彼女を攫った日の出来事

@TOMeTO8284

彼女を攫った日の出来事

 俺の趣味はドライブだった。仕事終わり、翌日が休みの日には必ずと言っていい程愛車のミニを走らせる。

 

 これと言って当てもないドライブ。行先も特に決めてはいない。ただ、人里離れた山道を無心で突き進んでいくのが好きだった。


 あの日、12月の半ば。年の瀬が近づいた寒空の下、俺はいつもの様に暗い山道を愛車で走らせていた。


 車一台分しか走れない狭く細い道は、ただでさえ神経を使う。それに、始めて走る道でもあった。


 また、アスファルトには薄っすらと白い雪が積もり、暖房に暖められた車内にまで寒々とした空気が漏れこんでくる様だった。


 ここまで、ひたすら3時間も無心で走らせている。


 さすがに、俺は疲れを感じてきていた。


 すると、ちょうど山頂に差し掛かったその時、程よいスペースを発見した。車三台分が余裕で通れる程のスペース。


 そこの端に車を停め、俺は小休止を挟むことにした。ハザードを付け、車外へと降りる。手にはスマホと缶コーヒー。麓のコンビニで買った缶コーヒーはすっかり、ぬるくなっていた。


 しかし、外の凍てつく様な空気に比べれば幾分かは暖かい。


 それを啜りながら、俺は周囲を見渡す。


 周囲は愛車が照らすヘッドライトの先以外は、ほとんど何も見えない。


 まぁ、見えたところで、鬱蒼とした木々が永遠と広がっているだけだろうが。


 また、ガードレール越しに下を覗き込むと、ここがどれだけ高い場所に位置しているかを分からされた。


 真っ暗闇が広がる深い谷底。遥か下の方から、微かに川のせせらぎが聞こえてくるだけの深淵であった。


 それを俺は何をするでもなく、ぼおっと眺め見ていた。都会の喧騒とは、かけ離れた非日常感に浸る様に。

 



 しばらくすると、体が寒さに堪えだした。それにより、俺は我に返り車へと戻ろうとする。


 ただその時、突如としてヘッドライトの照らす先から物音がした。


 その音がした場所は雑木林の中。それも、ガサッガサッ! と草木をかき分ける音である。始めは鹿か狸かと思ったが、それは明らかに小動物よりも大きな物音。


 さらに、徐々にだがこちらへと近づいてきている。


 俺は一瞬、熊か!? と脳裏を過り背筋を凍らせた。


 足は竦み、思う様に体を動かせない。俺は呆然と物音がした方へと目を向けたまま離せないでいた。


 だが、そこから現れたのは、熊ではなく、人であった。それも、こんな寒空の下、パジャマと薄手のカーディガンを纏っただけの少女。白い肌に、黒く長い髪。恐らく、十代くらいの少女であろう。


 そんな少女が、突如としてこんな何もない山道の頂上に現れたのだ。


 俺は当然の如くその目を疑った。


 ただ次の瞬間、彼女から発っせられた言葉を聞き、さらに困惑させられるのだった。


 彼女は雑木林から這い出てすぐに、

「あの、私を攫って下さい」とそんな訳の分からない事を要求してきたのだから。





 俺はしばらく、唖然としたまま何も出来ずに固まっていた。


 一方、頭の中では色々な考えが交錯している。


――なんで、少女がこんなところに? こんな寒いのになんで、そんな恰好で? そもそも、本当に人なのか? もしかして、幽霊とか?


 そんな事を考えていると、不意に彼女は身を縮こませながら、

「あの、聞こえていますか?」と問いかけてきた。


 俺はそれにより、我へと返る。ただ、困惑した状態は依然として解けない。


「あ、ああ。聞こえてるよ。聞こえてるけど、なんでこんな所に?」


 俺は訳も分からず、そんな当然の質問を投げ返す。


 すると、彼女は神妙な面持ちで答えてくる。


「私は……ある人達から狙われています。だから、あそこに身を隠していたんです」


 そう言われたものの、俺は理解に苦しんだ。


 ただ、ここまではっきりと表情が分かる事。それと、会話も出来ている事から幽霊の線はないだろうと思い、少しホッとする。


 勿論、本物の幽霊など見たことはないが。


 そんな事を思っていると、彼女は逼迫した様子で頼み込んできた。


「お願いです! 私をどうか、助けてくれませんか?」


 依然として状況が呑み込めない。しかし、どうやらただ事ではなさそうだった。それに、彼女をこんな寒空の下に放置するわけにもいかず、俺は提案する。


「待ってくれ。状況がまだ呑み込めない。一先ずは、車内で詳しい話を聞かせてくれないか?」と。


 そこで、彼女はハッとした表情を見せつつ、謝罪を述べてくる。


「そうですよね。いきなりこんな事を言われても、困りますよね……。すみません、私も説明不足でした……」


 それに俺は、肯定や否定をするでもなく、彼女の身を案じた。


「いや、まぁ。そんな事よりも、早く中へ。このままだと、風邪を引いちゃうかもしれない」


 すると、彼女は俺の提案を聞き入れ、失礼しますという一言と共に助手席へと座り込んでいく。

 

 また、彼女は車内に入るや否や

「あったかい……」と心の底から呟いていた。


 当然だろう。メーター上に映し出された、車外の温度は零度を下回っている。それに比べて、車内は暖房をガンガンに利かせていた。


 ただ、そんな彼女の様子を他所に、俺は話を急いだ。


「で、さっきの話だけど……。狙われているってどういう事なの? それに、ある人たちって、どういう人達?」


 そこで彼女は少し考え込んだ後に、

「……神代村の奉念祭事はご存じですか?」と問いかけてくる。


 それは見たことも聞いた事もない村の名前。そんな村のお祭り事など知っている筈もなかった。それ以前に、俺はここを訪れるのが始めてであったのだ。


「いや……全く」


 そう答えると、彼女は俺に伺いを立てる様に問いかけてきた。


「そう、ですか……。でしたら少し長くなりますが、よろしいですか?」


 それに俺は、黙って頷く。


 すると、彼女は淡々と語り始める。


「私は、その神代村の出身です。そして、その村では毎年年の瀬になると、とある祭事が行われるんです。それは、その年で15になった娘が狭い鉄の箱の中に押し込まれて、一週間を過ごすというものでして。その一週間の間、お風呂やトイレはおろか、飲み食いもできません。人と会話を交わす事も出来ず、狭く暗い鉄の箱の中に一週間もの間隔離される。そんな狂気じみた祭事が毎年行われているのです」


 それを聞き、俺は怪訝な表情を浮かべた。


 都会で暮らす俺にとっては、あまりにも現実離れしたその話を到底受け入れられる訳がなく。


「それって、監禁ってことじゃ……。一体、何のためにそんな事を?」


 俺はそう問いかけたが、彼女からは

「すみません、詳しくは知りません。ただ、その年の死者を弔う為の祭事としか……」と曖昧な答えしか返って来なかった。


 ただ、そこまで聞くと俺は察しがいっていた。


「もしかして、今年は君の番なのか?」


 すると彼女は俯きがちに頷いて来る。


「はい、その通りです。そして、私はそれが嫌で逃げ出してきたんです。ですけど、ここまで来るまでの道中。村の人間は私を必死に連れ戻そうとしてきました……」


 そう漏らしながら。


 彼女は困り果てた様子であったが、それを聞かされた俺も困ってしまう。

 

 荒唐無稽な話。いきなり目の前に現れた少女から聞かされた事情はあまりにも重く、すぐさま決断できる問題ではない。


 すると、さらに彼女は訴えかけてきた。


「私の足ではここまでが限界でした……。ですから、お願いです! 私をどうか、そんなイカれた村の人間から手の届かぬ地へと連れ出して頂けませんか?」


 事情を知った上での何度目かのお願い。ただの家出ではない事は理解できた。


 しかし、それでも俺は決断できずにいる。


――事が事だが……。一歩間違えれば俺が誘拐犯になるのでは? それに、親御さんも心配しているだろうし……。なにより、この話を全て鵜呑みにしていいものなのか……


 そんな懸念と疑念を抱き。


 だがその時、俺の迷いを裂くように、正面の下り坂から明かりがこちらへと迫ってくるのが見えた。


 何の事はない対向車の明かり。深夜帯に、こんな山道を登って来る事以外は不自然ではない。


 けれど、それを見た咄嗟に、彼女は頭を伏せ出した。


「村の者かも……!?」


 そして、それは真横を通り過ぎていく。普通のおっさんが運転するただの軽自動車だった。


 しかし、彼女は怯えた様子で「やっぱり……!」と言い放ってきた。


 そして、彼女は続けざまに声を荒げてもくる。


「見られたかもしれません! お願いです!! 早く、出して下さい!!」


 その勢いに押され、俺は思わず走り出す。


 そして、バックミラー越しに後方の様子を窺った。


 すると、後ろから明かりが猛スピードで近づいて来る。


 先程まで、後ろから車が近づいてくる気配などなかった。


 だとすると、さっきすれ違った車以外ありえない。


 俺はその事に恐怖を覚えると共に、アクセルを思いっきり吹かした。道は狭く急な下り坂。それにも関わらず、車は猛スピードで下っていく。


 だがそれでも、後ろの車は離される事なく後ろの方を付いて来ていた。


 そこで、俺は取り乱した様に問いかける。


「なんなんだ!? 本当に君を狙って追っかけてきてるのか!?」

 

「間違いありません! 巻き込んだ事は謝ります。けど、今は何とか振り切って下さい!!」


 彼女は必死に訴えかけてくる。

 

 俺はそれに狼狽えつつも 

「わ、わかったよ」と答えるしかなかった。

 

 その時、車は再び3車線分もある広い場所へと出る。ただ、その先はUの字となった急カーブ。そこで俺は、当然の様に減速し曲がろうとした。


 ところが、後ろの車は減速することなく、猛スピードでカーブへと突っ込んでくるではないか。


 後続車のヘッドライトはすぐさま真後ろへと張り付いた。


 そして次の瞬間、あろう事か俺の車を軽く小突いてきたのだ。


「こいつッ!!!?」


 大した衝撃ではない。しかし、カーブに差し掛かっていた車は体勢を崩し、スピンし始める。


「クッ……!!」 


 すぐさま車は制御不能となった。視界は360度目まぐるしく移り変わる。目の前の下り坂から、山肌、ぶつけてきた車。そして、ガードレールとその先の谷底。


――俺達はこのまま、ガードレールを突き破り、谷底へと落っこちていく!!

 

 そんな事が脳裏を過り、俺は目を閉じて必死に祈り続ける事しかできなかった。


――何とか留まってくれ!! と。


 その時間はとても長く、時が止まっているとさえ思った。


 しかし、その後は特に衝撃もない。

 

 俺は一瞬死んだのかと思った。

 

 そこで、俺は再び瞼をゆっくりと開けた。


 すると、奇跡的に俺の車は反転した状態で、その場に留まっていた事に気が付く。 


「助かったのか……?」


 そう安堵するのも束の間、目の前には先程ぶつけてきた車がガードレールへと突き刺さっている光景が広がっていた。


 辛うじて、谷底へと落っこちる事はなく、ガードレールへと突き刺さったまま動かなくなった車。ただ、車の前方は大きくひしゃげている。


 その光景に俺は唖然としつつも、一先ずは隣の彼女を気に掛ける。


「だ、大丈夫か?」


 すると彼女も唖然とした様子で

「は、はい……」と答えてきた。


 その声を聞いて、やっと少しばかり冷静さを取り戻せた。それと同時に、相手の運転手の安否が気になり出す。


 俺はヘッドライト越しに運転席を窺った。


 そこで、俺は気が付く。


 運転手の男は額から血を流しつつも、なぜか俺を俺達を見て笑みを浮かべていたのだ。


 その表情は不自然な程に柔和であり、あまりも不気味な表情であった。


 それが、俺は恐ろしかった。


 そして、俺には相手の運転手を気に掛ける余裕などなくなっていた。


 俺は次の瞬間、その場ですぐさま転回し、一目散にその場から離れていく。


 あの顔が脳裏に焼き付いて離れない。 

 

 その後、俺はバックミラーを見る事がどうしてもできなかった。




 やがて、山を下り終え麓の町にまで辿り着いた。時刻は深夜1時。車通りや人通りは、ほとんどない。それでも、街灯やコンビニの明かりくらいは、少しずつ目につくようになっていた。


 そこでやっと、俺はバックミラーを覗き込む事が出来た。


 何も映ってはいない。


 俺はそれに胸を撫でおろすと共に、どっと疲れが襲い掛かってきた。


「少し、休憩してもいいか?」


 それに彼女は小さく、はい……と呟く。


 そんな彼女の許可を得て、俺は次に通りかかったコンビニへと入り込む。


「何か、飲み物と食い物を買って来るけど、欲しいものはあるか?」


「……いえ、お構いなく」


 彼女は依然として怯えた様子で、そう答えてきた。


 無理もない。俺もまだ、先程の光景が思い浮かび、震えが止まらないのだから。


 ただ、コンビニに入ると、少しばかり安心感を覚えた。


 始めて訪れるコンビニだが、造りは見知ったコンビニとあまり変わらない。また、退屈そうに商品を並べる店員も同じ。その光景が俺を日常感へと戻してくれる様だった。


 俺は、適当に飲み物と搬入されたばかりのおにぎりをいくつか手に取る。


 そして、再び車内へと戻った。


「とりあえず、はいこれ」


 俺はそう言って、お茶とおにぎりを彼女に差し出した。


 すると彼女は申し訳なさそうに

「あの……お気遣いなく」と遠慮しだす。


 それに対し、俺は

「たぶん、何も口にしていないんだろ? 遠慮すんなよ」と無理やり勧めた。 


 しかし、それでも彼女は遠慮してくる。


「確かに、夕食も摂らずに抜け出してきました……。けど、喉も乾いていませんし、お腹も空いてないんです」


 そんな事を告げてきて。

 

 それに俺は、やせ我慢でもしているのかと思ったが

「そうか……」と呟き、お茶とおにぎりを後部座席に投げ捨てた。

 

 すると彼女は、悲し気な表情と声音で

「巻き込んでごめんなさい」と呟いてきた。


 そこで、俺は憂いを抱くと共に、優しく言い聞かせる。


「いや、君が謝る事じゃない」と。


 そして続けて、俺は問いかけた。


「それより、これからどうするつもり? ここから遠くに送り届けるのは構わないけど、宛はあるのかい?」 


「いえ……、ありません」


 彼女は俯きがちに、小さく呟いてくる。


 だから、俺はすぐさま提案した。


「なら、俺の家に来ないか? 狭いアパートだが、それでもよければ」と。


 俺のアパートなら、ここからかなり遠い。恐らく、村の者の捜索圏外だろう。それに何より、あんな事があったばかりだ。このまま、彼女を一人きりにさせる事などできはしなかったのだ。


 ただ、彼女は依然として申し訳なさそうに問いかけてくる。


「有難いお誘いなのですが、本当にいいんですか?」


 だが、俺の気持ちはすでに固まっていた。


「ああ。あんな目にあったんだ。連中の下に君を返すなんて出来やしないよ」


 俺は力強くそう言って、彼女の憂いを断ち切った。


 すると、彼女は改めて俺へと向き直り、頭を深々と下げてくる。


「何から何まで、有難うございます。それと、これからよろしくお願いします」


 そんな事を告げながら。


 そこで俺は、頭を振りながら笑みを漏らした。


「いや、頭を上げなよ。まぁ、これも何かの縁だろうしね。こちらこそ、よろしく」

と言って。


 すると彼女は、微笑み返してくる。その表情には、憑き物が落ちたような、安堵の様な物が見て取れた。


 だから、俺はそれを傍目に再び走り出す。


 今度は彼女の願いを聞き入れ、彼女を攫う事を決意して。




 そして、この夢が覚めぬうちに――





 それは、通りを音もなく走り抜けていった。

 

 ボロボロとなった狭く暗い鉄の箱が

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