2人目 土井天馬 (4)

 今学期使う教材と、三人の生徒それぞれに設定された学習計画の確認をして一日目は終わった。生徒は午前だけで帰ったため、千種と共に職員室へ戻った天馬は初日早々溜まり始めた書類仕事へと取り掛かる。


 すると、隣の席に座っていた千種が


「先生、少しいいですか」


と声をかけてきた。天馬は動かしていた手を止めて千種の方へ向き直る。


「はい、何でしょうか?」

「生徒たちのことで共有をしておきたいことがあります」


 そういうと千種は三枚の書類を机の上に並べた。紙面には先ほど会った三人の生徒の情報と学習計画、それに伴った支援方法がまとめられている。千種が作成した指導案だろう。天馬は勉強になります、と頭を下げながら拝見させてもらった。


 千種は一人ずつの特徴を口頭で説明をしてくれた。

 

 野崎ミシェルは日本人の父親とポルトガル人の母親の間に生まれた。が、二人はミシェルが幼少期の頃に離婚しており、母親は在日したまま新しいボーイフレンドと生活をしている。再婚はしていない。


 母親は日本語が不得手で家庭内での会話は全てポルトガル語で行われている。そのせいもあってミシェル自身も日本語があまり得意でなく、小学校の頃から学習面の遅れが目立ち小学四年生から特別支援級へ入ることになった。登校自体に問題はないものの、生活環境が荒れているせいか非行傾向があり校外で喫煙しているところを何度か注意されている。母親は学校からの呼び出しには基本的に応じず、行事にも参加しない。


 本人も母親へは何も期待しておらず、中学を卒業したら働いて家庭からは離れる予定である。本人の意志を尊重し、まずは学校へ継続的に通い、生活環境を整えることを優先して指導をしていく。


 七瀬礼央奈は学習面に問題はないものの注意力散漫で小学校時代は授業中頻回に離席を繰り返し、また注意を受けるとかんしゃくを起こすということが続いた。内面的に幼い部分もあり対人面でのトラブルも絶えず、同世代の女の子のグループへ入ることができなかったため一時いじめを受けたことがある。小学校二年生の時、教室に入ることが怖くなったことをきっかけに不登校となり、翌年から特別支援級へと移籍する。


 現在は趣味の絵をもとに通常級にも友人ができ始め、中学卒業後はイラストに関する専門コースが設置されている通信教育制の高校への進学を考えている。親はやや過干渉気味であり、父親も母親も学校でのトラブルには過敏に反応する。礼央奈がいじめを受けた当時、学校での対応へ強い不満を示した七瀬夫妻は小学校へ執拗なクレーム、および謝罪と教員の土下座の要求を続けていた。


 特別支援級へ移ってからトラブルが減ると共に両親の学校への理解も得ることができたため、幾分穏やかになったが対応には注意が必要。礼央奈本人には適宜対人面でのフォローおよび指導をしていく。


 三上忍は緘黙症かんもくしょうの児童である。緘黙とは、言語能力に問題はないものの人前で話すことができなくなる症状を指す。忍は幼少期にネグレクトによる虐待を受けていた。母親は三日から五日に一度、家に帰ってきては菓子パンを中心とした食料を忍に与え、それ以外の育児を放棄していた。忍が五歳の頃、近隣の者が児童相談所へ通報したことにより施設へ保護される。以来、忍は児童養護施設で育つことになり、母親に依然として養育意思がみられないため親子関係は断絶状態にある。現在も学校には児童養護施設から通学している。


 施設へ保護されて以来、忍は一度も人と話したことがない。家庭での生活を聞いても施設での暮らしぶりに対する感想を求めても何の反応も示さない。知能検査を実施したものの課題へ取り組むことを拒否したため知的な遅れがあるかどうかも不明。ただ日頃の生活態度を見ていると教員からの指示や宿題の内容は適切に理解できているため、大きな遅れはないと予想されている。


 施設職員との話し合いにより、卒業後は特別支援学校へ入学予定。本人の意志は確認できないものの拒否はしなかったため概ね決定だろうとのこと。支援方針としてはまずはどんな形でもよいので本人が意思表示できる手段を確立させていくことが挙げられる。


「とまあ、うちのクラスはこんな感じです」


 とんとん、と書類を机の上で軽く叩いて端を揃えながら千種は言う。天馬は思わず渋い表情を浮かべた。


「なんというか、難しい子ばかりですね……」


 ある程度は覚悟していたものの、実際に目の当たりにするとこうも違うのかとため息が出る。これほどまでに家庭や生まれ育ちに困難を抱えた子どもたちばかりとは正直思っていなかった。特に三上忍は大変そうだ。今日とて、彼とだけ唯一コミュニケーションが取れなかった。


 ミシェルや礼央奈は天馬から嫌なことをされれば嫌だ、という意思表示ができそうだ。しかし、忍は何をもって良し悪しの判断をしているのか分からない。現状、ヒントになりそうなこととしてはクロスワードが好きで絵が得意らしいということくらいか。


 まだ初日だというのにこれでは先が思いやられる、と頭を抱えて唸っていると千種が苦笑いをした。


「まあ、土井先生はまだ若いですからあまり難しく考えず、生徒たちのお兄さんになったつもりで接してあげてください。みんな良い子ですから」


 その言葉は未熟な天馬にとって天啓のように聞こえた。天馬は


「……はい!」


と威勢よく返事をした後、千種の皺くちゃの手を握り


「俺、頑張ります! 生徒たちの兄として信頼関係を築いてみせます!」


と声を張り上げた。千種はややうるさそうに目を細めたが笑みを崩すことなく「よろしくお願いします」と言ってくれた。

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