第19話 近くて、遠い

正直、何も覚えていない。

頭の中が真っ白で

何もない空間に一人取り残されたような

右も左も上も下もわからない。

そんな世界に迷い込んでしまったような感覚になり、

記憶という記憶がほとんどない状態に近かった。


ただ、覚えているのは、


『一輝くんが、海外留学をする』


という言葉。


海外。

留学。


単語が頭の中を駆け巡る。

何度も同じ単語が繰り返し流れる。


―――


悠月「もう会えなくなるかもしれないぞ!」


一瞬思考が停止した。

え?

誰に?

悠月? だって、悠月はスポーツ推薦で…。


悠月「いろはっち、早く中!」

彩葉「う、うん…」


飛び込むようにギャラリー内へと戻る。

正面のあの絵の前に、彼、一輝くんは立っていた。

彼を囲むように多くの人。


一輝「期間はどれくらいになるのか、正直わかりません」


期間?

え、何?

どういうこと?


一輝「ただ、見える世界を広げるためにも、今しかないと思いました」


世界を、広げる…。


一輝「本格的に絵に向かい合おうと思い至ったきっかけは、この絵にあります。もう2年も前のことです」


2年前…。一輝君と出会った時…。


一輝「家族との関係がうまくいかず、仲のいい友人もいない。世界に一人だと思い込んで、何もせず過ごしていました。でも、気持ちの変化が起こるときは、本当に些細な出来事がきっかけだったりするんですよね。あれは、雪がちらついている日だったかと思います。目の前に希望というか、雲の間から見える光のような、そんな出会いでした」

彩葉「これって…私達のこと?」

悠月「たぶんね」

一輝「太陽というより、空を羽ばたく鳥のような、そんな方でしたね。その時に頭の中にイメージとして浮き出てきたのが、この絵です。こうやって皆様にお見せする機会が得られたこと、そしてここまで応援してくださった皆様のお力添えあってことだと思っております。本当にありがとうございます」


彼の思いが、言葉として伝わってきた。

暖かくも、少し寂しさも感じられる、そんな思い。

私達との出会いが、彼の力になっていたんだと思うと、嬉しくなる半面、どこか遠くに行ってしまったんだと感じる部分もあった。


一輝「なので、また日本に帰ってきたときにお会いできればと思います。今日はありがとうございました」

彩葉「え…」


拍手に飲み込まれるように、自分の言葉もかき消されるような。

日本に帰ってきたら…?


彩葉「…どういうこと?」

悠月「留学するみたいなんだ」

彩葉「留学…」


突然すぎて、何も出てこない。

せっかく会えたと思っていたのに。

これからもたくさんお話ができると思っていたのに。

想いは儚くも散っていく。


そして、彼、一輝君と目が合った。

途端、目の前が海の奥底に変わるような、暗く滲んで、音という音が遠くなっていった。


悠月「いろはっち!」

一輝「彩葉さん!? 待って!」


暗闇の世界へ飛び込む直前、背中から二人の声が聞こえた気がした。

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