春霞『はるがすみ』―来世―
あの不思議な出会いから15回目の春が来た。
社会人となり、日々の仕事に追われる今でも、未だにあの時のことを思い出す。
有給を取り日々の喧騒を一瞬でも忘れたいと思った私は、ふと思い立って彼と出会ったあの公園に行ってみることにした。
少し歩き、公園に着いた。
天気のいい昼下がりだというのに、相変わらず誰一人もいなかった。
私はあの東屋の椅子に腰掛け、桜の木を見上げる。
花の隙間から日差しが漏れる。
あの日もちょうど今日のような、春とは思えない汗の滲む暑さだった。
当時16歳で高校生だった私は、昼過ぎに終わった課外授業の帰り道だった。
いつもより早めに学校が終わり、何故か気分の上がっていた私は、天気が良かったこともあり、いつもの通学路ではなく少し遠回りして帰ることにした。
その道中、すぐ脇を川が流れ桜が咲き乱れる綺麗な公園の横を通った。
4月ということもあり、桜はまさに開花のピークに達しており、少し花見でもしていこうかと私は足を踏み入れた。
公園の中は時間帯もあってか、閑散としている。
木の揺れる音だけが、鼓膜を撫でる。
特に目的もなく、公園の中を歩き回ってみる。
人一人いない公園で新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、大きく伸びをしてみる。
すこしだけ、春の匂いがしたきがした。
ふと視線の先に、ひっそりと佇む東屋があることに気が付いた。
私は、その視線の先の光景に息が詰まった。
そこには体の輪郭がぼやけ、今にも消えてしまいそうな男の人が腰掛けていた。
だが何故だろうか、普通ならあり得ないその光景に恐れは全く抱かず、むしろ今まで何度も言葉を交わしたことがあるような、そんな懐かしさすら感じた。
気が付くと体が勝手に動き出し、あろうことか隣に腰掛けていた。
読書に耽っていたその男性は、どうやらこちらに気づいたようで、気まずそうに
私は
「最近暑いですね」
「…そうですね。」
輪郭のぼやけたその人は素っ気なく返事をした。
私はこの質問を聞かずにはいれなかった。
「何をしているんですか」
その人は
だが、少し考えたあと、その人はゆっくりと口を開いた。
「僕は―」
一瞬詰まり、何かに気が付いたかのようにこう続けた。
「僕は……『誰かを待っている』…?」
急に風が強く吹き荒ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸はぎゅっと締め付けられる感覚がした。
彼は、はっとした表情を見せ、ふと思い出したかのように、語り始めた。
「僕は、ここでずっとある人を待っているんだ。ずっと、ずっと。」
彼の発する言葉一つ一つが私の心をざわつかせる。
「ここは彼女と初めて出会った思い出の場所なんだ。彼女とはこの椅子に座って四季折々の季節を愉しんだり、二人で本を読んだりした。思い出の詰まったこの場所で待っていれば、また彼女に会えるような気がしてね。」
「…素敵ですね。」
私は高鳴る鼓動を押さえつけ、言葉を捻り出した。
何故だろうか、この人の思い出話は私の記憶には全くないものばかりなのだが、全くの他人事とは思えないのだ。
この妙な胸騒ぎの答えを問うかのように、私は彼に聞いた。
「あの、私達どこかでお会いしたことがありませんか?」
彼は驚いた表情で私を見つめると、目に涙を浮かべた。
その目は、私を見ているようで見ておらず、中身を見透かされているような、不思議な感覚がした。
「そうか…。君がそうだったのか。」
彼はゆっくりと目を閉じる。
「最期にまた、君に出会うことができてよかった。」
空を仰ぐ彼の頬を、涙が伝う。
彼の涙を見た私は、早鐘のように鼓動する胸を押さえ付けられず、いてもたってもいられなくなり、立ち上がった。
彼の輪郭がぼやけていることからやっと私は理解した。
彼は、もうこの世にはいない。
私は言葉ではなく、心で理解できた。
彼は自分では気づいていなかったがもうすでに亡くなっていて、恋人の女性にもう一度会いたい、その気持ちだけで魂だけになった後もこうして健気に待っていたのだ。ずっと、この場所で。
私が、もしも私がその女性の生まれ変わりだったら―
この胸の奥から湧き上がるような、不思議な感覚に身を任せ、言葉を発する。
「私…私は、あなたが誰なのかまだ思い出せないけど、次に生まれ変わったあなたを絶対に探し出します!そしたらもう一度この場所で―」
強い風が私の言葉を遮る。
彼は満足げな表情を浮かべ、自分の体を空に透かしている。
「ありがとう。僕も君に会いに行くよ。」
私は溢れる涙を両手で拭いながら、しがみつくように叫ぶ。
「絶対です!約束ですよ!」
彼は最後に優しく微笑むと、桜吹雪の中に溶けていった。
一人残された私は、大声で泣きながら、彼の影を抱きしめた。
今でも思い出すと、心がざわめく感じがする。
もしかしたらまた— そんな春霞のような淡い希望を抱きつつ、私は背もたれに寄り掛かる。
大きく伸びをし、さあ帰ろうかと思い立ち上がろうとしたまさにその時、
「すみません。お隣座ってもいいですか。」
突然、若々しい少年の声がした。
声だけで理解できた。
ずっと、ずっと、この瞬間を待っていたのだ。
私は溢れる涙を拭いながら振り返った。
これは死してなお互いを思い続けた二人が、生まれ変わりを繰り返し、
桜の花が舞い散る春に出会いと別れを繰り返す、長い長い愛の物語である。
—春時雨— 完
春時雨 文丸 @Fumimal
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