◆欲望
「二度目になるけど、今日はよく来てくれたね」
「ううん、たまたま暇だったから」
さくらの家は、林業従事者らしく、緑豊かな森の中にあった。自分がまだ小さかったころ、ママが読んでくれた絵本を見て、森暮らしにあこがれていたのを思いだす。その当時はメルヘンチックな森に憧れがあったけど、今はまた違った理由で森に憧れている。自然への憧憬という、漠然とした理由。
「じゃあ、ここに座ってて」
家に通されると、リビングの食卓に座らされる。好みの飲み物を聞かれたので、カフェラテを頼む。
「さくらのお友達?」
「あ、はいそうです。初めまして。相田調といいます。岩本中学で教師を」
「そうですかそうですか」私の焦りによる早口が、その言葉で止まる。
「ゆっくりしていってください」
そう言う相手のシェルは
「ちょっと、ばあば」
さくらがおやつと飲料を手にしながら、その老婆を睨みつけた。
「さくらの、おばあちゃん?」
「うん」
かなりミルクが多めのカフェラテが置かれる。飲んでみると、やはりほぼ甘い牛乳だった。
「あんたのお友達なんて珍しいね」
「一人くらいいるよ」
「やれやれ」さくらの祖母は、シェルをまとっていながらもわかりやすく溜息をもらし、その孫娘と自らを比較していく。
「友達は多い方がいいよねえ?」
「あ、はい、その、得ですよね、いろいろと」
突然の質問にたじろいで、ほぼスレートの自動生成文を口に出す。それがさくらの祖母には高評価だったらしく、にこやかに語りだす。
「あたしはね、あ」そこで止まって、屈みながら右手で謝る。
「
舞音さんは、いつの間にかロッキングチェアに座っていて、話を一区切り終えるとゆらゆらと前後運動をしている。さくらは彼女に鋭い視線を送り続けている。
「また昔話。せっかく二人で話そうとしてたのに。今日は寝ないの?」
「さっき起きてきたばかりだかんね」
できれば、こうして客人の前で小競り合いはしないでほしかった。
「お前が聞いてくれないから、憂さ晴らしの話を、お友達に聞いてもらってるのさ」
「いえいえ、楽しいので。いいんですよ」
「カナデ、やめといた方が」
「家が厳しかったんだよ。うちは父親も母親も弁護人だったもんで、躾が過ぎた。だからグレて渋谷に入り浸った。今でも悔やむけど、将来は廃墟写真家になりたかったんだけどね」
ロッキングチェアで前後に揺れながら、舞音さんは肩をすぼめる。いちいち動作に年齢が現れる気がして、観察することすら、すこし楽しい。
「写真家にはならなかったんですか」
「2083があったんだよ。若いから経験してないだろうけど、それで結局一文無しに」
経験者から聞き出す2083という四文字の羅列は、とても重かった。それを直接体験した人々の恐怖は、中高の歴史教育で嫌というほど叩き込まれていたから。そうやって私がいまいちかける言葉を見つけられないでいると、舞音さんが続きを語りだす。
「落ち着いた時、親のコネで
「今は、退職を?」という質問に、「もちろん」と彼女はゆっくり頷く。そして、ちらりと目に入ったさくらが小刻みに揺れていた。あきらかにいら立っているようだったが、まだもう少し、私は話を聞いてみたい。なにせ、ここ最近、ここまで高齢な人と話す機会がなかったから。何せ、レッドインパクトの前の、2083まで体験しているのだ。
「そしたら空いた時間に、ご趣味、なさらないんです?」
「シェルが体に馴染まなくて」
「ああ」
シェルへの適応度は、各々違う。だから、この世界においては教育実習生の平賀君のように、身体障害などないに等しいと思われ勝ちではあるが、結局のところ、今度はシェルに対する適応障害が身体障害に変わっただけだった。これこそ、
「私はシェルなんて脱ぎ捨てたいんですよ、ほんとは」
ヘラヘラしながらも、私のこの言葉の奥にはいつも何かしらの強い感情が秘められていると、今になって感じる。今回は承認欲求と、共感の念。
「いいね、若いんだから、やりたいことはやっておくといい」
「いやいやいや、でも犯罪」
「もちろん」舞音さんが、さくらの言葉をその四文字で遮った。妙に凄味があって、やっぱりさくらと一緒に暮らしているだけある。
「そんなことわかってる。でも犯罪にならない程度に、何かそれに近い事をやってみればいいじゃないか。若いうちが花。どんなに成功した実業家だって、老人になればみんなそう言うんだ」
私は深くうなずく。父方の祖父母は私が生まれる前に無くなってるし、母方の祖父母とは、そもそも家庭の事情でほぼ話した記憶がない。そういう境遇だからか、はたまた高齢者の話にこうして耳を傾けるのが久々だからかはわからないけど、とにかくその言葉には、心が揺らいだ。
〈やってみればいい、かあ〉
白いカフェラテを飲みながら、イマドキの出来るフリーランスのように、スレート上で自分の思考回路を整理しようとする。しようとはするのだが、少しのあいだ操作をして、やっぱり自分にはスレートやシェルの持つ性能の一割も活用できないことを思い知らされただけだった。
不意に顔を上げると、ニュースを写すディスプレイが目に映る。もう音量が低すぎて、ほぼミュート状態だったけど、報道番組が「訃報」を伝えているというのは、テロップや見出しなどで見て取れた。
訃報。たった二文字に思わず心を鷲掴みにされて釘付けになる。死んだのは、天才的なゲーム音楽の作曲家として人気を誇っていた刈谷そういちだった。その名前を見てますます息をのむ。彼はまだ三十代のはずだった。数秒後に彼が享年三十四歳という情報も飛び込んでくる。
「カナデ」
「ん?!」
「ほら、部屋。案内するから」
私は無言でさくらについていく。廊下を歩いていても、階段を上っていても、やっぱり刈谷そういちの訃報が脳裏にこびりついている。いつ死ぬかもわからないこの体が、シェルに覆い隠されてる……。やっぱりやりたいことは、やっておくべきなのだろうか。
さくらの部屋は、想像通りの質素さだった。まるでこの部屋の中にある全てものが、一つ一つ的確に置き場所が決まっているかのような、そんな印象を受ける。内装アイテムは特別変わったところはないけど、一つだけ、気になったところがあった。
「あれは、本?」
「ああ、これね」
もしあれが本であれば、この棚は「本棚」ということになる。シェル以前の、
「見る?」
初めて物理的な本に触る。これでもかというくらいに薄っぺらいページをめくると、少し色あせたユリの写真が八枚あって、それぞれに注釈が書かれている。二枚ページをめくっても同じような内容だったので、一度本を閉じて拍子を確認すると、これが植物図鑑だということがわかる。
「珍しいもの、見せてもらっちゃったね」
彼女に返す。ほかに何か見たいものは無いかと聞かれたので、無いと答えると、とりあえずベッドに腰かけておくよう促される。座ると同時に、食卓に例のカフェラテを飲みかけでおいてきてしまったことを思い出して、取りに行こうとした。
「わ」
その瞬間に、さくらが私を押し倒した。突然のことに訳が分からず、何をすることもできない。そのまま彼女は、ベッドに横たわる私にまたがる。
「カナデ、ボクの気持ちは」
気持ち? 訳が分からない。いまだに意識して動かせる部位はなく、私はただ呼吸と瞬きをするだけの体になっている。
「ボクの気持ちは、わかってくれたかい」
「何」
「最後まで、ボクにさせないでくれよ」
やっと声を発することができたが、まだ手足を動かすこともままならなかった。だからそのままさくらの手が、足が、シェルの表面を蹂躙していることに抗う術は、無い。ただただスレートが、今外界で起きていることを事細かに分析して、私の脳に手渡すだけ。
「やめてよ」そんな、兎のようにか弱い声しか出ないことが恥ずかしくもあり、情けなかった。そう、自分が情けなく思うと共に、彼女が一気にから恐ろしい存在に思えてくる。
「ほら」
「ちょっと」やっと身をよじらせる。
「だめ?」
「んん、だめとかの問題じゃないってば」
そこからの彼女の行動は迅速だった。私がその欲望に応えられないとわかるや否や、すぐに身を引く。次に手足を引っ込めて、私の上からどく。
「ごめん」
互いに相手へ掛ける言葉が見つかるはずもなく、かといって体をどう動かせばよいかもわからず、私はベッドに寝たまま、次の言葉を待つ。
「ボクは、ひどい事をした」
「そうだね」
ベッドの軋む音がきちんと聞こえる程度に、静まり返る部屋。ここにいるのは二人のシェル。
ようやくベッドから起き上がる。でも、彼女の顔は見れない。一体、何を考えてのことだったのだろうか。まさか、
「ビアン、なの」
「今、その夢は散ったよ」
夢という言葉に引っかかりつつも、私は憤りそのままに言う。「恋人いるって、言ったよね」
浮気とか、純愛とか、そういう貞操観念とかは、彼女には無かったらしい。そう思うしか、術はなかった。
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