異世界転生

長居佑介

本編

 どうしろと言うのだ。

 私ごときの人間を異世界へ転生させるなんて。


◇◇◇


 私はその辺に落ちていた木で土に絵を描く。

 隙間風が流れ込む藁の家。生きるための食事。人の力だけで作られる麦。水場の作業で荒れた母の手。

 鉛筆や筆とは比べ物にならないくらい使いずらい木でそれらの絵を描く。描く。ただ、描く。未だ受け止めきれない現実を自分の中で消化するために黙々と土に描く。転生という現実を受け入れるには私は弱すぎる。

「あんちゃん。また、絵を描いているの?」

「うん」

 家の裏手が絵でいっぱいになった頃、今生の母が顔を出した。前世の母とは似ても似つかない、赤茶色の髪と瞳をした白人の女性。前世の私よりは小さいだろうが、五歳の私からすると母は巨人だ。それでも怖いと思わないのはなぜだろうか。

「楽しい?」

「……ううん」

 私が首を二、三度横に振ると母はきょとんとした。

「……それなのに絵を描くの?」

「うん」

 私が今度はしっかりと首を縦に振ったので、母は首を横に傾げた。今生の母でなくても、楽しくないのにやると言われても意味が分からないだろう。それが将来の役に立つわけでもないのだから。

 意味のあること。有意義な事。人様から見た立派な事。それを今生の母は押し付けてこない。

 それはいまだに世界に立つ意思を固めきれていない私にとってありがたいことだ。

「……」

 母は無言で私の頭を撫でた。指で髪をすき、手のひらで優しく後頭部を撫でる。

「……いいの?」

「んー?」

「絵、描いていいの?」

 辺境の村でヒューマンパワーは重要だ。

 村の井戸から、近くの川から水を運ぶ。畑から石を取り出す。裏山から野草を拾う。

 一つ一つは大したことはなくても、人間一人でできることには限りがある。それゆえの適材適所。生後五年に過ぎない私にも適所がある。

「んー。あんちゃんがやりたいようにやりな」

「でも……」

 私が働かないしわ寄せは母に、父に来る。

「いいの。あんちゃんがやりたいようにやりな。しんちゃんの分まで、ね」

「……しんちゃん?」

「あんちゃんのお兄ちゃん」

「お兄ちゃん……」

 母の眼は私を見ているようで、私を見ていない。私を介して『しんちゃん』を見ている。私があったことのない、死んでしまった兄を。

「お兄ちゃんのこと話したことなかったけ」

「うん」

 どこか不思議な声色。懐かしさと永遠に届かないものへの渇望。人を愛する暖かさと取りこぼした後に残る冷徹さ。相反する二つが交じり合った色。

 私はどんな色で呼ばれているのだろう。

「しんちゃんは、なあ……。あほやったんよ。祭りの前とかにな、こそっと台所に入り込んで食べ物で口いっぱいにしてんねん。誰がどう見てもつまみ食いしてるってわかるのに、しんちゃんは『わしはつまみ食いしとらん』っていうねん」

「うん」

「そもそも、誰もしんちゃんにつまみ食いしたやろって聞いていないのにやで。自分から言うねん。『わしはしとらん』って」

 思い出し笑いか、他の理由か。母は笑いながら涙をぬぐった。

「祭りの日やからな。つまみ食いくらいは許してもらえるのに自分から言うねん。祭りの時に男衆からつまみ食いのコツとか教えてもらっているはずなんになぁ……。途中までうまくやるくせに最後は自分から言うねん。『わしは食っとらん』って。いつまでたっても変わらんくてなぁ……。アホやろ?」

「アホやな」

「……やろ?」

 影のある笑い方だ。頬は上がって目じりも下がっているのに、目の奥にドロッとした闇がある。

「他は?」

「他? しんちゃんの話?」

 きょとんとした顔を母がした。私がたずねることは珍しいからだろう。

 今生で『生きる』ことは前世を否定するようで今でも怖い。

 だが、母の色がその怖さを飲み込んでも兄のことを知ろうと思わせた。

「めずらしいなぁ……。あんちゃんが聞きたがるなんて」

「……いいやろ、別に」

「不貞腐れないでや。あんちゃん、寝物語にも興味しめさんかったんやで。騎士道物語にも鬼退治にも興味持たへん。もう、ぷいって感じで。お母さん、あんちゃんのこと心配してたんやけどしんちゃんのこと興味もつとはなぁ」

 私が今より小さかった時の話をしながらけらけらと母は温かく笑った。

「……つまらんのや」

「つまらんか」

「うん」

「でも、私が詠うといつも寄ってくるやん」

 騎士道物語も鬼退治も前世の物語と比べれば大したことはない。壮大な音楽もなければ、莫大な資金を使ったCGグラフィックもない。ただ、母の声だけで語られる物語。詩人のように動きで見せることもなければ、千変万化な声色があるわけでもない。優しい声で語られる物語。

「うるさい」

「むくれんといてや」

 わしわしと頭を撫でられる。悪ガキが笑っているような撫で方だ。

「わしの話はいいねん。……しんちゃんのや」

「そやそや。しんちゃんの話やったな」

 母はううんと頭をひねらせる。

「あとはなぁ……。木の棒を振り回すのが好きな子やった。『いつか騎士様になるんだー』って言いながら木の棒振り回してたなぁ……」

 そう言って、私が絵を描くための木を母はそっと手に取った。

「木の棒が好きなところはあんちゃんとおなじやな」

 言い返そうとしたが、母の嬉しそうに笑った顔に私は閉口させられた。木の棒が好きじゃないということのどこに意味があるだろう。

「ただ、なぁ……」

「ただ?」

「しんちゃんの木の棒は時たま手からすっぽ抜けるねん。しかもそん時に限ってな、玄さんやじいちゃん、村長さんの頭にあてるねん」

「うへぇ……」

 玄さんとじいちゃん、村長さんはこの村の三大雷ジジイだ。ジジイのくせに短気でけんかっ早くて、その上喧嘩強い。容赦なく子供にも拳骨を振るうから子供たちから藪蛇のごとく嫌われている。ただ。大人からの受けは良い。

「だからなあ……。しこたま怒られるねん。はじめはお母さんも怒られたんやけどな、途中からお母さんは呼ばれんくなったねん」

「なんでや……?」

 あのジジイ衆なら母も呼ぶだろう。『もししんちゃんが偉いさんに木を当てたらどうするんや』とでも言って。

「しんちゃんが『わしのせいでかあちゃん叱らんといてや!』って毎回言ってたらしくてな。……あのじいちゃんたちも毎回それ言われからお母さん呼ぶ気にならなくなってったそうやで。……まあ、そのぶんしんちゃんがしこたま叱られるんやけどな」

 ジジイ衆からすれば『怒られるようなことをするな』だろう。

 ただ、しんちゃんはジジイどもにも愛されていたのだろう。手の焼ける孫のようなものとして。

「まあ、こっからがしんちゃんらしさというかな……」

「らしさ?」

 なんのことだろうか。

「次の日も木の棒振り回してんねん。んで、そういう日に限って木の棒すっぽかして、昨日怒ってた人の頭にあてんねん」

「あー……」

 それはそれは怒られるだろう。特に、相手が三大雷ジジイなら。

「そらもうしこたまよ。拳骨作って、尻叩かれて、がん泣きしながら帰ってくるんや」

「そらそうやろな」

「アホやろ?」

「アホやな」

 私と母は顔を見合わせてゲラゲラと笑った。

 未だどう生きればいいのかは私にはわからない。今生の母のようなわかりやすさはないが、確かに愛してくれてた前世の母。それを忘れることなどできないし、忘れたくない。そして、厳しくつらい生活だが私のようなまがい物を愛してくれている今生の母。

 天啓があった方がやりやすかった。だが、そんな簡単なものはない。今生も生きることはつらく、苦しい。

 私は前世を持つという特異にいつか折り合いをつけなければいけない。前に足を踏み出すために。けれど、折り合いをつけるということは前世を忘れるようで未だ踏み出せない。

 踏み出せないから私は絵を描く。今を受け止めるために今を描く。ただ、ただ描く。

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