第5話 少女は魔王と出会う。




 ――あ、また。


 私は顔を上げた。

 今までに何度も覚えたことのある感覚がした。

 ス――と、身体の一部が何かにひかれるのだ。

 まるで服の裾を誰かに引かれたかのように、身体の一部が、肌が、肉が、血が、引っ張られる。

 つかまれているわけではない。触られているわけでもない。ただ、見えない何かに引かれる。

 最初は、ちょっとした違和感。


 ――来る。


 それはまるで地震の前触れのように。

 ぐい、と身体の内側から、まるで磁石が鉄を吸うように引っ張られた。


 もしそこに私以外の誰かがいたら、小さな子供の輪郭がぶれて、徐々に姿を薄れさせていき、やがて消える姿を目撃したに違いない。

 でも、今までほかの誰かに目撃されたことはない。というか、人がいるときにそういう現象が起こることはない。

 これから先もない、とは言い切れないけれど。


「――っ!」


 止めていた息を吐いた。

 大きく息を吸えば、空気が変わったとわかる。

 次に目を開ければ、そこはもう違う世界だった。


 界渡り、という現象だと教えてくれたのは、これを何度経験した後だったか。

 召喚、という魔法や魔術、魔道、魔陣、呪術、呪言――と、言い方や方法はそれぞれだけど、結局は何かに呼ばれて私は世界を渡ってしまう。

 体質のようなものだと思えばいい、と言ってくれた人もまた、私と同じように界を渡る人だった。


 私が呼ばれるときは、目的あってのことが多い。

 でも、たまに、目的がなく、誰が呼んだのかも分からないときがある。誰が掘ったか分からない穴に落ちてしまったかのような感覚だ。


 今、私は深い森の中にいた。

 シンと静まり返った薄暗い木々の中。鳥や動物の気配はない。

 大木の隙間からの覗く空ははるか遠く、白い空に昼間だとわかるが、わかるのはそれだけだ。

 整地されていない自然の森。日の光があまり入ってこないからか、下草はそれほどないので、歩きやすそうではある。

 広葉樹も針葉樹も混ざっている。斜面ではなく平坦なので、山ではないようだが。

 私はゆっくりと深呼吸をした。

 大丈夫。空気は澄んでいる。

 たまにすごい澱みの中に召喚されたりすることがあるから、その点ではホッとするけど。


「ここ、どこなのかな」


 戻れるのかな、と少しだけ不安に思う。

 虫に刺されるの、いやだなあ。魔物とか魔獣とか魔蟲とか、そういった類も怖い。

 もともと室内にいたので、足元は裸足だ。汚れるから歩きたくもない。

 手足が冷えて寒い。

 迷子の時は、その場から動くなと言われたけれど、こういうときってどうすればいいんだろう。

 私はうずくまった。

 こういう時、誰に助けを求めればいいのか、私は知らない。

 父親も、母親も、いないから。


「おなかすいた」


 ――早く、誰か、迎えに来て。


 心寂しさを覚えた時だった。


「何してんだ、こんなところで」


 男の人の声がした。


「迷子か?」




   ※




「覚えてないですよね」


 私の言葉に、真紅の前髪をかきあげた魔王が器用に片方の眉を上げた。


「あ? 何をだ」

「わたくしたちが、初めて出会ったときのことです」

「忘れるかよ。ついこないだだろうが」

「ですよね」


 ふふ、と私は笑った。


 彼は、いつか思い出してくれるだろうか。

 魔王城に数日滞在した小さな女の子のことを。

 人間界に送り届けた少女のことを。


 このまま育てて嫁にしたらー? と笑って言った白金髪の綺麗な男の人に、胸のない女は論外、と――。


 思い出して、なんだかイラッとした。


「魔王さんのばか」

「なんだそれ」




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迷子の魔王を探しています 君田熾世 @kimida-shiyo

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