幼馴染がくれたバレンタインチョコと手紙、くれた人は別だった。

とびらの

第1話


 二月十四日。


「リョータ、これ。受け取って」

「え」


 ピンク色の包みを受け取って、僕は目を白黒させた。差し出したのは、ヒナコ。

 僕のクラスメイトであり、幼馴染だった。


「な……なんやねんこれ」


「見てわかんないの。今日という日に、ピンクのふわふわラッピング。これがチョコレートでなかったら詐欺やん」


 と、肩をすくめて笑う。ちょっと首をかしげ、ポニーテイルをふわりと揺らして。


「あほちゃうん」


 それが、ヒナコの口癖だった。



 僕は絶句した。義理チョコ――普通に考えればそうだろう。

 だがヒナコとは幼稚園からの付き合いで、中三の今までずっと同じクラス。それまでに一度だって、チロルチョコ一個たりとも貰ったことが無いのである。

 それを、卒業間際の今になって――


「ほ、本命?」


 呟きながら、僕はそれを確信していた。


 チョコの下に、小さな封筒がついていた。簡素なものだが、封のシールがハートの形。

 こんなんどこからどう見てもラブレターやろ。なんぼなんでも、義理チョコにラブレターを付けるやつはおるまい。


 ヒナコ。お前、僕のこと好きやったんか。


 動揺で視界が定まらない。ぐらぐら揺れる教室を背景に、ヒナコはまっすぐに立っていた。


 白い肌に、うっすら浮かぶそばかす。小さいころはよくからかわれていた、癖のある髪が光に透ける。


 一重まぶたの目を細めて、ヒナコは穏やかに囁いた。


「ほら、うちらもう、卒業やろ。高校もバラバラになるし……カレシカノジョにでもならんと、顔も見れへんようになるやん。今のうちに、キモチ伝えとかんとね」


「……お、おう。うん、そうやな」


「あの子、京都の高校に行くんやって。せかやらリョータも、ちゃんと返事してあげて」


「そうかそうか……えっ?」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。ヒナコは微笑んだまま、なんということのない表情で続けてくる。


「二組の長谷川エミカちゃん。この三学期、選択授業いっしょになって、友達になってん」


「……知ってる。めちゃめちゃ可愛い子」


「そ。あんたにはもったいないと思うけど、幼馴染のヨシミで間とりもってあげるわ。もしOKなら、ウチ帰ってからでもあたしにメールして。あっちの番号教えてあげる。エミカちゃんからそう言われてんの」


「な、なんや。ヒナコからとちゃうんか! びっくりした。焦ったー!」


 僕は叫んだ。実際、それが本心だった。学年のアイドル長谷川さんと付き合えるという未来より、ヒナコが僕を想っていたという誤解に、僕はドキマギし続けていた。

 ほんま勘弁してくれよ、まぎらわしい。ああ心臓が痛い。

 チョコレートと手紙を持って、誤魔化し笑い。そんな僕に、ヒナコは腰に手を当てて、


「んなわけないやろ。あほちゃうん」


 ポニーテイルを揺らして笑った。



 家に帰ってから、チョコレートと、ラブレターを開けてみた。

 チョコはスーパーで売ってる市販品。680円の値札が付いたままだった。中学生にはそれなりに大金だ、そこに文句をつけるつもりはない。正直ちょっと興ざめはしたけど。

 それより僕は、手紙のほうに心をひかれた。

 簡素だけど綺麗な花柄、大人の女性っぽい便箋に、きれいな字が並んでいた。

 文章はたったの一行。ひどくシンプルだった。


『篠原良大さま。ずっと前から好きでした』


 付き合って下さい、という言葉はなかった。どこがどう好きとか、自分のこととか何も話さず、ただ想いだけをつづった一文だ。

 長谷川エミカという少女を、僕はよく知らなかった。会話したことはなく、しかしその名と顔は知っている。

 一目見たときから、ワァ可愛い顔をしているなと思っていた。

 それ以上のものはなかったが――


 ベッドに寝転がり、たった一行の手紙を、何度も何度も読み返す。僕は長谷川エミカのことを好きになった。




 エミカと付き合いたいとメールすると、ヒナコはただ、彼女のTEL番だけをポイと返信してきた。僕はすぐに、エミカに連絡した。



 そうして、僕とエミカとの交際が始まった。


 ――そして。僕が振られたのは一カ月後のことだった。


 三月十四日、ホワイトデーである。僕が差し出したマシュマロに、エミカは眉をしかめた。


「ベタすぎ。リョータ君てほんとつまんないよね。もういいです」


 僕は絶望した。

 標準語県のひとには、彼女の攻撃力が伝わりにくいかもしれない。まず標準語&敬語のコンボ。関西人がこの口調になるとき、いわゆるガチである。そしてベタ・つまんないというキラーワード。これは死の宣告である。

 すなわち、エミカは僕をガチで殺しにきたのだ。


「えええええ……?」


 僕は肚から声を漏らした。だが実はそれほど、驚きはしなかった。

 何となく、こういう反応をするような気がしていたから。


 交際一か月で、エミカが笑ってくれたのは最初の一週間ほどだった。

 二度目のデートで「リョータ君、私服クソダサいよね」と始まって、三度目には「こないだあれだけ言われて改善してないってなんやの。うち恥ずかしいわ」と来た。

 外を歩くのが恥ずかしいというから、我が家に誘ったら怒られた。「無神経やと思うわ」とのことだが、週末、ふつうに訪ねてきた。しかもセクシーミニスカだったので、キスくらいしていいのかと尋ねてみると、ひっぱたかれて逃げられた。夜に平謝りのメール送ってみると、「リョータ君には強引さが足りないよね」だと。なんやねん。


 ホワイトデーのお返しは、何がいいかなと聞いてみた。そんなこと聞くなデリカシーが無いわねと怒られた。

 それでベタに走ったら、面白くないときたもんだ。

 

 僕ももう、返す言葉はこれしかない。


「知らんがな」


 エミカは足を踏み鳴らす。


「がっかりやわ。もっと素敵な男の子やと思ってた。かっこよくて面白くて気前が良くて、女の子に優しい言うから期待してたのに」


 さすがに僕もカチンと来た。

 なんだその言いざま。全く、勝手な誤解じゃないか。

 自分で言うのもなんやけど、僕なんか『とりあえず悪人じゃない』以上のなんでもないぞ。勝手に期待して告白してきたのはそっちじゃないか。僕は拳を握り、声を張り上げる。


「悪かったなぁフツーで。そんな妄想と比べてればそりゃあガッカリもするやろ。でもどこから出てきたイケメン像やねん。おまえ、僕のことずっと前から――」


 ふと――僕は口を噤んだ。


 ずっと前から――

 僕のことを、知っていたなら、そんな期待をするはずがない。僕は昔から何も変わってないのだから。


 ――二組の長谷川エミカちゃん。この三学期、選択授業いっしょになって、友達になってん――


 三学期が始まったのは、たった二か月前のことだ。


 ふん、とエミカは鼻を鳴らした。



「騙されたの。ヒナコの嘘つき。もうどっちも嫌い」


 そして彼女は去っていった。




 ヒナコは幼馴染だった。

 だからって特別、仲が良かったわけじゃない。田舎町だから、他にもたくさんいる。小学校の高学年にもなればそれぞれ男子、女子とつるむほうが多くなる。それでもずっとクラスが一緒なら、思い出もいろいろ共有していた。

 十年余り、ともに過ごしてきた。その記憶を掘り起こしていく。

 だけど――どうしても、思い当らなかった。

 

 ヒナコが僕を、好きになった理由がわからなかった。




 玄関を出たところで、ヒナコに遭遇した。

 三月十五日、その朝はまだ肌寒い。いつから待っていたのだろう、頬を赤くして、ヒナコは仁王立ちになっていた。



「聞いたで。エミカちゃんを振ったって。なんやの」


 

 振ってない、という弁解はしなかった。

 僕は歩きながら、後ろに続くヒナコへ言った。


「なあ、僕が気前いいってなんや」


「……。何の話よ」


「そない言うたって、長谷川さんが言うてた。あと女の子に優しいとか。僕、ヒナコにそんなふうにしてみせたことあったっけ」


 ヒナコはしばらく黙り込んだ。一応、それが僕らの破局の一端を担ったことは伝わったらしい。ごめん、という言葉を付けて、彼女は答えた。


「……昔……ずっと前。小学校の、遠足で……あたしお弁当袋まるごと忘れて。……リョータ全部わけてくれたやん。おやつまで全部」


「ああ? ああ、んん。そんなんあったかな」


「それのこと」


 ああそう、としか返せない。


「ほな、かっこいいとか面白いとかはなんや」


「…………主観や」


 ああそう、としか返せない。


 僕はしばらく、言葉を失くしていた。

 ヒナコはもう一度、ゴメンと謝った。


「あたしが、あんたのことそんなふうにしゃべったから、エミカちゃんは舞い上がってしもてんな。リョータのことなんにもよう知らないうちにイケメンが出来上がってしもて。ほんまごめん。あたし……あほやね」


 僕は立ち止まった。

 ヒナコを振り返り、小首をかしげて見せる。腰に手を当て、眉をよせて言った。


「ほんまやで。あほちゃうん?」


「ひゃはっ」


 ヒナコは笑った。自分のクセを知っていたらしい。僕の似ていないモノマネで、腹を抱え、ポニーテイルを揺らして笑うヒナコ。僕はそのまま続けていった。


「昨日の夜、おまえんちのポストに手紙いれといたからな。ガッコ帰ったら読めよ」


「えっ? なに」


「一日遅れのホワイトデーや。チョコにはマシュマロ、手紙には手紙。ベタでつまんない男やから、そのまんまやけど許せよ」



 ヒナコは悲鳴を上げた。何の話よ、あたし知らんでと大騒ぎする。

 僕は振り返らずに走り出した。


 あかんわこんなん。心臓痛い。

 関西人に、こんなイベントやらせたらあかんねん。


 口に出せないことでも文章だったらなんとか書ける。それを敬語にしたらもっとラクになる。

 それ、僕もそうやから知ってんねんぞ。


 ヒナコの声が聞こえなくなるまで、僕はそのままダッシュで逃げた。同じクラスだから、十分後には教室で会う。どんな顔したらいいんだろう。


 いっそ手をつないで来たほうがラクだったんじゃなかろうか。


 出来るわけもないことを考えながら、僕は中学校の門をくぐった。

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幼馴染がくれたバレンタインチョコと手紙、くれた人は別だった。 とびらの @tobira

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