◆プライバシャル空間
「疲れたあ」
勤務終わりの夕方五時。ぼんやりと暗くなった市内を歩いてたどり着いたP室の中で、私は半日の内に凝り固まった体を伸ばす。いつも思うけど、心なしか、シェルの中にいる時よりもずっと筋肉の疲労が解消しているような気がした。でも、私が愛している彼の姿――月波シンが目に入れば、多少の疲労は意識から除外される。
「シンさん、元気だった?」
「うん。カナも元気そうだね」
P室は、シェルの着用が義務付けられた日本社会において、ほぼ唯一、合法的に「裸」でいられる空間。それでも、P室では必ず一人で過ごさなければならない。もしここに二人以上入れるなら、せっかくシェルの着用を義務にしてまで根絶した殺傷事件が、また増えてしまうことになる。頭ではわかるけど、だからと言って、家族や息子娘、恋人にまで触れられないというのは、やはりおかしい気がする。
「ここ、質素だけど質素すぎない感じがいいね」
「いかにも雰囲気だけ作っておきましたってとこもあるけど、あれはコテコテしてて嫌だな」
今日予約したここには、生活するのに必要最低限の物資と内装がそろっている、というよりはそれ以外が徹底的に排除されていた。綺麗にシワ伸ばしがされたベッドの横にはサイドテーブルがあり、そこへさらに机といすが連結している。そして最も大事な、通信用壁面ディスプレイがベッドの枕と対角線上にある。目につくものはそれだけ。こうして羅列が出来てしまうほどに家具が少ない。確かにコテコテな装飾は嫌だけど、もう少し内装にこだわってほしいとも思わせる部屋だった。
「
「
「やっぱこれだけやってても筋肉痛にはなるの? 慣れない?」
「初期のころに比べれば楽にはなったけど、結局ある程度まで言ったら肉体は成長しないよ。いくらシェルが代理で動いてくれるとは言え、限界がある」
部屋について不満があっても、結局こうしてシンさんと話していれば、内装がシンプル過ぎることにも意識がいかなくなっていた。所詮は人間の意識など、シェル無しではこんなものだと宣告されているような気もして、少し悔しく思う。
「じゃあ、さ」
画面上の彼が裸になる。私もつられて、全身をあらわにした。
「ね、やろう」
こういう時に、いつも先陣を切ってくれるのは本当にありがたかった。いつも差しのべられた手を掴むだけでいいのだから。彼の主導権に合わせて、私も動く。二人で作り上げられるラブな雰囲気に、この質素すぎる部屋が飲まれて行く。だからこその質素さなのか。二人の快感と彼の魅力によって淫靡に染まりあがった部屋は、やがて私たちの意識から排除された。
今や、私たちは恋人同士として、互いの存在しか見えていない。互いがどこにいるかなど見当もつかないが、ディスプレイによって、そして肉体の感覚や声によって、相手が目の前にいるような感覚に陥った。シェルの拡張機能や
「ああ」
この生々しさ、正直さ、大胆さ、不清潔さ、いびつさ、そしていやらしさ。全てがシェルの補正で日常ではほぼ見えなくなっているのだった。だから私はP室が好き。こうして真の動物として、真の人間としての感覚を味わうことができるから。シェルを脱ぎ捨てることで本来の感覚を取り戻すことができる。性的な行為は、その目的をさらに色付けするおまけなのだった。
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