2人目 土井天馬 (9)

 硬直したまま動かなくなった天馬をよそに千種は続ける。


「去年、体育の授業が終わった後、礼央奈さんが制服のスカートがないと言い出したんです。教室中探し回っても見つからず、礼央奈さんはだんだん取り乱してしまって今日と同じように『誰かが盗った』と言い出したんです。それで勝手にミシェルくんや忍くんのスクールバックを漁り始めたら、出てきてしまいまして」

「忍の、バックからですか?」


 千種は首肯した。


「それから同じようなことが三回ありました。制服のスカート、体操着、水着。うちの中学校は体操着は男女共通のはずなんですが、なぜか忍くんは盗ってしまって。礼央奈さんからのご両親はもう大混乱ですよ。今すぐ忍くんを退学にしろと忍くんの施設まで乗り込んでいって。ついでに言うと施設では女子と男子が別の階に住んでいるせいか、忍くんの盗癖はみられなかったそうです」

「あ、あの、ちょっといいでしょうか!?」


 天馬は先生に質問をする生徒のようにはい、と挙手をした。同じく、千種は生徒へ発言を許可する先生のようにどうぞ、と返す。


「忍が礼央奈の服を盗んでいたとして、それが彼が性同一性障がいであるということと何の関係があるんですか?」

「わたしたちもそれだけで性同一性障がいを疑ったりしませんよ。ただ、施設の方とお話をしていて気が付いたことがありまして」

「それはどういったことで?」

「忍くんは学校ではトイレに行きたがらないんです。どうしてもの時以外、大概我慢をしてお腹が痛くて動けなくなるまで我慢してしまうんです。しかし、施設では行くんだそうです。ただ、身障者用の男女共有トイレしか使わない」

「それって……」

「うちの中学には男女共有トイレはありません。忍くんが使えるのは男子トイレだけ。そういうことです」


 天馬は何と言ったらいいのか、また分からなくなる。

 確かにこの三か月、忍がトイレに行くところを一度も見たことがない。たまたま自分が見かけなかっただけかと思ったが、ミシェルも礼央奈も平気でトイレ、と言って席を立つ姿を何度も見ている。なのに忍は一度もない。


 天馬は調理実習の際、魚を捌くことなくぼんやりしていた忍を思い出した。あの時は単に調理に対するやる気がないのだろうと思っていた。給食をあまり食べないのも食が細いからだと考えていた。しかし、今の千種の話を聞くにつけ調理実習に励まないのも、給食をあまり食べないのも、トイレに行きたくないからだとすれば納得がいく。そしてその理由が男子トイレを使いたくないからだということなら彼が性同一性障がいだという千種の考えにも矛盾はない。


 天馬は何度か瞬きを繰り返し、


「お、俺はどうしたらいいのでしょうか……」


と尋ねてしまっていた。

 天馬は性同一性障がいの人に会ったことがない。だから忍とどう接することが正解なのか分からない。自分とは異なる感性を持った彼は自分とは全く別世界の人間であるようにさえ思えてくる。


 しかし、千種はにこやかに言った。


「普通に接してあげてください」

「普通、でいいんでしょうか? 何か、特別な配慮をしてあげたほうが……」

「特別な配慮がいる場合もあるでしょうが、今のところ忍くんの口から自身の性自認について聞いたことはありません。ただ、去年の終わりに私から一度、女の子の服を着てみたいのかと聞いたことがあります」

「え!? そんな、ダイレクトに……」

「意外と率直に尋ねてくれる大人は少ないものです。特に忍くんのように話すことができない子であれば」

「そうかもしれませんが……。それであの子はなんて?」

「何も。ただそれから礼央奈さんの服を盗むことはなくなりました」


 千種の言葉が抑止力として働いたのか、自分の気持ちを分かってくれる人がいることに安心したためなのか。忍に彼の言葉がどのように響いたのかは分からない。ただ、礼央奈の服を繰り返し盗むという行動はなくなった。

 千種は率直に忍と向き合うことで彼の不適切な行動を取り除いた。では、自分は一体彼とどのように接したらいいのだろうか。


 再び沈黙した天馬に千種はいつもの眉を下げた顔をして


「土井先生はいつも通り、忍くんのお兄さんになったつもりで接してあげてください」


と言った。

 その言葉は天馬にとって二度目の天啓となり、気落ちしていた彼は一気に熱意を取り戻した。はい! と勢いよく返事をする。そんな天馬に満足げに頷くと


「じゃあ今から忍くんを探してきてくれますか」


と千種が言った。


「施設の方へ電話をしたんですが、まだ本人が帰っていないそうで。忍くんは基本的に寄り道をしませんからいつもであればこの時間には施設へ帰っているはずなんですが、今日はまだということはあそこにいるかもしれません」

「あそこというのは?」


 千種は菩薩のような笑みを湛えたまま、人差し指を上に向ける。


「時計台です。彼、あそこから夕陽を見るのが好きで。嫌なことがあった日には時計台へいつも行っているんですよ。土井先生、一度見に行ってきてくれませんか?」


 天馬は千種が自分に忍と向き合う機会を与えてくれようとしていることに気が付いた。

 自分はあの子ときちんと向き合うことができるだろうか。男性にもなりきれない、女性にもなりきれないあの子のことをきちんと理解することはできるだろうか。

 いや、弱気になってどうする。忍からすれば、今日はいわれのない罪で騒がれた挙句、人には知られたくない秘密を曝露されてしまったようなものだ。彼は表情一つ変えないが、きっと傷ついているだろう。生徒が傷ついているというのに、俺が弱気になってどうする。

 

 会いに行こう。繊細な神経を持ち合わせていない自分には、向こう見ずで真っ直ぐなところくらいしか長所はないのだから。


 天馬は千種へ一礼してから、職員室を後にした。


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