第嘘話 彼女ハッピーエイプリルフール!2022

 

作 0 者


 こちらは『シスターズハッピーエンド!』という作品の番外編です!

 本編と番外編の設定の違いは、作者の近況ノート『『妹ハッピーエンド!』 最新話更新の再告知(第一章 第五話)&???なお知らせ』の頁をご参照ください!


祝 1 也


 エイプリルフール。

 この世で最も憎しむべき日であり、恨むべき日であり、忌むべき日であり、唾棄だきすべき日であり、かつの如く嫌厭けんえんすべき日であり、しょうしつすべき日であり、消失すべき日のひとつである。勿論これは、ぼくの個人的意見というわけではない、世間的に、世界的に思われていることの筈で、要するにグローバルスタンダードな意見である。そもそもエイプリルフールとはどういった日なのか、知らない人のために説明しておくと(そんな人、居ないと思うが)、毎年四月の一日には、嘘をついても良いとされている風習であり(つまり正確には『日』が悪いというより、風習が悪いのだ、憎しむべき風習であり、恨むべき風習であり、忌むべき風習であり、唾棄すべき風習であり、蛇蝎の如く嫌厭すべき風習であり、娼嫉すべき風習であり、消失すべき風習である、と言うのが正しいわけだ)、それをあろうことか、世界中で認めているのだ。と言うと、またぞろ読者諸君は、笹久世 祝也は嘘をつくのも見破るのも苦手だからって、適当にグローバルスタンダードだ何だと言って、エイプリルフールのネガティブキャンペーンを始めた、と思われるかもしれないが(既に思ってた?)、しかしいつぞやにも言ったけれど、基本的に嘘というものは人を傷付ける刃物なのだ。その時は他でもない彼女に『優しい嘘もある、時には優しい嘘も大切だ』みたいなことを言われて、ぼくのこの持論は論破されてしまった節もあったが、今更その反論に反論をすると、ついたほうが互いに幸せになる嘘なんて、通常の、すなわちつくことで不幸になる嘘と比べて、明らかに割合が少ないに決まっているんだから、そこまで嘘を大切に思う必要性はないのだ。大体、がそれを体現してきているからな、ぼくに。あいつのつく嘘の殆どは、自身の『楽しいことをしたい』という欲求を満たすためだけのもので、それにいつも巻き込まれるぼくはと言えば傷付くことばかり、お互いが幸せな思いをした嘘をつかれたことなど、先ず思い当たらない。だからやはり嘘は基本的につくものではない、だからそれを助長するような風習であるエイプリルフールは消失するべきだ、という考え自体は、決してぼく個人の独りよがりなわがままというわけではなく、むしろぼくとしては、珍しくかなりまともなことを言っているのだ。ネガティブキャンペーンなんてとんでもない、ごくごく普通のことを言っているだけなのだ。しかし……、そもそもこんな風習、何処の国の誰が発足しやがったんだろう、もしもいつか、ぼくの元に青色の猫型お世話ロボットが来て、タイムマシンを貸してくれた時に、すぐにそいつを抹消出来るようにと、ぼくは昔、エイプリルフールの起源を調べたことがあるのだが(これは先程のぼくの持論とは別で、『人間は苦手な事柄に対して、調べようとせず、距離を取るため、その知識が疎くなる』というものがあるのだが、まさかこんな危険な動機から、自身の持論が覆るとは思わなかった)、これがえらく拍子抜けな話で、なんと「これ!」という確たる起源は不明なのだという。まあこれが起源なのではないか? という有力な話自体はいくつかある ――― フランスのシャルル九世にまつわる話だったり、イングランドの王政復古の記念祭であるオークアップルデーが関係している説だったり、これまたフランスのさばの話だったり(もしかしたら自身の年齢などを嘘で塗り固めるという意味で用いる『鯖を読む』という言葉は、ここからきているのかもしれない、裏は取ってないけれど)が、その中の一部だが、結局それらはあくまで有力説なだけで、確証があるわけではない。そういった現実を目の当たりにすると、何だかエイプリルフールに、ただの風習であり、概念であるくせに、煙に巻かれているような、もっと言えば嘲笑われているような感覚に陥り、余計に腹立たしいし、憤慨せずにはいられないし、憤怒を禁じ得ないし、得も言われぬイライラが募る。イライライライライライライライラ ―――

 ……おっと。

 ずっとイライラしながら語り部を展開してしまっていたので、改行するのを忘れていた。

 ……とまあここまで、嘘をつく風習であるエイプリルフールを、可能な限り私情を挟まずに否定し、消失させるべきだという意見を展開してきたが、この風習に対し、全く私情がないわけでも、勿論ない。

 論じ方はニュートラルを心掛けたつもりだったが、感情までもニュートラルにして論じていたわけではない。

 ぶっちゃけて言えば、エイプリルフールに対する憎悪に関しては、私情しかない。

 いや、『しかない』と言うとちょっと違うか、私情ともうひとつ、事情もある。

 だからエイプリルフール消失論をニュートラルに論じた次は、すなわち今回は、ぼくがエイプリルフールを蛇蝎の如く嫌悪する理由を、私情と事情のふたつを挟みつつ、語っていくことにしよう。それに先立ち、先ずはその『ふたつ』というのを、結論から言っておくと。

 ひとつ目は ――― ぼくにとって、一年で一番嫌な日である四月一日は、しかしながら、 ――― ぼくの、火殿 妹奈にとっては、一年で一番楽しい日であるらしい、という私情。

 そしてふたつ目は ――― ぼくにとって、憎しむべき日であり、恨むべき日であり、忌むべき日であり、唾棄すべき日であり、蛇蝎の如く嫌厭すべき日であり、娼嫉すべき日であり、消失すべき日である四月一日は同時に、本来は一年で一番ワクワクする筈の、でもある、という事情だ。


祝 2 也


「ちょっと祝也? もしかしてまだ寝てるの? 駄目だぞお、春休みだからって自堕落な生活を送っていたら。まあそれはそれとして、明日、何か予定入っていたりする? もし特に何もないんだったら、久し振りにふたりで何処かへ遊びに行かない? ううん、たとえ明日、祝也に予定が入っていたとしても、彼女からのお誘いを断るわけがないよね? じゃあ明日の正午に駅前で待ち合わせね! あ、あと、妹ちゃんたちにはバレないで来てね!」

 三月三十一日。

 ぼくのスマホがエイプリルフール前日の午前六時に、彼女 ――― 火殿 妹奈からの留守電を受信していることに気付いたのは、その日の正午を迎えようかという時分だった(春休みだというのに、随分な早起きだ)。

 …………。

 いやあ、これが三月三十一日に誘われたことでなかったら、ひゃっほいと喝采かっさいを上げ、ぼくは人目もいもはばからずに、狂喜乱舞していたのだろうが、生憎、今回はその三月三十一日なのだった。

 だから、愛しの彼女からのデートのお誘いだというのに、全然喜べなかった。

 むしろ、ブルーな気持ちになった。

 だって彼女の言う『明日』というのは、つまり四月一日であって、四月一日というのはつまりエイプリルフールなのだ。そんな日に、嘘つきで、ホラ吹きで、自分が楽しいと思うことであれば、たとえそれが自分の彼氏を多少傷付けるようなことでも、平気でやったり言ってのけたりする、倫理観という頭のネジが、数本抜けた彼女からのデートのお誘いなんて、果たしてぼくはどうなってしまうのか、そんなこと、火を見るより明らかだ、火殿 妹奈だけに。

 ……これ、別の場面でも似たようなことを言ったような気がするな。

 ともかく、そういった理由で、明日のデートのお誘いだけでも憂鬱な気分になったのだが、更に妹奈は、明日のデートを妹たちにバレずに来ること、、なんていう条件まで付与してきやがった。

 なんでや。

 あれか、ぼくと妹奈がデートをするなんて知ったら、あいつらがそれを阻止しようと動いてくると踏んだのだろうか……、基本的に、というか根本的に君たち、仲悪いからなあ、とはいえ、そのギスギスした関係は、先日のバレンタインデーで、ある程度綻びを見せたのだと、ぼくは勝手に思い込んでいたのだけれど……。

 そう、先日のバレンタインデーでも彼女は、普段関わることが滅多にない、ぼくの妹たちと手を組んで、ぼくをある事件(と言うには若干大袈裟か?)に巻き込んだのだ。その際も彼女は、ぼくに「別れよう」などという、カップルにとって、一番言っちゃいけない嘘を平気でつき、ぼくを無理やり奔走させた。

 そんな彼女とエイプリルフールにデート? 冗談じゃないぞ。

 いや、ここまで言ってしまうと、お前は果たして火殿 妹奈のことが、本当に好きなのか? と疑われてしまいかねないが、そこは安心して欲しい、ちゃんとぼくはあいつが好きだ(その理由は是非、今後展開されるであろう、本編の妹奈パートを参照して欲しいところだ)。

 とはいえ、キツいものはキツいのであって……、いや繰り返しになるけれど、妹奈とのデート自体は、確かに凄く心躍るものなんだよ? だけどここは申し訳ないがやはり、お断りの電話をするしかない ――― うん?

 スマホの着信履歴をよく見てみると、先程の留守電の直後に、もう一本、妹奈からの留守電を受信していることに、ぼくは遅まきながら気付いた。ぼくはそれを再生してみる。

「もしも明日、ちゃんと来てくれたら……、明日はわたしを、祝也の好きにして良いよ♪」


「やあやあ妹奈、ぼくの愛しい彼女さーん、待たせちゃったかなー?」

「開口一番で、ここまで下心を隠せない祝也には、キモいを通り越して哀しさを覚えるよ」


祝 3 也


 というわけで、デート、及びエイプリルフール当日。

 ぼくが、正午少し過ぎに待ち合わせ場所の駅前に向かうと、そこには既に、ジト目を携えた妹奈が待っていた。うーん、何でジト目なんだろー? デートの待ち合わせだというのに、女性を待たせたことを怒っているのかなー?

 ちなみに、ここ、啓舞の街は面積だけで見るなら、結構大きい街なのだが、本当の意味で大きい街、つまるところ人が賑わい、跋扈ばっこする領域は、電車が通っているここ周辺くらいのもので、あとはぼくの家があるところみたいな、所謂『閑静な住宅街』が大半である。だから、元々静かな場所が好きなぼくからしたら、割と気に入っている街ではある……、だからわざわざぼくは、こうして都市部に出てくることがあまりないのだが、今回、ぼくの可愛い彼女たっての願いから、このやかましい都市部へと繰り出した次第である。

 可愛い彼女からのデートのお誘いなんて、これ程断る理由が見つからない案件など、他にあるだろうか、いやない。

「普通に断ろうとしてなかったっけ?」

「よしじゃあ早速、颯爽と出発しようか妹奈、おや、あそこのお城みたいな建物、一体何だろうね? 新しく出来たテーマパークかな? ちょっと休憩、もとい寄ってみようか」

「ていやっ」

 スパーン!

「痛っ! え⁉ 何そのデカいハリセン⁉ 何処からそんなニッチなもん取り出したの⁉ あとなんで頭じゃなくて頬を叩いたの? おかげでヒリヒリが止まらないんだけど!」

「いやあ、ちょっとわたしのキモい彼氏がいつにも増してキモかったからつい」

「キモいとは心外だな、そんなにぼく、キモかったか?」

「どうせ、今日こそわたしといやらしいことをしようと、企んできたんでしょ」

「いつもの流れにさせてくれない!」

 くそ! いつものやり取りをして、話をうやむやにしてしまおうと思ったのに、これじゃ駄目じゃん!

「まったくどうしようもないなあ……。でも、万が一祝也が、今日ここに来ないほうに気持ちが傾いちゃった時のために、予防線の嘘をついておいて良かったよ」

「え? 嘘?」

「そうだよ、ていうか元より、わたしを好きにして良いなんて危うい約束、わたしが本気で言うとでも思った?」

「てめえ! エイプリルフール前日から嘘ついてんじゃねえよ!」

「いやいや、これに関してはわたしより、祝也が責められて然るべきだと思うんだけれど……」

 妹奈は、怒られる筋合いはない、といった態度でそう言った。まあ確かに妹奈の疑った通り、完全に下心しかなかったんですけれどね。そのために、難易度の高かった『妹たちにバレずにここへ来る』というミッションも、なんとか達成して来たのだから。ちなみにその方法はと言うと、正午集合にも関わらず、あいつらがまだ寝ている早朝に家を出て、その後適当なファストフード店で、二度寝をかます、といったものだった(おかげで若干寝過ごしたため、集合が妹奈より遅くなってしまった)。

 我ながら努力のベクトルがおかしいことは指摘せざるを得ない、いわんや妹奈をや、である。

 さては、ぼくの純情(劣情)を利用して、自分が嘘をつくことを責められない状況を作るのと同時に、己の『楽しみたい』という欲求を満たしたんじゃないか、と疑いたくなる、秀逸なシナリオだった。

「ああそうだ妹奈、忘れる前に訊いてしまいたいんだが、どうして留守電で、あいつらにバレないように来いだなんてことを言ったんだ?」

「…………」

 あれ?

 何で黙るの?

「今日は……、祝也にこっそり来て貰わないと、妹ちゃんたちが大変だろうと思って……」

 と思ったと同時に妹奈がワケを話した。

 うーんしかし、そうかなあ?

 確かに先程言ったように、ぼくの妹たちは、妹奈のことを良くは思っていない節があるけれど、流石にぼくと妹奈のデートを絶対に阻止してやろう、みたいな強硬手段には、出ないと思うけどな ――― 事実、今までだって何回も妹奈とデートしてきて、その内の数回は、妹たちに、「彼女とデートをして来る」と告げたこともあったが、直後に粘着されてウザかったくらいで、デートそのもので特に厄介なことがあった、なんてことはない、いずれもつつがなくデートは終了したのだ。それに加え、やはり先日のバレンタインデーの一件について、その後あいつらの様子を窺ってみた限りでは、三人とも大層妹奈に感謝している様子だったし、そのことも加味して考慮すれば、今回、妹奈のこのリスクヘッジは、杞憂であると断定せざるを得ないのだが。

「いやいや、祝也こそ、今日が何の日か、忘れちゃったの?」

「え、何の日って、そりゃあお前、エイプリルフールだろう?」

「……フール」

「フール? 何それ、某動画配信サービス?」

「それはっ……、アレなんだろうけど、掛けたものが『フール』じゃあ、失礼過ぎて名前出せないよ!」

 まったく、もう良いよ! となぜかご機嫌斜めな妹奈、ここでも、妹奈が横文字を言って、ぼくがそれに疑問を呈し、妹奈がその横文字の意味を解説する、といういつものやり取りが無下にされてしまった。これはひょっとしたら、結構マジで怒っているのかもしれない。

 本当は昨日今日だけでなく、日常的にぼくに嘘をついては、からかってくるこいつに対して、ぼくが怒りたいんですけれど。

「ともかく! 今日のプランニングは、既にわたしが考えているから。今日だけは、ぼくが妹奈をエスコートしなきゃ、とか考えなくて良いからね」

「あ、ああ」

 しかし、妹奈の剣幕にあっさり気圧されたぼくは、その不満を口にするところまではいかなかった。

 飲み込んだ、ごっくんと。


「……やっぱりエイプリルフールって、祝也嫌いなの?」

 あれから、妹奈のプランに沿って、第一目的地へと向かっているのだが、端から見て、どうやっても男女のデートには見えない、どんよりとした空気が、ぼくと妹奈を包んでいた。しかしその空気に耐えられなくなったのか、遂に妹奈が口を開いた。

「……今日のデート、本当はしたくなかったの?」

「………………したかったと言ったら、嘘になるな」

 だからぼくは、いつものように、誤魔化さず、正直に答える。

「あはは……、相変わらず、嘘つかないんだね」

 いや、つけないのか、と言いながら、妹奈はうなれる……、その際一緒に、朱色をしたボブカットの髪 ――― 初めてぼくと会話を交わしたあの時より少し伸びている気がする ――― が、さらさらと前へ流れる。

「それはやっぱり、今日のデートで、わたしが祝也に沢山嘘をつくと思ったから、なのかな?」

「……ああ。だから勘違いしないで欲しいのは、決して、お前との交際関係自体に辟易している、というわけではないんだ。勿論、お前自身を嫌いになったわけでもない、ぼくが嫌いなのは、最初にお前が訊いたものだ」

「エイプリルフール……」

「ああ」

 それさえなければ。その習慣さえ、この世になければ、自分の彼女を常に疑う、なんていう苦行には行き遭わなかったのに。

 ぼくはどんなリスクがあろうとも、それが楽しいことに繋がると知れば、ひた走ることの出来る妹奈のことが、恰好良いと思うし、好きだとも思う。そして妹奈がぼくと付き合う上で、ぼくを嘘でからかうのが一番楽しいと感じていることも気付いてはいる……。

 自分で言うのも何だが、ぼくが妹奈の嘘に踊らされている時、端から見ると、さぞ滑稽に映っていることだろう、それを妹奈は、当事者という名の特等席で観察することが出来るのだ、そんな状況は彼女からしたら、どう考えても逃す手はないのだ。

 恐らく、彼女はだからぼくと付き合っているんだと思う。

 ぼくが妹奈と付き合っている理由は、先程述べたもので、おおよそ間違っていないが(別にそれがすべて、というわけでもないのだけれど)、妹奈がぼくと付き合っている理由は多分。

 嘘に翻弄されるぼくを見るのが楽しいから。

 ……まあ、それについては色々思うところがあるが、それをぼくは口に出すことはない。先程も述べたようにぼくは、そういうところも含めて、彼女のことを好きになったんだし、付き合いたいなと結論付けたのだから。

 だから、彼女が悪いんじゃない。

 悪いのは ――― 嘘を大々的に認めている、エイプリルフールという慣習だ。

「……おし!」

「えっ? どうしたの祝也。いきなり気合を入れるみたいな声を出して」

「覚悟を決めたんだよ」

 ぼくは言う。

「ぼくはな、妹奈。お前の楽しそうな笑顔を見るのが好きなんだ。たとえ、その中身がぼくを嘘でからかうものだとしても、お前が楽しそうな笑顔を咲かせてくれるなら、我慢しようってな」

 思えば、初めて彼女の姿を見た時も ――― 釘付けになった時も、彼女が友達と、楽しそうに会話をしていた時だった、あの時にぼくは、既に恋に落ちてしまっていたのかもしれない。

「お前だって、折角のデートが、いつまでもお通夜ムードなのは嫌だろ? 楽しいことが好きなのとは反対に、どんよりした空気は何よりも嫌だろ? だから今日はぼくが折れる。そういうわけだから妹奈も、こっからは楽しもうぜ!」

「祝也……」

 妹奈は顔を赤らめながら、ぼくの名前を呟いた。

「いつもキモいくせに、たまに素でわたしを惚れさせるようなこと言うの、ずるいよ……」

 ん? それは褒めているのか? 貶してるのか?

「照れてるのっ!」

「え、それ自分から言っちゃうのか」

「ちなみに『キモいくせに』はなけなしの照れ隠し!」

「そこまで詳細に、というかせき裸々ららに白状しなくても」

 とんだ紅白である。

 そんなこんなで、いつもの調子に戻ったぼくたちだったが、そのタイミングで、丁度良く第一目的地に到着する。

「さて、祝也。わたしたちは、ともに吹奏楽部に所属しているよね?」

「いきなりどうした、まあその通りだが」

 先程少し触れた妹奈との出会いも、そこからである。

「だから、自分の息や手で扱う楽器のことについては、お互いにある程度、知識と腕を磨いてきたと思うんだけれど」

 についてはどうかな?

 ニコッと、ぼくが好きな、楽しそうな笑顔でそう言った妹奈の後ろにあるのは、自分の発する楽器で好きな曲を好きなだけ演奏することの出来る施設 ――― すなわち、カラオケボックスだった。

 なるほど、赤裸々に白状 → 紅白 → 歌合戦 → カラオケ……、ってか。

 何というか……。

 伏線回収が早いな。


祝 4 也


 そもそも伏線回収が早いというのは、それは最早伏線でも何でもないという理論が成り立ちかねないので、これ以上この話を掘り下げるのは得策ではない。

 掘り下げるならば、今の状況だ。


「じゃあこうしよ! カラオケの点数で勝負して、わたしが勝ったら、わたしはこの後のデート以降、祝也に嘘をついても良いとする、祝也が勝ったら、わたし、今日は一切、祝也に嘘をつかない……、どう? ただ何もなしに嘘をつかれるよりは、祝也的にも納得がいくんじゃない? ついでにわたしも祝也と勝負が出来ることで楽しめるから、一石二鳥だよ!」


 ぼくはその条件を、素直に飲み込むことが出来なかった。色々考えた末に、苦渋の決断で、ようやく妹奈に嘘をつかれまくる一日にけじめをつけて臨もうと決意していたのに、これでは何だか、出鼻を挫かれたというような感覚に陥る。いやまあ、妹奈の気持ちもわかるよ? ぼくの配慮を、只々何もなしに受け取ることに、こいつはこいつで罪悪感を覚えたのだろうな、ということは。

 変なところで義理堅い女なのだ、ぼくの彼女は。

 しかしその提案は、男の、漢の決意を無下にしているのだ、ということに、出来れば気付いて欲しい。

 そんなわけで、申し訳ないのだが、妹奈のこの提案は、丁重にお断りさせて頂くことにしよう……、ぼくに続いて妹奈が個室に入ってきたところで、ぼくは口を開く。

「妹奈、さっきの提案、お前の優しさを感じて、胸が熱くなったんだけれど、生憎ぼくはもう、お前に嘘をつかれまくる覚悟が出来てしまっているので、別にそんな勝負をしなくても大丈夫だぞ?」

「あれえ? もしかして祝也くん、わたしに負けるのが怖いのかなあ?」

「あ? 何だとテメェ、やってやるよ」

 我ながら、単細胞な生き物である。

 ……ちなみに。

 これまでも何度か、妹奈とはカラオケに来たことがあり、当然その際に彼女の歌声を傾聴したことがあるわけだが、これがまた普通に上手いのだ……、具体的には、どのジャンルの歌を歌っても、点数は大体九十点を下回ることがないくらいである。対して、ぼくはと言えば、平均すると八十点前半、滅茶苦茶調子が良くて八十八~八十九点が関の山で、普通にやりあったら、先ず勝てないのだ。

 ぶっちゃけ、そういう事情があるから、勝負するだけ無駄だろうと思い、妹奈の提案を蹴ろうとしたことは否定できない。というか逆に、妹奈のやつ、ぼくが、ただ嘘をついても良い、という許可を出したことに罪悪感を覚え、勝負で嘘をつくか否かを決める、みたいな公平性をアピールしているようだが、良く考えたら、明らかに自分に有利な条件で、勝負を仕掛けてきやがっていた。

 気付くのが遅過ぎるだろ、ぼく。

 でも……、もう既に妹奈の挑発に「やってやるよ」と乗ってしまった手前、今更「やっぱなし」とも言えないしなあ。仮に言っても妹奈に「んん? 可愛い彼女の前で、そんな二言を宣って盾突くなんて、彼氏さんはそれで良いのかなあ?」とまたも説き伏せにくるに違いない。

「よし! じゃあ始める前に、勝敗の決め方を祝也に選ばせてあげる!」

 カラオケ勝負の勝ち筋も、中々に見えてこないが、こいつと口論や議論で競うのは、もっと勝ち筋が見えない。諦めてぼくはカラオケ勝負を受けるしかないのだ ――― ん?

「勝敗の決め方……? カラオケの点数で勝負して、高かったほうの勝ちってことじゃないのか?」

「いやそれはそうなんだけど」

 妹奈の言う『勝敗の決め方』というのは、訊いてみるとどうやら、『互いの十八番おはこの歌一曲の得点で競う』か、『三時間歌った曲すべてを合算した総合得点で競う』かのどちらかを選ばせてあげる、といった意味合いのものだった。

 うーん……、案外難しい選択だ。

 この選択は、言わば『ギャンブル』で行くか、『堅実』に行くか、というようなものだと思う。勿論、前述の通り実力は雲泥の差なので、スパッと潔く負けるか、ズルズルと、或いはじわじわと敗北を味わうかの違いくらいなのかもしれないが、もし万にひとつも勝ち筋があるものだと仮定して考えるなら、どっちが良い?

 お互い喉を消耗していない万全な状態&自信のある歌一曲で勝負して、妹奈がミスりまくることに賭けるか、基本的に不利ではあるが、妹奈の喉の消耗や調子が悪いことに賭けて、ジリ貧覚悟で長期戦に持ち込むか……。

 あれ、結局どっちも賭けじゃないかこれ。

 ギャンブルとギャンブルだった。

 そもそもどちらも敗色濃厚なのだから、どちらを取っても堅実ということはあり得ない。

 どちらも大して変わらない。

 それならば。

「あのぉ……、どっちもってのは駄目ですかね?」

「どっちも?」

 要するに一曲勝負か総合勝負のどちらかで、ぼくが勝ったら、それはぼくの勝利ということにならないか、というお願いである。

 すなわちどちらかを選択ではなく、どちらも選択させて欲しい、ということだ。

 ……我ながら、プライドもへったくれもないお願いだが。

 ぼくがもし、ギャルゲーの主人公だったら、絶対に誰とも結ばれずに、バッドエンド行きにまっしぐらとなるだろう。

「……まあ良いよ。元々この勝負、わたしが有利過ぎるし、それくらいのハンデがあっても。それに勝負を二回味わうことが出来るってことは、普通より二倍も楽しめるってことにもなるもんね!」

「そう思ってるなら、やっぱりこの勝負自体をやめ ―――」

「んん? 可愛い彼女の前で、そんな二言を宣って盾突くなんて、彼氏さんはそれで良いのかなあ?」

 本当に言いやがった、しかも一言一句全く同じに。

 というか、やっぱり自分でも有利だとわかってて勝負を挑んでいたんだな、こいつ。

 性格が悪い。

 もしかしたら、世間一般のカップルの間では普通、発露することのない感情かもしれないな。いや、まあその関係が終焉を迎える寸前のカップルなんかは、片側どころかお互いにそう思っていても不思議ではないが、ここで肝要なのは、別にぼくたちは、そういうわけではないということだ。ぼくは勿論のこと、妹奈もそのつもりはない……、筈だ。

 うーむ、結果としては嘘だったとはいえ、如何せん、先日のバレンタインデーに別れを切り出される、という経験を経たぼくなので、それが嘘だったとわかった今でも、本当に彼女はぼくと恋人関係を継続したいと思ってくれているのか、どうしても不安が拭い切れないところはある。

 何せ、性格の悪さで言えば、妹奈を悠々と凌ぐのがこのぼく、笹久世 祝也なのだ。そんなクズに、果たして妹奈は愛想を尽かさずに、恋人でいてくれるのだろうか。

「さて、何やら祝也がまた、心の中で卑屈になってそうな雰囲気をキャッチしたので、またも暗い空気にならぬよう、わたしから早速歌わせて頂きますね」

「お前……、さてはエスパーだな?」

「いえいえいいえ。エスパー火殿ではないですよ、はいいいっ」

「誰だよ」

 ヒトノとイトウ、ギリギリ語感が合っているのが危ない、色々な意味で。

 あと『いえいえ』と『いいえ』を同時に言うな。簡潔に二重否定をするみたいな文法やめろ、ああ、その後更に『ではない』って言っているので、三重否定になってるわ、何だ三重否定って。

 全否定したいよ、このやり取りを。

 何よりうら若き、そして花も恥じらう女子高生に、そしてそしてぼくの彼女に、自称高能力者の真似をさせるな、自分からやったんだけど!

「では、ご清聴ください」

 妹奈が歌ったのは、一緒にカラオケに来た時、いつも必ず最初に歌っている一曲だった。彼女いわく、「この曲はわたしの十八番であり、同時にその日のカラオケに対するコンディションやバイタリティを測ることの出来る一曲なのだよ!」らしい(ちなみにコンディションはともかくバイタリティの意味は知らん)。

 歌っているのは、最近話題になりつつあるバンドで、ジャンルを言うならバラード、それも俗に言う失恋ソングだった。おいおい、ぼくというものが居ながら勝手に失恋して貰っちゃあ困るぜ、と最初は突っ込んでいたが、今やこの曲が歌われるのは恒例なので、すっかりぼくも慣れてしまった。そして、こう何度も何度も聞いてると、どうやらこの曲は、ひと括りに失恋ソングとも言えなさそうであることに気付くのだった。ぼくの馬鹿な脳内は、この曲の雰囲気に引っ張られ、歌詞も良く理解せず、『バラード + 恋愛系 = 失恋ソング』と勝手に判断していたが、どちらかと言うと、『恋人という存在の大切さ』、『その恋人へしっかりと言葉を発さなければ伝わらないだろう』といったことを訴えかける一曲となっているのだ。

 ……ふーむ、深いねえ。

 特に今の卑屈モードの祝也さんには、色々と刺さる歌である。おかしいな、元々鬱屈とした雰囲気を纏ったぼくを嫌って歌い始めたはずなのに、これじゃあ逆効果ですよ、妹奈さん?

 この時ばかりは、もっと気分が明るくなるような曲にして欲しかったのだけれど……、あくまでそこは、勝負は勝負だってことなのかな。

「……ふう」

 ひと通り歌い終わった妹奈は、そうひと息つくと、ドリンクをこくこくと飲んだ。

 ……どういう反応をすれば良いかわからず、とりあえず拍手してみる。

「いやあ、もしかしなくとも、今日、コンディションが悪いかも、祝也のせいで」

「え?」

 いや、普通に上手かったけれどなぁ、いつも通り。

 で、百歩譲ってコンディションが悪いとして、何でそれがぼくのせいやねん。

「だって祝也、さっきからずっと雰囲気が暗いんだもん! こっちも楽しく歌いたいのに!」

「楽しく歌いたいのに、ぼくの心を揺さぶるバラードを選曲したのはどこのどいつだ」

「ぶう。だって、だってえ……、わたし、この曲から始めないと、カラオケに来た! って感じがしないんだもん」

 うーん、可愛い反応。

 みんなは知っているかわからないんだけれど、実はこの子、ぼくの彼女なんですよ、知ってました?

 でも何だか妹奈のその主張は、酒乱の人の「この一杯から飲まないと始まらねーぜ!」という主張とそう変わらない気がするんですけれど、それについては、どうなんでしょうか。

 さておき、そんなことを言い合っていたら、妹奈の得点が、既にモニターに表示されていた。

「嘘…………、89.999点? あと0.001点とはいえ、このわたしが九十点を下回るなんて……、というか、たったあと0.001点が取れなかったなんて、滅茶苦茶悔しい!」

 どうやら、ぼくのせいかどうかはともかく、コンディションが悪いという妹奈の言い分は正しかったらしく、いつもならこの曲で先ず九十点を下回ることなどない、むしろ調子が良い時は九十五点台を叩き出すくらいだというのにも関わらず、結果は惜しくも九十点に届かなかった。

 ……てかマジで初めて見た、この曲で妹奈が九十点を下回るなんて。

 これは本当にもしかしたら、もしかするやもしれないんじゃないか?

「……ははっ」

「あっ! 祝也、笑ったなあ⁉」

「ああ、いやごめんごめん」

 何故かはわからないけれど、妹奈はカラオケの点数のことになると、まるで子供のように喜怒哀楽が激しくなる。そんな様子を見て、つい笑みが零れてしまう。

 ああ……、そうだよ。

 ついさっき、決意したばかりじゃないか。

 いつまでも暗くなったり卑屈になったりしている場合じゃない。

 楽しむんだ、彼女がそうしてくれるように、ぼくも。

 まあ厳密に言うと、決意したのは妹奈の嘘を受け入れることであって、明るくなるといったわけではないのだが、それだって突き詰めれば、いつまでも妹奈を悲しませたり、気を遣わせたりしないようにする、という意味なのだし、広い意味では間違っていない。

「よし、じゃあ次はぼくの番だな」

 ぼくは努めて明るい声でそう発しながら、リモコンを操作して、十八番の ――― 否、を転送する。

「『私の特別で大切にしたい人』? 知らない曲名だなあ。だから勿論祝也が歌うのも、初めて聞くけどまさか祝也、勝負を捨てて、初見の曲を歌うわけじゃないよね?」

「まさか、ぼくは大真面目さ。この前、三愚妹とカラオケに行った際に、長女に無理やり歌わされた曲が、たまたま自身の最高得点を叩き出したので、ぼくの十八番が新しく更新されただけさ」

「ええ、祝也、何さらっと妹ちゃん三人をはべらせてカラオケに参上してるの、そこそこキモいよ」

「うん、それは流石にぼく自身もキモいと思う」

「それにしても本当に知らない曲だ……、誰が歌っているんだろう、祝也の妹ちゃんが推す曲なら、わたしも興味あるし。どれどれ……」

 妹奈は言いながら、リモコンの転送履歴を駆使して、この曲の歌手を調べ出した、そして間もなくしてそれは、驚きの声へと変貌を遂げる。ちなみになぜ、普段は落ち着きがあり、自身の主張なども滅多にすることのないあの長女が、この曲をぼくに無理やり歌わせたかと言うのも、この際纏めて説明してしまうと ―――

「え、笹草 幸来沙?」

「うん」

「笹草 幸来沙ってあの妹ちゃんの芸名じゃない! なに祝也、自分の妹が歌っている曲を彼女であるわたしの前で披露するって言うの⁉ 流石にデリカシーがなさ過ぎないかな⁉ というかあの子、本業は確かモデルじゃなかったっけ⁉ なんでモデル稼業の子が歌手活動にまで根を伸ばしてるの⁉」

「説明しよう! 本編において、火殿 妹奈は、笹草 幸来沙がぼくの長女である、ということは知らないのだが、番外編ではその辺りの設定も度外視しているのだ!」

「話を逸らすなあ! というかよりによって、多分一番逸らしちゃ駄目な方向に逸らすなあ!」

 おっと、これは余計な真似をしてしまったかな?

 しかしだとしても、『デリカシーがない』については、妹奈に言われたくない。こいつだって、デリカシーを持ち合わせていたなら、しょうしん気味ぎみな彼氏の前で、その傷に塩を塗るような選曲はすまい。

「いやいや、だとしても祝也のほうがこの場合、デリカシーがないでしょ。根を伸ばすというか、根深い問題だよ、祝也とあの子の関係性は」

 その後も何やらぶつくさと文句を垂れていた妹奈だったが、生憎前奏が終わり、歌が始まってしまったので、ぼくは妹奈の相手を中断し、歌に専念する。

 ぼくの歌う曲 ――― 『私の特別で大切にしたい人』がどのような曲なのかを、改めて説明すると、歌っているのは、先程も散々話題に挙がったように(勿論ここで言う『話題』は、先程妹奈が歌っていたバンドのものとは全く別ベクトルで、あくまでぼくと妹奈の間で、という意味である)、笹草 幸来沙……、ぼくの一番上の妹だ。どうやらモデル活動の傍らで、たまたまレコーディング会社の関係者(問い詰めたところ、どうやら女性らしい)とあいつのマネージャーが意気投合し、また、その関係者が笹草 幸来沙ファンであったということもあり(これを聞いてぼくは、関係者に関する尋問を開始した)、そのままとんとん拍子で制作された曲らしい。とまあかなり、その場のノリで作りました、といういきさつの一曲の割には、しっかりと作り込まれていて、そこは流石、それを仕事にしているだけはある、と感心してしまったものだ、尤も、ファンのモデルに、自分の曲を歌って貰えるから、作曲に力が入った説も否めないが。題名からも察せるように、こちらも恋愛をモチーフにした曲となっているが、先程妹奈が歌ったものとは対照的で、明るい曲調、早めのテンポに乗せて、真っ直ぐに、自身の想い人への気持ちを伝える女の子視点の曲、といった具合に仕上がっている ――― のだが。

 いや少なくとも、最後の一節までは、その認識で間違っていない。『よくある』と言うと、言い方が悪いのかもしれないけど、まあそのまま言ってしまうと、よくある万人受けするような曲調、そして歌詞で進んでいくのだが、この曲は最後、意外な事実が紡がれて幕を閉じる、それが。

「これからもずっと一緒に居てね、お兄さん~♪」

「ええ……」

 妹奈の困惑が留まるところを知らない。

 ちなみにこの最後の一節、というか最後に爆弾を投下するというこのコンセプトは、気付いている人は気付いているかもしれないが、あの、頭のネジが妹奈よりも更に多めに何本か何処かへ吹っ飛んでいる長女本人が直接、レコーディング会社の人に提案したらしい。そしてその人は多分、あいつがどういう意図でそんな提案をしたのか、掴めなかっただろうが、まあ自身が好きなモデルの言うことだからと、その提案を大して吟味せずに通してしまったのだと思う。

 そういう諸々の事情を加味した上で、もう一度この曲を考察すると、底知れぬ狂気に、身震いを禁じ得ない……、個人的には、こんな内容なのに、曲調自体は不気味な程に明るいのが、その狂気を加速させている気がする。まあ何よりも狂気で恐怖なのは、そんなヤバい曲を、ぼくは十八番にしているという点だろうが。

「やった! 88.310点! 歴代最高得点を更新したぞ!」

「……ううん、どうやら十八番だということは、信じなきゃ駄目らしいね」

「今までずっと疑ってたんかい。ぼく、嘘つけないんですけれども」

「正しくは信じたくなかった、って感じだけど……、でもこれでは、わたしの記録に届いていないのも事実。つまり一曲勝負はわたしの勝ちだよ」

 どうやら妹奈はこれ以上、曲に対する突っ込みをしていたら、三時間コースがあっという間に終わってしまうと考えたのか、話の軌道修正をはかってきた。

 それにしても、やっぱりあいつの曲、なぜか歌いやすいんだよな、それに加え、今日は調子がいつもより良いのかもしれない。

 まあ結果的には、一本勝負に関しては惜しくも敗北してしまったが、ここはそれこそマイナスではなく、プラスに捉えるべきで、酷い時にはこれが、一曲ずつ歌う度に点差が十点以上開いてしまう、とかがザラだったりする。それを一点前後に縮められているわけだから、これはもしかしたら、本当にもしかしてしまうかもしれない。

 切り替えて次、というやつだ。

 さて、ではその『次』以降がどのように展開されていったかと言うと、その後もまさかまさかの接戦が続いて ――― と言いたいところだったが、残念ながら、あのレベルの接戦は、本当に最初の一曲だけで、それ以降のぼくは、交互に歌っていく度に、少しずつ点差を離されていってしまったのだった。そして気が付けば、残り二十分といったところで、その差は百点前後まで開いてしまっていた。

「ふう……! もう限界!」

 と、その時点で妹奈が大きく息を吐きながら、そう言った。

 いつもなら三時間コースくらいならば、最後まで走り切れるくらいのスタミナもある妹奈だったが、ここで一足早い終了宣言、加えて、やっぱりいつもなら、もっとド派手に点差が開いていてもおかしくないのに、それが百点前後に済んでいることから、妹奈が「今日、コンディションが悪いかも」と言っていたのは、どうやら本当に本当のことらしい。

 それがぼくのせいであるかは、議論の分かれるところだろうが。

「ということで、後攻の祝也さんも次がラストでお願いしますう」

「くっ……」

 現在の点差をより正確に言えば、103.958点である。つまりこれはカラオケの採点機能上、一曲の最高点が百点であることから、妹奈が終了宣言をしたことで、実質的にぼくの敗北が決定したと同義である。

 コールドゲーム。

 まさに冷え込む試合だ、もう四月なのに。

「いやコールドゲームの『コールド』は『call』のed形で『called』だから、その表現は間違ってるんだけどね」

「試合だけでなく、ぼくの心も冷え込んでいるから、間違ってない」

「すごい理論だ」

「ついでに言うと、ここの代金はぼく持ちだから、財布の中身も、つまりゴールドもコールドしている」

「わたしはこんなにつまらない男と付き合ってしまったのね……、一生の不覚」

「そこまで言う?」

 まあ妹奈にとって、楽しいことが至高の喜びであることからも察せられるかもしれないが、反対につまらないことを何よりも嫌悪する女なので、『一生の不覚』というのも、結構本気で言っているのかもしれない……、あれ、これぼく、実は過去最高にフられるピンチだったりします?

「これ以上つまらないことを言わないように、祝也の口を大きく開けた状態で、がっちりとホールドしたほうが良いのかな?」

「お前だって言ってるじゃん、つまらないこと!」

「またまたそんなに盾突いて、どうしたの?」

「また言ってる! 盾 ――― つまりシールドって言ってる!」

 この感じなら、どうやら大丈夫そうである。

 ………………ん? 盾突く?

 なんかさっきもどこかで出たワードな気がするな……、えーっと。


「んん? 可愛い彼女の前で、そんな二言を宣って盾突くなんて、彼氏さんはそれで良いのかなあ?」


 ああ、そうだ。

 勝敗ルールを決める際に、勝負自体をやめるように言ったぼくに対して、妹奈がそう言ったんだ。

 勝敗ルール ――― 『互いの十八番の歌一曲の得点で競う』か、『三時間歌った曲すべてを合算した総合得点で競う』のどちらかで勝利すれば、ぼくの勝ち。

 前者のほうは既に妹奈の勝利で終わったので、今は後者のほうの勝利を目指して頑張ってきていたのだが……、待てよ。

 このルールって……。

 ……ともかくぼくは、妹奈に促されたように、最後の一曲を歌い終えた。結果は82.619点と、まあいつも通りの結果で終わった……、のだが。

「はあい、ということで残念だったね、祝也、これにて私の完全勝利ってことで ――― って、祝也? 何をまだリモコンを操作しているの?」

 そう。

 ぼくは素早くリモコンを操作し、

「ふふん、かかったな、妹奈」

 と、さながら漫画やアニメによくいる、策士な悪役みたいな台詞を吐きながら、ぼくは妹奈を見た。この時のぼくは、大層なドヤ顔であったのだろうと自負する。

「今回の勝負のルール、そのふたつ目は『三時間歌った曲すべてを合算した総合得点で競う』だ。つまり三時間以内なら、何曲歌ったって構わない筈なんだ」

「あっ……!」

 そう。

 複数人でカラオケに来ると、どうしたって交代で歌わないといけない雰囲気になる。三人以上だとその雰囲気はより強くなりがちだが、ふたりの時だって、その空気はまだまだ衰えない。加えて言うならば、これよりも以前に妹奈とカラオケに行った時、ぼくたちはこんな会話をしていたのだった。

 

「なあ、妹奈。カラオケが好きなら、ぼくのことは気遣わなくて良いから、連続で歌っちゃっても良いぞ」

「何を言うの祝也くん。カラオケは、歌うのも聞くのも出来るのが良いんじゃない。特に自分の大切な人と来たのなら、その良いところを、ふたりで一緒に同じだけ分け合いたいじゃない。だから、絶対に交互に歌うよ、あ、あと採点も絶対入れてね、そしてどちらかが歌っている時はいかなる場合でも席を立たないこと、あと歌っている人の曲を中止するなんてのは、もってのほかだからね。カラオケに来たからには、わたしの言う通りにしてくれないと、酷いんだから」

「カラオケ奉行!」

 

 だから、あれから幾度も妹奈とカラオケに行ったぼくは、今回も例外なく、無意識にその妹奈の通常ルールに従っていた。

 しかし、これは勝負である。

 勝敗ルール。

 今回はそれのみが適応される筈で、通常ルールを多少破ったところで、問題ない筈だ。

 そう。

 これは勝負において、明確なレギュレーションを敷かなかった妹奈のミスなのだ!

「ず、ずるいぞ祝也くん! こんなの横暴だあ!」

「そう言うなら、ぼくが今入れたこの曲を中止してしまえば良いじゃないか。ぼくも勝負のためとはいえ、通常ルールを破ったんだし、妹奈も破れば良いだけだろう?」

「ううう……」

 ふふふ……、出来る筈がない。

 何せ彼女は鍋奉行ならぬ、カラオケ奉行。

 自分以外の人間がルールを破ったからと言って、自分もルールを破っても良い、なんてのは、プライドが許さない行為だろう。

 だから妹奈は、ぼくが二曲連続で歌うのを、茫然と、指を咥えて見ていることしか出来ないのだ。

「……ふう」

 その後、妹奈は本当にこちらへの妨害は一切せず、ぼくはそのまま普通に歌い終わった。結果は78.772点と、本日最低点数を叩き出してしまったが(妹奈が喉の限界を迎えているのと同様に、ぼくももう割と限界ギリギリなため、点数が奮わなかったのだと思われる)、先程の曲の点数と合わせれば、妹奈との点数差であった103.958点は悠々越している。

 逆転だ。

「はっはっはっ! 残り時間あと十分! これはぼくの勝ちだな!」

「ぐぬう……、かくなる上は!」

 そう言うと、喉の限界を迎えていた筈の妹奈が、再度リモコンとマイクを手に取る。

「わたしも最後の最後まで歌う! 勝負に負けるのは、それもわたしの好きなカラオケで負けるのは、つまらないからね!」

「……ぼくの彼女なら、そう言うと思ったぜ!」

「やあああ!」

「うおおお!」

 ぼくたちのれつを極める戦いは続く!


祝 5 也


「あ、見て見て祝也。あそこの巨大な空き地、噂によると、今度テーマパークができるらしいよ。完成したら一緒に行こうね!」

「…………それ本当か?」

「ふふ、どっちかなあ?」

 現在17:30を少し過ぎたくらい。

 カラオケを出たぼくたちは、ブラブラと都市部を散策していた。まあまあ巨大なショッピングモール内にある服屋で、妹奈の試着ファッションショーに付き合ってやったり、スポーツアトラクション施設で軽く汗を流したり、カフェで談笑したり、まあともかく傍から見れば、普通のカップルが行う、普通のデートをした……、まあそれは、別に全然的外れというわけではない。傍から見ようが、ぼくらふたりの視点から見ようが、それ自体の認識は、むしろ一致していると言っても差し支えない。

 ただ一点、彼女の発言が嘘であるかもしれないと、彼氏が常に疑い続けなければならないという点を除けば、だが。

 そう、まあ言ってしまうと、ぼくは結局、カラオケ勝負に負けたのだった。

 残り十分、といった状況で、確かにぼくは逆転を果たしたのだが、その点差は57.438点と、誤差の範囲内で、そこから一曲でも妹奈が歌うと確実に再度逆転される、しかしそこからまたぼくが歌えば、再々逆転できる、という状況が出来上がった。

 こうなるとすなわち残り十分で、最後に歌った者が自動的に勝利することとなるのだ。

 しかしその時のぼくは、それをわかっていなかった。

 とにかくしゃに歌って、妹奈の総合得点を追い越すことしか、考えていなかったのだ。

 その点、妹奈は鮮やかだった。

 先ず追加ルールとして『お互いにこれ以上連続で曲を入れず、交互に歌うこと』を制定し、ぼくの更なる暴挙に打って出る可能性を封じた。とはいえ十分と言ったら、お互いに一曲ずつしか歌うことが出来ないくらいの時間である。そうなるとこのルールをこしらえたところで、この後の順番的に妹奈 → ぼくの順番で、どちらにせよぼくが勝つことになる。

 だから妹奈は、敢えて演奏時間が短い曲を選んだ。

 そしてぼくが歌ったところで、妹奈の目論見通り、残り三分くらい残っていたのだが、これを見事ピッタリ三分の曲を選んでチェックメイト、といった具合だ。恐らく『三時間歌った曲すべてを合算した総合得点で競う』というルールから、ぼくに三時間以内に結果が出た点数で競うべきであって、たとえ歌い始めが三時間以内の曲でも、結果がそれ以降に出ていたら、その曲はノーカウントにすべきだという指摘を受けるかも、と予測したのだろう、ぼくはその時、敗北感に打ちひしがれていたので、全然そんなこと思い当たらなかったけれど。

 ちなみにぼくが最後に歌った者の勝利となること、そして妹奈の目論見に気付いたのは、ぼくが最後の曲を歌い終わってからのことだった。遅い。

 この時ほど、自身の頭脳の劣化ぶりを恨んだことはないかもしれない。

 かくして妹奈は、いよいよおおやけに、ぼくを嘘で踊らせて、楽しむ権利を得たわけだが、先程のように妹奈は、ぼくがそれを嘘だろ、と疑っても「どっちかなあ?」とずっと曖昧な態度を取り続けている。いつもならすぐに「嘘だよ!」とカミングアウトし、ぼくが怒るなり哀しむなりするのを、喜んで楽しそうに観察しているイメージだったのだが……。趣向を変えたのか?

 嘘か本当かわからないで、悶々としているぼくを喜んで楽しく観察することにしたのか?

 だとするとより厄介で、より嫌な嗜好にジョブチェンジしたと言わざるを得ないが……。

「よし、そろそろ良いかな……、祝也、帰ろ!」

「え? あ、ああ……」

 ……何だか腑に落ちない。

 妹奈に嘘をつかれることは覚悟していたのだが、その覚悟がまるで無意味であったかのように、今までにされたことのない嘘のつき方をされ続けたので……、なんかこう、やっぱ悶々とするというか、消化不良というか、不完全燃焼といった気持ちになる。

 そもそも嘘かどうかも、厳密にはわからず仕舞いだし。

 そして「そろそろ良いか」って、何が良いと言うんだ?

 まるで何かの機会をずっと窺っていたかのような物言い……、そんな妹奈の窺いに、ぼくは何が始まるんだと、疑いの目を向けてしまう。

 しかしそんなぼくの様子に気付いていないのか、或いは気付いた上でスルーしているのか、妹奈はニコニコ笑いながら、どんどん帰り道を歩いてゆく。

「祝也、今日のデート、楽しかった?」

「うーん、まあな」

「何だか煮え切らない返事だねえ」

「だってカラオケ以降、お前がどの言葉に嘘を含ませているのか、気が気じゃなかったからさ」

「そこまで精神が不安定になってたの……?」

「嘘か本当か明かされないってだけで、こんなに精神衛生上よろしくないのか、と打ち震えたぜ」

「それってもう、今日のデート、楽しくなかったってことなのでは」

「いやいや、別にそんなことはないぜ? 楽しいって気持ちもちゃんとあった」

 あまりこう、ガッツリとしたデートというのは、今まであまりしてこなかったものな。

「まあ嘘のつけない祝也が、自然な風にそう言ってくれてるから、嘘ではないんだろうけど……」

「特に妹奈のファッションショーは良かった。色々な服装の妹奈が見られて幸せだった」

「なんか正面から、真面目な風にそう言われると、それはそれでたじろぐなあ……」

 そのシーンは苦渋の決断ながら、カットしてしまったがな。

 或いは、そんな色々と可愛かった姿の妹奈は、ぼくの胸の中だけに仕舞っておきたいという独占欲がはたらいた、と思って貰っても構わない。

「そういうお前はどうだったんだ? 今日のデート、楽しかったのか?」

「ううん……、ぶっちゃけて言うと」

「ぶっちゃけて言うと?」

「あんまり楽しくなかった!」

「ぶっちゃけたなあ!」

 何でだよ!

 お互いがお互いに、心から楽しめてなかったってことなのかよ、今日のデート⁉

 せめてぼくは、妹奈に楽しんで貰おうと、我慢していたところがあったのに、その妹奈も楽しめてなかったというのは、どういうことだ⁉

「いやあ、言ってしまうと今日のデート、厳密にはカラオケ勝負をした時以降、わたしは一切嘘をついていないんだよ」

「えっ」

 今まで、本日すべての言動の真偽をひた隠しにしてきた妹奈が、突然あっさりとそう、種明かしをしてきた。

「…………そうなの?」

「うん」

「いや~またまた。それこそが嘘っていうオチなんだろ?」

「ううん、生憎これも本当だよ」

 妹奈は首を横に振り、否定する。

「だから、嘘をつかないなりに、その真偽自体は隠すように発言して、それに対する祝也の反応を見て楽しもうとはしてみたんだけど、駄目だったよ、このやり方はわたしの趣味に合わないや」

「やっぱそういう嗜好ならぬ、思考はしていたんだな……」

「え?」

「いや、こっちの話」

 彼女がデートを楽しめなかったというのは、彼氏として無念なことこの上ないがしかし、それが至高の喜びを、彼女にもたらさなかったというのは、彼氏として安堵できる情報でもあった。

「でも、どうして? カラオケ勝負で、お前は姑息な作戦に出たぼくすら倒したというのに、だったらどうしてわざわざ勝負して、嘘もつかなかったんだよ?」

 てっきりぼくはそこまでして、彼女はぼくを嘘でからかいたいのか、と思っていたのに。

 だから言ってみれば彼女は、デートを楽しめなかったというより、デートを楽しむ権利を、自分でしっかり得たというのに、それをみすみす放棄したということになる。

「あれ、祝也くん、もしかして知らなかったの?」

「何を?」

「エイプリルフールって、一部地域ではその有効期限が、午前中までしか持続しないんだよ」

「え、そうなの⁉」

 全然知らなかった。

 今まで生きてきた中で培ったぼくの持論のひとつに『人は嫌いなこと、或いは苦手なことに対して距離を置きたがる。よって該当分野の知識が疎くなる』というものがある。尤もぼくのエイプリルフールに対する嫌悪度は、並大抵のものではないので、逆に色々と調べていたりしたのだが(冒頭の語り部がそれを物語っていると、わかって頂けるだろう)、有効期限が午前中までしか続かないというのは知らなかった ――― 逆の逆の現象が起こったことにより、ぼくの持論がまたひとつ、強固になった瞬間である。

「じゃあカラオケ勝負後どころか、今日会ってから一度も嘘はついてないってことなのか?」

「うん、尤も、あの嘘留守電はエイプリルフールにしたものではないのでノーカウントだけど、今日のデートに関しては嘘をついていないし、この後だって、四月一日が終わるまでつかないよ」

 いやエイプリルフール以外の日は、先ず基本的に嘘ついちゃ駄目なんじゃないのかよ。

 まあそれはさておくとしても、何というか、ぼくの彼女は本当に変なところで律儀だよなあ。

「でもそれだけが理由じゃないよ……、今日は特別な日だから、ね」

「特別な日?」

 それを聞いてぼくは、今日のデートを始める前に、妹奈がぼくに「今日が何の日か、忘れちゃったの?」と訊いてきたことを思い出す。その時のぼくは深く考えずに、エイプリルフールのことだと回答したが(そして妹奈の機嫌を損ねたが)、もしかして本当にエイプリルフール以外に何かイベントがある日だったのか?

 ………………うーん、思い出せない。

「……って、あれ?」

 気付けばもう、ぼくの家に着きそうなところまで来ていた……、のだが。

「妹奈、こっちまで来て良かったのか?」

「え?」

「いや、だって ―――」

 妹奈の家は、ぼくの家と都市部の丁度中間に位置する場所にある(都市部から見ると、都市部→ 火殿宅 → 笹久世宅 → 啓舞学園といった具合だ)。つまり妹奈は気付かぬ内に、自分の家を通り越してしまっていることになっていた。

「ううん、良いんだよ、祝也」

 だから……、あれ、なん、だ……?

 急に……、意識が……。

「今日は沢山遊んで疲れちゃったよね」

「おい……、妹奈っ……、これ、は……、どうい……う……」

「少しの間、おやすみ、祝也」


祝 6 也


 目が覚めた。

 ……目が覚めた?

 目が覚めたということはつまり、それまでぼくは眠っていたということになるわけだが、どうして眠っていたんだ?

 繋がりが読めない、だって確かぼくは今日、彼女である妹奈とデートをしていた筈。

 そしてそのデートの中身も、基本的に眠くなるような時間が発生するようなスケジュールはなかった。カラオケ、服屋物色、スポーツ、カフェ……、うん、やはりなかった。これに映画鑑賞や、自宅デートみたいなものが含まれていたら、その途中でうっかりうとうとしてしまうというようなことがあっても、まだ不思議ではないが……。

 まあそこを考えても、これ以上の進展はなさそうだ、と早々に記憶を辿る道を諦めたぼくが、次に考えたのは、今の自分の置かれている状況である。

 今ぼくはどうやら、ベッドの上に寝転がった状態でいるようだ。その布地を触ってみると、かなり上質な素材で作られているであろうことが、素人のぼくでもわかる。そして次に視界に映るもので状況を判断しようと身体を起こそうと試みる、がしかし。

「⁉」

 ジャラ……、という音とともに、ぼくの身体は、ベッドへと戻されてしまう。

 そう、ぼくの身体が……、具体的に言うと手足と胸まわりが、鎖と繋がった手錠と鎖そのもので、身体が大の字になるように拘束されていたのだ。

 ……って、え? 拘束?

 なんだかどんどんヤバい予感がしてきているが、ともかく拘束されているなりに頑張って、自分が今いる部屋の様子を窺う。

 薄暗い部屋、というよりほぼ真っ暗な部屋だったが、目を開けたその時から既に、この部屋は真っ暗だったため、視力が適応したのと、そうは言っても窓から入ってくる光 ――― 恐らく月明りや建物の光もあったため、うっすらと部屋の感じが掴めた。見た感じをひと言で表すなら、高級そうなホテルの一室、といった感じだ。

 ああ、そうか、自分でそう言ってわかったのだが、今は夜なのか。窓からの光の雰囲気で、何となくそう感じた……、そうだ、とりあえず今はこんな感じで、わかることを、文脈も脈絡もなくて良いから、どんどん挙げてみよう。

 ガチャ……、バタン。

 そう思った瞬間、どこからか、扉を開け閉めする音が聞こえた。

 誰かが……、来た?

 コツ、コツ、と音を立てて、その『誰か』は、歩いている……、ここからではまだ姿は見えなかったが、その音ですぐに、『誰か』がこちらにやってきているのがわかった。それに先程も言ったように、ここは恐らくホテルのような一室だ、『姿は見えない』と言っても、それは数秒も要らずに解決することとなる。

「ま……、妹奈?」

「あれ、思ったより早起きさんだね」

 妹奈だった。

「はあい、そうですよお、あなたの彼女の火殿 妹奈ですよお」

 火殿 妹奈、ぼくの彼女だった。彼女はデートの時とは違い、きらびやかな赤いドレスに身を包んでいた。

「おい、これは一体どういう状況なんだ? 彼女とデートをしていたと思ったら、急に意識がなくなって、気付いたら、知らない一室のベッドに拘束されているところに、さっきまでデートをしていた彼女が文字通りドレスチェンジして、何食わぬ顔で入ってくるって」

「ん? そこまでわかっているなら、もう答え出てるようなものじゃない?」

 てことはやっぱり。

「お前がこの拘束をやったのか!」

「『拘束をやった』って……、もう少し語彙力何とかならなかったの?」

 まあでも。

「そうだよ、カフェの際にこっそりと祝也の飲み物に薬を入れて眠らせ、ここまで連れてきて、拘束させて貰った」

「薬だと⁉」

「そう、具体的には、わたしのくすぐり攻撃を食らって大声で笑った祝也が、恥ずかしそうに周りを気にしていた時に」

「あのくすぐりは薬を盛るためだったのか!」

 何とも洒落の利いた盛り方だ ――― じゃなくて。

「薬 ――― 睡眠薬ってドラマやアニメとかだと、飲んですぐに効果が現れていたけど、ぼくの場合、あれから一時間くらいは時間が経過していたよな?」

「実際の睡眠薬はそれが正しいんだよ、あれはドラマやアニメの演出上、効果てきめんに描写されているだけ」

「へえ……」

「……まあそのオリジナルの睡眠薬を、更に少し改良して貰ったんだけど」

「え?」

「ううん、安心して。改良というのは文字通り、良く改善して貰ったって意味で、効き目を弱くして貰ったくらいだから」

 いやいや、とはいえなあ。

 自分の愛する彼女に薬を盛られたという事実は、どうやったって覆らない。

「……で、これが今のぼくが一番訊きたいことなんだけれど」

 前口上はこの辺りにしておいて、ぼくはそろそろ妹奈に切り込むことにした。

「ぼくに薬まで盛って、こんな妙に高級そうな暗い部屋に拘束して、お前は一体何が目的なんだ?」

 ぼくをどうするつもりなんだ?

 ぼくは警戒しながら、妹奈に訊いた。

 ……すると。

「ふ」

 と。

「ふふ」

 妹奈は。

「ふふふ」

 不敵に。

「決まってるじゃない」

 言った。

「きみをわたしだけのものにするためだよ、祝也くん」


祝 7 也


「……は?」

 何を言っているんだ、この女は。

 わたしだけのものにする……、って言われても、別にぼくは元より誰のものでもない。それでも、強いて答えるなら誰のものかと問われたら、ぼくはぼくのものだ。

 どこかのガキ大将風に言うなら、お前のものはお前のもの、俺のものは俺のもの、である……、と言ってしまうと、最早全然名言(迷言?)ではなく、至極真っ当で当たり前なことを言っているだけになってしまったが、それが世の中の当たり前なのだから、そりゃあ文言だって当たり前なものにもなるさ。その相手がたとえ、先輩や上司、そして彼女であったとしても、自分という存在が、誰かのものになるというのは、ぼくを含めたこの世のすべての人間において、有り得てはならない。それが万が一にも有り得てしまうと、それはもう人権の剝奪と言ってしまって良いのだ。

 深刻な問題だった。

 それを、他でもない、ぼくの彼女が言っているのだから。

「何も問題じゃないよ」

 しかしなおも妹奈は、ぼくの意見を否定してくる。それはまるで、ぼくと妹奈が織りなす、いつものやり取りの中のひとつである、問題提起と議論を展開していく流れに似ているものを感じたが、しかし今回は明らかにそれと違う点がある、それは何かというと。

「ここで言う『きみをわたしだけのものにする』っていうのは、そこまで重いことじゃなくて、ただ祝也にはこれから、わたしだけを見て、わたしだけと会話して、わたしだけと触れ合ってくれれば良いだけだから」

 いつもは(自分で言うのもおかしな話かもしれないが)どちらかと言うとぼくが、支離滅裂な意見を提示し、それを妹奈が正論でバッサリと切り捨てる、というのが一連の流れだが、こと今回に至っては、妹奈の意見のほうが支離滅裂だ。

 何が「良いだけ」だ、全然良くない。

 有り体に言ってしまえば、いつもの妹奈じゃない。

 誰だこいつ。

 しかし残念というか何というか、流石のぼくでも、自分の付き合っている彼女を見間違えるということはあり得ない。たとえこの部屋が暗くても、いつもの朱色の髪の毛や可愛らしい声を聞けば、それは瞭然だった。

 見た目、そして声だけで判断すれば、今ぼくの前に居るのは間違いなく、火殿 妹奈だった。

「ん? どうしたの祝也くん、そんなにわたしを訝しむように見つめて」

 言いながら妹奈はベッドの近くにあったソファに腰かけ、テーブルにあったティーカップを優雅に持ち上げ、そっと自分の口へと運ぶ……、ぼくが目覚める前から飲んでいたのだろうか、流石に中身まではわからなかったけれど、今着ているドレスも相まって、傾国の美女のような振る舞いに見えた。

 本当にそれだけなら、只々妹奈の美しさに卒倒していただけだったかもしれないが、しかし先程から言うように、今の妹奈は明らかに様子が変なのだ。なのでぼくには妹奈の姿、振る舞いが、不気味にしか見えなくなってくる。もう嘘なら嘘であって欲しいくらいだ ――― ん?

「はは、わかったぞ妹奈。この一連の流れは嘘、すなわちドッキリなんだな! とは言えここまでの準備をひとりでするのは大変だろうから、今度はお前からぼくの妹たちに頼んで準備したんだろ? なるほど、幾らエイプリルフールは午前中までしか有効じゃないからと言っても、流石に限界を迎えたか。だから今日のデートで溜まった鬱憤を、今まさに開放している最中なんだ ―――」

 ガシャン‼

「ろ………………」

 ぼくの発言を遮るように鳴り響いたさいおんは、他の誰でもない、妹奈がティーカップを床に叩きつけたことで発現したものだった。

「嘘だと思う? 本当に」

 昼間の時のように、言葉尻だけを捉えれば、またも曖昧な返答ではあったが、その雰囲気は、昼間のそれと明らかに違う……、ぼくに背を向けてソファに座っていた妹奈は静かに立ち上がると、ぼくのほうへ振り返り言った。その大きな碧色をした瞳は、心なしか虚ろな風に見える。

「……まったく、いつもいつも、祝也の口から出るのは妹、妹、妹ばかり」

 しゅくやのめにうつるのもいもうと、いもうと、いもうとばかり。

「どうして自分の彼女のことは、口に出さないの?」

 ドウシテワタシハ、シュクヤノメニウツラナイノ?

「どうして妹ちゃんたちのことばかり考えるの?」

 Why don't you put me first?

「どうしてわたしは、いつも蚊帳の外なの?」

 我不是故事中的人物吗?

「どうして……、どうしてなの……」

 縺セ縺ゅ≧縺昴↑繧薙□縺代←縺ュ。

「お、おい……、妹奈、落ち着けって、な?」

 いよいよいつもの妹奈ではなくなってきたところで、流石に恐怖を覚えたぼくは、とにかく彼女をなだめようと声をかけるが。

「そう……、いつもそう。いつもいつも祝也は、会う度に妹ちゃんたちの匂いを漂わせてて、それがどれ程不快だったか……、今日だってそれは変わらなかった。いつもと全く変わらずに、あの匂いを、察知するだけで卒倒しそうになる、あの忌まわしい匂いを漂わせてこっちにやってきた。どうして? 今日はあの子たちにバレずに来てって言ったのに。匂いを嗅ぎたくないからそう忠告したのに、どうして約束破るの? どうしてわたしを裏切るようなことするの? ねえ、ねえ、ねえってば!」

 妹奈が身動きの出来ないぼくへと詰め寄り、馬乗りの体勢になりながら、肩を掴んで揺さぶってくる。

「落ち着けって! ぼくは今日、ちゃんとあいつらにはバレずに来たんだ! 会話すらしてないんだ、信じてくれ!」

「…………………………」

 ぼくは怯えながら必死に答える。一歩間違えたら、とんでもないことになりかねないという意味では、まさしく『必死』である。しかしそれが功を奏したのか、妹奈は沈黙し、ぼくの顔をじっと見始めた……、まるで真偽を見極めるかのように。

 …………。

「………………ああ、そっかあ」

 しばしの沈黙の後、妹奈は合点がいったというように、そう言いながら自分の胸の前でぱん、と一回手を叩き、馬乗りの体勢を解いて、そのままぼくから少し離れる。それでぼくはひと先ずほっとしたが、妹奈の次の発言で、再び絶望を味わわされる。

「祝也とあの子たちは、もう何十年もの間、四六時中一緒に居たんだもんね。ちょっとやそっと離れただけじゃあ、匂いは取れないかあ、残念」

 ……じゃあもう、こうするしかないか。

「お、おい! それって……」

「ん? このサバイバルナイフがどうかした?」

「どうかしてるのは、だからお前だって!」

 まさかとは思うけれど、ぼくにそれを使うつもりじゃあるまいな⁉ 妹奈だけに! いやいや今そんなこと言ってる場合じゃない!

「妹ちゃんたちの匂いを漂わせ続けている祝也を、わたしが血の匂いに変えてあげる。いつも妹ちゃんたちのことしか話さない祝也の口を、文字通り口火を切ってあげる。いつも妹ちゃんたちのことしか見ていない祝也の目をくり抜いて、わたしだけを見られるようにしてあげる。いつも妹ちゃんたちのことしか考えていない祝也の脳みそを、わたししか考えられなくなるように啜ってあげる。いつもわたしをないがしろにして妹ちゃんたちの元へ行っちゃう祝也の四肢を引き裂いて、わたし以外のところへ行けなくしてあげる」

 ひとつひとつ、狂言を発する度に、妹奈は再度徐々にぼくへと近寄ってくる。

 まるで本当に、そのサバイバルナイフで、ぼくを貫かん、とばかりに。

 嘘でなく、本当に。

 妹奈はあっという間に再度、馬乗りの体勢を取った。しかし今度はその動作に、サバイバルナイフを刃先がぼくを向くように両手で持ち、ゆっくりと掲げ始めるという動作が追加されている。

「やめろ……、おい、妹奈、やめてくれ……!」

 こうなると ――― 説得が不可能となるともう、ぼくは妹奈に懇願することしか出来ない。

「わかった、わかったから! 元々妹奈のことは、あいつらより考えてた自覚があったんだけど、それが足りないってお前が言うなら、これからはもっとお前のことを考えるし、見るし、言うから! デートだって行くし、ショッピングの荷物持ちだっていくらでもやる! だからもうやめてくれ、やめてくれえええぇぇぇ!」

 刹那 ―――

 グサッ!

 …………。

 ………………。

 ……………………。

「……あ?」

 それは。

 そのサバイバルナイフは。

 確かにぼくの心臓をひと突きにしているように見えたが。

 全く痛みを感じなかった。

 出血もしていない。

 ……というか。

「………………おもちゃ?」


祝 8 也

 

 笹久世 祝也は激怒した。

 それこそ、メロス顔負けの怒り方だったと思う、メロスが実際に、どれ程憤っていたか知らないけど。そして、もうひとりの登場人物である、セリヌンティウス……、ではなく、火殿 妹奈と言えば、ずっと謝り通しだった。

 誤り通しかもしれない。

 まあ、ともかく、そのシーンは割愛しておこう。思い返してみれば、ぼくも流石に少々大人気なかったように思うし、妹奈も妹奈で、謝っていた際の姿をこと細かに描写されたら嫌だろう、なので、ここからはお互いが多少冷静になってきた辺りから、描写していこうと思う……、勿論、とっくの昔にぼくの拘束は解かれ、部屋に明かりが灯っている状態でのトークだ。

「というか妹奈お前、エイプリルフールの有効期限は午前中までだから、デート開始時刻の正午以降にはもう嘘をつかない、って言ってたじゃないか」

 そう、まあぼくがキレていたのは、皆さんもお察しの通り、妹奈がここ最近で一番えげつない嘘 ――― ドッキリを仕掛けてきたからである。先ず何がえげつないと言って、内容もさることながら、妹奈の演技力が高過ぎて、本当にぼくの彼女はヤンデレと化してしまったのかと思わされたことだ……、本当、これがぼくをからかって楽しみたいだけの女がする演技か? と突っ込んでしまうレベルだ。おまけに言うと、各小道具もかなり本格的だったし。

 だからついついそのクオリティに感動して(その前に滅茶苦茶怒りましたけど)話をそのまま畳んでしまいそうになったがしかし、ぼくが今指摘したことを忘れてはならない。

 エイプリルフールの有効期限は午前中まで。だから今日の、四月一日のデートにおいて、嘘をつかない、と他でもない本人がそう宣言していた筈だ。

 もしかして、そこから既に嘘だったのか?

 今日一日というものが、結局すべて嘘だったと言うのか?

「ううん、それはそんなことないよ」

 妹奈はしかし、ぼくのその予想を否定した。

「今日のデートは、このドッキリ以外、すべて本当のことしか言ってないよ」

「うーん……、じゃあ実は既にもう、四月一日じゃないとか、か?」

 そう、それは充分にあり得る。

 言わなくても良いことかと思い、今の今まで言ってなかったが、ぼくは妹奈に眠らされていたため、現在時刻が全くわからないのだ、部屋に窓があるにも関わらず、先程のドッキリで部屋は暗かったので夜は夜なのだろうが……、だから既に真夜中に突入していて、すなわち四月二日になっているから、妹奈のエイプリルフール縛りがなくなり、この暴挙に打って出たのか?

「ぶぶう。それも違います。だってほら、見て?」

 妹奈はそう言うと、先程までぼくを寝かせて拘束していたベッドの上辺りの壁を指で指し示す。そこには大きめの時計が飾られており、時刻は19:50を示していた。つまりあれから二時間と少しくらいしか経っていないということになる……、ぼくはかれこれ十年分くらいの人生経験を積んだ気分だったが。

「じゃあ何だって言うんだよ、エイプリルフールのローカルルールが嘘だったというわけでも、日を跨いだってわけでもないのに、このドッキリを仕掛けたって、それ矛盾していないか?」

「それだよ、祝也」

「え?」

 どれが『それ』なの?

「あの時は言ってなかったけれど、『エイプリルフールの有効期限が午前中まで』っていうのは、イギリス独自のローカルルールであって、他の地域では、普通に一日中有効として扱うんだよ」

「はあああ⁉」

 マジかよ。

 ぼくが今さっきポロっと言った『ローカルルール』は、『世間一般的にはあまり知られていないよねそのルール』といったニュアンスで発言したものだったのだが、まさか本当の意味でのローカルルールだったとは。

「なんでそれをお前は黙ってたんだよ!」

「だって、訊かれなかったから」

「悪役が言いそうなセリフ! 今の妹奈には奇しくもピッタリだな!」

「酷いこと言うなあ。どちらかと言うと、性格が悪い役が言いそうなセリフ、かな? それにもしあの時に言っちゃってたら、このドッキリ、失敗しちゃってたかもしれなかった、っていうのもある」

 自分で性格が悪いって言っちゃうんだ、自覚はあるんだ。

「くっ……、これが俗に言うじょじゅつトリックってやつか」

「そうなのかな……?」

 それにしても。

「まったく、散々な一日だったぜ。やっぱり四月一日は、ぼくの思った通り、ロクな日じゃないな」

 言った後で、確かに要所要所で切り取れば、酷い瞬間もあったが、せっかく妹奈が基本的には楽しめたデートを催してくれたのにこんな言い方をしては、そっちのほうまで否定しているようで、失礼にあたるかもしれない、と遅まきながら気付いた。

 ……まあこれくらいの失礼発言なら、此度の妹奈の暴挙と差し引いても余りある気がしなくもないが。

「……本当にわからないの?」

 と。

 妹奈が不思議そう ――― 否。

 哀しそうな表情で、ぼくの顔を覗き込んでくる。

「こんなお洒落な部屋があるような建物にまで来たのに、本当に今日が何の日か、思い出せないの?」

 またそれか……、ぼくが眠る前にもちらっとそんなことを言ってたよな。

 ともかく妹奈から、訝しむようにそう言われたぼくは、引っ張られるように改めて部屋を見回す……、暗い時にも思ったが、本当に小綺麗というか、華やかというか、兎に角すごい高級そうな一室。勿論だが、ぼくはこんな部屋を見たことが、今までの人生で一度もない、まるで何かの祝い事を催す際に用いられそうな一室。そう言ってみると、妹奈の赤いドレスも、何かのパーティで着用するような代物だし ――― ん? 

 祝い事? パーティ?

 確かに今日は、エイプリルフールという忌々しい日であることは間違いないのだが、それと同時に何かを祝う日だったような……。

 笹久世 祝也が、何かを祝わなければならない日だったような……。

 と、ここで急に妹奈が昼間のカラオケの一曲目で歌っていた曲が、何処からともなく流れ始める ――― 何のことはない、妹奈のスマホが、誰かしらからの着信を知らせているのだ。妹奈は「ちょっとごめんね」とぼくに言いつつ、その着信に応じる。

「はい、火殿です。うん、うん、やっぱりもう準備出来ちゃった? あはは、そうだよね。三人は早朝からずっと準備してきてたもんね、改めてありがとうね。……うん、まだ思い出せないみたい、ホント、脳みそが妹ちゃんたちでしか構成されてないみたい。……ええ? わたしも? いやあ、どうかなあ? うん、じゃあもうそっちに連れて行っちゃうね、はあい、じゃあまた後で」

 …………。

「……誰から?」

「わかってるくせに」

 ……まあ皆目見当もつかないと言ったら嘘になる、ので口では肯定も否定もせずに沈黙を貫いてみたら「さて、じゃあ行こ、祝也!」と急に妹奈に手を取られ、ぼくはどこかへと連行されてしまった。

 早々に部屋を出て廊下へ……、廊下もロイヤル感が随所に織り込まれている。いちいち高そうな絨毯みたいな床に大理石っぽい壁 ――― あと、そもそも廊下にしては、通路がでかい気がする。

 ホントにここ、どこなの?

「よし、ここだよ、祝也」

「でかっ」

 つい、そう声を漏らしてしまった。何故なら、その声の内容通り、妹奈の示した一室の扉が、他の部屋と比べても、かなり大きかったからだ。とするとメイン会場はここで、先程までいた部屋は、控室みたいな扱い、ということで良いのだろうか。

 控室の段階で、かなり部屋として完成していたけれどな ――― それこそあそこで、そのままお祝いやパーティをしても何ら支障がないくらいだ。では果たしてこの部屋は、どれ程までに凄いのだろう……、ぼくは意を決して扉をゆっくり開いた。

 そこにいたのは。

「シュク兄! 誕生日おめでとう!」

「祝也、誕生日おめでとう」

「祝也兄さん、おめでと」

「しゅっくん、ハッピ~バ~スデ~」

「祝也さん、お誕生日おめでとうございます!」

「「「「「おめでとうございます!」」」」」

 華麗なる笹久世家一同と、彼らの関係者の皆さんだった。

 そう、今日は。

『笹久世 祝也が、何かを祝わなければならない日』ではなく、『笹久世 祝也を、祝わなければならない日』だったのだった。


祝 9 也


 パーティがようやく落ち着いてきたか、という頃には、もう日が変わりそうな時刻になっていた。ぼくはパーティ会場から少し外れたベランダ ――― じゃなくてバルコニーって言うのか、こういうところは……、ともかく夜風に当たりたくて、会場から抜け出してきた。

「四月の夜風は、まだまだ寒いから気をつけなよ?」

 と、そこにやってきたのは、今日一日ぼくを色々な目に遭わせてくれた彼女、火殿 妹奈だった。

「良いね、タキシード、似合ってるよ」

「よせよ……。あいつら、誕生日だからって無理やりこんなの着させやがって」

 言うまでもなく、お節介な妹三人と義理の母親兼幼馴染の差し金である。父さんも、そのノリに全面協力はしなかったものの「まあこんな日くらい、恰好付けても良いんじゃないか?」とか、あいつらを後押しするようなことを、言ってくれやがったし。

「にしても、まさかこんな計画が水面下で動いてたとはなあ、全然気付かなかった」

 まあこれは、気付かなかったからこそ、純粋な思いで凄いと思えるものであって、そのタネさえわかってしまえば、何のことはない、手品のような真相だった。

 先ず、ことの発端は、前回のバレンタインデー同様に、三愚妹から妹奈に依頼が入ったのだった。その内容は「いつもエイプリルフールのせいで、自分の誕生日さえも呪っている自分の兄を最大限にもてなすことで、思い出に残る日にしてあげたい」と、「恨みが残る日ではなく、思い出に残る日に塗り替えたい」と。

 そこで四人一緒に色々と考えたが、変に凝ったことをやってしくじるよりも、結局シンプルに、サプライズで滅茶苦茶豪華なパーティにすれば、思い出に残るだろう、という結論に至った、しかしそれには準備がそれなりにかかるし、サプライズがぼくにバレて、それこそ最大のしくじりをしでかしかねない。だから準備はゆっくり少しずつやるのではなく、当日に一気にやってしまおうということになった。そのために妹奈がぼくの注意を惹く意味で、本日のデートを組み込んだ、という次第である。そしてその間に妹奈以外のメンバーで、会場や料理の準備を行ったのだという。

 そう聞くと、妹奈が今日のデートをするにあたって「妹ちゃんたちにはバレないで来てね!」という釘を刺してきたのも、そう言うことで、ぼくが早朝から家を出ざるを得ない状況を、裏がバレないように自然に作り出すための口実だったのか、と思い知らされるし、ぼくがその理由を妹奈に訊いたとき、彼女は「祝也にこっそり来て貰わないと、妹ちゃんたちが大変だろうと思って」と答え、この時のぼくは勝手に『ぼくと妹との口論が大変だろう』という解釈をしていたが、本当は『妹ちゃんたちの誕生日パーティの準備が大変』という意味だったのだとも同時に気が付いた(つまりこの言葉も、ぼくが勝手な解釈をしたというだけで、彼女が嘘をついていたわけではないということがわかる)。

 しかしそう言うと、幾ら妹にバレないように出てくる、という難解なミッションの達成のためと言えど、それでぼくが早朝に家を出る選択を取るとは限らないのに、よくもまあ妹奈はそんなうっすい確率に賭けたものだな、と思われる読者もいるかもしれないが、実はこの妹奈の牽制は、非常に理に適っているというか、ぼくのことを良くわかっている上で発言していると評定できる(謎の上から目線)。

 と言うのも、ぼくの妹たちは、ぼくの彼女である、火殿 妹奈の話題になると、必要以上に粘着してくる傾向がある、とぼくは考えていて(バレンタインデー以降に少しは解消されたかとも考えていたが、まだまだ根強い問題だ、とも考えていた)、妹奈に言われなくとも、日頃から自ずと妹たちには、妹奈に関する話題を避けているところがあった。そんなぼくがわざわざ妹奈に「デートしよう、だけど妹ちゃんたちにはバレないで来てね!」みたいに言われたら、そりゃあこういう行動に出るさ。

 デートなんて、粘着レベルの中でもトップクラスの案件だからな。だからこそ妹奈はぼくのそんな考えを逆手に取り、あのような釘を刺してきたのだろう。それに事実、このデートによるおとりあんには、あいつらも難色を示したそうだし。しかし最終的には『デート中に自分たちの兄を悲しませない』と言う条約の下、渋々その案を飲んだのだと。だからデート中、妹奈は一切の嘘をつかなかった、ということらしい。そしてあのヤンデレドッキリは、そんな我慢を一日中耐え切って見せた妹奈に、長女が許可を出したんだって。おい。

 あ、長女と言えば、これは完全な裏事情、すなわち金銭面の話になるのだけれど、此度のパーティは前述した通り、かなり豪華なもので、会場も食事も、人数を考えたらかなりの額だったそうだが、その殆どはモデル業を営む長女が負担したらしい。相変わらず凄まじい財力だ(ちなみに具体的に笹久世家以外の参加者を軽くまとめると、長女のマネージャー、次女の大量の友達、三女の変わった友達が数人、父母の仕事場の仲間、妹奈の友達、吹奏楽部の面々等々様々な人がいたが、この裏事情を知っているのは笹久世家の人間と長女のマネージャー、そして妹奈のみである)。

 まああいつの稼いだ金なんだし、あいつの自由に使ってくれて構わないんだが、それをすべてぼくにぶつけんばかりに振りかざすのは、ぼくの気が済まないので、やめて頂きたい。

 実際にやられたわけではないが、札束で頬を叩かれている気分になる。

「そういえば、ずっと訊きたかったんだけれど、中々タイミングがなくて訊けなかったから、今訊くんだけれど、そのドレスもうちの長女が用意したのか?」

「ううん。流石にそれは悪かったから、自分で用意したよ」

 とは言っても購入じゃなくて、レンタルだけどね、と妹奈は小さく舌を出しながら言った。

「そうか……、でさ、これも中々言うタイミングがなかったから、今言うんだけれど」

「うん?」

「めっちゃ……、綺麗だな」

「うん⁉」

 ぼくが言うと、妹奈は途端にボン、と爆発するように顔を赤らめた。

「いや本当に。綺麗だし可愛いし美しいし妹奈に良く似合ってると思う ――― 痛っ!」

 気付いたら、妹奈が今日、いつかのタイミングで使った巨大ハリセンを再び手にしており、それでまたぞろ綺麗に引っ叩かれた。

「だから何なの⁉ 今回から急に使い始めたそのアイテム⁉ 流行りなの⁉」

「ハリセン。漢字で書くと『せん』で、簡単に言えば、お笑い芸人がよく使っている小道具のひとつだね」

 いやこのタイミングで、いつものやり取りを持ち込まれましても……、それに最近の芸人は、きょうびこんな直球勝負なハリセン、使ってないと思うんだが、と突っかかりたくなったし、今回に限って言えば割とマジで有効な反論なため、突っかかっても良かったのだが、もう色々と面倒くさかったのでやめておいた。

 だとしても、ドレスにハリセンは流石にアンマッチ過ぎるぜ。

「ま、まったく、何でもかんでもそうやって無作為に褒めるなんて祝也、まあまあキモいよ。相手が恋人のわたしでなかったら、ただのナンパだからね」

「いや、こんなことを面と向かって言う相手なんて、お前しかいないよ」

「しゅ、しゅくや、だからそういう照れる台詞を言うのは ―――」

「あと妹くらいか」

「キモい!」

「うへぇ!」

 ハリセンが三度、ぼくを襲った。

「キモいとは心外だな、ぼくそんなにキモ ―――」

「うん」

「随分食い気味だね」

「うん」

 ……でも。

「ん? 何か言ったか、妹奈?」

「わたし、嬉しかったよ」

「ん? ああ、その見た目を褒めたこと?」

「ううん、あ、いや、それも勿論嬉しかったけど、それ以上に嬉しかったのは、何だかんだと言いつつ今日のデートで、わたしに嘘をつかれてからかわれる覚悟をしてくれたことだよ」

 ああ……、そっちのことか。

「別に、大したことじゃない、本来『覚悟』なんて、大それた単語を用いることすらおこがましいくらいのささやかな覚悟だ」

「ううん、そんなことないよ」

 また少し卑屈なところを見せてしまって、まずったなと思ったが、それを妹奈が即座に否定してくれた。

「たとえ自分が信頼している人でも、その人に対して嫌なことがあるってわかっていたら、普通はそこから逃げちゃったり、諦めちゃったりする筈だもん。それを祝也は、逃げずにわたしを受け止めてくれた。それは相当な覚悟がないと出来ないことだと、わたしは思うなあ」

 だからわたしだって。

「どんなことがこれからあっても、祝也のことを信じるし、祝也のことに関して、逃げたり諦めたりは絶対にしない。たとえある日突然祝也が居なくなったり、存在がなくなっちゃったりしても、わたしだけは、いつまでも忘れないし、探し続けるよ」

 …………まったく、ぼくの彼女は。

「大好きだぞ、妹奈」

「わたしも。大好きだよ、祝也」

 そんな感じで。

 ぼくらは再度、お互いにお互いの気持ちを伝えて、ふたりして笑い合った後、妹たちから、そろそろお開きにするという知らせを聞いたところで、ふと時計を見ると、丁度零時を回ったところだった。


「どんなことがこれからあっても、祝也のことを信じるし、祝也のことに関して、逃げたり諦めたりは絶対にしない。たとえある日突然祝也が居なくなったり、存在がなくなっちゃったりしても、わたしだけは、いつまでも忘れないし、探し続けるよ」


 願わくは、それだけは嘘にならんことを。

 妹奈から言われた、そんな感動的な言葉さえ信じきれなくなる。

 そして。

 みんながぼくを祝ってくれたことさえも、嘘に思えてしまう……、だから。

 ぼくは、エイプリルフールが嫌いなのだ。

 ………………でも、やっぱり。

 今まで数あるエイプリルフールを経験し、またこれから何度もエイプリルフールを迎え、その度に憂鬱な気持ちになるとしても、今日だけは。

 みんなが祝ってくれて、彼女が言葉をくれた今日だけは、信じてみようかな。

 そう思いながら、ぼくは妹奈と一緒に会場へと戻ったのだった。


  


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妹ハッピーシーズン! 狭倉 千撫 @hazakura_sis

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