2人目 土井天馬 (12)

 電話に出たのは斎藤だった。

 斎藤は電話の相手が天馬だと分かるなり、忌々し気に舌打ちをする。


「あの、忍が亡くなったと伺ったんですが、本当なんでしょうか?」

「誰から聞いたんです? 生徒にも教員にも緘口令を敷いたんですがね」


 ミシェルから聞いたとはとてもじゃないが言えない。天馬が黙り込んでいると斎藤はため息をついた。


「まあ、ちょうど土井先生に伝えたいこともあったのでこの際いいでしょう。遅かれ早かれマスコミにも知れ渡ることですから」


 斎藤の話では時計台の柵が壊れており、いつものように忍は時計台の頂上へ登り鉄柵に体重を預けたところで柵が崩れて落下した。

 即死だった。


 天馬は言葉が出てこず、唾を飲み込んだ。


「事故死だったということですか?」

「ええ、そうです」

「その、自殺の可能性、は……?」

「あなたがそれを聞くんですか?」


 斎藤は険の強い物言いをした。先ほどから妙に天馬への当たりがきつい気がする。斎藤にはもともとあまり好かれていなかったためかと思っていたが、他にも理由がありそうだ。


「いえ、ただ忍は嫌なことがあると時計台へ登る傾向があったので、その日も何かトラブルがあったのかと」

「ありましたよ。その日だけじゃない。あなたと千種先生がいなくなって以来、あの子はとんだトラブルメーカーになってしまったんですよ。おかげでわたしがどれだけ苦労したか、分かりますか?」

「どういうことでしょうか?」

「あの子は三年生になってからずっとセーラー服で登下校するようになってしまったんです。男子生徒の癖に頭がおかしくなったとしか思えない」

 

 斎藤の話では三年生になった一学期から、忍は礼央奈と同じセーラー服を着て登下校をするようになったそうだ。学校内では奇異な存在となり生徒たちから白い眼を向けられていた。そのうち忍へ嫌がらせをする生徒が現れた。靴箱へ『オカマ』と書かれた手紙が入れられるようになったり、忍の体操着が泥まみれにされたりするようになった。忍はそれでも顔色一つ変えず、セーラー服を着続けた。

 斎藤はこのままでは忍へのいじめが激化すると危惧し、忍を説得した。そんな恰好をするのはおかしい、女の子の恰好をしたいなら学校を卒業した後にしたらいい。しかし忍は斎藤には何の反応も示さなかった。斎藤は施設職員とも連携を取り、彼が学生服を着て登校できるよう裏から手を回そうとした。施設職員の話では、三年生になる直前、忍は母親と連絡をとりたがるようになりそれからセーラー服を着るようになったという。


 忍が時計台から落ちたのはその矢先のことだった。


「忍くんの変化にはお母さんが関わっているのかもしれませんが、わたしはね、土井先生。あなたから悪影響を受けたんじゃないかと思っているんですよ。自分のしたいように生きろとかなんとか、無責任なことでも言ったんじゃないですか? 随分、親しくしていたようじゃないですか」

「俺が、ですか?」

「忍くんの死はともかく、彼がセーラー服を着始めたことにはあなたが関わっているんじゃないかとわたしは疑ってるんです。なにせ、死んだ彼のポケットにあなたの名前が書かれた紙が入っていましたからね」

「どういうことですか?」

「なんでしたっけ、彼がよくやってた……クロスワードっていうんですか? 施設の職員もあなたへ送ってほしいと言っているので今度郵送しますけども。はあ、全くとんでもないことになりましたよ。こういうことになるのが嫌だから、あなたには最初から釘を刺したじゃないですか。弱気にならず責任を持って生徒と接してくれと。土井先生、あなたには分からないかもしれませんが、学校っていうのは生徒が自由にのびのびと生活する場所じゃないんですよ。生徒がみんな、自分の心のままに生活をしたらどうなると思います? 崩壊ですよ、秩序の崩壊。学校はね、生徒たちに秩序を守ることを覚えさせる場所なんです。そういう意味ではあなたの教育は失敗に終わったんだ。今後はもう少し、慎重に指導にあたってくださいよ」

「そんな、俺はそんなつもりは……。ただ、俺と関わった生徒たちが少しでも幸せに生きていけるようにと」

「土井先生、そういうのなんていうか知ってます? 救済者願望っていうんですよ。なんにもできない癖に救済者にでもなった気になって人々を救いたいと願う凡人の勘違い。生徒を救うなんてことはね、教員にはできないんですよ。最低限の躾だけしてはい、終わり。分をわきまえるということを覚えてください」


 それじゃ、と言う声と共に電話は切られた。

 天馬は手の中の携帯電話を茫然と見つめていた。


 忍が死んだ。

 死んだ時も彼はセーラー服を着ていたのだろうか。

 以前、母親に会いたいという彼にどうやったら母親に会えるのかと尋ねた時、忍は『女の子になる』と言っていた。母親に会うことと自分が女の子になることと、一体何の関係があるのか。

 天馬はいてもたってもいられなくなり、忍が入所していた児童養護施設へと電話をかけた。突然の連絡に先方は驚いていたものの、相手が天馬だと分かると警戒を緩めてくれた。


 天馬は今年に入って忍が母親と連絡をとりたがっていた件について尋ねた。施設の職員は重々しい口調で亡くなる前の忍の近況について教えてくれた。


「もともと主張の少ない子だったので珍しいなとは思ったんですが、今年に入ってからどうしてもお母さんと話したいって筆談で訴えてくるようになって。セーラー服のことも妙に頑固で言うことを聞かなくて」

「忍が亡くなる前後で何か変わったことはありませんでしたか?」

「その、他の方には言わないで欲しいのですが……。忍くん、亡くなる前日の夜にお母さんと電話をしたんです。でも、本人は相変わらず一言も話さなくて、どういう内容で電話が終わったのかは分からないですけど」

「お母さんの連絡先を教えてもらうことはできますか?」


 施設職員は個人情報であるからと躊躇ったが、施設まで天馬が足を運び、忍の母親が天馬と話すことに応じてくれるならば電話を繋げることはできると言ってくれた。天馬は間髪入れず承諾し、翌日には施設へ向かった。


 忍がなぜセーラー服を着るようになったのか、本当に彼は事故で死んだのか、斎藤が言っていた天馬が彼に悪影響を与えたというのはどういうことなのか。

 一つ一つの情報が頭の中を錯綜してまとまらない。家に閉じこもって考え込むのは自分の性には合わなかった。


 施設へやってきた天馬は面会室へ通された。そこで職員は固定電話から忍の母親へ電話をし、天馬が話したがっているという旨を伝えてくれた。忍の母親は意外にもあっさり天馬との通話を承諾した。受話器を受け取った天馬は、早口に自己紹介をする。


「もしもし、昨年忍くんの担任を務めていた土井と申します。忍くんのことでちょっと伺いたいことがありまして」

「はい、何ですか?」


 気力の感じられない、ぼそぼそとした女性の声だ。


「忍くんが亡くなる前日、お母様とお話をしたと伺ったのですが、その時忍くんに何か変わった様子はありませんでしたか?」

「別に。というかあいつ、一言も話さなかったので」


 自分の子をあいつ呼ばわりする忍の母に、無意識に頬がぴくりと痙攣した。


「忍くんはお母様とお話しをされなかったんですか?」

「まあわたしがあいつが何か言うたびに喋るなって言ってたんで」

「……それは、いつ頃から?」

「生まれた時からですね。すぐ泣いてうるさかったので」


 あまりにも無慈悲な言い草に受話器を握る手に力がこもる。天馬は感情を抑え込みながら辛抱強く尋ね続けた。


「育児は大変と聞きますもんね。お母様も苦労されたんでしょうね」

「本当ですよ。あんなの別に欲しくなかったのに」

「望んだ出産ではなかったんですか?」

「そうですね、子どもは欲しかったけど父親にバックれられたし、それに男の子だったから」

「というと?」

「女の子が欲しかったんですよね。でもお腹にいるって分かった時にはもうおろせなくて、ワンチャン女の子に生まれ変わってくれないかなって思ったんだけど駄目でしたね」


 受話器を持つ手がぶるぶると震える。抑え込んだ感情が今にも喉から溢れてきそうで天馬は震える自分の手をもう片方の手で握り締めた。


「それで、忍くんとは電話で何かやりとりをしましたか?」

「何にも。ていうか、自分からかけてきた癖に何にも言わないから意味わかんなかったですよ。イライラしてうざいなと思ったから死ねって言っときましたけど」


 それを聞いた瞬間、天馬はばん、と乱暴に電話を切っていた。そうしなければ忍の母親へ暴言を吐いてしまいそうだった。

 激しい運動をした後のように息が切れ、体中が怒りに燃えている。


 忍が女の子になりたかったのは、彼が性同一性障がいだったからではない。

 母親から愛されたかったからだ。女の子になれば母親が自分を愛してくれるかもしれないと思ったのだ。誰とも口を利かなかったのは母親から喋るなと言われていたからだ。


 彼は彼のまま、生まれたままの姿でよかったのに、と今となっては取り返しのつかないことを思わずにはいられなかった。


 人は生まれると同時に色んな服を着せられる。容姿、家庭、知性、神経的特徴、ありとあらゆるものを着こんでこの世に生を受ける。忍は忍のまま、着のみ着のままでよかったのに、母親から愛されないという強烈な苦悩を抱えたために自分が着ていたたくさんの服を引きちぎって同級生の服を盗み、女性になることを望んだ。

 天馬の脳裏に斎藤から言われた言葉が蘇る。お前が何か忍に余計なことを言ったのではないか、心のまま生きろと無責任なことを言ったのではないか。


 天馬は忍と時計台で交わした短いやりとりを思い出した。


「他の人がなんていうかは知らないけど、先生は忍の味方でいたいと思ってる。忍は忍のしたいことをしたらいいと思うよ」


 自分の不用意な一言を真に受けた忍は、言われた通りにしたのだろう。母親が望む女の子になるために天馬に言われるがまましたいことをしようと決めた。それまで男に生まれた忍が女の子になるのはおかしいと周りから言われていたために抑えられていた彼の秘密の願望は、天馬の一言によって蓋を開けられ外へ飛び出した。そうして周りから気味悪がられ、母親に拒絶された彼は母親に言われた通り、死んだ。


 母親の願いとは逆さまの性を着て生まれた彼は、逆さまのままの自分に耐えられず時計台からまっさかまに落ちて死んだのだ。そして、彼の背中を押した手の一つには、自分の手があったことを天馬は思い知った。

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