◆デート
冬の宵闇を照らすのは、月と街灯と、発光するクラゲ型の
「今日はありがとう」
「ううん、私の方から言うべきだよ、本当にありがとね」
なるべくにこやかに、形式ではなく、きちんと心のこもった挨拶を互いに投げかけあう。なぜって、特に私は心の底から嬉しさがこみあげてきているから。彼と訪れたのは、高級フレンチのレストラン。昨今では技術の誇示とシェルとの相性などの理由から、
今日は、もはや大富豪の趣味となった、そんなフレンチディッシュ店でのデート。だから私はこの日を最高に楽しみにしていた。おかげで財布の中身はさみしくなってしまったけど、愛する人と楽しい事をできるなんていう、そんな幸せな時間の為なら何億でも払える。
「ディッシュ、久々に食べるよ。俺最近、もっぱらカプセルで済ませてたから。支給品だし」
「えー、味もしないし、食べた感じがないじゃん。私はやっぱりディッシュがいいし、最低でもリキッドかな~」
「まあ食べられるんなら、いい経験だし、ディッシュもいいけど、やっぱり何よりシェルだと食べにくいし、出先でササっと栄養補給するって言ったら、ミールなんだよね」
シンさんは、私みたくシェルが嫌いというわけではない。それは、彼自身がシェルによる肉体補正の恩恵を十分に受けているから。彼が生業としている
そういえば。今や街中を歩けば必ず目にする
「で、さ。そろそろカナの両親に、挨拶しに行かなきゃなって思って。俺の家族の方は話をつけておいたから」
一単語。その「挨拶」というたった一つの言葉で、私の頬がひきつる。
「挨拶、だよね」
二回目で必死に心のスキマを隠したのに、それでもシンさんには全てお見通しのようで、私が妙な沈黙の末に冷製スープを啜りおわったと同時に、口を切った。
「ごめん、何かあったかな」
「うーん」静かに目を閉じる。彼になら、言ってもいいのではないか。もう彼は、私の家族関係を告白しても、失望しないのではないか。「私ね、父親と」そこでどうしても途切れてしまう。
「父親と、その、私」
「大丈夫だよ。無理に言わないでも。ただ、これだけはわかってほしい。俺はもう婚約者だ。だからどんなことをいまさら言われようが、気にしない。約束する」
彼の真っすぐな瞳が、
「私、父、パパに顔も見たくないって。家から出て行けっていわれたの」
シンさんは、私の予想を裏切ずに、目つきを変えないでいる。
「それはまた」その言葉だけで、彼のターンは終わっていた。私の言葉を待っているのだ。彼は、彼の性格上、たぶん私が口を開くまで三十分でも一時間でも、閉店になっても待ち続けると思う。だから私は言わなければならない。心の不安を押し付けて、ゆっくりと語り始める。
「私のパパは、私が生まれる前に、母親と父親を同時に事故で亡くしたの。それで、半ば狂信的な
「それは、残念だったね。ご冥福をお祈りするよ」
「うん。それで、パパが狂っていったというか、年を取っていくごとに、私が成長するごとに厳しくなっていって。でも私は前々から言ってるように、どちらかと言えば
「ん? 感動した?」
「あ、ごめん。その、親子の縁を切るっていうのかな。そんなにシェルを脱ぎたいなら、裸でも暮らせる東南アジアやアフリカにでも飛んでってしまえばいい、ってね」
「それはひどいね」
シンさんは日中のハーフだから、日本の文化や固有の言葉には疎かったのを忘れていた。それほどに、自分は滅入ってる証拠だった。
「もうそれから会ってないんだ」
「うん」
「そっか」
彼は、まるで自分のことのように考え込んだ。まるでロダンの「考える人」みたいに、顎に握りこぶしを当てて、体を小さく凝縮して、顔を険しくする。
「あ、でもいいんだよ。ごめんね。こんなせっかくの食事なんだし、楽しもうか」
そうして私が白身魚の
「だめだよ。これは早急に解決しなきゃ」
「でも、どうやって」
「話してみよう」
「え、誰と誰が」
「俺でもいい。君でもいい。とにかくお父さんと話して、誤解を解いてもらうんだ。君がカンドーされるような人間じゃないってことは、俺が世界で一番わかってるんだから」
「でも」
シンさんのせっかくの提案を否定で返すのは、心苦しかった。
「でも、ね。パパ、ほんとに頑固だし、私も少しわかる気がする。パパの気持ち。私だって優しい両親を事故で無くしたら……、それもシェルをつけていたら助かっていたとしたら、シェルを崇拝してただろうし」
「ほんとに優しいんだね」
もう食欲なんて、めっきり無くなっていた。そして今日は、P室じゃなくて普通にホテルで一緒にいればよかった。シンさんの分厚い胸板で、シェルの逞しくて堅牢な腕で、互いの動作を味わいながら、まどろんでいたかった。私は決してそんな希望を口に出すことはできないけど、今回ばかりはもうその欲望が、喉を出かかっていた。慰めて欲しかった。せっかく二人のお金を持ち寄ってありつけたフレンチなのに、こんな空気ではどんなものだってまずくなる。
「帰ろう」
「もう食べられない?」
「食べる気がしない」
「わかった」
彼はまだ食欲があったか、さもなくば出された料理を平らげなければ気が済まないせいか、とにかく物凄い勢いでコース料理を胃の中へと押し込んでいく。
「行こうか」
「うん、ごめんね」
シンさんはもう何も言わなかった。全てわかってくれているのだろう。私は、今どんな慰めの言葉を言われても「悪いのは私」と責任を自分に押し付けることに。でも、いくら彼でも私の心の中まではわからないはず。わかってくれないのではなくてわからないのだから、責めようもない。
「月がきれいだよね」
「満月だね」
このセリフは、やっぱり伝わらない。あるいはクラゲたちがロマンチックって言えばいいのかな。二人で身を寄せ合って一夜を共にしたいという、私のごくごく自然で、人間的な欲求を、彼はわかってくれない。当たり前なのに。私は今すぐにでもシェルを脱ぎ捨てて、シンさんに抱き付きたい。でもできない。
「じゃあ、今日はありがとう」
私はもう何を言ったかもわからなかった。思考停止してしまった脳の代わりに、スレートが的確な応答を送っていたはず。すぐにその場を離れるしかなかった。シェルは
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