たぬきのこだわり
ジェロニモ
たぬきのこだわり
大学生活が始まってまだそう時間が経っていない頃、俺はほぼ初対面の女子と二人きりで作業をするというひどく気まずい状況に陥っていた。
明日の朝講義でプレゼンをしなくてはならないのに、その資料作成を他三人がバックれやがったのだ。結果、俺は東野奏(ひがしのかえで)さんとふたりきりで作業を進めなくてはならなくなった。
場所は大学構内の食堂。俺たち以外にもチラホラと食事ではなくノートパソコンと必死ににらめっこしていたり、プレゼンに使うだろうマジックで書き込んでいる人々が確認できる。ギリギリなのが自分達だけではないようだと思うとすこしだけ気持ちが軽くなった。
「あ、もうこんな時間なんだ」
彼女に釣られて同じようにスマホで時間を確認すると、時刻は12時を超えていた。
「作業、全然終わりそうにないねー」
やはり五人での発表を二人でというのは無理があるのだ。俺たち二人が四時間脇目も振らず懸命に進めたというのに、作業は終わる兆しを一向に見せない。
「私、食堂か売店でなにか食べるもの買ってくるよ。なにか食べたいものある?」
「じゃあ、 緑のたぬき」
反射的にそう言ってしまってから、俺はしまったと思った。売店の横にポットが三つほどあるから、お湯を入れることも可能だ。実際に食堂でカップ麺を食べている人もちらほら見受けられる。
問題なのはお湯を入れる作業をするのが奏さんであるということだ。
俺は緑のたぬきを食べる際、かき揚げを食べる直前に後入れして食べるというちょっとしたこだわりがある。
作ってもらっている分際で、「あ、かき揚げは後入れしたいから最初は外に出しといて」などと偉そうにお願いするのもなんともずうずうしい気がした。
それになによりもそういうこだわりのある面倒くさい人間だ、と思われるのもなんだか嫌だったのだ。自分の周りに後入れ派が一人もいないのもあって、自分は少数派なのだということを知られるのも恥ずかしというのもあったと思う。
「じゃ、すぐ買ってくるからね」
訂正する間もなく、彼女は小走りで売店へと駆けていった。その間、俺はかき揚げの処遇が気になって作業はまったく進まなかった。
奏さんは両手の上にそれぞれ緑のたぬきを載せて戻ってきた。彼女も昼食に緑のたぬきを選択したらしい。俺の方に差し出された緑のたぬきの上には、重石代わりの割り箸とかき揚げが載っけられていた。
「はい、これ七味ね」
彼女はコトリと七味を俺の前に置いた。
よく、わかってるじゃないかと僕は思った。むしろよくわかりすぎてるんじゃないか と怖くすらなった。
食堂には無料で使える調味料がいくつか置いてある。俺はここで緑のたぬきを食べるときはそこの七味をふりかけるのが常だった。
たまたま彼女も後入れ派だったということはないだろう。なにせ、彼女の方の緑のたぬきの上にはかき揚げが見当たらない。今頃カップの中でその身をふやふやに崩しているに違いない。
「奏さん、なんで俺が緑のたぬきは後入れ派だってわかったの?」
「だっていつも後入れしてるでしょ?たまに見るんだよ、君が食堂で緑のたぬ食べてるの。いっつも美味しそうに食べてるから、ついつい食べたくなって買っちゃうんだから。今回はその対策に、私も最初から緑のたぬきを買ってきたってわけですよ」
奏さんは「ダイエット中なのにお腹減っちゃって困るんだからね」と不機嫌そうに頬をふくらませる。
普通、そんなもの目にも留めないだろう。目に留まったとして、大した接点のない誰が、なにをしてるかなんてすぐに忘れてしまうものだ。
だから「ああ、この人は人のことをちゃんと見ている人なんだな」と俺は思った。
奏さんの方に視線をやれば、「まだかなあ~」と隙間から湯気を漏らす緑のたぬきを眺めてニコニコしながら足を前後に揺らしている。
後日、発表は俺たち二人の休日と睡眠時間を削り、なんとかそれなりの形にはなった。そのプレゼンで我が物顔していたバックレ三人組に、俺たち二人は内心ハラワタが煮えくり返っていながらもなんとか穏便に発表は終了したのだった。
同じグループという接点がなくなり、奏さんとの関係はそれまで通り、同じ大学に通う同回生へと戻った。
しかしそれからというもの、俺はどうにも彼女のことが気になって、ふとした時、気づけば視線が彼女を探すようになっていた。
接点が減ったといっても同じ大学に通っている同士、偶然すれ違うこともあれば、同じ講義を取っていることもある。すれ違った時に話かけることも増えて、そうすると話しかけられることも増えた。ちょっと勇気を出して講義や食堂で一人でいる彼女の隣に座っていいかと聞いてみたりもして。
そんなことを繰り返しているうちに、やがて講義やサークル以外でもチャットでやり取りをするようになり、二人で出かけることも増えていって。少しずつ自分と彼女との距離は近づいていき、大学二回生の夏、ついに俺は彼女に告白し付き合うことになったのだ。
あのバックレ三人組のことは生涯許さないが、彼女と二人きりになるきっかけを作ってくれたことだけは、感謝してやっても良いかもしれないとそう思った。
付き合ってもうすぐ6年になる今、なぜ私に告白したのかと聞いてきた奏に、俺はそういった内容の昔話を垂れたのだった。
彼女の方もまさかカップ麺の食べ方云々で好意を持たれたとは思いもやらなかったらしく、「なにそれ」と呆れたような反応を見せた。
「あれ、君だったから見てたんだよ。わたし、そんなに他人を気にするような良い子じゃないんだから」
奏はなぜか不機嫌そうに頬を膨らませてそう言った。
彼女曰く、チラチラとあの一件より前から俺のことが気になっていたらしい。どうにもそれは一目惚れに近いものだったそうだ。
しかしならば、偶然を装ってかき揚げを後入れして、気が合うふりを演出することもできたはずだ。そうすればバカな俺は嬉々として飛びついたに違いない。
でも彼女そうしなかった。良い子扱いされてなぜか不機嫌そうな奏はやっぱり良い子で、そしてて俺にとって最高の彼女である。そう改めて再確認し、俺は覚悟を決めて背中のポケットに隠していた指輪を手に取ったのだった。
たぬきのこだわり ジェロニモ @abclolita
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