◆見えざる世界



「さて、今日はありがとね、まさかこんな縁があるとは」

「ボクもうれしいよ。カナデにあえて」

「演説お疲れさま」

 高根さくら。ちょっと変わってる切れ者。高校まで一緒だったけど、その後はバラバラになってずっと会うことが無かった。見ない間に随分端正な顔立ちになって、公開モードフェイスに移るボーイッシュな顔立ちが、ますます凛々しくなっている。

「どこいこっか」

 私が勤務しているここ岩本は、まるで灰色の街という評価がふさわしいくらいに色がない。主に「空を飛ぶウミガメ」とかいうありきたりな工蟲が浄化した大気汚染物質が灰として所々に降り積もっているし、この町のアイデンティティとしてもてはやされる海岸線の「風化岩の岩棚」をモチーフとしたオブジェが、町の至る所に置かれている。そして何よりそうイジられる一番の理由は、やはり岩なんかを特徴とするくらいには「特徴がない」ことだと思う。自然が豊かというレベルの田舎でもないし、都会というほど栄えてもない。生活維持の為の店とか、外科内科、そしてシェルの殻科なんかがあるくらいで、若者から年寄りまで誰が見てもよさを見出せない、そんな風景が、私たちの目の前に三六〇度広がっていた。

「あそこは?」とさくらが指さしたのは、赤い亜間AR看板のカフェだった。その情報を拡張しようとして、私は広告に捕まる。

〈アヴァン・ヴェールが、メタバース世界の再来を宣言します。ゲーム界の奇才集団ラブリーデックと、あのラクロワ・アヴニールが作り上げたのは――【広告をスキップ】〉

 最速で広告を消してカフェのログを見る。アリタコーヒー。悪い評価は無いようだった。

アリタここ、よく来るの?」

 私は、アリタブレンド(ミルク)とスフレケーキ風簡易栄養食ミールを選ぶ。

「いや。ただ近かったから。でもコーヒーは好きだからね、ちょうどいいと思ったのさ」

 さくらはモカブレンドを選択して、端末に情報を入力する。アリタコーヒーは少し価格設定が高めなだけに、店内の雰囲気はとても趣深い。入口からも見えるあの古ぼけたコーヒーサイフォンは、一周回って最新トレンドのようにも思える。内装は茶色い木材と灰色のコンクリートを見事に調和させていて、イマドキのけばけばした原色主義よりも私は好きだった。

「今何してるんだっけ?」

「林業だね。木材販売と、森林管理」

「さっきうちの中学で第一次産業従事者として話してくれてた、漁業はもうやってないの?」

「そうなる」

「もったいない」

「やりたくなくなったらやらない。それだけだよ」

 聴けば、彼女は千葉大の統合医学部を卒業したのに、いまは林業についているらしい。その理由を聞いても、やはり「やりたくなかった」という一点張り。天才ゆえの思考は、やっぱり私にはわからない。

「どうも」

 それで私は、給仕されたブラックコーヒーを啜りながら、彼女の興味深い性格を紐解いていくことにした。

「それで、さ。何というか、雰囲気変わったよね。シェル越しでもわかるというか」

「そう言ってくれると嬉しいな。ただ、別に努力して変えたわけじゃないよ。自然にこうなった。これがボクの自然体って感じだね」

 彼女その発言に対する私の言葉を待たず、少しそわそわした様子で質問をした。「恋人、いるの」と、確かにそう言った。

「え」

 変な沈黙だった。別に嫌だったわけでもないし、彼女のことだから、昔ながらの他愛もない会話の一部なのだろう。でも、私にはどこか、その一つの質問の中に絶妙な機微、違和が感じ取れた。シェルのスレートが誤作動をして、異様な実感を表出したのだろうか。

「うん。いるよ」とそれだけ答えて、とりあえずコーヒーを飲んで、付属していたミルクを入れる。さくらの方はというと、全く動じず、そして何も発さないまま、私と同じようにコーヒーを口にした。

「卒業以来会ってなかったけど、ボクはいろいろ考えてたんだ」

 先ほどの質問はなかったことになったようだ。

「ねえ、この世界について、カナデは考えたことある」

「シェルについてならある。窮屈でさ。なんかもう、感覚的に嫌なんだよね。確かに利点はあるとはいえ、心理的に苦しいような感じ。でもじっくり考えれば、私にあったかもしれない危険から守ってくれてるかもしれないし、身体機能の拡張とかは、無かったら今ここにいないかもしれないしって思ってて、その、とにかく理性的に考えればありがたい物なのかもしれないけど」

「違うよ。カナデの感覚が正しいんだよ」

「私の」

 突然の宣告だった。彼女は大げさに、私に人差し指を向けてそう言う。

「動物としての本能を遮断して、あろうことか体をカーボン繊維の中に監禁して、さらに表面的なことを言えばGPSも付いてる。その情報は中央処理施設に送られてるけど、他の情報は政府に送られてても不思議じゃない。シェルは、ありきたりな言葉で言えば、ディストピアへの入り口だよ。現実が、分かりやすく古典的なSFみたいになってきてる」

 私はあまりの衝撃に息を呑んでいた。だから彼女の話をさえぎって「私もそう思ってたところ!」なんて言うこともできなかった。でも、本心は強烈に共感していて、声は出ずとも、思わずさくらの手を握った。

「そ、そ、そうだよね!」

 やっと声が出たと思いきや、上手く声帯が機能していない。当たり前だった。今の今まで、肉親であるパパにすら否定されて、誰にも共感されなかったことが、いま全肯定されたのだから。それはもう、口に入れたスフレケーキの味など、わからないほどに感極まる。

 そして驚愕する私と同じように、さくらも驚いたような顔をする。彼女は一瞬目を見開いたが、その後はいつもの切れ味鋭い細目になって、ほくそ笑む。

「この世界はね、おかしい方向に向かってる。世界中で今でも様々な研究が行われてるけど、それらは全て世界指定技術機関WTROに吸収されて、たいていは、民衆の生活に届いてはくれない。あの世紀の大天才、開道誠樺の研究成果だって、この機関の奈落の底」

「でも、それが世界平和の為になるのなら。それに、技術は管理しないと」

「それは、違うと思う」

 彼女の目が、今度は苛烈に光った。口の形が異様に鋭くなって、逆鱗に触れたことをもう謝りたくなった。

「ねえ、二〇三〇年代以前はあらゆる研究が許可もいらないで、即座に実用化目指せたって、知らなかったでしょ」

「え、嘘、じゃあ、それじゃあ知識が悪用されるじゃん」

「それがもう洗脳にはまってるって証拠なのさ」

 彼女はそれで、ノーベル賞という古の世界的なイベントについて話してくれた。何でもそれは、「世界的に優れた研究を一般市民にまで知らしめ、その普及を推進する役割」も担っていたそう。これを知って驚かないほうがおかしいと思う。すぐネット検索をかけてみたけど、確かにノーベル賞という風習は存在したようだった。

「憎いよ。わざと消さないようにしてるんだ。その事実を隠していたら騒がれるから、消さない。かと言って教育の面では白痴にしておくから、ここにたどり着く人間はとても少ないという策略」

「なんで、さくらはそんなに賢いの。羨ましいな」

 純粋な疑問を聞いた。

「ボクには、君の天真爛漫さがきらびやかにみえるよ」

「あはは」

 口説き文句のような言い回しにどうしようもなくなって、とりあえず笑いでごまかした。さくらの顔ではなく、その後ろに飾ってあったコーヒーミルと観葉植物を見つめる。

「ほんとだったら、西暦二一四〇年なんて、もう個人の範疇で安々と宇宙進出とかしてたり、死者蘇生だって出来ていたはず。場合によっては時空転移とか、ブラックホールを情報ストレージにするとか、そんなびっくり技術も当たり前になってたかもしれない。意識のデータ化だって」

「それは、何でそう思ったの?」

「今から送るよ。人類の進歩の度合いを表にした資料」

 その折れ線グラフは、前半は指数関数的にぐんぐんと上昇している。でも二〇三〇年代に突入してからは停滞し、やがて四十年第にはやや横ばいになっていった。

「最後が二一〇〇年代で終わってるのは」ここで私は、目線を背後のオブジェから彼女に戻す。

「その先はマイナスに入ったから。世界指定技術機関WTROの行き過ぎた規制と世界連網の戦い、知ってるでしょ」

 WTROは、レッドインパクトが引き起こした状況を重く見たために様々な技術を制限し始めた過去がある。そこまでは知っていたが、それによって人類の成長がマイナスになっていたのは、驚きとしか言いようがない。

「そっか、そういえば菌械技術オーガノテック、昔は市民がギリ手を出せる技術だったんだよね。で、2083のせいで規制されて」

「そ。そこからして決め手だったというか、支配者の良い口実になったというか」

 2083。文字通りの西暦に生じた、人類史上最初で最悪の知脳の反逆シンギュラリティ。さくらが言うに、それは物理的な破壊や死傷者といった実害だけでなく、民衆の科学に対する不安という見えない変化をもたらした。そしてそれが表向きには民衆という集団によるヘゲモニー的な科学規制を強化したように見えるけど、実際は世界指定技術機関WTROによる規制が色濃くなっただけだと。スレートがいちいち情報処理をしてくれるおかげで何とかついていけてるけど、そんな話題を瞬時に口に出せるさくらはすごい。その驚きが一つの純粋な疑問を生んだ。

「さくらは、どうしたいの?」

 彼女は初めて困惑したようだった。「どうって」と言ったきり、口を開かない。もしや、彼女は莫大な知識を持っているけど、別にそれをどう使おうかを考えたことは無かったのではないか。

「わからない」

 図星だった。

「やりたいことが多すぎる。変えたいことが多すぎるよ。指定技術なんて制約はぶっ壊したいし、マレーシアとかアフリカみたいに、シェルを脱ぎ捨てて野山を駆け巡りたい。受動的な自由フリーダムではなく、中からの自由リバティーが欲しいってこと。それに、私だって人並みに恋愛でもしたいんだよ」

 最後のTODOやりたいことは意外だったとはいえ、どうやら彼女にはやるべき事が多いようだった。でも、それらの課題はどれも世界規模だろう。彼女の知識と優秀さをもってしても、たぶんできることは、せいぜい制度に風穴を開けるくらいだということくらいは、私にも理解できた。

「たくさん知ってるゆえに、苦悩があるんだね」

「それは、ね。いつだって、知識の上に苦悩が成り立つのさ。考えてみてご覧よ。幽霊という知識が無かったら、幽霊を恐れることない。あるいはそもそも、人類がこんなに高い知能を持ったがために、不安や鬱病で、心を壊す。マウスにも鬱はあるらしいけどね、自殺はできない。……あれ、ごめん。なんか話が脱線したね」

「うん、いいよ」

 その代わり、私の質問に答えてもらうけどね。

「ねえさくら」私は少しだけ微笑む。

「何」

「最初の方にさ、恋人いるか聞いたでしょ。あれ何だったの」

 すると、彼女は何とも言えない表情をしながらコーヒーを啜るだけで、あとはまたもや沈黙を貫いた。彼女は今、自身の膨大な知識の海に飛び込んで、必死に言葉をかき集めているのだろう。そういう妄想をしてみると、少し笑えてきた。



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