1人目 花井霧香 (2)

 霧香は画面に表示された文言をまじまじと見た。それからふっとため息をついて持ち主へと携帯電話をつき返す。


「こんな怪しいサイト、見るもんじゃないわ。すぐに閉じなさい」

「違うの、ちゃんとわたしの話を聞いて。ここまで辿り着くのにすっごい苦労したんだから」


 真綾はどこか興奮したように事のあらましを話し始めた。聞いてみれば何のことはない、単なる噂話である。


 誰にでも辿り着けるわけではないが、望む者がきちんと辿り着けるサイトがある。そこには自殺した死者と話すことができるという文言と電話番号が書かれており、電話をかければ死者と話すことができる。


 端的にまとめると以上が真綾が聞いた噂の内容だった。悪質な闇サイトだ、と霧香が顔を顰めると真綾が慌てる。


「わたしの先輩で妹さんが自殺した人がいるんだけど、電話したら本当に繋がったんだって。騙されたと思ってお母さんもかけてみなよ」

「それで本当に騙されてとんでもない金額を請求されでもしたらどうするつもり? 先輩ぐるみであんたのこと、騙そうとしてるのよ。さっさとそんなページ閉じなさい」

「先輩はそんな人じゃない! おばあちゃんがいなくなった時だって親身になってくれたしうちが大変だった時も先輩はわたしの言うことを否定しないでいてくれて……」


 真綾は急に口を噤んだ。母のせいで花井家がぐちゃぐちゃになっていたあの頃のことを思い出しているのだろう。


 当時は霧香もどうかしていた。

 認知症で気がおかしくなり、被害妄想に囚われた母に刺し違えるかというほどの憎しみを毎日のように向けていた。


 いつ、どちらが相手を切りつけてもおかしくはない状況だったと思う。


 そのため、七年前母の家に行ったあの日、空っぽの八畳一間を見て動揺すると共に、心のどこかで安堵してしまったことを覚えている。


 これでもう母と言い争わなくて済む。母に憎しみを向けずに済む、と。


 当時の霧香の心労は娘である真綾にも伝わっていた。

 遠く離れた土地で単身赴任中の夫は母の介護においてはまるで戦力にならなかった。

 思い返してみると、欠けた夫の分、霧香の戦力となってくれたのは他でもない真綾だった。


 自分と母の不和に随分娘を巻き込んでしまった。真綾のいう先輩、というのは霧香がフォローしてやれなかった娘の心労を和らげてくれていたようだ。


 そこまで思考を巡らせて霧香は腕を組み、なるべく穏やかな口調になるよう気をつけながら慎重に言った。


「あなたの先輩のことを悪く言ったのはごめんね。お母さんが悪かった。

 でもそのサイト、どう見ても怪しいじゃない。連絡先しか書いてない。普通は会社名とか個人の名前とか、相手方の所属が書いてあるものなのよ? 詐欺に決まってる」

「名前が書いてないのは、いたずらを防ぐためだって先輩が言ってた。本気の人はそれでも電話をかけてくるから、そのためにあえて名前や所属を伏せてるって」


 また先輩だ。霧香は内心呆れながらも娘をどう説き伏せようかと思案する。


 そもそも真綾はなぜ、死者と話せる電話番号なんてものを自分に見せてきたのだろう。真綾曰く、その番号に辿り着くだけでもかなり骨が折れるようだ。わざわざそんな手間をかけてまで真綾が自分にこの番号を教えたいと思った理由はなんだ?


 霧香はふと、葬儀が終わってすぐの母娘の会話を思い出した。

 あの時、何やら携帯電話を必死にタップしながら真綾は尋ねてきた。


「もう一回、おばあちゃんと話したい?」


 その質問に話せるなら話したい、と自分は軽率にも答えてしまった。あの時は大した意味のないもしも話だと思っていた。


 もしも宝くじが当たったら、もしも芸能人と結婚したら。そんなありふれたもしもの話だと思い、気軽に答えた。


 霧香とて、疑問に思わないわけではない。いや、むしろ毎日毎晩、何度でも繰り返される悪夢のように考える。


 どうして母はわたしを捨てていなくなったのか。わたしは母に愛されていなかったのか。

 あんなに尽くしたのに。あんなに大変な思いをしたのに。

 あんなにも、わたしなりに母を大切にしたいと、仲の良い親子になりたいと切望したのに母はわたしを裏切った。


 そんな思いがあったから、真綾からのもしもの質問に思わず「話したい」と答えてしまった。


 あれが間違いだったのだ。真綾は先輩からおかしな噂話を聞いていたために、霧香のためになると信じて必死に闇サイトを探し、そして本当にたどり着いてしまった。


 霧香は斜め上の娘の気遣いを察して米神を押さえた。

 全く、うちの娘は大学生にもなって何を迷信まがいのことに気を取られているのだろう。頭痛がしてくる。

 しかし、娘が自分を気遣って招いた事態であるならば、頭ごなしに叱りつけるわけにもいかない。

 ここはきちんと自分にはもう母と話したいなどという願望はないことを理解させるしかないだろう。


「あのね、まぁちゃん。お母さん、前におばあちゃんともう一回話せるなら話したいって言ったの、覚えてる?」

「うん、だからこれで話せるよ」


 真綾が再び携帯電話をずいっと差し出してくる。

 やっぱりか。頭痛が酷くなった気がした。

 冷静に、冷静にと胸の内で自身に言い聞かせながら続ける。


「あのね、あれは嘘なの。お母さんとおばあちゃん、仲悪かったの、知ってるでしょ? あの日はお葬儀やったすぐ後だったからしんみりしちゃって話したいかもなぁって思ったけど、今は全然。声なんて二度と聞きたくないってくらい、お母さんはおばあちゃんのことが嫌いなの。だからせっかくだけど例えそれが本当に死んだ人と話せる番号だったとしても、電話はしない」


 気にしてくれてありがとね、と添えて真綾に背を向ける。

 これでこの話は終わりだ。そう思って切りかけのネギに手を添えて、リズム良く包丁で刻んでいく。

 真綾もすぐに分かったと言って部屋へ戻るだろうと思っていた。


「そんなわけない」


 真綾の鋭い声が背に浴びせられ、思わず動かしていた包丁を止める。振り返ると真綾は何かに耐えるように、きゅっと眉根を寄せた難しい表情をしていた。

 ああ、泣きそうな時の娘の表情だと霧香は思った。


「だったらどうして毎日、身元不明遺体の情報眺めてるの?」


 真綾の言葉にどきりとして、今度は霧香が複雑な表情を浮かべることになった。

 

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