2人目 土井天馬 (14)
辿り着いた高級ホテルに委縮しながら天馬は道端の後を追いかける。慇懃なもてなしをしてくれるスタッフに恐縮する自分とは違い、道端はこういった場所には慣れているのか堂々とした佇まいでエレベーターへと乗り込む。
天馬は上層階で止まったエレベーターから吐き出されるようにおぼつかない足取りで道端に続いた。彼は迷うことなくある一室の前で止まり、カードキーで解錠すると入室する。お邪魔しますと小声で呟きながら入った直後、洗練された部屋の内装に舌を巻いた。
「どうぞ」
細かな装飾が施された壁紙をみて呆けていると道端からベッド脇に置かれた椅子をすすめられた。彼と向かい合わせの席へ座ると、早速死者の情報を紙へ記入するよう求められる。氏名、生年月日までスムーズに書き終えるものの、性別の欄になるとまだ躊躇してしまう。が、忍と電話をするため必要な手順なのだからと自分に言い聞かせさっと勢いに任せ書ききった。
道端は天馬から受け取った死者の情報を確認すると
「五百円分と千円分、テレフォンカードはどちらに?」
「千円で」
間髪入れずにそういうと道端は千円札一枚と引き換えにテレフォンカードを差し出した。テーブルに置かれた公衆電話は、天馬が知っているそれより随分小ぶりだ。それに色も緑でなく桃色。道端がいうには特殊簡易公衆電話というらしい。使い方を知っているかと尋ねられるため首を振ると道端が丁寧に教えてくれた。なるほど、ここにカードを差し込めばよいのか、と納得すると早速カードを挿入するよう指示される。
薄っぺらいざらついた感触のカードはあっさりと差込口へと吸い込まれていった。電話の右上に105と赤い数字が表示される。道端は天馬が書いた死者情報を数値化したものをもとにダイヤルを回していく。暗号表というものを使うのだ、と言っていたが彼はその暗号表とやらは確認することなく、死者の情報を数値化していた。表ごと暗記しているのかもしれないと思い、天馬はこっそり感心する。
ダイヤルを回し終えた道端は受話器を手にししばし動きを止めた。プルルルルと呼び出し音が受話器と彼の耳の隙間から漏れている。果たして繋がるのだろうか、繋がった先にいるのは忍なのだろうかとそわそわと落ち着かず、膝の上で拳を握ったり開いたりしてしまう。すると、
「管理者の道端です。三上忍さんですか?」
と道端が口を開いた。
彼は数秒の沈黙の後、怪訝そうな顔をするとメモ帳を引き寄せペンを持った。
「すみません、もう一度お願いします。三上忍さんですか?」
道端は何やらメモ帳へ数字を走り書きした。それを見ながら一つ頷くと
「土井天馬さんがあなたと話したいとおっしゃっていますが、お繋ぎしてもいいでしょうか?」
と尋ねる。途端に彼はまた数字の羅列を書き、ぶつぶつ独り言を呟くと天馬へ受話器を差し出した。
「三上忍さんです。どうぞ」
淡々と言ってのける彼に天馬はやや面食らう。
「本当に忍なんですか?」
「はい。ただ少し特殊なコミュニケーション方法をとってきています。もしやりとりに僕の助けが必要でしたらおっしゃってください」
受話器を受け取るものの、道端の言っていることが理解できない。訳も分からず言われるがまま受話器を耳に押し当てた。
「も、もしもし? 忍なのか?」
無音だ。
何の音も聞こえない。喋らないという点では忍らしくも思えるが、喋らないなんて誰にでもできるし、喋ったとしても天馬はあの子の声を聞いたことがないため本人なのかどうか分からない。
どうしたらいいのだろう。硬直状態が数秒続いた。
すると、コツコツと固い音がした。部屋の窓に小石でもぶつけられているのか? と一瞬思ったが違う。音は耳元から聞こえている。忍が何か電話の向こうでしているのだろうか。
弱った天馬は道端へ視線を向けた。随分情けない顔をしていたためか、彼はすぐにテーブルの上に身を乗り出し
「通話口を叩く音の回数を数えて僕に教えてください」
と早口に告げる。
叩く音? と首を捻りかけたが、この耳元で鳴るコツコツという音かと察しがついた。天馬は
「ごめん、もう一回聞くからな。本当に忍なのか?」
と電話口の相手へ尋ねた。すると、再び音がした。天馬は聞き耳を立ててコツコツという音を数える。音は時折途切れながら続いた。
「1、3……3?」
「1303ですね。3の前に間があったということは0のカウントでいいでしょう」
道端はそう言うと1303という数字の後に『うん』と書き加えた。
「『うん』だそうです」
「忍がそう言ったんですか?」
「他に誰がいるんですか?」
どういう仕組みで道端がタップ音を解読しているかはわからないが、ともかく電話の相手は『うん』と言っているらしい。本当に電話の相手は忍なのだろうか。本人かどうか、あと一押し確証がほしい。
「その、忍なら覚えてるよな? 俺が浅葱中学校から転勤する時、終業式でクロスワード、渡してくれただろ? あれに書いてあった三文字の言葉が何か、分かるか?」
心拍がわずかに早まる。
終業式のあの日、忍が自分にプレゼントしてくれたクロスワードの答えは天馬と忍しか知らない。
また通話口を叩く音がした。
「7、1、4、1、5、4」
すかさず道端がメモを取る。数字の後には『またね』の三文字が記された。
天馬はぎゅっと息をつめる。
間違いない。この電話の向こうにいるのは忍だ。
「……ありがとう、答えてくれて。先生と電話するの、嫌じゃないか?」
コツコツ音がする。数字を言うと道端が『いやじゃない』と書き足す。
そうか、と呟いてから、天馬は空いた手で自身の額を触った。緊張のせいか、少し汗が滲んでいる。自分は今間違いなく死んだ三上忍と会話をしているのだ、と思うと嬉しくて悲しくてどうしようもない気持ちになった。
「電話ができたってことは、お前はやっぱり、自殺したってことなんだよな」
電話の向こうから応答はない。
しかし、沈黙は何よりの肯定を表しているように思われた。
やはり事故死などではなかったのだ。
鉄柵の老朽化ではなく、三上忍は自分から時計台の上から飛び降りて死んだ。
母親からの愛情に飢えた彼は女性になることを望み、天馬に背中を押されるようにそれを実行した。そして拒否された。母親からの死ねというたった二文字が彼を死に追いやってしまった。
「ごめん、ごめんな……先生、お前に何にもしてやれなくて」
悔しさと情けなさで涙が滲んでくる。
斎藤に言われたことが正しかったのだ。自分は救世主になったつもりでいた。ミシェルの喫煙を止めることに成功し、礼央奈をうまく宥めることができた自分は、今度は忍の問題も解決できると心のどこかで思っていた。話せば分かり合えると、どんな秘密も問題も打ち明けて貰えさえすればどうにかなると勘違いしていた。
そんなわけがあるものか。
世の中はどうにもならないことで溢れている。救いを求めて手を伸ばした先に、振り払われた手の置き場のなさに絶望して死を選ぶ人は大勢いる。天馬は知らず知らずのうちに、忍に手を伸ばすよう進言してしまった。手を伸ばせばどんなものでも手に入ると無責任な楽観視を押し付け、彼に母親を追い求めるきっかけを与えてしまった。
人と人が心を通わせるためには手を伸ばす者の勇気だけでなく、手を伸ばされた者の慈愛が必要だ。忍の母親には息子に対する慈愛がなかった。忍だけが勇気をもって母親へ歩み寄ったとしてもどうしようもないのに、天馬はそれが分かっていなかった。
天馬と出会わなければ、忍が女の子になりたいという願望を表に出すことも、母親の愛情を求めて電話をかけることもなかったかもしれない。失敗した時のフォローもできない癖に、やりたいようにやれなんてどうしようもないほど無責任だ。
「ごめん、ごめんな、忍……。ごめんな……」
泣きじゃくる天馬の耳元にコツコツ、と控えめな音がする。その音にはっと我に返り、嗚咽交じりに数字を口走る。今回の忍からの応答は随分長く、タップ音を数えている間に嗚咽が少しずつ落ち着いてくるほどだった。
道端はどれだけ数列が長く続いても文句の一つも言わず、ひたすら天馬から伝えられる打音数を書き取り続ける。
数行に渡る打音数をメモし終える頃には、テレフォンカードの残り時間は随分減っていた。道端は顎に手を当て、難しそうな表情をして数字の解読をしている。やがて彼はメモから天馬へと視線を移すと口を開いた。
「『先生に会えてよかった。お母さんは残念だったけど仕方がない。お母さんは愛してくれなかったけど先生が代わりに愛してくれた。僕を受け入れてくれてありがとう。最後に先生の声が聞けてよかった。ちゃんとお話しできなくてごめんなさい。生まれ変わったらまた先生の生徒になりたい。今度は女の子でも男の子でもどっちでもいいから』……だそうです」
道端の言葉に天馬は再び嗚咽を漏らし何度も頷く。返事をしなければと思うのに喉が引き攣ってうまく声が出ない。
「俺も、忍に会えてよかった。お前が生まれ変わってくるまでずっとずっと、先生でいるからな」
コツコツと音がした後、プープーと電話が途絶えた。
忍の最後の言葉は道端に尋ねずとも分かった。
714154。
叶うなら俺も、もう一度生まれ変わった君に会いたい。
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