赤いきつねにつままれた

九十九

赤いきつねにつままれた

 油揚げが好きだった。うどんが好きだった。だから、赤いきつねが好きだった。


 私は体調をよく崩す人間だった。子供の時から身体が弱かった。子供の頃は母に雑炊を作って貰っていたが、大人になった今では毎回と言う訳にもいかない。だから私は、体調を崩すたびに赤いきつねを食べていた。だって簡単で美味しいし、うどんだから。

 今日もまた、体調を崩した私はキッチンの脇に置かれた段ボールの中から、赤いきつねを取り出した。蓋を剥がして、火薬を入れて、お湯を注ぐ。待ち時間の五分は割と苦ではない。でも私は固いのが好きだから、五分より早めに開ける。

 五分経ったら、七味を入れて食べ始める。赤いきつねに入っている七味は普段使っている七味とはなにかが違くて、柚子みたいな匂いが仄かにする。実際、何が違うのかは具体的には説明できないけれど、普段使っている七味とはまた違ったこの良い匂いのする赤いきつねの七味がお気に入りだった。

 油揚げを最初に口に含んで、箸で汁をじゅっと絞る。そうしたら一気に食べてしまう。私は油揚げが好きだけど、後に残すとお残ししてしまうから具材は最初に食べるようにしている。油揚げから出汁を絞るのは嗜好だ。母が作ってくれるカレーうどんの油揚げでも同じことをする。

 油揚げを食べ終わったら、麺を食べる。でも途中かまぼこを見つけたらそっちを先に食べる。

 ちょっとだけ固い麺を啜って、咀嚼する。出汁の味とカップ麺独特の麺の味が、体調の悪い身体に沁みる。


「はあ」

 私は体調をよく崩す人間だった。だからその日も体調を絶妙に崩していた。前の日も、その前の日も、そのまた前の日も体調を崩している。

「やっぱり、お母さんが居ないのが響いたかな」

 実家暮らしの私はいま絶賛、一週間限定の一人暮らしの真っただ中である。両親が旅行に行っている間、疑似的な一人暮らしを楽しんでいるのだ。

 とは言っても、一人暮らしを始めてから、ずっと体調が絶妙に悪い。何とかしたいが、なんともならない。妙なじれったさを感じながら、私はおにぎりを齧った。

 そう、おにぎりだ。カップ麺でも無ければ、赤いきつねでも無い。おにぎりである。残っていた赤いきつねは最初の方にとうに食べてしまって、現在は空の状態だ。

 一人暮らしを始めてこちら側、私はまともな買い出しに行けていなかった。理由は簡単であれだけ言い含められていたのにも関わらず、買い出しを面倒臭がったからだ。面倒くささは面倒くささを呼び、体調が芳しくないのも相まってずるずると買い出しの日をずらしていった。まだ体調がよくって、買い出しに行けたかもしれない日だってあったのに、私はそれを面倒臭がった。

 そうして今は体調不良で買い物もまともにいけない状態になっている。

「お母さんに頼りきりだもんな」

 いつも買い出しは母がしてくれている。私が体調を崩した時の赤いきつねだって母がそのつど補充してくれている。母が居なければ、赤いきつねが後何個あるのかだって気付けなかった。

「もうちょっと自分で頑張ろう」

 情けなさに涙が出て来る。体調が悪いのも相乗してか、涙腺が緩いらしい。私はおにぎりを食べ終わると、サランラップを捨てに立ち上がった。

「赤いきつね、増えてるわけないよなあ」

 赤いきつねの入っていた空になった段ボールを未練がましく見つめながら、私は溜め息を吐いた。

「寝ちゃおう」

 なんともできない体調の悪さに参ってしまって、私は身体を横にする事に決めた。


 夜。私の体調は一層悪くなっていた。もしかしたら風邪を引いたらしかった。

「ごはんどうしよう」

 お腹が空いている気がしないでもないが、あまり食欲は無い。赤いきつねやカップ麺だったら食べられたかも知れないが、おにぎりなどの固形物は食べられそうに無かった。すっかり寝てしまったから、今日も買い出しはあれからやっぱり行けていない。

「しょうがないし、もう寝ちゃうか」

 食欲もわかず、そうかと言って無理に食べる気にもならず、どうしようも無かったので今日はもう寝る事にした。いつもの時間よりずっと早い時間の就寝に就く。


「良い匂いがする」

 目覚めて直ぐ思ったのはそんな事だった。どうやら良い匂いに起こされたようだと頭の片隅で思う。私は寝ぼけ眼のまま匂いの元を辿り、悪寒の走る身体を引き摺って一階へと降りていった。

 一階は電気が付いていた。私が慌ててキッチンへと顔を覗かせると、両親が帰って来ていたところだった。

 父と母は、赤いきつねを食べていた。出汁の匂いと温かい湯気がふんわりと私を覆う。それで不思議と悪寒は無くなった。両親の顔を見て安心したせいだろうかと首を傾げながら、両親の元へと向かう。

「お帰りなさい」

「ただいま」

「ただいま。顔色悪いわよ」

 挨拶の後、母は私の顔色を見て、眉をひそめた。

「ご飯は?」

 聞かれて、私は首を振る。こう言った時、嘘をついてもどうしてか母は気が付く。

「じゃあ、赤いきつねね」

 母は私を座らせると、赤いきつねの箱を取り出した。帰りのバスのビンゴ大会で景品に当たったのだとはしゃいでいた。

「いただきます」

 赤いきつねを食べる父と母に挟まれて、私も赤いきつねをつつく。

「美味しい」

 出汁の温かさが身体に沁みた。


「んえ?」

 次に目が覚めたのは布団の上だった。父と母と赤いきつねを食べていたのにどうして、と唖然としているとそこではたと気が付く。父と母が帰って来るのは、今日の夜だった。

つまり私は夢を見ていたのだ。

 身体を起こしたところで、妙に身体が軽く、体調が良いことに気が付く。きっと昨日早く寝たのが良かったのだろう。

「良かった。治った」

 体調が良くなった事にひとまず安堵して、私はご飯を食べるために一階へと降りていく。 

「あれ?」

 出汁の匂いが鼻を擽った。私は首を傾げて何となくごみ箱を覗いた。ごみ箱にはまさに昨日食べましたと言った赤いきつねのカップが捨ててあった。

「なんで?」

 まさかあの夢だと思っていたのは現実だったのだろうか、と首を傾げる。それにしては父も母も居ないし、帰って来ると言う連絡もまだ受けていない。私はクエスチョンマークだらけの頭で夢のことを思い出していた。

「そうだ、赤いきつね」

 私は慌ててキッチン脇の赤いきつねの入っている箱を覗いた。一個だけ抜き取られた形の赤いきつねの箱がそこには有った。

 まるで狐につままれたような状態の私は、首を傾げながらもとりあえず赤いきつねを手に取った。

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赤いきつねにつままれた 九十九 @chimaira

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