいる必要はないだろう。
サングラスをかけ帽子を目深に被って外へ出た。
あっという間に雑踏に飲み込まれてしまえば、美那子に気が付く者は一人もいない。カツカツと硬いヒールの音を鳴らしながらアスファルトの上を闊歩する。スクランブル交差点へ行きあたり、赤信号で足を止めた。ふと空を見上げると高層ビルの側面に張り付いた大型のLEDビジョンが視界に映る。
璃佳子の訃報と共に、美那子が歌唱する映像が流れていた。死んだ妹の紹介には生前発売した生産数の少ないCDジャケットの写真が使われている。一方、美那子の紹介にはミリオンセラーに輝いたミュージックビデオや数カ月前に発表された新曲のプロモーションビデオの映像が使われていた。
静止画のまま動かない妹と、輝かしい背景と共に動き回る姉。
死と共に凍り付いた璃佳子と、未だ延命を続ける美那子。
モニターの中にあっても、二人の差は歴然としている。
これが現実だ。
どれだけ努力を重ねても結局、妹は一度もテレビに映ることなく死んだ。一方、美那子はたまたま起用されたドラマの主題歌をきかっけに火が付き、瞬く間に時の人となり今もテレビの中の人間として活躍している。
優れた才能が芽吹いた跡には数多の塵がそこら中へ散らばって霧散する。妹もその一人だったというだけだ。才能がある者だけが生き残り、そうでない者は淘汰されていく。あるいは、才能があったとしても自ら可能性の芽を摘み取ってしまうことも。
妹には才能がなかったのだと思う。
だから彼女は死ぬしかなかった。誰にも求められない歌手と誰からも求められる歌手のどちらか一人の命を選べと言われたら、きっと誰しもが後者の命を選ぶだろう。妹は選ばれなかった。だから死んだ。美那子はあの日以来、そう思うことにしている。
にしても、と美那子の脳裏に残されたストレージファイルがよぎる。
あれをなんとかしなければ。あそこには今の美那子にとって重要なものが入っている。美那子の今後にはあのファイルの中身が必要不可欠だ。
なんとかしてパスワードを解き明かさなければ。
耳にイヤホンを突き刺し、周囲の音を遮断してから美那子は思考を巡らせる。
交差点の赤信号が青になるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
鈴木の余計な人情のせいでパスワードを開ける方法の一つは断たれてしまった。美那子から改めて業者へ依頼してもいいのだが、下手に顔が割れているだけに死んだ妹のストレージファイルを桐谷美那子が漁っていたと噂が流れても困る。死人に口なしとはよく言ったものであるが、今の美那子にとっては死人の口を割り開いてパスワードを吐かせ、生者の口をホチキス留めしてしまった方が都合がいい。
そこまで考えてはた、と思いつく。
そういえば以前、SNSで奇妙な噂を見かけた。なんでも自殺した死者と話す方法があるらしい。ただ、死者と生者を繋ぐ仲介人へ辿り着くまでにはかなり面倒な手続きを踏まねばならず、誰しもがその仲介人へ辿り着けるわけではないとのことだ。詳しい方法も秘匿されているせいか、出てこない。
美那子はネイルが施された指先でコツコツと携帯電話の液晶画面へ触れた。確か、噂では自死遺族の支援ページに仲介人へと繋がるヒントがあると聞いた。
ブラウザを何度か行ったり来たりしていると行政の自治体なのか、ボランティア団体のものなのかよく分からないページへ行きついた。遺族への慰めと思われる定型文が並ぶ中、ページ下部に妙な余白がある。違和感を覚えて余白へ触れると新しくブラウザが開かれた。いかがわしい有害なサイトへ飛ばされてしまったのだろうか、と慌てたがそうではない。
『自死によって亡くなられた方と話したい方向けのアンケート』
ページの中央には簡素な字体でそう表記されていた。
ページをスクロールしてみると、見ただけでうんざりするほどの量の質問が設定されている。最後に金でも要求されるのだろうと思い、ハズレだなとページを閉じようとしたがふと思い留まる。
もし、このページの先に死者と生者を繋ぐ仲介人がいるとしたらどうだろう。本当に死者と話しをする方法があるのだとしたら?
死んだあの子と話すことができるのなら、パスワードを聞くことなど容易なのではないか? 死人の口を文字通りこじ開けることができるのなら、今自分が抱えている問題は全てクリアされる。
信号が変わった。青い光が点灯したのを合図に人々が一斉に歩き出す。美那子はアンケートが表示されたページをそのままに携帯電話をポケットへしまった。
雑踏に紛れ横断歩道を渡りながら、彼女は賭けに出ることを決めた。
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