call 2. 逆さまになった無口な君へ(全15話)

2人目 土井天馬 (1)

「へい! へい!」


 スーツ姿の土井天馬どいてんまはタンバリンを右手に、マイクを左手に持ちいつも以上に声を張り上げ歌った。カラオケボックスに来ること自体久しぶりで、こうして大きな声で歌うと心なしか、先ほどまで緊張に張り詰めていた体の筋肉もほぐれてくるよう気がした。

 やっぱり歌っていいなあ、気持ちがすっきりする。


 天馬はそう思いつつ、隣に座る道端という男へと視線を向けた。

 天馬が歌い始めてから、いや正確にはカラオケボックスに入った時から道端の表情はぴくりとも動かない。ひょっとしてカラオケはあまり好きじゃないのだろうか?

 

 いや、そんな人間はいないだろう。天馬の友人は皆カラオケが大好きだし、飲み会の後にカラオケに行くとメンバー同士必ず仲良くなる。

 天馬はテーブルの上にマイクを置き、


「何度歌っても気分の良い歌ですよね」


と額に爽やかな汗を浮かべ、自分が握っていたマイクを道端へ差し出した。


「道端さんも何か歌いますか?」


 仏頂面の道端ににこりと笑いかけてみる。

 しかし、マイクを一瞥した彼はこれまた表情一つ変えずに


「歌いません」


と言ったきり押し黙る。


 つれない態度に天馬は思わず眉を下げた。

 もしかして道端はカラオケがあまり好きではないのだろうか。だとしたら今日、集合場所をカラオケボックスにしてしまったことは失敗だった。しかし、昨日まで道端がカラオケ嫌いだったとしても、今日、天馬と共に歌う楽しさに気が付けば明日から道端はカラオケ好きになる。


 よし、俺が道端へカラオケの楽しさを教えてやろう。


 本来の目的をすっかり忘れて天馬は背筋をぴんと伸ばした道端の肩へ手をかけると


「でも、折角カラオケに来たんですし、道端さんも何か歌いましょうよ。俺ばっかりもう一時間も歌ってますよ。これじゃあ俺の一人コンサートじゃないですか」


と冷えた男の肩をわしわしと揺らした。


 天馬は生来人懐っこい性格だ。末っ子として甘やかされて育ったということもあるのだろうが、本人に悪気が無いためどれだけウザ絡みをしても人から嫌われることは基本的にはない。


 天馬自身もそうした自分の性質を理解しているため、頼み込めば道端とて歌ってくれるだろうと高を括っている部分もあった。


 しかし、道端は蠅でも払うかのように天馬の手を叩き落とすと


「僕はここへ歌いにきたのではありません。死者との電話について説明をしに来ただけです」


とすげなく言う。


「えー、道端さん、ノリ悪いですね。周りの人からテンション合わないって言われませんか?」


 天馬としては思ったままを口に出しただけなのだが道端はぴくりと頬を引き攣らせた。


「ノリと勢いで生きている人間は嫌いです」

「え、じゃあ俺のことも嫌いですか?」

「依頼人に対して好きも嫌いもありません」

「おお、よかったです」


 大粒の白い歯を覗かせてにっかり笑う天馬へ道端はため息をついた。


「それで死者の性別がはっきりしないというのはどういうことなのでしょうか?」


 道端の言葉に、今度は天馬が頬を引き攣らせる。

 いやあ、と誤魔化すように両手をこすり合わせながら下手な笑みを浮かべると


「……やっぱり言わなきゃだめですか?」


と気まずげに尋ねた。


「言いたくないのでしたら言わずとも構いませんが、その場合、死者との電話は繋がりません。今回のお話はなかったということで」


 言うなりすっと席を立ち、カラオケボックスから出て行こうとする道端に慌てて縋りつく。


「ちょ、ちょっと待ってください! 分かりました! ちゃんと話しますから」


 道端は腰に巻き付いてくる天馬をさも鬱陶し気に見下ろした後、渋々席へと戻った。ただし、先ほどとは違い天馬からかなり距離を置いた席へだが。


 道端が部屋を出て行かなかったことにほっとしながらも、天馬はどこから話したものか、と困りネクタイの結び目を指先でいじる。


「先ほどもお話ししましたが、俺がもう一度話したい相手というのは、去年亡くなった生徒なんです」

「それは伺いました」

「でも、その子の性別を今一つ、なんと表現したらいいのか分からなくて」

「……はぁ、なぜですか?」


 それはもう聞いたと道端はため息混じりに不快そうな表情を浮かべた。

 それもそのはず。道端からすれば一時間ほど前に同じことを尋ねたところで急に


「ところで折角カラオケに来たんだから何か歌いませんか?」


と天馬が言い始め誤魔化されてしまったからだ。それからは、土井天馬による土井天馬のためのカラオケライブコンサートが始まった。天馬の歌は聞くに堪えないほど酷いものではなかったが、一時間も聞いていたいほど素晴らしいものではなかった。


 天馬は歌手ではないのだから彼の歌の質が高くなくともその点について過失はない。彼は一介の中学校教諭。しかも専門科目は音楽ではなく、体育である。誰もが聞き惚れるような歌声を披露できなくとも仕方ないだろう。しかし、尋ねられた質問に答えもせず誤魔化してしまうというのは、彼が歌手であろうとなかろうと、一人の良識ある人間としてはいただけない。それは天馬自身もよく分かっていてきちんと話さなければならないとは思いながらも、つい視界に飛び込んだマイクを握り歌って誤魔化すという手段に出てしまった。


 一か月ほど前、天馬は自分が一昨年受け持っていた生徒、三上忍みかみしのぶと話がしたいと道端へ電話をかけた。彼なりに覚悟を決めて道端と落ち合ったつもりだったのだが、いざ忍のことを話すとなると決して一筋縄ではなかったあの子とのやりとりを思い出しどうにも上手くいかない。


 特に道端から死んだ人間と話すには死んだ人間の氏名、生年月日、死亡年月日、それから性別が必要になると告げられた時は、どうしたものかと頭を抱えた。


 人間は生まれるとほとんどの場合生物学上、自動的に男か女か、いずれかの性別へ振り分けられる。三上忍も例外ではないため、あの子の生物学上の性別を答えることはそれほど難しいことではない。


 しかし、天馬には忍の性別をこう、と断定することに躊躇いがあった。道端が求めているものが単なる生物学上の区分であることも分かってはいたが、どうしてもあの子を男だ、女だと単純に分けてしまうような真似はしたくない。当人が死んでしまった今となれば猶のことである。


 天馬は自分よりも上背のある道端からのよく言えば真っ直ぐな、悪く言えば冷徹な面持ちに少々委縮した。道端は出会ってからずっとこの調子で、一欠片の笑顔も見せてはくれない。


 天馬は誰かの笑った顔が好きだ。できれば自分と関わった人みんなが笑顔になってくれたらいいとさえ思っている。なのに、道端ときたらどれだけ天馬が空気を和ませるジョークを飛ばしても、歌を歌っても少しも真顔を崩さない。表情筋も広背筋もぴくりとも動かさずじっとカラオケの液晶画面を見つめ続ける道端は、この人は普段から一定の姿勢を保っていられるよう体幹を鍛えているのかもしれないと半ば感心してしまうほどだった。


 それに、と天馬は頭の片隅で赤い夕陽に照らされながら自分を見上げた、死んだ生徒を思い出す。

 頑なで何を考えているのか分かりにくい道端の態度は、去年亡くなった忍にどこか似ている。


「その、長い話になりますが、聞いていただけますか?」


 遠慮がちに天馬が言うと、道端は


「できるだけ端的に簡潔に手短にお願いします」


と早口に答えた。


 できるかなあ、と思いながらも天馬は


「努力します」


と言うと、ううんと咳ばらいを一つしてから死んだ生徒、忍の性別を断定することを躊躇っている理由について順を追って話し始めた。

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