1人目 花井霧香 (5)

 二週間後。普段であれば滅多に身につけない真珠の指輪とイヤリングをつけた霧香は鏡台に映る自分の顔を覗き込んだ。

 50代に差し掛かったあたりから肌のシミが気になっている。鼻の下にできたシミがコンシーラーで綺麗に隠れているかどうかを確認するため、変な方向に唇を曲げたり伸ばしたりしているとパジャマ姿の真綾がやってきた。今日は大学の講義は休みらしい。


 真綾は欠伸をしながらこちらへついっと視線を送ると


「妙におしゃれしてんね」


と面白くなさそうに言う。

 霧香は化粧のりのチェックを続けつつ、


「初対面の人に汚いおばさんだって思われたくないじゃない」


と返した。納得したのかしていないのか、真綾はふうんとわざとらしく言ってキッチンへ向かった。朝食のトーストを焼くのだろう。がさがさ、食パンが四切れ入った袋を漁る音がする。


 いつもより大きく煩わしく聞こえてくるその音に霧香は自分が少しだけそわそわしていることに気が付いた。

 道端健悟という男に会うことに緊張しているのだ。

 世間で言うところの年配者になったものの、いまだに人見知りをする自分に呆れながらもどんな人なのか分からないのだから仕方がないじゃないかと内心言い訳をする。

 ひとまず会うだけだ。わずかでも怪しいと思ったらすぐに引き返そうと心に決めて行ってきますと家を出た。


 予定の時刻より一足早く喫茶店へ到着した霧香は店員に案内されたテーブル席へ腰かけた。どことなく落ち着かなくてそわそわしながら辺りを見渡す。

 先方には先日の電話で自分の特徴は伝えておいた。概ね今日はその通りの格好をしてきたつもりだ。しかし相手の特徴を聞きそびれてしまったため、道端健悟がどのような人物であるかが分からない。霧香はそれらしき人物がいないか、分かるはずもないのに首を伸ばして店内へと視線を走らせる。


 カチッと店の壁掛け時計の針が動き、待ち合わせ時間ちょうどになった。


「花井霧香さんですか?」

「わっ!」


 唐突に声をかけられ思わず声を上げてしまう。仰ぎ見るとカーキ色のモッズコートを羽織った細身の男がテーブル横に立っていた。黒縁の眼鏡をかけコートのポケットに手を突っ込み、伸びた前髪越しにこちらを伺ってくる様子からはなんとなく人付き合いが苦手そうな印象を受ける。

 その証拠にこちらをじっと見てくるわりに愛想笑いの一つもない。


「道端健悟さんですか?」


 男、道端はこくりと頷いた。どうやら彼が待ち合わせの相手で間違いないようだ。霧香は会釈をして改めて挨拶をした。道端も軽い辞儀を返すと


「失礼します」


と言って霧香の正面に座った。

 コートを脱ぎ身支度を整える道端を注意深く観察する。声の印象通り、見た目も素朴でこれといった特徴のない男だ。顔は整っているといえば整っているが、見る人が見れば平凡なつくりをしている。霧香よりは歳は若そうに見えるが、妙に落ち着いているせいか、このくらいの歳だろうというあたりがつけにくい。

 左手薬指には霧香同様、指輪をはめている。どうやら既婚者らしい。


「注文しましたか?」


 霧香が首を振ると道端は首の後ろをかいて


「何か頼みましょうか」


と蚊の鳴くような声で言った。

 電話の時も思っていたがこの男は妙に声の通りが悪い。声質も掠れ気味であるから余計に小さく聞こえるのかもしれない。店内にアップテンポの曲が流れていたら掻き消されているところだ。


 霧香はホットティーを、道端はエスプレッソを頼んだ。


 店員が立ち去った後、しばしの間、沈黙が流れる。先に口を開いたのは道端のほうだった。


「電話の件ですが亡くなられた方とお話しをするにあたっていくつか条件があります」


 なんの雑談もないまま本題に取り掛かるつもりらしい。霧香とて、見知らぬ男と長居をしたいとは思わなかったため続きを促す意味で軽く首肯した。


「電話でもお伝えしましたが、死者との会話には公衆電話を使用します。どこにでもある公衆電話ではなく僕の家にあるものを使います」


 霧香の眉間に皺が寄る。

 なぜ民家に公衆電話があるのだろうか。理解に苦しむ。霧香の怪訝さを感じ取ったのであろう道端は視線を彷徨わせるとまた首の後ろをぽりぽりと掻いた。


「テレフォンカードは通常のもので結構です。ご自身で購入が難しい場合は僕も数枚所持していますから、僕から購入していただいても構いません」

「あのちょっといいですか?」

「どうぞ」

「亡くなった人に電話をかけるんですよね? その、電話番号は先日サイトでお見かけしたあの番号になるんでしょうか?」

「いいえ、あれは僕の自宅の固定電話の番号です」

「じゃあ、一体どの番号を使うんです?」

「死亡した方の名前、性別、生年月日、死亡年月日を数値化して打ち込みます。するとお相手に繋がります」

「生年月日や死亡年月日はともかく、名前と性別はどうやって数値化するんですか?」

「いわゆる数字暗号というものを使います。僕の場合だと『みちばたけんご』ですから、『724261044124032504』になります。性別は男性を1、女性を2として扱います」


 何を言われたのかさっぱり分からず霧香ははぁ、と気のない返事をした。すると道端は鞄から手帳を取り出し何かを書き始めた。

 数分の間、霧香は道端が紙にメモをするのを待つことになった。

 あまりにも暇で携帯電話をポチポチいじりながら待っていると、


「こういう感じです」


と唐突に手帳を差し出される。見ると、そこにはアルファベットといくつかの記号、ひらがなとそれから数字が混じった五十音表のようなものが書かれていた。


 霧香はなんとなく、小学生の宿題でやらされた百マス計算表を思い出した。

 横軸と縦軸にはそれぞれ1から9、最後に0が割り当てられている。ひらがなは縦にあかさたなが並び、横にあいうえおが並ぶようになっている。


「例えば『あ』ですと横軸が1、縦軸も1となるので数字で表すと『11』となります。『ち』ですと横軸が4、縦軸は2となるので『42』となります」


 なるほど。確かにこのようにひらがなや記号に数字を割り当てれば、名前を数字に置き換えることが可能である。

 霧香が納得したことを察したのか、道端はぱたんと手帳を閉じて鞄にしまった。それからテーブルの上で両手を組んでこちらにじっと視線を送ってくる。

 一方的に見つめられるのは居心地が悪い。一体何のつもりだろうと戸惑うが、他に質問がないかどうかを確認するために待っているのかもしれないとはたと思い当たった。


「あ、もう大丈夫です。続けてください」


 霧香がそういうと道端は頷いた。

 どうにもとっつきづらい男だ、と霧香は道端には聞こえないようため息をついた。

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