1人目 花井霧香 (8)

 次に誓約書の控えを手早く霧香に手渡した道端は、新たなクリアファイルを取り出した。そこからまた別の用紙が現れる。

 用紙には先ほどとは内容は異なるものの同じようにいくつかの項目が箇条書きにされており、チェック欄も添えられていた。


「さきほどのものは僕が遵守すべき誓約を記載したものでした。こちらは依頼者、花井さんに遵守していただきたい誓約になります」


 霧香は手渡された書類に目を通す。道端は該当する項目を指さしながら口頭で内容を説明していった。書かれた項目を簡潔にまとめると三つに区分されるようだ。


 一つ目に、道端健悟本人の存在・情報を含め、道端の固定電話が記載されたサイト、および死者との通話ができる公衆電話への辿り着き方を他言しないこと。

 二つ目に、一つ目の事項を含め契約に際して知り得た情報の一切を漏らさないこと。

 三つ目に、契約が終了した後、道端健悟へ一切連絡・接近をしないこと。


 一つ目と二つ目に関しては、守秘義務に該当する事項だろうと理解した。

 霧香の情報を道端が漏らさないと約束をしたのと同様に、霧香もまた道端に関する情報を漏らさないよう守秘義務が課せられるというわけだ。


 真綾が先輩から聞いた情報が曖昧であったことにもこれなら説明がつく。

 先輩は今霧香の目の前にある誓約書と同じものに一筆したためていたため、真綾に公衆電話や道端に関する詳細な情報を伝えることができなかったのだろう。にもかかわらず、断片的な噂から道端に辿り着いたことはわが娘ながらあっぱれというべきか。


 道端からの説明が終わった後、ふと、もし本当に自死した死者と話すことができる仕組みを彼が持っているのなら、その仕組みをここまで秘匿する必要はあるのだろうかと霧香は疑問を感じた。


 道端にとってこれはある種、ビジネスチャンスなのではないか?


 うまく利用すればこの仕組みを使って莫大な金銭を稼ぐことができるだろう。それこそ、依頼者の負担額をテレフォンカード代のみと限定するのではなく、手数料としていくらか設定してしまえば食うに困らない額が懐に入ってきそうなものだ。昨今、インターネットを介した占いにだって、四、五千円かかる時代である。死者と話せる電話になら、万単位で金を出すという人がいてもおかしくはない。


 ビジネスとしてこの仕組みを活用するとして、わざわざ依頼者に秘匿させるのではなく、活発に宣伝をしてもらったほうが道端にとっては得なのではないだろうか。死者と話がしたいと願う人間は、この世に五万といるだろうから。


「僕からの説明は以上になります。何か質問や不明な点などありますか?」

「あの、どうしてサイトへの辿り着き方や道端さんの存在そのものについて他言してはいけないんですか?」

「どうしてというのは?」


 相変わらず察しの悪い男である。いちいち会話が滞るがこの短時間で道端のそういう融通の利かなさに随分慣れた霧香は遠慮なく言った。


「死者と話したい人はわたし以外にもたくさんいると思います。道端さんにとっても手数料をとるとか、テレフォンカード代に少し上乗せしてビジネスとしてこの仕組みを使った方が何かと都合がいいじゃないかと思って」

「なるほど。僕は中途半端な人間が嫌いです」


 ん? と霧香は怪訝な顔をした。

 今の話と中途半端な人間にどんな繋がりがあるのか全く分からない。


 霧香の表情に気づいているのかいないのか、道端は相も変わらずマイペースな口調で続ける。


「花井さんがおっしゃる通り、死者と話したいという人は確かにたくさんいるでしょう。ですが、誰もが純粋な理由から死者との会話を求めるわけではありません」

「……すみません、どういうことなのかよく分かりません」

「死んだ人間と話したいと思うのは、何も相手に思慕があるからという理由だけではないということです。死者しか知らない秘密を探り当てたいという下心や、死しても尚憎く思う相手を罵倒したいという人間もいます。特に先入観や勝手なイメージを持たれやすい有名人が自殺したとなれば、ファンを名乗る強かな人間が後をたたないでしょう」

「そう、でしょうか」

「はい。それに僕はある事情からこの仕組みを始めましたが、それは金儲けのためではなくあくまでボランティアとしてです。ですので、何の労力もなく金に物を言わせて僕に辿り着かれても困ります。僕は死者と生者を繋ぐ公衆電話の管理人として、労力を惜しむことなくそれでも死者と話したいという本気の人だけを相手にしたいんです。そのため、少々回りくどい経路設定ではありますが、モチベーションの高い人でなければ僕には辿り着けないよう、仕組み自体に細工をしてあります」


 道端の言葉に霧香は浅く頷いておいた。


 言いたいことは分かる気がした。

 道端は死者と話せるというツールを掲げて金を稼ぐつもりはなく、だからこそ半端な理由や下世話な理由で死者との会話を求める人間を相手にしたくはないということだ。だからこそ、自分の情報を秘匿したがる。


 彼の話を聞くところによると、やはり道端に辿り着くまでには相応の労力がかかるようだ。真綾が言った「ここまで辿り着くのにすっごい苦労したんだから」という一言は嘘ではなかったらしい。

 一体何をどうやって道端に行きついたのかは知らないが、帰ったらあの子が好きな菓子の一つでも買ってやろうと霧香はこっそり思った。


「質問は以上ですか?」

「あ、あともう一つ」

「はい、どうぞ」

「契約が終了した後、道端さんに連絡をとってはいけないのはどうしてでしょうか?」

「必要がないからです」

「で、でも御礼をしたくなった時くらいはいいのでは……」

「不要です。ちなみに死者への電話が終了次第、最初にご連絡をいただいた僕の固定電話、およびメールアドレスは依頼者からの電話・メールの全てを拒否する設定にします。御礼、クレーム含め僕は一切受け付けませんので良くも悪くも気になさらないでください」


 はぁ、と霧香は気の抜けた返事をしてしまった。

 なんて排他的な人間なのだろう。

 多少なりともデリケートな話を打ち明け死者に電話をかけるという一つの課題へ共に取り組んだ相手に対する態度とは思えない。


 左手薬指に嵌った指輪から道端が既婚者であることは察せられるが、こんな冷たい人間と結婚するだなんて一体どんな女性だろうと霧香は内心無礼なことを考えてしまった。


「他に質問はありますか?」


 一つ質問を終える度に機械のように他に質問は? と繰り返す彼に、あなたはAIか何かなのか、もっと気の利いた人間味のある受け答えはできないのかとほとほと呆れる。


 が、そんなツッコミを入れても恐らく表情一つ一つ変えずに「必要がないので」と言われるのがオチだろう。


 霧香が何もありませんと首を振ると、道端は頷いた。


 彼は霧香にペンを渡すと誓約書へサインをするよう促す。

 霧香はできるだけ丁寧な字になるよう気を付けながら署名をした。印鑑がないことに気が付き慌てたが、自署であれば捺印はなくても構わないとのことだった。


 道端は本人控えの用紙を霧香に手渡すと


「この後のご予定は?」


と唐突に尋ねてきた。


 ナンパのような言い回しに一瞬警戒すると、


「もし予定がなければ早速電話をしていただこうと思ったのですが」


と若干眉を八の字に下げながら告げられる。


「そんなに早くできるんですか?」


 驚きながら問い返すと


「亡くなられた方のお名前と性別、生年月日と死亡年月日が分かっていれば電話をかけることは可能です」


と再び繰り返されるので


「あ、いや。そういうことではなくて」


 と急いで付け足す。


 確か死者と会話ができる公衆電話は道端の家にあるのではなかったか。

 この男の住まいがどこかは知らないが、県外であった場合、今から行くとなれば霧香にも諸々の準備がいる。

 それに、いくら依頼をしたからといっても初対面の男の部屋へ行くのはやはり憚られた。


 すると、道端がああ、と心得たように口を開いた。


「電話は僕の家から持参してここから徒歩五分ほどにあるホテルの一室に置いてきました。今日電話をしたいとおっしゃるかもしれないと思ったので」

「え、公衆電話を家から持ってきたんですか?」

「はい」

「あんな重たそうな物をわざわざ……」

「それほど重くはありません」


 涼しい顔をして言う道端に、電話ボックスに入った緑色の公衆電話を思い浮かべた霧香はこの男、見かけによらず鍛えているのだろうかと訝しげに道端の体に視線をやる。


 服越しであるため分からないがそれほど鍛えているようにはとても見えない。肉体労働より頭脳労働が似合う体つきだ。


 霧香は戸惑いながらも尋ねた。


「じゃあ、今からそこへ行って電話をかけるということですか?」

「はい。別日のほうがよければ調整します」


 特に予定のない霧香はそこまでの準備を道端にさせておいてではまた後日、と言えるほど割り切った性格をしていなかった。

 念のためホテルの名前を聞くと、名古屋市内では有名な格式高いホテル名が飛び出てきて仰天する。ホテル代も道端が持つそうで霧香が負担するのは本当にテレフォンカード代だけでいいようだ。


「あの、どうしてそこまでしていただけるんですか? 道端さんには何の得もないじゃないですか」


 何か裏があるのではと思い尋ねたことだが、道端は顔色ひとつ変えない。


「必要なことだからです」


 そうだった。この男は物事を不要か、必要かで判断しているきらいがある。深い意味はないのだろう。その方が効率が良いためそうしているというだけで、道端にとっては大して負担でも何でもないのかもしれない。


 霧香は今度は道端にも聞こえるようにため息をつくと


「分かりました。では今からお願いします」


と返事をした。





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